第627話 14歳(冬)…魔境ビウロットの取材(4/6)
魔境探索は六日間の予定。
三日進み、そして三日かけて戻る。
そんな限られた日程にも関わらず一日目からさっそく遅れが出てしまっていたが、そもそも魔境を歩き回りその雰囲気を肌で感じるというのが一番の目的であるためそう問題でも無かった。
できれば魔境だけに生息する珍しい植物なんかを見ることができたらいいな、とは思うが、危険の少ない場所を選んで進むツアーでは、はっきりと異常とわかるような魔導植物、また魔物化した植物を目にする機会は無さそうである。
まして、それらの植物を利用して生きる魔獣など。
探索隊はむしろ動物に遭遇しないようにと気を使って歩を進める。
これは狩猟旅行――サファリではないし、間違ってもナイトジャングルツアーのようなことはやらない。魔の領域にそっとお邪魔して、目覚めさせないよう細心の注意を払いながらそのままそっと立ち去るという、それだけのツアーなのだ。
三日目となると、魔境はそれこそ夏日のような気温になっていた。
進む道は獣道。
視界はせいぜい三メートル程度で、そこから先は生い茂る植物によって遮られ見通せなくなる。
現在進んでいる地帯は熱帯雨林っぽくなっており、湿度も高いせいで不快指数が跳ね上がる。
ここに来る前は乾燥した地帯で、汗をかいても揮発が早くわりと快適だったから、じめじめしている高温多湿が余計につらかった。
「きついようですね。しかしもう少し頑張ってください」
ダレているおれを隊長さんが励ましてくる。
「ここを抜けた先にお見せしたいものがあるんです。せっかく魔境に来たんですから、一つくらい珍しいもの見て帰りたいでしょう?」
高温多湿にうんざりしながらしばらく歩き続け、ようやく辿り着いたのは水浸しの開けた湿原だった。
水を張ったばかりの田んぼのようなこの湿原は……、低層湿原なのだろう。
しかし開けているとは言っても空がよく見えるわけではなく、湿原のど真ん中にある巨大な木の傘によってすっぽり覆われ、むしろ影になっていた。
「え、なにあの木……」
唖然としたのは、巨木のやたら太い幹に大きな洞があり、そこからだばだばと絶え間なく水が吐き出されていたからである。
「うおー、すっげー!」
そう言ったのはピネ。
熱帯雨林にうんざりしていた妖精たちは、巨木めがけて飛んでいき、滝壺めいた深い水たまりでのん気に水遊びを始めた。
「少しは驚いてくれたようですね。あれは毒泉樹というものですよ」
「毒泉樹……、え? 毒?」
唖然として、おれは隊長さんと妖精たちを交互に見る。
「そう、あの木の根は深く深く地中へ伸び、地下水を吸い上げ、自分の毒を混ぜてああやって吐き出すんです」
「ちょっ、どれくらいの毒なんです?」
「それが……。はは、すみません。実はあの木から吐き出される水はこの魔境で一番安全な水なんです。毒といっても、人や動物を死に至らしめるようなものではありません。せいぜい飲みすぎると腹が下る程度。妖精たちがああやって遊んでいるのも安全な証拠ですよ。それにほら」
と、隊長さんが顔を向けた先では、他の探索者たちが空になった水袋に湿原の水を汲み始めていた。
「ああやって汲んで、沸かして飲めば毒性も消えるんです」
隊長さんは笑い、自分も水汲みに参加する。
「でも毒……」
「なに、大丈夫じゃよ。婿殿は植物が傷ついた際に、殺菌力を持つ揮発性物質を分泌することを知っておるか? 実は森の香りがそれにあたるんじゃが、あの木の毒とはそれのことなんじゃよ。まあ普通の木よりもずっと濃いわけじゃが、沸かしたり、時間を置けば消えるものなんじゃ」
「あ、そういうことなの?」
シャロの説明を聞いて少し安心する。
と、そのとき――
「……ん? なんだあれ!?」
湿地の対岸、森から現れたのは紫色に発光するラマっぽい動物。
ラマとの違いは……、ふさふさの長い尻尾があることくらいか?
そんな紫ラマは全部で五頭。
強く発光する大人のラマが二頭に、ほわっと発光している子供のラマが三頭である。
すると探索者たちもラマに気づき、感嘆の声を上げた。
「おお、ついていますね、あれはラマテックスという魔獣です」
え、あれってそんな名前なの?
ってかラマテックスってどっかで聞いた名前……、あ、王都の生地屋の店主がラマテックだったか。
もしかして名前の由来ってあれか?
