第596話 14歳(秋)…憧れの君よ
そして――。
おれは目覚める。
これで三度目となる覚醒も、やはり不快な意識の混濁を味わうことになった。
「よしよし、あんちゃんよしよし」
ティアウルに頭を撫で撫でされるのも三度目か。
そのおかげというわけではないが、ひどい目覚めに苦しむ中であっても、おれはそれほど不愉快と感じてはいなかった。
それはすべてが明るみになり、これでようやく片が付いたという開放感が影響しているのだと思う。
意識の混濁が落ち着いてきたところでおれは体を起こし、ひとまず寝台に腰掛けた。
「終わったのか?」
落ち着くのを待ってくれていたのだろう、そこでロシャが尋ねてきた。
「はい、終わりました」
「そうか。どうだ、シャロがわざわざ擬似的な過去を体験させた意味はあったか?」
「ええ、ありました」
ただ残された文章を読むだけでは感じ取ることのできないものが、夢の世界にはあった。
「あったか、そうか。では……、あとで聞かせてくれないか? 落ち着いてからな」
三百年前に何があったのかを知るロシャも、その後にシャロ様が気づいた魔王を倒すための『何か』や、霊廟を築いた理由などは知らないままだ。
これは話してあげたほうがいいだろう。
ロシャはおれに話しかけたあと、次にミーネに声をかけた。
「ミーネは平気か? 気分はどうだ?」
「平気、大丈夫よ」
「そうか、ならいい」
心配していたミーネが落ち着いていることに、ロシャはほっとしたようだった。
そんなロシャにシアが尋ねる。
「ところでロシャさん、なんだか部屋が様変わりしているようなんですけど、これっていったい……?」
それはおれも気になっていたところ。
ミニドームのようだった部屋は、料理にかぶせられるディッシュカバーをひょいっと持ちあげたように壁が上へと移動しており、これまで隠されていた、様々な品の並ぶ棚が姿を現していた。
「君たちが目覚め始めたと同時、壁が上にあがり始めてな、そしたらこれだ。シャロからの餞別だと思うが……」
「あ、そう言えば最後に贈り物があるって伝えられました! ってことはこれがクリア特典なんですね!」
武器や防具、それから道具類、魔導袋らしきもの。
シアに必要かどうかは謎だが、まあシアにしてみれば貰えるという状況が嬉しいのだろう。
「ご主人さま、これどうします?」
「ひとまず……、そうだな、ロシャさん、預かっておいてもらえますか?」
「うん? よし、わかった。では……、リィ、すまんが魔導袋に放り込んでおいてもらえるか?」
「あいよ。じゃあわかりやすいようにアホどもが残した魔導袋に放り込んでおくよ。ミーネ、ちょっと荷物あさるぞ」
「うん」
リィはミーネがちゃっかり自分の物にしようとしているリッチたちの魔導袋にシャロ様が残した品々を端から順に放り込み始めた。
品がいったいどんなものであるかは、屋敷に戻ってからコルフィーに調べてもらえばいいだろう。
このように、壁が持ち上がったことでこの場は様変わりしていたが、棚以外にも姿を現したものもあった。
それは壁とは別の材質で拵えられた浮き彫り細工。
ちょうど扉くらいの大きさと形をしており、モチーフはとある橋。
その橋をおれは知っていた。
ロンドン橋――ではなく、タワーブリッジだ。
迷宮都市エミルスでシャロ様が過ごした屋敷、その書斎にあった隠し扉と同じものだ。
「ご主人さま、あれって……」
おれと同じことを想像したのだろう、シアが唖然とした様子で言う。
「あ、確かエミルスの屋敷にあったものよね」
ミーネもそのことに気づき、これにより、そのとき居合わせたティアウルとアレサもそこに思い至る。
「そだな、あったな、あんなのあったな。じゃあまた開くのか?」
「え、では……、まさか……」
シャロ様はここには居なかった。
ではどこに?
