第595話 14歳(秋)…CHAPTER7―勇者の末路、勇者という末路
「カルス、いったい何があった」
アヴァンテが尋ねると、カルスは観念したように言う。
「イリスが去ったあの日だった。ほんの少し目を離した隙に、ラヴィ姉さんは父に殺されていた」
「なっ」
アヴァンテが息を呑む。
驚いたのはおれたちも同じで、イリスに至っては唖然とした表情のまま固まってしまった。
「父は僕が刃向かうようになった理由を、自分の落ち度であると考えもせず、その原因を快く思っていなかったラヴィ姉さんにあると信じ込んだ。ラヴィ姉さんが僕を唆しているのだと。けれど、それでもラヴィ姉さんは父と対話をしようとしていた。僕が遠ざけようとしてもそれはいけないと、いつか理解してくれるようになるからと、それは僕やイリスのためにもなるからと」
深い優しさを持つ者は世の中に居る。
けれど、どう働きかけようとも、絶対に理解し合うことのできない者というのも同様に存在する。
「僕が目を離さなければ。ずっと側にいればラヴィ姉さんが死ぬことはなかった。いや、僕が余計なことを言いださず、城に留まらなければならないような状況を作らなければ死ぬことはなかった。僕のとっさの判断がラヴィ姉さんを殺してしまった」
勇者として国に迎えられようとしたカルスはラヴィアンを救い出そうとした。
それはある意味でラヴィアンと同じ、自分を売り渡して誰かを助けようとした自己犠牲に他ならない。
けれどそれが相手を死なせる結果になるとは、なんと皮肉なことなのだろうか。
「父はすぐに捕らえられた。僕は父を殺そうとした。だが、それをさせてもらえなかった。親殺しの勇者なんてものを認めるわけにはいかなかったからだ……!」
カルスは悔しそうに言い、それから力無く項垂れる。
「そのあと、イリスを連れ戻す話になった。二人は放って置いて欲しいと頼んだが、それは認められなかった。それで僕は……、なんと言ったんだろう。すでにまともではなかったんだろうな、ほとんど覚えていないんだ。はっきりとしたのは、僕に目を潰されて倒れるイリスを見た時だった。すまない、イリス、本当にすまない」
「い、いいのよ。ほら、今は戻ったし。それに戻らなくても、このことで兄さんを恨んではいなかったわ。腹は立てていたけど」
イリスが言うと、カルスは小さく笑った。
再会してようやく見せた笑みは、儚く寂しげなものであった。
「それから僕は勇者として国が望むように働いた。けれどそのうち思うようになった。思わずにはいられなかった。ラヴィ姉さんは最後に僕に言ったんだ。ごめんねって。側に居られなくなるけどって」
ラヴィアンは死ぬ間際まで、誰かを案じていたのか。
「なんでだ、これはいったいどういうことなんだ」
暗い感情を込め、カルスは言う。
「ラヴィ姉さんは僕の心配をしてくれた。最後まで。僕が一人きりになるからって……!」
カルスは震える声で、血を吐きながら続ける。
「僕は、どうして僕のことを最後まで心配してくれた人に何もできないで、僕を利用して私腹を肥やそうとする者たちのために働かないといけない? どうしてもうラヴィ姉さんはいないのに、僕のことなんて知りもしなかった多くの人々のために魔王を倒さなければいけない? 勇者だからか? 勇者ってなんなんだよ」
その疑問が、カルスにとっての転機となったのか。
「勇者、勇者、勇者、勇者、ラヴィ姉さんを守れず、妹の目を奪い、友を遠ざけることしかできなかった僕のどこが勇者だって言うんだ。何もわかっちゃいない。誰も、何もわかろうとしない。いや、知ったことではないんだ。何故なら、僕が勇者だから」
愛する者を守れなかったという自責の念に苦しむ少年を、人々はその無責任な期待によって追い詰めた。
「僕は気づいた。人々は勇者という自分たちのお願いを聞いてくれる都合の良い奴隷が欲しいだけなんだと。慎ましく暮らしている自分たちが、恐るべきものに脅かされることは間違っていて、その過ちを正すための存在が勇者で、勇者は自分たちを救うべく 遣わされた存在なんだと本気で信じているんだ。人々は気づきもしない。自分たちがどれほど邪悪なものであるかを。己の安寧のため、魔王に挑もうとするどころか、魔王に対処しようと考えることもしない、何もしない、何もしないにもかかわらず自分たちの安寧という重荷、それを誰かに背負わせようとする。そんな者たちを守りたいと思うほど僕はお人好しじゃない」
