第587話 14歳(秋)…CHAPTER5―別れ
親父さんの発言に一同はぽかんとすることになったが、上機嫌な親父さんはかまわず続けた。
「第五王子はまだ十歳にもなられていないが、なに、成長すれば五歳程度の年齢差など」
「いいかげんに――」
と、イリスが何か言おうとするも、その前にカルスが動いた。
親父さんをぶん殴ったのである。
「ぐはぁ!」
鍛えられたカルスの一撃を喰らい、親父さんはくるんと一回転してから倒れ込む。
「な、な……!?」
突然のことで親父さんは何が起きたのかすぐには理解できなかったようだが、やがて理解するともたもた起きあがりながら怒鳴った。
「カ、カルス! お前、父親に手を上げるなどいったい――」
「黙れ!」
そう一喝したカルスはすでに激昂しているようだった。
その剣幕は普段の穏やかな様子からは想像できないほど苛烈であり、怒鳴ろうとしていた親父さんもたじたじだ。
「あなたはいったいどれだけ僕らに迷惑をかければ気がすむんだ!」
「なっ、カルス、父親に向かってなんという口をきくのだ!」
「そういう台詞は父親の務めを果たしている人が言えることだ! あなたが僕らに何かしてくれたか、迷惑をかける以外に! いつまでも母さんの死を認めず、現実から逃げるばかりのあなたが言っていいことじゃない!」
「し、死んでいるだと……!? 誰がそんな世迷い言を! さてはお前だな!」
親父さんはラヴィアンに掴みかかろうとするが――
「ラヴィ姉さんに触れるな!」
「ぐほぉ!」
再びカルスに殴られて倒れるはめになる。
カルスは倒れた親父さんの胸ぐらを掴み、引き起こして言う。
「あなたはそれだ、そればかりだ! 現実から逃げるばかりで、願望だけはあって、気に入らないことは誰かに押しつけようとする!」
カルスの叱責を受けた親父さんは視線を彷徨わせ、それからふと思いついたように言う。
「カルスよ、お前は勇者だ、人々の望みを叶える務めがある。ならば父親である私の希望を叶えるべきだろう?」
この期に及んで呆れるほど自分に都合の良いことを言う神経。
いや、そもそも精神の均衡が崩れている相手だ、論理的な会話など望めないのかもしれない。
どうにもならない相手、それが自分の父である事実はカルスにとってどれだけ重荷であるのだろうか。
「父親としての務めすら果たさない貴方に、勇者の務めを説かれたくはない! 僕は勇者だ、勇者だった、ならその期待には応えないといけない! けれどそれは、僕には守れなかったものを国が保護してくれたからであって、何もしてくれなかった人々の希望になるほど僕はお人好しじゃない! そして僕が守りたいものの中にあなたは入っていない! 消えろ、僕らの前から! 母さんを捜して何処へでも行けばいい! そして二度と戻って来るな!」
そう言ってカルスは親父さんを突き飛ばした。
親父さんは尻もちをつくことになったが、カルスが睨み続けるためすぐに立ち上がり、すごすごとどこかへ立ち去っていった。
「まったく、どうしてこんなことに……」
その呟きには、反省などどこにも含まれてはいなかった。
親父さんが立ち去るのを確認したところで、カルスは顔に手をあてて項垂れる。
「僕が勇者であるなら、どうしてそのことで恩恵を得るべき奴が得られないままなんだ。どうして得る必要のない人が増長しているんだ。どうしてだ……」
「カルス、アヴァンテはあれでなかなか強い子だから。そのことであなたが心を痛めすぎてしまうのはよくないわ」
落ちこむカルスをラヴィアンが慰める。
ラヴィアンも弟のことは心配だろうが、確かにアヴァンテは妙なバイタリティがあるので、皆と離ればなれになった寂しささえ乗り越えられたならなんとかなりそうな気もする。
そこは理解しているのか、ラヴィアンに励まされていたカルスはやがて微笑みを見せて頷いた。
「そうですね、あいつは僕よりもしっかりしていますから」
「そ、それはどうかしら……?」
いやお姉さん、そこは同意してあげないと。
ともかくカルスはようやく落ち着き、急に取り乱したことをおれたちに詫びてきた。
「すみません、お恥ずかしいところを」
「いや、いいんだ」
カルスはいきなり勇者に祭りあげられ、国の期待を背負うことになったわけだから、案外一杯一杯なのかもしれない。
