第598話 14歳(秋)…あなたが涙するのなら
気づくとおれは知らない――、いや、すっかり忘れ去っていた場所に舞い戻っていた。
真っ白け空間に浮かぶようにあるのは八畳間。
畳の中央に丸いちゃぶ台が、そしてすみっこには古めかしい木枠のブラウン管テレビが。
前回おれはリンゴくらいの大きさの、モヤモヤとした黒い塊でここに居たが、今回はそのままの姿で招かれていた。
「おひさしぶりですね。お元気そうでなによりです」
「おかげさまで」
懐かしくも忌まわしいアルカイックスマイルを浮かべながら言ったのは、きらきら輝く粒子を纏う暇神様である。
「つかおれ、お前に知らせてないんだけど」
不機嫌に言ってやるも、暇神は気にした様子もなく答える。
「見つけたら知らせがくるようになっていたんですよ。そうでなければ、最初にどうやって知らせるのかと説明をするはずでしょう? あなたは見つけてくれるだけでよかったんです」
「ちっ……」
これは確認しておかなかったおれのミスか。
まああの時は色々とアレすぎて冷静になれなかった。
もっと冷静であったなら、こいつの言ったこと――うさんくさい説明をいちいち鵜呑みにしたりはしなかっただろう。
そんな、おれが悔しがる一方で――
「な、な……」
戸惑っているのは一緒に呼ばれてしまったシャロ様だ。
暇神はシャロ様の動揺が収まるのも待たず話しかける。
「まさかあなたが攻撃者だったとは。ひどいじゃないですか。次元の狭間を彷徨っていたあなたに、新しい人生を贈ってさしあげたというのに」
「……」
シャロ様はしばし黙ることになったが、やがてため息まじりに言う。
「そうじゃな。儂はひどい奴じゃよ」
「おや、すんなりと認めるのですね」
「自覚はしておったからな、これは八つ当たりじゃと」
「八つ当たりではなく、その腹を立てていたそのものに攻撃すればよかったのではないですか?」
「そうもいかんのじゃよ。そうもいかんのじゃ。ふむ、大神殿には聞く権利があることじゃし、ここならば言っても問題なかろう」
ここに居るのはシャロ様、おれ、暇神。
誰かに聞かれるような心配もない。
「いつの頃からか、儂の中にはどうしようもない感情が巣くっておった。それはな、嫉妬じゃ。七つの大罪にも数えられるこの感情は、儂以外のすべてに向けられておった。儂は名前を変えたかった。しかしいざ変えてみても、もう老い先短く、今更という感が強かった。もちろん嬉しかったが、同時に虚しさが押し寄せた」
懺悔するようにシャロ様は続ける。
「儂はべつに有名になりたかったわけではないんじゃ。欲しかったのは普通の幸せ。家族に囲まれ、友と過ごし、そして誰かに恋をする、そんな幸せが。しかし儂は家族を置き去り、友を作らず、名前を囁かれるなど我慢ならんと恋することもなかった。名前を変えるためにすべてを投げ打ち、そして得てみたところで欲しいもののほとんどを取りこぼしていることに、もう取り返しがつかぬことに気づいたんじゃ。と同時に、そんな苦労も知らずのうのうと暮らしておる者たちがおることに強い怒りを覚えることになった。それこそ、叩き壊してしまいたいほどにの」
そう言い、シャロ様はおれを見る。
「がっかりしたじゃろう? 大層に伝わっておるかもしれんが、儂なんてものはの、所詮こんなものなんじゃよ。三百年籠もっておったのは、もう外に出るのがつらかったからじゃ。世の中が発展していくのを見るのがつらかったからじゃ。そして、そんな儂をロシャやリィに見られるのは恐かった。もし、不意に訪れる激情に身を任せてしまったとき、数えるほどしかいない親しい者まで巻き込んでしまうのが恐ろしかった。その子孫たちを巻き込むことになるのが……」
シャロ様は詫びるようにおれに言ったあと、今度は暇神を見る。
「すまぬな、大神殿。いくらお主が気に喰わぬとはいえ、これは完全に儂の八つ当たり。どうしようもない激情をぶつけても平気なものとなると、お主しか思い当たらなかったのでの」
肩を落とすシャロ様は、なんだかとても小さくなってしまったように見えた。
