第60話 9歳(春)…クェルアーク伯爵家
エイリシェへ到着したのは昼前だったが、時刻はもう夕方にさしかかろうとしていた。
「おまえたち、まずは風呂だな」
いよいよクェルアークのお屋敷に到着となったとき、バートランは苦笑しながら言う。
うん、薄汚くてどうもすみません……。
「いらっしゃい!」
馬車が屋敷の玄関前にとまり、降りたところでミーネが屋敷から飛びだしてきた。
「おー、ミーネちゃん大きくなったなー。すっかり女の子らしくなって」
父さんはにこにことしながらそう言う。
確かに二年ぶりに会ったミーネは身長も伸び、少し女の子らしくなっていたが、それはいま身につけている可愛らしい服のせいじゃないだろうか。レイヴァース家にいたときはずっと旅用の地味な格好していたからな。
「ひさしぶり。しばらくお世話になるよ」
「うん! しばらくってどれくらい? 半年くらい?」
「そんなにはいないよ!?」
おれがびっくりしていると、バートランが笑いながら言う。
「それくらいいてもかまわんよ。どうだローク」
「家が気になるからそれは無理だなー」
「可愛い娘が産まれたしな、まあそうだろう。ならおまえだけ早めに帰ったらどうだ? この子は我が家で責任をもって面倒をみるぞ?」
「残していくと色々と心配だからそれも無理だな」
「ふむ、そうか。心配するようなことにはならんと思うが……、お」
顎をなでながらバートランはとぼけたようにしていたが、屋敷の奥から優しげな雰囲気の青年がやってくるのを見て手招きをする。
「紹介しよう。儂の孫で、次期当主のアルザバートだ。儂が言うのもなんだが、なかなかできた子だ。儂がおらんときになにかあったらこの子に相談するといい」
「アルザバートです。どうぞよろしく」
青年は両手を左右に広げてから、左手を胸にあてて軽く会釈する。堂に入っているというか、その動作が実に自然で、それでいて目を引く。なんか本物の貴族を見たような気分になった。おかしい。うちは貴族で、ミーネもバートランも貴族なのに。
「ロークさんのお噂は祖父からかねがねうかがっておりました。お会いできて光栄です」
「おいちょっと爺さん孫にどんな話した。俺に会えて光栄とかありえんだろう」
「はて、儂はどんな話をした?」
一回り以上年下の青年に敬意をはらわれておののく父さん。
その苦悩の人生を知っているおれとしてはちょっと泣ける。
動揺する父さんに、青年は微笑んだまま言う。
「祖父が殺そうとして殺せなかった数少ないひとりだと……」
どんな尊敬だ!?
なんかすごくミーネの兄だなって気がしてきた。
「そして――」
と、アルザバートはおれを見る。
「ミーネから話はかねがね……というか、うん、すごく聞かされてるよ。僕のことは実の兄のように気安くしてくれていいからね。あと、名前は呼ばれたくないって聞いてるから、なるべく呼ばないようにするよ」
すばらしい気配り。
これまで初対面でおれの名前について気遣ってくれた人はこの人が初めてだ。まだ会って間もないのにおれの好感度急上昇である。女性だったら結婚を申し込んでいたかもしれん。
「ありがとうございます、アルザバートさん」
「いやいや、そこは兄さんと呼んでくれないと。それにもっと気安くね」
「え、兄、さん……?」
「そうそう。そんな感じで頼むよ。どういうわけか、うちの妹や弟は僕をお兄さまって呼ぶんだよね。僕はもっと軽い感じがいいのに。だから君には是非とも兄さんと呼んでもらいたい」
「はあ、まあ、そう仰るのでしたら」
「言葉が堅いね。もっと気安く。ミーネと会話するように」
「さ、さすがにそれは……」
「そうかい? まああまり無理強いはいけないからね。では挨拶はこれくらいにしようか。ミーネが待ちかねているようだし」