イリス、そしてラヴィアンがいるから保っている感じだろうか。
それからカルスはイリスを見つめて言う。
「イリス、城を……、いや、この都市を発つ準備を」
「え?」
「あの人はもう何を言おうとどうにもならないだろう。きっとまた余計な事をする。だからその前に姿を消すんだ」
「で、でもわたしは――」
「アヴァンテと仲良くな」
イリスは何か言おうとするも、カルスはそれを遮って言った。
それは決別と言うよりも、妹の門出――幸せを願っての言葉だ。
「に、兄さん……」
イリスは戸惑いながら、カルスの隣にいるラヴィアンを見る。
「イリスちゃんのしたいようにすればいいわ」
ラヴィアンは微笑んで言い、それを聞いたイリスはしばし考え込むことになった。
そして――
「私、凄い冒険者になってアヴ兄さんを養わないといけないから」
このイリスの言葉に、カルスとラヴィアンは笑いながら頷いた。
イリスが城から逃げる覚悟を決めたところで、カルスはおれたちに頼み事をしてきた。
「みなさん、どうかお願いです、イリスとアヴァンテをこの都市から連れだしてもらえませんか」
もちろん、おれたちはこの願いを聞き入れた。
△◆▽
城を、そして王都ノイエからすらも離れる覚悟を決めたイリスは速やかに準備を整えた。
大きな荷物、それから冒険者としてやっていくために必要な剣。
「お城にあったのを貰ったんです。良い剣なんですけど、今のわたしにはちょっと大きいんですよね」
すっかり剣士としてやっていくつもりになっているイリスと共に、おれたちはアヴァンテの所へ向かった。
おれたちが訪れたとき、アヴァンテは仕留めた小鳥の羽をむしりむしりしていたが、イリスからの事情説明を聞き終えたところでにっこりと微笑んだ。
そしてイリスの頭をひっぱたく。
「おらぁー!」
「あいたー!」
まあアヴァンテの気持ちもわからないでもない。
アヴァンテからすれば急展開すぎるからな。
「アヴ兄さんひどい……」
ひっぱたかれたイリスが自分の頭をさすりながら言うも、それはアヴァンテを余計に刺激するだけだった。
「ひどいだと!? ひどいのはお前らだ! 俺抜きでとんでもねえこと決めやがって! カルスのバカ! 姉さんのアホ!」
そう叫び、アヴァンテは深々とため息をつく。
「つか実際、どうしろってんだよ……」
「ひとまず都市から離れましょう。それから考えたらいいわ」
勝手知ったる他人の家、イリスは項垂れるアヴァンテそっちのけで前に持ちこんだ品をアヴァンテ用の鞄に詰め込み始めている。
「わたしとしてはザナーサリーに行くのがいいと思うの。すごい魔導師のおかげで何かと発展しているらしいから。まあそのせいでこの国は焦ってて、兄さん頼りでなんとかするつもりみたいだけど」
ザナーサリーはシャロ様の母国だからな。
カルスという勇者でもって、威圧外交でもするつもりか。
まあザナーサリーに向かおうとするのはいいんだけど……、この世界にザナーサリー無いんですよね。
ひとまずこれがメインクエストの【イリスとアヴァンテを助けよう】なのだろう。
二人に従うしかない。
ないのだが……、まだアヴァンテが返答してねえぞ。
「さあアヴ兄さん、ぐずぐずしていられないわ、行きましょう」
「行きましょうってお前な……、俺まだ行くなんて一言も言ってないんだけど……」
「え……、アヴ兄さん、来てくれないの? わたしが王子さまと結婚した方がいいの……?」
「ぐっ……」
イリスがしょんぼりと言う。
はっきり言ってそれは脅しである。
アヴァンテは頭をわしゃわしゃとしたあと、深々と、本当に深々としたため息をつき、それからヤケになったように告げた。
「ああわかったよ、一緒にどこへでも行ってやるよ」
「ありがとう! 落ち着く場所を見つけたら、わたしが冒険者として活躍してアヴ兄さんを養ってあげるからね!」
「え、それ俺いらねえんじゃねえの!?」
愕然としてアヴァンテが言うが、イリスは笑う。
「違うわ、アヴ兄さんが居てくれないと何も始まらないのよ」
「はあ……?」
いまいち納得しきれないアヴァンテだったが、イリスが行く気になっている以上はつきあうしかないと覚悟を決めたのか、それから都市を出て行く準備を始める。
そしておれたちはイリスとアヴァンテを連れ、都市の外へと逃げ出すことになった。
△◆▽