カルスは知ったのだ。
願うばかりな無辜の民という、途方もない邪悪を。
「自分には出来ない、出来ないと最初から諦めそれ以上のことを何も考えようとしない者たちは、何の疑いもなく勇者だから、勇者だからとすべてを押しつけてくる。そんなものを受け入れられる者がいるのだろうか? ただ称賛を浴びせかけることしかしない者たちのために戦える者がいるのだろうか? 居ない。居るわけがない」
金、権力、カルスがそういったもので誤魔化されるならよかった。
勇者を演じて楽しめる愚者であれば。
けれどカルスは誠実であった。
だから余計に苦しんだ。
「でも、それでも、ラヴィ姉さんがいたなら僕は頑張れたのに。過去に魔王を倒した勇者というのは、きっと自分だけの戦う理由を持っていたに違いない。人々などどうでもよく、どうしても魔王を倒さなければならない理由があったんだ。おそらくそれは、聞こえの良い大それた志なんかじゃない。世界よりも大切なものを守るためには世界を救わなければならないから戦っただけなんだ。大切な誰かがいるから、その人たちの日常を守るために戦ったんだ」
確かにカルスはそのために勇者であろうとした。
四人で暮らせる日々のためにと。
「なのに、僕にはもうそれが無い……! 勇者であるためにラヴィ姉さんを死なせ、勇者であるために妹の目を潰し、勇者であるために友を遠ざけた。僕は一人、僕は一人だ。どうしてこうなってしまったんだろう。僕が欲しかった四人でいられる日々はどうして遠ざかり、二度と手の届かない場所へいってしまったのだろう」
ラヴィアンの死、これによってカルスの望みは完全に潰えた。
その出来事はカルスにとって己の過失。
カルスには苦悩だけが残された。
「ああきっと、すべては僕に力がなかったせいだ。何かを変える力が、意志が弱かったからだ。そうしたら、きっと僕の手のとどく範囲くらいは、こんな濁った世界じゃなくて、きっと心の綺麗な人が幸せに生きていける場所になっていたはずだ。だって僕が守るから。僕が必ず守るから。僕が望んだ勇者というものはそういうもので、こんな投げつけられる重荷によって奈落にまで落ちてしまうようなものではなかった。僕は願った。奈落の底でこの世の中を変えたいと強く。けれど勇者は奴隷。そんなことは出来ない。なら誰が? ああ、きっとそれは王というものだ。そう理解したとき、僕は魔王になっていた」
三番目の魔王が誕生するきっかけ。
それは人々の勇者に対する無責任な期待だったのだ。
「そこからは大した話もないよ。誰もが僕を殺そうとし、それによって誰もが死んだ。それだけの話だ。もう何も感じなかった。僕をガーラック家の恥と罵り襲ってきた父がその悪意で死んでも、とくに気が晴れることもなかった。ただ、世の澱みを消し去ろうという漠然とした、けれど強い使命感によって城に留まり続けた」
つまらなそうにカルスは語ったが――
「あ、いや、一度外に出たな……」
ふと思いだしたように言い、顔を中庭の隅――最初に見つけたときずっと見つめていた場所に向ける。
「あそこにラヴィ姉さんを連れてきて埋めたんだ。この場所がお気に入りだったから……」
そのカルスの言葉に、おれたちははっとすることになった。
そこは確か、ミーネがクェルアーク家の初代とその妻が眠る墓があると言った場所だったからである。
「アヴァンテ、あそこに僕も埋めてくれないか……?」
「……わかった」
カルスの願いを聞き、アヴァンテは少し黙る。
そして静かに尋ねた。
「カルス。死ぬのか」
「ああ。……いや、僕はもう死んでいた。それを、お前に再会したことでやっと思いだしたんだ……」
「会わなきゃ死にぞこないのままだったのか」
「ああ、いつまでもな……」
魔王として存在し続けること、人に戻り死ぬこと。
どちらが良いなどと、部外者が判断できることではなく、しかし、おそらくカルスは死を迎えられることを幸せと思い、アヴァンテはカルスが魔王ではなくなってしまったことを惜しんでいるのだろう。