と、アルザバート兄さん――長いからアル兄さん――はさっきからおれの腕をぐいぐい引っぱってどっかに連れていこうと頑張っているミーネを見ながら苦笑する。
「ずいぶん待ちかねていたからね。今日のとこはミーネに譲るべきだろう」
「いやあの勝手に譲られても困るんですが……!」
「ははっ」
なぜか軽快に笑う兄さん。
「いやちょっとお嬢さん、どこにいこうっていうわけ?」
「わたしがいったとき案内してくれたでしょ? だから今度はわたしが案内するの」
ふんす、と妙に意気込んでいるミーネ。
「ミーネはね、ここ数日、君が送ってくれたクマ? あのぬいぐるみを引き連れて練習――」
「お兄さまはちょっと静かにしてて!」
「ははははっ」
ミーネに怒られてもアル兄さんはどこ吹く風と楽しげだ。
「ほら、早くいくわよ! 早くしないと今日中に終わらないかもしれないわ!」
「そこまで広くはねえだろ!?」
どんな濃密な案内するつもりなんだおまえは。
その後、おれはミーネに引っぱられて集まりから連れだされ、屋敷の案内をしてもらうことになった。さすがに王都にある名門伯爵家の屋敷だ。設備的にはうちと変わらないが、その作りはぱっと見るだけでも我が家よりランクが高いのがわかる。うちも元は王家の隠れ家だったから水準が低いわけではないだろうが、さすがにその性質上見た目の絢爛さについては度外視なところがあるのだろう。
△◆▽
ミーネに引きずり回されたあと、夕食の前にさっぱりするのがいいだろうと風呂を勧められた。父さんはおれが屋敷を何周かしている間にとっとと風呂にはいったらしい。
「おお!?」
覗いてみて驚いた。
てっきりバスタブとシャワーだけという風呂を想像していたがさすがクェルアーク伯爵家ということなのか、よさげな旅館の風呂場を彷彿とさせる浴場があった。五、六人くらいならゆったりつかれるくらいの浴槽に、お湯がなみなみとためられている。なんだかとてつもなく贅沢な感じがしてテンションがあがった。元の世界にいる頃ならたぶんなんとも思わなかっただろうに、おれもずいぶんとこちらの感覚に馴染んだようだ。
おれはいそいそと服を脱ぎ、すっぽんぽんになって風呂場へ。
こちらの世界に入浴のルールのようなものがあるかは不明だが、とりあえず身体を洗おうとする。
とそのとき――
「きたわよ!」
「呼んでないけど!?」
あろうことかミーネがすっぽんぽんで突撃してきた。
「お爺さまがね、背中を洗ってあげたらどうかって言ったの。なら、どうせだからわたしも一緒にはいればいいかなって」
「いいかなって……そろそろ恥じらいとかそういうのはねえのか?」
「うん?」
首をかしげるミーネ。
こっちが恥ずかしくなるんで、せめてタオルかなにかで身体を隠してくれませんかね!
「まあいいじゃない。まずはわたしが背中を洗ってあげる! そのあとわたしをお願いね!」
「ええー……」
なんだろう。気にしたら負けというか、気にするだけ無駄というか。
「ほらほら、まずは体を洗うわよ! お湯をかけるわね!」
と、手桶で湯をくみ――、ちょっと待て、なんでそんな力一杯かまえるんだおま――
「やあ!」
「熱っちゃーッ!」
ミーネが力まかせにおれに湯をぶちまける。
風呂の湯はなかなかいい感じに熱く、おれは悶えた。
「あははは!」
「なにしやがるこのバカ娘!」
すぐさまおれもやり返す。
「あ、熱つつッ! ちょっと、まずはわたしが洗うからそのためにお湯を――」
「うっさいわーッ! いいかげん少しは恥じらいもてやコラーッ!」
「なっ、なによ! やるっていうの!?」
こうしておれとミーネによるお湯かけ戦争は勃発した。
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/22