このまま小さくなっていって、ふっと消えてしまいそうなくらいに。
「もう儂の役目は終わった。最後にロシャとリィに会え、そして、ずっと会いたかった同じ世界の者にも会えた。もう望むことはない。裁きはいかようにも」
「なるほど、覚悟は決まっているというわけですか。では――」
と、暇神は喋り始めたところでおれは雷撃をぶっ放した。
現在の最大出力の雷撃である。
ばちこーんっ、と派手な音。
突然のことにシャロ様は目をぱちくりすることになったが――
「あ、はい、何でしょう?」
雷撃を喰らったにもかかわらず、暇神はあっけらかんとしたものだった。
やはりこの状態の攻撃ではまったく通用しないのか。
まあ雷撃をぶっ放したのは、こっちに意識を向けさせるためなのでそこは問題無い。
そして予想通り、奴は気分を害したふうでもない――。
「そっちの話は長くなりそうだから、まずこっち、攻撃者を見つけた報酬をもらおうか」
「ああ、かまいませんよ。名前を変更するのですか? それとも、体の不調を治すことにしますか?」
「それは自分でどうにかする」
「おや、それでは何を望むのです?」
ここでおれは一つ深呼吸。
いや、ため息か?
まあともかく、おれは告げる。
「この人にやり直す機会をくれ」
この願いに対し暇神は取り立てて特別な反応を示すことはなかった。
まあ一方のシャロ様はぽかんとしているが。
「その機会というのは……、具体的に言うとどうなります?」
「おまえに攻撃したこととかその辺りを不問にして、子供にまで若返らせておれと一緒に元の場所へ戻せ」
「本当にその願いで良いのですか?」
「かまわない」
「では……、約束ですからね、その願いを聞きとどけ――」
「待て待て待て! 待つんじゃ!」
すんなり暇神が認めるであろうとは予想していたが、ここで想定外、大慌てでシャロ様が止めに入った。
「名前を変えたいんじゃろう!? お主がどのような人生を歩んできたかはその膨大な称号を見ればなんとなくわかる! その幼さでどれだけの苦労をすればそんなことになるのかわからんくらいじゃ! そんな苦労をしてでも名前を変えたかったんじゃろう!? ここでその機会をふいにしてどうする!」
「ぼくがそうしたいんです」
「何故じゃ!? 儂のためか!? いやいや、会ったばかりの死にぞこないにそこまでする理由なんぞお主には無い――」
「ある!」
おれは強く、シャロ様の言葉を遮る。
「おれにはその理由がある!」
怒鳴るように言い、おれは懐から宝物の手紙を引っぱりだした。
「この手紙は迷宮都市エミルスにある、とある屋敷の地下に残されていたもの! いつか訪れるかもしれない、迷える誰かのために残されていた手紙だ! おれの宝物だ!」
「……!?」
その手紙の書き手が自分だとわかったのだろう、シャロ様は驚く素振りを見せた。
「この手紙を書いた人がいたから今のおれがある! この人が懸命に世の中を良くしようとしたから、今おれはのうのうと暮らしていられる! 両親が居て、弟妹が居て、仲間が居て、そんな名前以外のすべてが満たされた日々がある!」
おれは幸せなのだ。
色々とやっかいごとが起ころうと、それで苦労しようと、それでも幸せなのだ。
なのに――
「おれは思った。この手紙を書いた人は幸せだったのだろうか、幸せな結末を迎えられたのだろうか、この手紙から感じられる寂しさや悲しさは、ちゃんと幸せによって埋められたのか、そうであってほしい、そうあるべきだ、そうでなきゃならない、そう思った。そしてもし、おれがこの人の時代にいたなら、その苦しみのすべてを癒すことはできなくとも、せめて話を聞いて憂さを晴らしてもらうくらいはできただろうにって、思って、悔しかった、同じ国じゃないけど、おれはこの人の国のことを知ってるし、あっちの世界のことを話せる相手がいるってのは、それだけでも助かることだし、だから、それくらいしたいって思った。けどそんなのは無理な話だった。――今日までは!」
まいった、うまく言葉がまとまらない。
思いの丈が、思考を追い越してしまうから。
