第538話 14歳(夏)…亡国のアヴァンテ
ヴァイロ共和国での騒動のあと、おれはお仕事も控え目にしてこれでもかと養生した。
それが功を奏したのか、このところおれは妙に元気で、なんだか体に活力が充ちているのを感じるほどになっている。
これ、もう大丈夫なんじゃないかな?
そうシアに言ったところ――
「は?」
「いやだからね、もうすっかり元気になったから――」
「ご主人さまは〝灯滅せんとして光を増す〟という言葉を知っていますか? どういう意味か詳しく説明した方がいいですか?」
やんわりと怒られた。
それはあまり見ない、しっとりとした微笑みを浮かべながらのお叱りであったが、ここで引かなければ般若みたいなことになるに違いないと想像させるに充分なものであった。
もう微笑んでいる段階で『威圧』が漏れてるし……。
「もうしばらく安静にしていようかなって思います」
「はい、それがいいですね」
こうしておれは難を逃れた。
もうすっかり回復しているのに、おれは依然として養生生活を強いられていた。
△◆▽
その日の朝、第一和室で皆と眠るおれは妙な息苦しさによって目を覚ました。
まだ覚醒しきらないぼんやりとした意識のまま体を起こそうとしてみたが、どういうわけか仰向けの状態から動けない。
一瞬、また不調がぶり返したかと思うも、原因はすぐに判明。
昨夜はおれの左右で眠ることになったちびっ子二人――ティアウルとジェミナがしがみついているせいで動けないだけだったのだ。
あと、胸の上には猫――ネビアがでろーんと寝ていた。
そりゃ息苦しいわけだ。
まだ子猫とは言え、こいつはすでに普通の成猫くらいあるので結構重いのである。
「……あの、猫さん猫さん、ちょっとどいてくれませんかね……」
訴えかけると、ネビアはひょこっと首をもたげてしげしげとおれの顔を見つめ、それから首を戻して寝た。
「どかねえのかよ」
人の上で溶けかけのバターみたいに寝やがって、まったくふてぶてしい猫である。
おれはしばし拘束状態で待機することになったが、やがて目を覚ましたアレサがおれの惨状に気づいてくれた。
「あらあらこれは……、ティアウルさん、ティアウルさん」
「くかー」
アレサはまずティアウルを起こそうとするが、まだ眠りは深くなかなか起きない。
「ティアウルさん……、ていっ」
「あうっ」
どふっ、と炸裂したのは心臓マッサージのようなアレサの当て身。
床伝いにおれにも振動が感じられたその一撃により、ティアウルはビクッと痙攣、そしてさらに深い眠りについた。
アレサはくてんとするティアウルを強引に引っぺがし始めたが、それを見たネビアは「恐いにゃん、恐すぎるにゃん」と速やかに離脱、ジェミナは自らそっとおれから離れた。
実は起きてたらしい。
「猊下、おはようございます」
「あ、ああ、おはよう」
「それでは今朝も失礼して……」
と、アレサはこの頃の日課となっているおれの健康診断を始める。
ぺたぺたと念入りな触診だ。
「はい、今日も問題ありませんね」
最後にアレサはおれの頭を撫で撫でして、それからギュッと抱きついてくる。
これがちょっと謎だ。
たぶん必要ない。
無いんだけど、前に「必要ないのでは?」と尋ねたところ、アレサがとても寂しそうな顔をしたので好きにさせることにした。
アレサにとって触診が精神を安定させておくために必要な儀式であるならば、この『撫で撫でギュッ』もそれに類するものなのだろう。
ずいぶんと心配をかけ、今もかけ続けているのだから、ちょっとの疑問くらいおれは無視すべきなのだ。
この朝の診察を終えたのち、おれとアレサは日課――シャロ様像へのお参りに出掛けるのだが、ヴァイロでの騒動以降変化があった。
おれの身辺警護にと、闘士たちが同行するようになったのである。
『おはようございます、大闘士殿!』
「あ、うん、おはよう……」
玄関前で七重奏の挨拶をしてきたのは、御用聞きとしてエイリシェに滞在していた闘士と、六カ国から日替わり――交代制で派遣されてきた闘士たちである。
この暑い季節、目覚めてすぐに暑苦しい連中を見るのはつらい……。
季節が冬であれば少しは受け入れられるだろうか?