荷物を背負ったイリスとアヴァンテに付き添って王都を脱出したおれたちだったが、具体的に何をすればよいのかは未だわからないままだった。
イリスとアヴァンテが道なりに進んでいくので、ひとまずそれに付きあっているのだが……
「……ご主人さま、もうしばらくで行き止まりなんですけど……」
そろそろ浮島の縁が近いとシアが教えてくれた。
「……まずは縁まで行ってみるしかないのかな……」
イリスとアヴァンテを縁まで護衛して終わりなのか、それとも何か起きるのか、ともかくこのまま進むしかない。
ところが――
「あれ、何か来たわ。……騎士?」
ふとふり返ったミーネが立ち止まって言う。
確認してみると、馬に乗った騎士たちがこちらに向かってぐんぐんと迫ってきているところだった。
馬の勢いは速く、おれたちが戸惑っているうちにこちらへ追いついて周囲を取り囲む。
数は十騎ほど。
しかし全員が同一の騎士団ではないようで、見たことのある紋章の近衛騎士は一人だけ、残りは違う紋章の騎士たちだ。
おそらく王都とその近郊を守るノイエ騎士団の騎士だろう。
騎士たちは馬から降り、そのうちの一人――近衛騎士が告げる。
「イリス殿、このまま我々と城へ戻られよ」
騎士たちはイリスを城へと連れ戻しに追ってきたようだった。
「わ、わたしのことは放って置いてください!」
「それはできん」
イリスの嘆願を近衛騎士は厳しい口調で拒絶する。
「もう数日決断が早ければまだ許されたかもしれん。しかし、すでに提案された王子との婚約が決まった段階だ。これでは王子が婚約者に逃げられたという不名誉を被る。それも相手が下民と駆け落ちなど、これは認められることではない」
王族の面子に関わる問題か。
こうなると騎士たちの説得は無理だろう。
クエストは未だ【イリスとアヴァンテを助けよう】である。
これはイリスとアヴァンテが逃げ切るまで騎士たちを抑えておけばいいのか?
そう考えていたところ、すでに剣を抜いていたミーネが言う。
「ここは私たちが引き受けるわ。二人は行って」
「で、でも……」
「いやあんたらでもこの人数は――」
「平気だから」
ミーネは言い、近衛騎士に剣を向ける。
すでに周囲の騎士は剣を抜いていた。
「邪魔立てするか」
近衛騎士は呟き、それから騎士たちに指示をする。
「仕方ない。やれ!」
騎士たちがおれたちに襲いかかる。
しかしこれくらいなら個々で問題無く対処できた。
「さあ、早く行って!」
ミーネが強く促したことで、イリスとアヴァンテは場を脱して先に進む。
おれたちも手早く片付けて追おうと思ったが――
「猊下、増援の騎士が!」
「あっちゃー、けっこうな数きましたねー」
かなりの数が馬に乗ってやって来る。
こいつらは本隊が到着するまでの時間稼ぎだったのか。
これが魔物の大軍とかなら退治してしまえるのだが、騎士となるとそうもいかない。
いや、実際なら範囲雷撃で止められる。
止められるが……、もうわかった。
これは追いつかれるイベントだ。
だから――
「あれ吹っ飛ばしていい!?」
「ダメだ」
やってしまおうとするミーネをおれは止めるしかなかった。
「なんで!」
「ひとまずここは堪えろ。ダメだったら次でやればいい」
「どうせ次なんてないんでしょ!」
そうか、ミーネも気づいていて、それでも蹴散らしたかったのか。
やらせてやりたいとは思う。
けれど……、ミーネは『次』を見守れるのか?
「いいでしょ!?」
「ダメだ!」
「なんでよ!」
おれが意地悪しているわけではないとミーネだってわかっているだろう。
しかし、それでも気持ちを抑えつけられない――、いや、これは抑えつけようとしているからこそ、か。
限界を迎えたら、もうおれの言うことなど聞かずにやっている。
それをやらないのは、まだおれの判断に従おうとしてくれるからだ。
「頼む。堪えてくれ」
「……ッ!」
悔しそう、本当に悔しそうにミーネは剣を下げる。
そこに増援の一団が到着した。
これはまあ仕方ないとわかっていたが――
「カルス!?」
「兄さん!?」
その一団にカルスも加わっていることには驚いた。
「なんでお前まで……!?」
「兄さん、どうして……」
アヴァンテとイリスはもちろんのこと、おれたちもどうしてイリスを逃がそうと言いだしたカルスが参加しているのかわからない。
おれたちが城を離れた後に状況が変わった……?