店の名前も毛玉にあやかってのものだったし。
「あの、もしかしてあの魔獣って毛が貴重だったりします?」
「その通りです。もし一頭だけでも毛をすっかり刈り取って持ち帰ることが出来れば相当の収入になりますね。数年は遊んでいられるほどですよ。ただ……」
「欲しいからって毛を刈り取りにいける魔獣ではないと?」
「そういうことです。ああ見えてかなり強いんですよ。まあ危害を加えなければあの通り大人しいものですが。あの紫色の光りが濃く、強いほど蓄えている魔力が多く、強い個体というわけです」
「どれくらい強いんです?」
「熊くらいなら、奴に触れることもできず挽肉になりますね」
「そんなに!?」
とぼけた顔してるくせにすげえな!
きっとおれの頭にしがみついているプチクマの送る映像を見て、金銀赤の三人も驚いていることだろう。
と――
「……シャロ、説明しなくてもいいのか……?」
「……い、いや、べつに説明せんでもよいじゃろ。名前もなんとなくでつけたものじゃしな……」
シャロとロシャがひそひそ話していた。
あー、ラマテックスって名前はシャロが決めたのか。
ならラマってついているのも納得だ。
でも『テックス』ってなんだろう……?
△◆▽
それからおれたちは湿地の畔で昼食をとった。
ラマ親子はこちらを警戒することなく、親子仲良くお食事中。
水草をもちゃもちゃ。
奴らがいるせいでよけいにのどかな感じがした。
ラマたちが温厚というのは本当らしく、妖精たちが飛んでいって背中でくつろいでもお構いなしである。
「さて、ではそろそろ引き返すとしましょうか」
隊長さんが言い、おれたちは帰還の準備を始める。
最後に珍しいものを見ることができてよかった。
あのラマたちはイベント中の癒しみたいな感じで、四作目にもぜひ出したいところだ。
そんなことを考えていたとき――。
異変が起きた。
「――ッ!? なんか来る!」
まず告げたのはピネ。
まだここから動きたくないと駄々をこねていた妖精たちが、一斉に黙って毒泉樹を見つめる。
のんびりしていたラマたちも、なんだかニワトリが騒いでいるような声を上げ始め、それからすたこらこの場から逃げだしていった。
「おいピネ、なんかってなんだ!?」
「わかんねえよ! とにかくヤベえもんだ!」
いつものピネからすれば信じられないくらい真剣な声だ。
これは本当にまずいのでは、と思った時、ロシャが茫然と呟く。
「う、嘘だろう……? この感じは……」
「なんじゃ? 経験があるのか?」
シャロは尋ねるが、そのタイミングでおれにも異変があった。
左腕が疼く。
それはこれまでに数度だけ経験した――
「スナーク……!?」
「はあ!?」
愕然としてシャロが声をあげる。
それに続くようにして、ピネが叫ぶ。
「出たぞ! あれだ!」
あれあれ、と妖精たちが指差した先には――真っ黒い玉。
実った果実が落ちるように、葉の生い茂る毒泉樹のどこかから、下の水面へと穴のような真っ黒い玉が落下していく。
黒い玉は水面に触れると小さく跳ね、それからもこもこと膨れ上がり始めた。
何が何やらという状況だが、左腕が疼くというのは勝手に黒雷が現れようとしている前触れでもある。
ここは浄化してから考えようか――、そうおれは判断したとき、さらに異変が起きた。
「にぃぃぃ――がすかぁぁぁ――――ッ!」
可愛らしい声が毒泉樹の上から聞こえ、すぐに妖精が次々と降ってきてスナークへ突撃していく。
あれっと思い、おれはピネたちを見る。
すると、ピネたちに「違う違う」と首を振られた。
どうやらあれはピネたちとは違う妖精――、であればこの魔境に住んでいる妖精たちなのだろう。
魔境の妖精は六人。
水面でもこもこと膨らみ続けているスナークを輪になって囲み、それから揃って不思議な踊りを始める。
なんだろうと見守っていると、妖精たちの作る輪がほんわか発光を始め、その光りに包まれたスナークは膨張を止めた。
まさか倒すのか、と思ったとき――
「どうするどうする? これどうする?」
「どうするって、門に放り込んで中心まで戻すのよ!」
「そんなこと言っても、私たちこのままじゃ動けないじゃない!」
「ひとまずそれでいいんじゃない? そのうち応援が来てくれるだろうから、このまま逃がさないようにしておけば」
「えー、それだるーい」
「だるくてもなんでも! 今はあたしらがやるしかないんだから頑張りましょう!」
ふむ、妖精たちはお困りのようだ。
「婿殿、浄化できるか?」
