第611話 14歳(秋)…迷宮庭園(前編)
王都の屋敷と領地が精霊門で結ばれたことにより、クロアとセレスの遊び場が増えた。
今のセレスの流行りはぬいぐるみを引き連れて異次元屋敷を練り歩くこと。
一方のクロアは森に出掛けることが多くなっており、それは特に訓練の一環とかそういうわけでもなく単純に遊びに出掛けているようだった。
そんな様子に、もしかするとクロアが熱心に訓練や回廊魔法陣の勉強をしていたのは王都が窮屈に感じられており、退屈を紛らわすためにやっていた面もあるのではないか、とおれは少し反省する。
やはり生まれてからしばらくは森で暮らしていたわけだし、自然に囲まれた環境がクロアにとっては好ましいのかもしれない。
まあ今回の精霊門拡張事業によりその問題はひとまず解決したわけだが……、おれは思うのだ、領地の森だからと言っても何の危険も無いわけではない、と。
遊んでいるところに、ゴブさんやクマさん、場合によってはもっと危険な存在と出くわしてしまう可能性があるのは否定できない。
「森は精霊に充ちておるし、クロアは魔法と雷撃の魔術が使え、それにメタマルがついておるじゃろ? まずメタマル単体でも熊程度なら瞬殺じゃぞ? 一方のセレスにはピスカがついておる。熊が徒党を組んできても瞬殺じゃぞ?」
仕事部屋にシャロを呼んで相談を持ちかけたところ、シャロは今のままでまったく問題ないと言ってくる。
「なるほど……、でもまだ万全じゃないと思うんだ」
「これで万全でなかったら何を万全と言えばいいんじゃ……」
安全な遊び場を、もっと安全な遊び場を。
そう思い悩んだおれの脳裏に浮かんだのは、エミルスの迷宮最下層に存在する、ほったらかしの地下空間だった。
迷宮主は色々と問題のあるスライム覇種だが、人に害を与えることはしない。
精霊門で繋げることができれば、あの広々とした場所は実に都合の良い空間なのでは?
擬似的な自然が広がる失楽園。
いや、今となってはそんな大袈裟なものではないし、ここは迷宮の底にある庭園ってことで、迷宮庭園と呼ぶことにしよう。
本来の迷宮庭園とはえらく違うが、そこには目を瞑る。
そんな迷宮庭園、遊び場というだけでなく、もしもの時にクロアやセレスが避難する場所としても申し分ない。
「問題はアレがクロアやセレスに妙な影響を与えないかどうか……」
「与えそうな場合はどうするんじゃ?」
「撤収かなぁ……、残念だけど」
「ふむ、まあひとまず会いに行ってみるかの。さっそく行くか?」
「あ、一応シアに報告するから、もうちょっと後で」
と、そこでそのシアがちょうどよくやって来た。
が――
「ご主人さまー、なんかルフィアさんがうちの門の前で泣きわめきながらパントマイムしてるんですけどー」
「……は?」
シアがよくわからないことを言いだし、こっちが話し出す前に話の腰を折られることになった。
窓から確認してみたところ、確かにルフィアが門の前に居て、ガラスの壁でもあるようにパントマイムを繰り広げている。
その正面――門のこちら側ではクマ兄貴、プチクマ、それから猫が並んでその様子を眺めていた。
たぶん檻に入れられた珍獣を見物しているようなものだろう。
「おかしいな……、春はまだ遠いのに……」
十二月はもうすぐ。
季節は秋から冬へと切り替わる。
春まではあと三ヶ月もあるというのに……、いや、ルフィアにとって季節など関係ないのかもしれない。
「まあいいや。シア、実はちょっと提案があるんだ」
「え? あ、はい、なんでしょう」
ルフィアのことは忘れ、おれはシアにエミルス迷宮最下層を精霊門で繋ごうかと考えていることを相談した。
その間にシャロは退室してどこかへ向かう。
トイレかな?