「おれはあなたがどれだけ頑張ったかを知っている! そんなあなたが幸せになれないなんて、おれにはどうしても我慢ならない!」
この機会は逃せない。
逃すわけにはいかないのだ。
「お、お主……」
思い直させることのできる相手ではないと理解したのだろう、シャロ様はそれ以上止めようとはしなくなった。
「なるほど。それでは名前を変える機会は見送るのですね? まあ名前の方はどうにかなるかもしれませんが、体の方はそうもいきませんよ? 次に無茶をすれば、もう貴方は一年も持ちません。また別の場所でやり直しですが……、よろしいのですか?」
「かまわん」
「ちょ、ちょっと待て。こやつは何を言っておるんじゃ? いったい何の話をしておる! お主まさか命に関わる――」
「シャロ様、静かに。これはおれの意地の問題だから」
「意地って……」
「あなたを見捨てて得た名前なんてゴミだ。おれはそんな名前なんか欲しくない。あなたを見捨てて長らえる人生なんてものはクソだ。おれはそんな人生を歩むつもりはない。これはおれがおれであるために、絶対に通さなければならない意地なんだ」
「し、しかし儂なんぞのために――」
「違う、あなただからだ! あなただから! あなたが涙するのなら、おれには止める義務がある! いや、これはおれだけの権利なんだ!」
おれがそう断じると、暇神は「なるほど」と頷いた。
「確かにこれはあなたの権利です。わかりました。望む通りにいたしましょう」
「話がわかるじゃないか。気味が悪いほどに」
「約束ですからね」
おれの要求にすんなりと応じる暇神。
まるでこうなるとわかっていたように。
「それでは、またいつかお会いしましょう」
「ああ、またな」
やはりおれは、この神が嫌いだ。
△◆▽
そしておれは元の場所――シャロ様が眠っていた霊廟の最下層へと戻された。
「お、戻った」
「は? 何がです――、って、あれ、シャロさんが消えた!?」
シアには、そして皆にも、おれとシャロ様が暇神にお呼ばれしていたことはわからなかったらしい。
こちらからすれば刹那の出来事だったのだろうか?
まあそれを考えても仕方なく、それより今はローブだけ残して消えたシャロ様だ。
消えたってのはどういう……、いや、消えてはいない。
「な、なんじゃー!? どうなったー!?」
その声は先ほどまでの嗄れたものではなく、ずいぶんと可愛らしい幼子のものである。
ローブにくるまれた状態になったシャロ様は突然のことに対応できずじたばたしていたが――
「ぷは!」
やがてローブから顔を出した。
『――!?』
そのシャロ様の姿、予想していたおれも含めてみんなで驚いた。
老婆を一夜干ししたようであった顔は、今やぷにぷにした幼女のものになっている。
年齢的にはセレスくらいだろう。
青い瞳、髪は淡い栗毛――、いや、赤みのある金髪か?
ストロベリーブロンドという珍しい金髪なのかもしれない。
「シャ、シャロ!?」
まず驚きの声を上げたのはロシャ。
そんなロシャを見て、シャロ様はきょとんとする。
「ロシャ、お主なにでかくなっておるんじゃ?」
「ち、違う! 私が大きくなったんじゃなくてシャロが縮んだんだ!」
「わしが?」
「シャロ、子供になってるぞ!」
「なっ!?」
驚くシャロ様に、おれは気を利かせ手鏡を出して向ける。
「お、おお、わ、わし、わしかこれは……」
「そうですよ。ずいぶんと若返りましたね」
よかったよかった、とおれは胸をなでおろしていたが、皆はぽかんと口を開けて放心したまま。
シャロ様にしても、鏡に映る自分の顔を茫然と見つめていたのだが――
「う、うぅ……、うわーん!」
泣きだした!?
号泣だ。
シャロ様はガチ泣きしながら何か言っていたが、ろれつが回っていないので何を言っているのかよくわからない。
でも、たぶん「ありがとう」と言っているような気がする。
ひとまずこれは泣き止むまで待つ必要がありそうだ……。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/04/06