その答えがあの橋のレリーフ、その向こうにあるかもしれない。
「ま、まあ待て。待て待て。ちょっと調子が落ち着くまで。どうせなら万全の状態で臨みたいから」
「主殿たちは何の話をしておるのだ?」
ヴィルジオが尋ねるので、おれは簡単にエミルスの隠し部屋のことを説明する。
「え、じゃあ師匠がいるかも……!?」
「シャロはそっちにいたのか……!」
あのレリーフが隠し部屋への扉かもしれないと知り、リィとロシャも興奮を隠しきれない。
「よし、じゃあお前らが休んでいる間にちゃっちゃと片付けるか。ティアウルとヴィルジオも手伝え」
「手伝うぞー」
「うむ、お手伝いしよう」
おれたちが休むなか、ティアウルとヴィルジオが品々を手にとってリィに渡し、リィがそれを魔導袋に収めるという回収作業が速やかに進められていく。
「うーむ、小さな物から大きなものまで、魔導袋がこんなに。こうなると他の品々も相当な代物なのだろう。貨幣価値に換算できるかどうか怪しいほどであろうな」
「魔導袋は魔導袋に入れないのかー?」
「ん? ああ、入れない方がいい。にしても確かに数あるな。これだけあるなら……、なあおい、この際さ、手の平くらいのちっこい鞄は屋敷の連中にもやってもいいんじゃないか?」
ふと、リィがそんなことを言いだした。
「え、ぼくに聞いているんですか?」
「そりゃおまえに聞くだろ。師匠の課した……、試練? それを達成したんだから、これおまえらのもんだよ」
これ全部おれ、シア、ミーネ、アレサの取り分だとリィは言う。
さすがに戸惑ってロシャに聞く。
「いいんですかね?」
「いいさ。君がいいならば。と言うか……、こういうの私はいっぱい持ってるぞ? 前に頑張って整理したからな、何があるかもある程度は把握している。必要ならいくらでも与えるが」
「そ、そうですか……」
ロシャはシャロ様が残した品々を管理してるからな。
まあそっちは必要な時に借りるとして、まずはこの贈り物だ。
確かに小さなポーチくらいは贈ってもかまわない。
しかし一般的にはたいへん価値のある代物だ、これを「日頃の感謝を込めて――」とか贈ろうとしても遠慮されそうである。
なら……、そうだ、来年の四月には卒業する者もいる、だから餞別の先渡しということにしようか。
「えへへー」
そんなことを考えていたらティアウルがすり寄って来た。
このお嬢さんは貰う気満々だったが、すぐヴィルジオに首根っこ掴まれて作業に戻される。
そしてその作業が終わる頃、ふとロシャが尋ねて来た。
「ところで、今回君は真実を知ったわけだが……、これは公にするのか?」
「いえ、その必要はないかと。黙っておきますよ」
何も公にしてしまう必要はない。
魔王を倒す方法については、おれが工夫して別の方法で伝えられるようにしようと思う。
つか魔王がもう現れないようにするって宣言してるし、なるべくなら魔王というものを無しにしてしまいたいところ。
まあどうすればいいのか、まだ全然わからないのだが。
「ミーネはどうする? 家族に伝える?」
「どうしようかしら。まだわからないわ」
「みんなに喋っちゃうんじゃなくて、当主だけに伝えるようにしたらどうだ? あの日記と一緒にさ」
これからはまずは日記を読ませ、それから真実を伝えるようにすればいいのではないか、とおれは提案する。
「そうね、それでいいかしら……。なら私はお爺さまと兄さまに伝えればいいわね」
「いや親父さんが抜けてるし」
「うぅ……」
指摘したらミーネが怯んだ。
「あ、あなたが伝えて」
「おれが伝えちゃまずくね!? いやそこはおまえが頑張れよ。娘が自分の父親と息子だけに伝えたら親父さん切ねえよ」
「そ、それはわかるけど……」
ミーネの父親への苦手意識は強いな。
嫌いってわけじゃないんだろうが、話が長いのがなぁ……。
「でもほら、お爺さまと兄さまは王都にいるから」
「冬には来るんじゃないか?」
「……。どうかしら? でも……、うーん……」
ミーネは難しい顔をして考えていたが、最終的には覚悟を決めた。
「私が話した方がいいわよね、やっぱり。うん、頑張る」
「頑張れ。つか、たまにはおまえの方から長い話を聞かせてやれ。霊廟に潜って夢の世界に行って、そこで何があったかって」
「あー、うん、そうね」
それもいいかも、とミーネは微笑んだ。
「お父さまたち今年は来るのかしら? どうしよう、私なんだかちょっと領地に戻りたくなっちゃった。中庭をね、見に行きたいの」
アヴァンテとイリス、そしてカルスとラヴィアンが眠る場所か。
「小さい頃、お墓に登って遊んだこと謝らないと……」
「何してんのよおまえ……」
まあイリスそっくりの娘がやんちゃしてる様子なんてのは四人にとって幸せな光景以外の何物でもなく、きっと笑って済ますだろう。
「デヴァスにお願いすれば一週間で行って戻ってくれるのよね。ねえねえ、一緒に行かない? あなたにも見てもらいたいわ。夢の世界とどれくらい同じで、どれくらい違うのか」
「そうだな……」
一週間くらいならそれもいいか。
霊廟攻略は予想より早く終えられたし、屋敷へ戻って少し休んでから向かうのもいいかもしれない。
「あ、それわたしも行きます」
「わたくしもご一緒させていただきたく存じます」
シアとアレサが言う。
「あたいもミーネんち行きたいぞ。サリスも行きたがると思うぞ」
「そうね。じゃあ六人で? これならデヴァスも大丈夫かしら?」
デヴァスには特別手当をやらんとな……。
△◆▽
漠然と冬の予定を立てつつ、ではそろそろ、とおれは立ち上がる。
体調は問題無く、意識もはっきりしている。
寝間着姿ではあれだと、ちゃんとお着替えして、これで完璧。
皆が見守るなかおれはレリーフの前に立ち、ロンドン橋の歌を囁くように歌う。
すると――
「やっぱりか……!」
予想した通りレリーフは隠し扉。
するすると下へと沈み込み、おれたちの前に隠し通路、下へと続く細い螺旋階段が現れる。
本来であればここで餞別を受け取って終わり。
けれどもし、もしここに訪れた者が同じ世界からの同胞であったなら、と用意された隠し扉。
迷宮都市の屋敷には手紙が残されていた。
その手紙はおれの宝物になって、いつも懐に入れて持ち歩いている。
ではこの霊廟なら?