「うーん、イールさんには変なことを言いださないよう、よくお話しておかないといけませんね。クロアちゃんはもう駄目なことを判断できるお年頃だと思いますけど、セレスちゃんはそのまま影響を受けちゃいそうですからね」
「でもあいつ、妙な発言をするなと言ったところで、その妙なことがなんなのか理解していないようだからな。人に化けるときは服を着るって概念が無いのも問題だし……。これはやっぱり、クロアとセレスは誰かと一緒に行かせるようにした方がいいかな」
そう話をしていたところ、退室していたシャロがまた戻って来た。
「婿殿、ちょっと外に居るあの娘――ルフィアに挨拶してきた」
「ん? あ、そうなんだ」
「うむ、エンフィールド家、そしてルフィアが嫁ぐウィストーク家もわしとも関わりのある家じゃからな、自己紹介もしておいた。驚いておったぞ。それで婿殿、あの娘は何かと問題もあるようじゃが、なかなか見所があるように思う。反省はしておるようじゃし、ここは一つ寛大な心で屋敷への立ち入りを許可してやってもよいのではないか?」
「……え?」
シャロが何を言っているのかよくわからない。
「立ち入りを許可って、べつに入ってくればいいんじゃない? いつも勝手に屋敷に潜んでたんだし」
「いやいや、ルフィアはここに入りたくても入れないから泣いておるんじゃよ。ほれ、前にわしが精霊たちに害意を持つ者の取り締まりを提案したじゃろ? 婿殿はそれを試したのではないか?」
「あ! 試した試した!」
「へ? じゃあルフィアさん、うちに害意があったんですか?」
「いや、試しにルフィアだけ名指しで立ち入りを禁止させた」
「ああ、なるほど。ルフィアさんっていつの間にか居ますからね、これを締め出せたなら効果は確実とわかるわけですか。で、ルフィアさんは泣きながらパントマイムを披露することになった、と」
「そうみたいだな。そのうち解除しておくか」
「あれ? あとでなんですか?」
「そう急ぐこともないだろ?」
「いやいや婿殿、そんなこと言わず解除してやってはどうじゃ? これでは来年の初めに行われる冒険の書の大会についての報告業務に支障をきたすと困っておったぞ?」
「あ、そうか、そうきたか……。んー、ところでシャロ、あいつになんか取引持ちかけられたんじゃない?」
「そ、そんなもの持ちかけられてはおらんぞ!」
「……」
ホントかな?
シャロを見つめる。
見つめる。
……。
そっと視線を逸らされた。
「まったくあいつは……」
ちょっとあきれながら、仕方なく精霊たちにルフィアの立ち入りを許可するようお願いする。
と――
「……やったー……、やったったー……!」
歓喜の大声がこっちまで聞こえてきた。
そして喜び勇んだルフィアは、呼んでもいないのに勝手にこっちへやって来た。
「まったくもー! ひどい意地悪するんだから!」
「意地悪されるような日頃の行いを反省してほしいんだが。――で、今日は何の用だ?」
「実はね、やんごとない身分のお姫様から、やんごとない女の子がここにいるから、たくさん写真を撮ってきてって依頼されたの。できればこう、セレスちゃんと一緒になってきゃっきゃしている様子を写真に収めてもらいたいって言っていたわ」
「えぇ……」
それを聞いて唸ったのはシャロ。
今回の訪問目的については聞いていなかったらしい。
「シャロ、自分の首を絞めることになってるけど……、やっぱり出入り禁止にしておいた方がいいんじゃないか?」
「む、むぅ、し、しかしじゃな、子供でいられる時間は短く、その瞬間を残しておくのも悪くない。ここは大らかな心で許すのもよいのではないかと思うんじゃ、わしは」
シャロはそれでもルフィアを庇う。
いったいどんな魅力的な取引を持ちかけられたんだろう……。
△◆▽
それからも迷宮庭園について話し合っていたところ、なし崩し的に今日このままエミルスへ向かうことになり、おれとシャロ、そしていつもの金銀赤、それからルフィアが加わっての六名でお出かけすることになった。
「なんか要らないのが一人いるような気がする」
「またまたー、すぐそうやって意地悪しようとするんだから」
「自覚はあるのか……」
それでもぐいぐい来るこいつの恐ろしさ、これが記者か。
「実はね、最下層にある地下空間のことを聞いた時から一度行ってみたいと思っていたの。門のところで粘ってよかった!」
「くっ……」
ヴァイロでの騒動があったとき、魔王の誕生阻止について記事を書いてもらうため迷宮庭園のことを話したのだが……、それがこんなところで影響してくるとは。
べつにそこまで詳しく説明する必要はなかったが、記事を書いてくれとお願いする立場だったし、何より時間が惜しかった。いちいち質問されてつっぱねるのは時間の無駄、そこでオフレコということで一通り何があったのかを話してやったのだ。
「まーまー、ご主人さま、いいじゃないですか。ルフィアさんはなにも迷宮庭園の存在を公表しようってわけじゃないんですから」
「そうですよ猊下、ルフィアさんの秘密は守るという言葉に嘘はありません」
「……」
ルフィアの同行を許したのはシャロだったが、どういうわけかシアとアレサもこれをにこやかに擁護する。
おれはふいに思った。
何やら得体の知れぬ影響力を持つルフィアをこのままにしておいて良いのだろうか、と。
そんな言い知れぬ不安をおれが抱くなか――
「イールは出てくるかしら? ぺちぺちしたいわ」
ミーネだけは相変わらずであった。
頼もしい……、いや、これはもはや癒しではないか?