「アヴァンテ、よく聞いてくれ……。お前はこれから勇者になる。けれど、それは誰にも知られるな。実を結ばなかった僕ですらいらぬ重荷を押しつけられたんだ。本当の勇者となったらどんなことになるかわからない。だから逃げろ。この城に残る金を持ってイリスと遠くへ。そして、どうか、幸せになってほしい」
「それもいいかもしんねえな」
カルスの忠告にアヴァンテは苦笑し、だがすぐに首を振った。
「けどよ、癪に障るぜ。だって、世の奴らは魔王が居なくなって大喜びするだけなんだぜ? それによ、そのうち余計なことを根掘り葉掘り調べる奴が現れる。でもってお前のことを何にも知らない奴らが、勇者のくせに魔王になりやがってとか、姉さんなんか居なければこんなことにはならなかったとか、そういうことを、ああだこうだ好き勝手に言うんだ。そんなのはよぉ、さすがに我慢ならねえんだよ」
「じゃあどうするんだ?」
カルスが尋ねると、アヴァンテは悪い笑顔をして言った。
「騙してやろうぜ」
「騙して……?」
「ああ。カルス、お前の名前を俺にくれ。代わりに俺の名前をお前にやる」
そのアヴァンテの言葉におれたちははっとする。
これが真相か、これが秘密か。
「俺は勇者カルスとして、魔王アヴァンテがどんな悪い奴だったか言いふらしてやるのさ。馬鹿どもはそれを真に受けて、口を揃えて魔王アヴァンテの悪口を言うんだろうぜ。そのアヴァンテは勇者としてふてぶてしくふんぞり返っているってのによ。なに、バレやしねえさ、なんせ勇者様が言うんだからな!」
アヴァンテは涙をこぼしながら悪巧みを持ちかける。
「愉快だろ? 馬鹿が自分は馬鹿だって言い続けるんだ。いつまでも、いつまでもな。未来の奴らがどれだけ調べようったってわかるわけがねえ。結局は大間違いの徒花よ!」
「ああ、それは確かに愉快だな……」
「だろう? 無責任な奴らが真実を知る必要なんてねえんだ。姉さんにもよく伝えておけよ。いずれはそのあたりの土産話を持って俺とイリスも行くからよ」
「なるべく、土産話は多い方がいいな……」
「よくばりかよ。しゃあねえな」
そうアヴァンテが笑う。
カルスは微笑み、そして黙った。
沈黙が続き……、やがてアヴァンテが問いかける。
「カルス、俺の声はまだ聞こえるか?」
アヴァンテが尋ねるも、カルスはもう応えることは無い。
すでに城の上空では、渦巻いていた雲が解きほぐされるようにして広がり始めている。
これが現実ならば雲の切れ目から太陽の光が差しこみでもするのだろうが、この夢の世界はそうではなかった。
雲が晴れるごとに闇が広がる。
暗く、暗く――。
そしておれたちは暗闇に呑み込まれた。
△◆▽
何も見通せぬ暗闇。
けれどおれたちの姿だけは浮かび上がるこの闇は、すでに体験したものである。
おれたちがそのまま待っていると、暗闇からシャロ様が浮かび上がってきた。
『まず最初に謝らねばならんな』
申し訳なさそうにシャロ様は語り始める。
『不慣れな場所に放り込まれ、よくわからぬまま活動させられることになって、さぞや戸惑ったことじゃろう。そして、つらいものを見つめ続けることになったじゃろう。すまぬ』
そう語るシャロ様に対し――
「死なずにクリアおめでとう特典とかないんですかね?」
シアがなんか台無しなことを言いやがる。
「シア、ちょっと黙ってなさい」
「でもー」
「さすがに全滅すると思ったんだろ、特に魔王戦は」
魔王カルスとの戦いで全滅をしなかったのは、おれがたまたまシャフリーンの魔王化を体験していたからにすぎない。
あれがなければ、どうしたらいいかもわからず全滅の憂き目を見ることになっていただろう。
『ここに到達したお主らは、魔王を倒すために必要なものを見いだしたことじゃろう。そして、思わなかったかの? これくらいのことならそのまま書物などに残してもよかったのではないかと』
確かにそうだ。
ここまで手の込んだことをする必要など無いだろう。
するとシャロ様は言う。
『その通り。その通りじゃよ。しかしの、儂が魔王を倒すために必要なものに気づいたのは、死期を悟り始めたあたり、魔王の討伐からしばらく時間が経過した頃じゃった。そして気づいたことを、すんなり伝えるわけにはいかない理由があった。いや、伝える資格が無かったんじゃ』
資格……?
