第573話 14歳(秋)…CHAPTER1―夢の世界
※登場人物の紹介を各章の最後に「話」として独立させました。
緑に覆われた大地、遠くに見えるは森、それに都市。
迷宮の最奥にあったのが転移装置で、大陸のどこかに転送されてそこで目覚めたのだと説明されたら、それはそれで信じてしまいそうなほどこの夢の世界は現実に迫っていた。
なにしろ目で見る景色だけでなく、土や草の匂い、ときおり吹いてくる風が頬を撫でる感触、温もりのある気温、感じられるものすべてが現実と何も変わらないのである。
だが唯一、そして決定的に現実と違うものもあった。
空だ。
雲の向こうには青色が溜まっておらず、暗幕のような闇が覆っており、太陽が無いのである。
まったく不思議な場所だとおれが茫然とする一方、興奮してはしゃいでいるのがミーネだった。
「そうよ、そうそう、ここ、私が生まれ育ったところ! ほらほらあっちあっち! 都市があるでしょ! あそこに住んでたの!」
と言うことは、あれが滅んだサフィアス王国の王都ノイエか。
「懐かしい感じがするわ。あー、三年近く帰ってないものね」
ミーネは興奮したり懐かしがったりと忙しい。
それから一生懸命あっちに何がある、向こうで何をした、とおれたちに説明をしてくる。
ミーネの感覚は、たぶん自分の住んでいる地域がMMORPGの舞台として採用されたような感じなのだろう。
友達と一緒にプレイしてみたところ、あまりの再現度に感動して喋らずにはいられない、といったところか。
「ご主人さまー、ここってどこまで構築されているんでしょうね。見えない壁とかあるんでしょうか? 気になりますねー。すみません、ちょっとひとっ走りして広さを確認してきていいですか?」
「広さを? んー、わかった。おれもちょっと気になるし」
「ですよね。ではでは」
と、シアが走り――ださない。
「あ、どっか行ったりしないでくださいね? はぐれるので。本当にお願いしますよ? ちょっと悪戯で隠れてやれ、とか絶対やめてくださいね? そんなことしたらわたし泣きますからね? 泣いたあと現実に帰還して、寝ているご主人さまに物凄い悪戯しますからね? おヘソから下に向けた矢印書いて『ファイティング・ファルコン(雛)』って落書きすることも辞さない――」
「わかった。わかったから。つか【拠点】に戻れよ。帰還のためにも必ず戻る場所だし、おれたちが来るのを待てば帰りは【拠点】経由でこの場所にも戻れるだろ」
「あ、そういう利用法もあるわけですか。……そうですね。こいつはうっかり。てへぺろです。ではでは」
そう言い残し、シアはびゅーんと凄い勢いで走り去った。
「さて、それじゃあ――」
「隠れるの?」
「隠れません……!」
ファイティング・ファルコンの刑はごめんである。
「ひとまず【拠点】がどんな感じなのか確認するんだよ。おまえがいきなり飛びだしていったから、調べる余裕も無かっただろ」
「あ、あの、猊下、その【拠点】への入口なのですが、つい今し方ふわっと消えてしまいました。これはどうしたら……」
アレサがおろおろしながら言ってくる。
ふむ、扉は放置していると時間経過で消えるのか。
「ああ、大丈夫ですよ。ウィンドウから【拠点】を選択すればまた現れると思います。ちょっとやってみてはどうですか?」
「あ、で、では……」
アレサはちょっと不安そうだったが、まず背筋を伸ばし、一つ深呼吸してから「メニューウィンドウ」と告げてホログラフィックなウィンドウを呼びだした。
まあおれには見えないが、アレサがびっくりしたようにちょっと震え、それから虚空を見つめつつそろそろと指を伸ばしているので現れていることは確かだろう。
と、そこで先ほどとは少しずれた位置に【拠点】へと通じる扉がほわんと浮かび上がるように現れた。
「猊下、できました!」
ぱぁー、と嬉しそうな顔をしてアレサが言う。