「たぶん。やってみる」
おれは妖精たちが封じ込めているスナークによく狙いをつける。
黒雷なら妖精たちを巻き込んでも平気だとは思うが、念のためスナークだけを狙い撃てるようにと。
そして――。
パチンとな。
これまではぶっ放していた黒雷を、〈雷花〉の要領で狙いをつけてそこに発動させる。
この試みは上手く行き、封じ込められていたスナークだけに黒雷が集中。
バチコーンッと雷音を響かせて爆ぜ、スナークはきらきらとした小さな光りの粒子――精霊へと転じることになった。
「は、はあ!?」
「何これ!? 何これ!?」
「せ、精霊……? ど、どうして……!?」
「何が起きたのー!?」
ただ、いきなりだったので魔境の妖精たちが大混乱に陥った。
しかしその動揺の結果、おれたちの存在に気づいたようだ。
「あれー、人がいるよー」
「あら、まいったわね。つい姿を現すことになっちゃったけど……」
「仕方ないでしょう。それより、もしかしてあの人たちが何かしたんじゃない?」
「えー、無理でしょー」
「でも知らない妖精連れているし、さらに精霊まで」
「なんでぬいぐるみ……?」
魔境の妖精たちはしばし話し合っていたが、生まれたての精霊たちがおれの方へふよふよ移動していくのを見て無関係ではないと判断したのだろう、やがてこちらへと飛んできた。
△◆▽
生まれたての精霊たちは、先輩にあたるプチクマの周囲――要はおれの頭の上をふよふよと漂う。
魔境の妖精たちは困惑していたが、その一方、探索隊の面々はだいぶ混乱していたため、おれは順を追って説明することにした。
まあスナークを浄化できるお子さんが、ちょっと魔境取材に来ていたところ、どういうわけかスナークが現れたので精霊に生まれかわらせたというだけの話なのだが。
「え!? つまりあなた、穢れを完全に祓えるのね!?」
「まあそんな感じ」
「ちょっと私たちに協力して!」
「うん、わかった」
お近づきになりたいのですんなり引き受ける。
そしたらピネが驚いた。
「おいおい、お前がそんな素直に引き受けるってどういう風の吹き回しだ!? どっかで変な毒をもらったんじゃねえのか?」
「失敬な。おれはただ、こうして出会うことのできた妖精たちとの縁を大切にしようと思っただけだ。だって妖精だぞ? 初めて見たよ」
「おいおいおいおい、おーい、おい!」
「あ? なんだよ。今ちょっと妖精さんたちと大事な話をしてるんだから後にしてくれ」
「いやいや、いやいやいやいや、おかしい、言っていることおかしい。ほらほら、あたし、よく見て、あたしよく見て」
ピネはおれの顔の前に移動すると、ほれほれと自己アピール。
「ん……? あれ? おまえ……、妖精そっくりだな!」
「おいこらてめえいい加減にしろよ!? 言うぞ、セレスにお前の兄ちゃんに酷いイジメを受けたって泣いて訴えるぞ!」
「おいバカやめろ!」
こいつ、とんでもない脅しをかけてきやがった……!
慌てて止めると、ピネは顔をしかめて言う。
「ああん!? バカだあ? おいおい、ずいぶんな口きいてくれるじゃねえかよ。このことがセレスに知られて困るのは誰だぁ? そこんところよ~く考えてからものを言えよ。もう一度だけ機会をやる!」
くっ……、からかい過ぎたか……!
ここは素直に謝るしかない。
「す、すみません! それだけは、セレスに言うのだけは勘弁していただけないでしょうか!」
「ったくよぉ、レイヴァース家の坊ちゃんはよぉ、いつも悪ぶっている癖にセレスの前には形無しだなぁ! しゃーねえ、あたいとお前の仲だ。ここは出すもん出せば収めてやろうじゃねえか!」
「あざーっす、これ、ピネさんたちが食べやすいようにって適度な大きさにしたクッキーです! お召し上がりください!」
「よーしよーし、いい心がけだ。その気持ちを忘れるなよ」
「はい、肝に銘じます!」
おれはピネたちを大人しくさせるためにあらかじめ魔導袋から出して置いたクッキーを配る。
「あ、もしよかったらどうぞ」
ついでに魔境の妖精たちにも配る。
「あ、ありがとう……。ねえ、貴方たちってどういう関係なの?」
「ただの仲良しだ……」
「いやそんな悲壮な顔で言われても……、まあ悪いわけではないようだけれど。それじゃあせっかくだからいただくわ。……あら美味しい」
魔境の妖精たちはクッキーを食べてきゃっきゃとはしゃぐ。
可愛い。
一方、うちの妖精たちはゲハハハハーと騒いでいる。
浅ましい。
うーん、同じ妖精でもやっぱ違うなぁ……。