よくわからず、おれはそのままシャロ様の話を聞く。
『お主らは体験して理解したじゃろう。部外者では魔王を倒すことはできないのだと。そう、儂は魔王を倒してなどおらぬ。魔王を倒したのはアヴァンテじゃ。儂は、たまたまアヴァンテの思惑が導名を求める儂にとって都合の良いものであったから利用しただけの盗人にすぎぬのじゃよ』
世間ではシャロ様が魔王を倒したことになっているが……、そうか、ここでも真実は隠されていたのか。
『儂は導名が欲しかった。アヴァンテのおかげでそれを得ることができた。そのアヴァンテが真実の秘匿を望むなら、そのために尽くすのが筋というものじゃと儂は思った。アヴァンテはイリスと静かに暮らすことを望んだ。じゃから儂はそうなるよう様々なことをした』
アヴァンテとカルスのことがずっと秘匿され続けてきたのは、最初にシャロ様の尽力があったからなのだろう。
またそれとは別に、各国が記念勇者を有り難がる風潮も潰そうとしたのではないだろうか。
『アヴァンテの望みはな、無下にはできぬのじゃ。いや、無下にしてはならぬのじゃよ。世界が、世界を救った者のささやかな望みすらも無下にするようなものであることを儂は認められなんだ。じゃから全力で秘匿した。しかし後々、これが困った事態を招く。魔王を倒すために必要な要素のことを説明してしまうと、儂とアヴァンテで作りあげ、広めた話に矛盾をきたしてしまうんじゃ。どうして儂が初対面となる魔王アヴァンテを倒せたのか、とな』
あー、これはシャロ様も困り果てたんだろうな……。
『しかし真実は明かせない。明かしてはならない。困り果てた儂はクェルアーク伯爵となったアヴァンテ、そしてその妻、名を変えたイリスに相談をもちかけた。二人も子供が生まれてからは少し考えが変わり、自分たちの子孫が生きる未来――再び訪れる魔王の季節を憂うようになっておった。そして相談の末、選ばれた者だけに真実を明かす場所を用意することになった』
それがこの霊廟、そして夢の世界ということか。
『断片的であれど、アヴァンテとカルスの運命を見守ったお主らじゃ、儂の言うことが少しは理解できるのではないか? この霊廟の犠牲になった者には申し訳ない話じゃが、それでも、今のこの世界があるのはアヴァンテのおかげであり、本来であれば自分たちで気づかなければならぬこと、それを厚意から伝えてもよいと許してくれたのじゃ』
カルスの仇でもある人々へと、か。
それは人々のためではなく、我が子のため、もっともっと未来の子孫のため。
『それにこの霊廟も好き好んでこのようにしてあるわけではないんじゃよ。まずザッファーナ皇国に存在する理由は、竜皇がろくでもない国々を弾くため、最初にあらかじめ見込みの無い者を除外して選別するためなんじゃ』
あ、竜皇ってそんな役割を担ってたのか。
でもあんまり機能してなかったような……。
いや、極秘裏にこっそりアタックかけたのはノーカンか?
『そして罠だらけなのはの、試練のようなものなのじゃ。多くの者たちが協力せねば辿り着けぬ最深部。我ながら極悪じゃと思う。しかし考えてもみてほしい。魔王を止められる者、人に戻せるその誰かは戦いなど経験したことのない普通の者かもしれんのじゃ。場合によっては幼子かもしれん。そんな誰かを魔王の元に送りとどけること、そして守り続けること、それは並大抵のことではなく、こんな迷宮を攻略するよりもずっと難しいことなんじゃ』
それがこの迷宮の意味か。
多くの犠牲で道を作り、選りすぐりの精鋭を夢の世界に送り出す。
これを魔王の居る現実でもやれと、そして精鋭たちには魔王を人に戻せる『誰か』の護衛をさせよとシャロ様は言うのだ。
『多くの者たちの尽力により、この場所へと送り届けられたお主らならわかるじゃろう。剣だの魔法だの、そんなものは魔王の前には何の役にも立たんのじゃと』
そう、魔王の強さとはそういう類のものではない。
『魔王を倒すには、まず魔王となってしまった者の悲劇を知らねばならん。そして絶望のなかにある魔王に寄り添える者を見つけださねばならん。もしその誰かすらも絶えていた場合は、お主ら自身がその誰かにならねばならん』
魔王の悲劇を知るというのはそういうことか。
ってか、おれはシャフリーンのときに半分そんな役割だったな。
『では最後に。攻略完了おめでとう。お主らは現実に戻り、いずれ魔王の元へと赴くことになるじゃろう。そんなお主らにささやかな贈り物を用意した。目が覚めたら遠慮無く持っていくといい』
そう告げ、シャロ様は微笑む。
『話はこれで終わりじゃ。……いや、最後の最後にもう一つ。もし叶うならアヴァンテとカルスのことは世間に公表せず内緒のままにしてはもらえんか。お主らからすれば大昔の話、そこまで気にすることもないと思うかもしれん。しかしの、儂はこれを蔑ろにしとうない。じゃからこれは儂からの個人的なお願いじゃ。どうか、頼む』
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/03/17
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/04/16