思い当たるのはラヴィアンを盾にイリスを連れ戻すよう強制されるくらいだが……、そこまですればいくらなんでもカルスが国に不信感を抱くようになる。
王子の婚約者と勇者。
国益を考えるなら勇者を優先すべきで、婚約破棄を恩に着せることもできるはずだが……、その判断は王により、おれの認識からは逸脱する場合もあるだろう。
勇者と言えど国益のための道具にすぎぬと、王子が不名誉を被る方をどうにかしようとする場合だってありえるのだ。
「すまない」
馬を降りたカルスは、唖然とするアヴァンテとイリスの前に立つと呟くように言った。
ここでアヴァンテは我に返り、声を上げる。
「いやお前、すまないじゃわからねえよ! いったいどうした!?」
「すまない」
カルスはもう一度繰り返すと剣を抜いて振りかぶり、茫然とするアヴァンテめがけて振りおろした。
「――」
これにアヴァンテは反応できなかった。
が――。
ガキンッ、と。
カルスの一撃を、アヴァンテの横にいたイリスが鞘に収まったままの剣でもって受けとめる。
「兄さん、どういうこと……、今のは斬れる勢いだったわ!」
受けとめた剣を押し返し、その隙にイリスも剣を抜く。
「すまない」
「すまないだけじゃわからない!」
今度はイリスがカルスに剣を振るう。
鋭い一撃であったが、カルスはやすやすとそれをいなし、お返しとばかりに反撃をする。
イリスはそれを避け、さらに反撃。
繰り返される剣の応酬。
確かにイリスは剣の才能があるようだったが、さすがに半年程度で勇者として訓練を課されていたカルスに敵うものではない。
やがて詰められ、体勢を崩す。
これで勝負あり。
だが、カルスはまだ止まらなかった。
え、と思ったのはおれだけではないはずだ。
それ以上は命のやり取り、相手に致命的な傷を負わせることになる。
一瞬遅れ、イリスはカルスの攻撃に反応して仰け反る。
だが、兄がそこまでやってくるとは想像もしなかったことによる遅れは致命的、放たれた突きを躱せない。
イリスを追うようにして、カルスの放った剣――その切っ先はイリスの右目を貫いた。
「――あぅ!」
仰け反ったところに攻撃を受けたことで、イリスはそのまま押されるように地面に倒れる。
「イリス!」
手出しできなかったアヴァンテはそこで動き、急いでイリスに近寄ると抱きかかえた。
「おいカルスてめえ! いくらなんでもやりすぎだろうが!」
アヴァンテが怒鳴りつけるが、カルスは二人を見下ろすばかりである。
「そこまでだ」
そこで近衛騎士の一人がカルスの前に出た。
そして騎士はイリスに近寄り、膝を突いて負傷した右目の具合を確認する。
「完全に潰れている……」
騎士はそう言って首を振り、立ち上がって背を向けた。
「これはどうにもならないだろう。これでは王子の婚約者には相応しくない。婚約の破棄を陛下に進言しよう」
まさか……、それがカルスの狙いか?
だがカルスがそこまでの判断をするなんて尋常なことじゃない。
いったい城で何があった?
「撤収するぞ」
「え、いや、しかし……、では、この者たちは?」
「捨て置け」
「良いのですか?」
「いいから捨て置け。これ以上、この国に対する勇者殿の心証を害すわけにはいかない。捨て置くのだ」
この言葉により、騎士たちは剣を収め撤収の準備を始める。
「おいカルス!」
「すまない……」
アヴァンテが叫ぶも、カルスはやはり詫びるばかり。
騎士たちが各々の馬にまたがるのに合わせてカルスも馬に乗り、友と妹を置き去りに遠ざかっていった。
「アヴ兄さん、わたし、目が……、どうしよう、わたしアヴ兄さんを養わないといけないのに……」
「大丈夫、大丈夫だ、そんな心配しなくてもいいんだ、大丈夫だからな」
アヴァンテはイリスを励ましながら、立ち去ってゆく騎士たち――、いや、カルスを睨む。
「あいつ……、いくらなんでも……!」
そうアヴァンテが告げたところで、世界が急に陰り始めた。
これに驚いたのはおれたちで、戸惑う間にもどんどん当たりが暗くなっていく。
「なんだこれ?」
「ちょ、ちょっと!?」
「これはどういうことでしょう……!?」
「あー、場面転換ですかね」
おれやミーネ、アレサが慌てるなか、シアがぞんざいなことを言う。
どうやらその予想は正しかったらしく、おれたちは一度闇に呑み込まれ、そして晴れたとき【拠点】へと移動させられていた。
『これにて五章は終了だ』
おれたちが唖然とするなか、NPCロシャはそう言った。
これがロシャでなくて、逞しいオッサンとかだったらおれはおそらく張り倒していただろう。
※誤字と文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/03/01
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/03/05
※さらに文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/04/12