シャロ様のお墓なら?
期待で胸の鼓動が激しくなるなか、ロシャを頭に乗せたおれは皆を率いるように螺旋階段を下り始める。
そして辿り着いた、真の霊廟最深部へと通じる扉。
「……」
緊張しながらドアノブに手をかける。
鍵はかかってはいなかった。
扉を開き、おれは部屋の中へと進む。
せっかく上で調子を整えたのに、まいった、頭がぼんやりし始めてしまっている。
現実感が希薄となった、まるで夢を見ているような感覚を味わいながらおれは室内をそっと見回した。
部屋はこぢんまりとしており、せいぜいおれの仕事部屋くらいの広さしかない。
床には絨毯が敷かれ、立派な本棚、物置棚、机、椅子があり、それこそ裕福な人の個室といった感じである。
そして――。
意匠のすばらしい寝台に、立派なローブを身につけた老婆が仰向けに眠っていた。
ああ、そうだ。
干涸らびてしまってはいるが――間違いない。
夢の世界で会った、だからその面影でわかる。
間違いない。
シャロ様だ。
リッチにはなっていなかったのか?
そんな疑問が浮かび、それは皆とて同じだろう。
けれど誰もそれを言いだすことは無く、そのなかでおれはそっとシャロ様の傍らに立った。
「ずっと昔……、おれがすごく幼い頃にさ、母さんが絵本を読んでくれたんだ」
そうしようと思ったわけではなかったが、おれはいつの間にかそんなことを喋り始めていた。
本当に昔のことだ。
確か二歳くらいのことだったと思う。
「それは四百年くらい前に生まれた魔導師のお話だった。話はその魔導師の名前が伏せられたまま進んでいった。この魔導師ってのが凄い人でさ、今あるこの世界の礎となるようなことをどんどん生みだしていったんだよ」
誰のことを言っているかなんて、みんなはわかりきっていたことだろう。
でも黙っておれの話を聞いてくれた。
「おれはその人に憧れてここまで来た。その人ほど凄い人物になれるとは思えなかったけど、それでも導名を得るならその人のようにならないといけないからって」
それは間違いではなかったと思う。
想像していたよりもずいぶん大物扱いされるようになった。
その人が用意した夢の世界のおかげで、その成果が出ていることも知ることができた。
おれはこのまま進んでいけばいいのだと。
その人は――、いや、この人は。
おれの進むべき道を指し示してくれた人で、そして、その歩みが間違いではなかったと肯定してくれた人だ。
大昔の偉人。
会えるわけがない憧れの人。
けれど――
「会えた……」
激しい喜びは感じなかった。
いや、もう感じられるレベルを超えていて、感情が麻痺してしまっていたのかもしれない。
ただ、ぽろっと涙が零れた。
おれはそっとシャロ様の手に触れる。
と――。
「んお?」
むくっと。
シャロ様が体を起こした。
……。
シャロ様が体を起こした?
「なんじゃお主ら?」
ちょっと寝ぼけたようにシャロ様が言う。
おれはぽかんと。
みんなもぽかんと。
しかし次の瞬間――
『うわぁぁぁぁぁ――――――――――ッ!?』
みんなで仲良く悲鳴の大合唱を響かせることになった。
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/03/19