本当に嬉しそうだったので、ついおれも微笑んで頷いた。
「いいわねこれ! 現実でもあったらいいのに!」
「いやおまえさん、似た様なことできるじゃん」
「ふえ?」
「ほら、土の家をぽこんと作って、あとは魔導袋から家具をちょいちょい出して置けばほぼ同じだろ?」
「……。それもそうね、私はいったい何を言っていたのかしら」
「わかってなかったってのも凄い話だが……、まあいいか。ほったらかしにしとくとまた消えるから、ひとまず中に入ろう」
そう誘って【拠点】に戻ってみたところ――
「あれ、ロシャさん!?」
部屋の隅にロシャがふよふよ浮かんでいた。
「こっちに来られたんですか?」
『……』
「ロシャさん……?」
話しかけてみてもロシャは無反応。
どうしたのだろうと近づいてみたところ、ふわっと小さなウィンドウが浮かび上がり、そこには『話しかける』の文字があった。
「あ、このロシャさん本物じゃないのか。たぶんシャロ様が用意した拠点の説明役だな」
まさかこの姿のロールシャッハを知っている者が訪れるとまでは、さすがのシャロ様も想定していなかったのだろう。
『やあやあ、私は君たちの活動を支援するためにシャーロットが用意した精霊だ。ひとまずロシャと呼んでくれ』
さっそく『話しかける』にタッチしてみたところ、ロシャは軽快な調子で喋り始めた。
たぶん現実で留守番してるロシャは、自分が仮想世界でサポートマスコットやってるなんて知らないんだろうな……。
『では簡単にこの【拠点】で出来ることを説明しよう。まずは【帰還】。この夢の世界を離れ、現実へ戻ることが出来る。要は目覚めることが出来るわけだ。次に経過時間の確認。この夢の世界にいる間に、現実ではどれくらい時間が経過しているかがわかるぞ。今のところ、現実では一分四十七秒が経過しているね』
え、それっぽっち?
……。
いいなぁ!
冒険の書の製作に追われている時、こっちにこられないかなぁ!
あ、でも道具の持ち込み・持ち出しができないから……、いや、構想を練るだけでもいいか。
『夢の世界はだいたい現実よりも六十倍くらい速く時間が経過しているんだ。だから慌てて活動を始める必要はない。まずは準目標を達成しながら、ゆっくり慣れていけばいいと思うぞ』
六十倍かぁ……。
「じゃあこっちで二日と半日――六十時間過ごしても現実では一時間。いいなぁ……」
「ねえねえ、どういうこと?」
「夢の中でどんな大冒険しても一晩の話だろ? ここもそうだって話だよ。現実ではまだ二分も経過していないんだ」
「ふわー、凄いのね。あ、冒険の書で大忙しのとき、こっちにこられたらいいのにね」
「お、おう」
まさにそれを思っていたんだが、まさかミーネにも言われるとは。
そんなにおれは大変そうなのか。
『それからもう一つ時間に関して。この【拠点】では【待機】の項目でこの世界の時間を一時間単位で経過させることができる。ただし四人が揃っていないと使えないから、そこは気をつけて欲しい』
「うーん……?」
「例えば明日約束があるとして、それまでやることがなかったら、この拠点で一気に翌日まで時間を進められるってことだよ」
「ああ、冒険の書でやる『そして翌日』ってやつね。なるほど」
『では、説明は以上だ。君たちの健闘を祈る』
そう言うと、ロシャの横にウィンドウが現れ、そこには【行動目標】【待機】【帰還】の項目、それからこの世界の日時と、現実での経過時間が表示されていた。
「ふうん、この世界って今は春なのね。時刻は朝……、いつもなら朝食を食べているくらいの時間かしら?」
そう言いつつ、ミーネが【行動目的】にちょいっと触れる。
パッとクエストリストが表示された。
《 CHAPTER 1 》
☆【町に行ってみよう】
◆[外を散歩してみよう](達成!)
◆[戦闘を体験してみよう](達成!)