少し落ち着いたおれは、いざとなったらヴュゼアに相談しに行くことに決めて、それからデヴァスに乗せてとお願いに。
デヴァスの背に乗ってさっそく出発したおれたちは、一応、最初だけはザナーサリーの精霊門から、エミルスの精霊門へと移動するという手順を踏む。
エミルス側に出たおれたちは、再びデヴァスの背に乗り、まずはフリード伯爵のところへ話を通しにご挨拶。
今日もまた突然の訪問となったが、伯爵は快く歓迎してくれた。
そして秘密を抱えるこの人なら問題ないだろうと、シャロは自分の正体を明かし、結果として伯爵はしばらく固まることに。
それからシャロに会うまでの――、要は霊廟に挑戦したことを話していたところ、床からにょきっとイールが生えてきた。
「どうも皆さん、お久しぶりです」
「あらあら」
ミーネがイールの前でしゃがみ込み、さっそくぺちぺちと叩く。
ぺちぺち、ぷるぷる。
「ふふふ……」
ミーネは凄く満足そうだ。
一方、イールはそんなのおかまいなしで挨拶を続けた。
「いやー、シャーロットさんとはだいたい三百年ぶりですね。貴方の提案のおかげで私はノアに対抗できるようになり、こちらの皆さんの協力によって無事迷宮を取り戻すことができましたよ」
「そ、そうか……」
感謝するイールに対し、シャロは複雑な様子だ。
まさか自分の発言が発端で、イールがウンコを力に変えるようになるとは想像もできなかったのだろう。
「やはりわしのせいなのか……」
がっくりと項垂れるシャロを慰めていたところ、シアがふと思い立ったように尋ねた。
「シャロさん、覇種ってなんなんですかね?」
「なんなんじゃろうなぁ! 考えようともしたんじゃがな、なんせ情報が少なくてな、結局はよくわからんままじゃよ。唯一のサンプルがコレじゃったし、コレを元に仮説を立ててよいものかどうか……」
「あー……」
まあコレを相手にしていたら、真面目に考えたくもなくなるわな。
「それで今日は挨拶しにきてくれたんですか?」
「まあわしはそんなものじゃが……、婿殿」
「えっとな、迷宮の最下層を精霊門でうちに繋がせてもらおうと思ってな、その許可をもらいにきたんだ」
「最下層に? 何かするんですか?」
「特別何かしようというわけじゃないんだが、うちの弟や妹の遊び場にいいんじゃないかって思ってな」
「はあ……、なるほど。まあ確かにあるだけですからね、遊びに来るのはかまいませんよ」
「いいのか?」
「ええ、あなたに恩を売っておいて損はないと思うので」
「おれに恩? おまえに何かいいことあるか?」
「例えば私のことが世間にバレてしまっても、あなたが人畜無害なスライムですよーって言ってくれれば、人々はそれを信じます」
「そういう嘘をつくのはちょっと……」
「嘘ではないでしょう!? 人畜無害ですよ私!」
「いや存在自体が背徳的と言うかなんと言うか……」
「あなた私にお願いしにきてるんですよね!?」
そんなおれとイールの様子を眺めていたシャロが、ここでぽつりと。
「お、お主ら、案外仲が良いのう……」
おっと、それはひどい誤解である。
※誤字脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/04/25