◇[夢の世界から出てみよう]
「あれ、私たち外には出たけど、戦闘なんてしてないのに」
「シアじゃねえの?」
「あ、そっか。じゃあこの散歩もシアなのかしら? 私も何か達成したいところね……。ちょっと町に行ってみない?」
「シアにキレられるからダメ」
「えー、じゃあ私だけ行く。大丈夫よ、育った町だもの」
「そのものじゃないだろ。ともかく待つの」
「ぶーぶー」
口を尖らせておれの腕にしがみつくミーネはまるで早く遊びに行きたい子供で、アレサはその様子を「あらあら」と微笑みながら眺めている。
「何かしましょ。何かしましょ」
「うーん……」
これは何かして気を紛らわせてやるしかないか。
ならばひとまずと拠点周辺をうろうろ散歩してみたが、半ば予想していた通り、その程度でミーネの逸る気持ちは抑えられなかった。
そこで苦肉の策として、軽く戦闘訓練を行うことにする。
しかし、最初こそミーネの気をそらすためであったが、考えてみれば戦う感覚が現実とどれくらい違うのか、その確認をしておくことはそれはそれで重要だと気づき、そこからは真面目にこの世界で自分に何ができ、何ができないか、それをしっかりと確かめた。
結果――
「ホントにここって凄いわね。痛みがぜんぜん無いこと以外、現実とまったく変わらないわ」
魔弾も大規模破壊魔術もちゃんと使えることが確認できたミーネはご満悦で破壊の限りを尽くした景色を眺めている。
フィールドの破壊表現が凄いとかそういうレベルじゃねえな……、現実そのまんまだ。
一方、おれの方は使えない能力が多くあった。
それは主に霊や精霊に関係する能力だ。
あと、お面には『そこに用はない』と突っぱねられた。
訳がわからない。
つかあいつ、その気になればここに来ることも出来るのだろうか?
いや、声を届けてきたくらいだから出来るんだろうな……。
相変わらず訳のわからない奴である。
そして使えた能力だが、これは〈雷花〉〈針仕事の向こう側〉〈魔女の滅多打ち〉の三つだけだった。
まあこの夢の世界でおれたちが担う役割は『事の成り行き』を見守る観測者らしいので、この三つだけでも大丈夫だろう。
ひとまず確認を終えたおれたちは【拠点】へと戻り、それからは各自メニューウィンドウを弄って時間を潰すことにした。
……。
なんかアレサが「はわわ、はわわわー」とうるさい。
やがて――
「ただいまでーす」
シアが調査から帰還した。
「意外とかかった……、のか? それとも早いのか?」
「んー……、まあちょっと見てみてください。世界の果てです」
シアに促されて外へ出てみると、そこは左右にずーっと延びている崖の手前だった。
「雲に隠れて下の方はよくわからないわね」
そう言うミーネはうつ伏せになり、肩あたりまで崖から身を乗り出している。
ちょっとその様子は見ていて心臓に悪い。
しゃがんで手を繋いでおく。
「世界の果ては崖だったのか」
「いえ、崖と言うより縁ですね」
「縁?」
「ここ、浮島みたいなんですよ」
「浮島……? 浮島!?」
「ええ、ちょっと縁に沿って走ってみたんですけど、そのとき雲の切れ間から浮島が見えたんですよ。ならここもそうなのかなーと」
「さすがは夢の世界、なんでもありか」
「ですね。――で、わたしはさらに考えてみたんですよ。もしかするとこの世界はあれです、スノードーム、あれの超でっかいやつなんじゃないかと。暗闇の中に明るい玉が浮かんでいて、その中に幾つか浮島がある、そんな状態なんじゃないですかね」
「なるほど……」
シアはけっこう真面目にこの夢の世界について考察していた。
ずいぶんと好奇心を刺激されているらしい。
「ひとまず考察はこれくらいですね。本当はもっと調べてみたいところですけど」
「それは色々と片付いてからだな。まずはメインクエストだ」
おれは立ち上がりつつミーネを引っぱり起こし、そこでようやくアレサが拠点に留まってぼーっとしていることに気づいた。
「あれ、アレサさん、どうしたんですか?」
「ひゃい? ――あ、いえ、何でもありませんよっ」
「そ、そうですか?」
「あー……、ご主人さま、アレサさんはあれですよ、ほら、自分まで出てきてしまうとわたしが走ってきた距離を引き返すことになるからって残ってくれていたんですよ。きっと」
「あ」
そうだ、全員出てしまうと、この場に拠点の出入り口が統一されてしまう。
これはうっかりだった。
危ない危ない。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/12
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/01/25