同行をお断りしたいところだが、この身辺警護は事前におれも了承したものであるため、想定よりずっと暑苦しかったからと追い返すわけにはいかないのである。
むしろこんな暑苦しい連中がガードしているからこそ、知名度が急上昇したおれにちょっかいをかけたい連中もおいそれと手出し出来なくなっているのだ。
今のところ突撃してきた奴はいないが、それでも怪しい動きをしている奴を見かけることもあり、一応、闘士たちは抑止力としてちゃんと機能しているらしい。
こういった理由により、これまではアレサと二人だった朝のお参りはガチムチ七人に囲まれてという実に物々しいものになっている。
そして闘士たちなのだが、彼らはこの朝のお参り、それぞれの支部の状況をおれに直接報告する良い機会になっていた。
「このところ、倶楽部の知名度も上がって勢力拡大の助けとなっております」
「日頃の活動の甲斐もありまして、我々も人気が出ているのですよ」
「うちも同じく。将来は闘士になる、という子供もおりますな」
いや……、そ、それはどうかと……。
おれは子供に「ぼく、大きくなったら闘士になる!」なんて言われた親御さんの気持ちを想像し、胸が張り裂けんばかりの申し訳なさでいっぱいになった。
親御さん、どうかお子さんに教えてあげてほしい。
闘士は職業じゃない。
趣味だ。
ただ闘士になるってのは、ぶっちゃけガチムチなだけのニートになるってことなのだ、と。
△◆▽
おれが魔王を倒すねー、と世界に向けて宣言しちゃったのはぶっちゃけノリだが、もう「ごめんごめん、ノリでした」では済まされない状況なのでなんとか対策を考えておかなければならない。
現在、最も期待しているのはベリア学園長から聞いた、シャロ様が残したという「魔王が倒せなかったら墓を暴け」という言葉。
魔王を倒したシャロ様が何の意味も無くそんなことを言うはずはなく、であれば、シャロ様の霊廟には魔王を倒すための『何か』が存在するということになる。
ならば、行かねばなるまい……、お墓参りに。
だがそれも冒険の書の三作目が仕上がってからの話だ。
他に魔王関係の活動としては、これまで関わりたくないからと全力で無関心を貫いていた過去の魔王についての情報を集めようとも考えている。
一番情報が残っているのは、当然ながら三番目の魔王であるガーリィ・スラック。
本を読めばすぐにわかる事実の中にこの魔王ガーリィが誕生した場所があったのだが……、これ、クェルアーク伯爵領だった。
正確にはザナーサリーに隣接していた小国――サフィアスだ。
このサフィアス王国が魔王ガーリィによって滅び、領土は近隣諸国が吸収していったのだが、魔王ガーリィが誕生し、そして討たれた首都ノイエのある辺りは忌避されて残り、仕方なく吸収したザナーサリー王国が勇者の一人であるカルスに領土として与え、そこからクェルアーク伯爵領が始まったのである。
つかこの勇者カルス、その小国、それもその首都出身で、魔王ガーリィとは幼なじみの関係であったそうな。
そしてこれらのことをミーネは当然知っていた。
「言えよ」
「えー、だって興味なさそうだったじゃないのー、昔から!」
「……」
まったくもう、と怒られた。
確かにミーネの言う通り興味なかった。
むしろ『聞きたくねえから言うな』くらいだった。
つい突っ込みをいれるようにミーネを責め、ぷくーっとさせてしまったことをおれは反省、お詫びにと魔導袋に入れておいたお菓子をそっと差し出した。
「……プリン?」
「作り方を工夫したとろけるプリンだ」
「……!? い、いただくわ」
ちょっとしかないプリンだからか、ミーネは焦らずゆっくり味わって食べ始めた。
もしかしたら、料理の量を少なくすればもったいなくてお淑やかに食事するようになるのかもしれない。
やがてプリンを食べ終えたミーネは一つ頷き、それから言う。
「心境の変化って、あるものよね」
どうやらおれは許されたようだ。
△◆▽
ミーネのご機嫌取りをしたあと、おれはとあるお願いをするためにクェルアーク家へ向かうことにした。
金銀赤黒、あと闘士七人というよくわからない集団での訪問だったが、クェルアーク家は温かく迎え入れてくれた。
ってかミーネにとっては帰宅じゃねえか。
「ただいまー」
と、ミーネが応接間で迎えてくれたバートランの爺さんに言うが、爺さんはちょっと戸惑ったような顔をする。
「お爺さま、どうしたの?」
「ああいや、お前がただいまと言うことに違和感を覚えるほどになっていることに戸惑ったのだよ」
「そっか」
爺さんまで感覚がおかしくなってるのか。
あとミーネ、そっか、ですませんなよ。
おまえやんわりと余所の子という認識になりかけてんぞ。
「それで、今日は遊びに来たのではないだろう?」
「はい。実はクェルアーク家には勇者カルスの日記が残っていると聞きまして、それを読ませてもらえないかとお願いに来ました」
当主だけが読むことのできる日記。
しかし内容を聞くだけではダメなのだ。
ちゃんとおれが文章を読まなければ、おそらく多くの情報が欠ける。
「厚かましいお願いですが――」
「ああ、かまわんよ」
「あれ!?」
いきなり許可されて驚いた。
「他でもない『勇者殿』の頼みとあっては断れんよ。だがその日記は領地にあるのでな、持ってくるのに時間がかかる」
「そこまでしてもらえるんですか? ぼくが行って読ませてもらうのが礼儀と思いますが……」
「礼儀も何もない。持ってこい、そう偉そうに言ってもかまわんさ」
バートランは少し笑い、それからしょんぼり。
「儂が常に側におれば少しは負担が減らせただろうか……」
バートランの爺さんにもおれの抱える問題は伝わっており、どうやらそれを気に病んでいるようだ。
爺さんがいたら――、か。
「んー……、いてもらえたら心強かったでしょうが、たぶんぼくの状態は変わらないと思いますよ。結局のところ、この状態はぼくにしかできないことをやった結果ですからね」
「そうか……」
バートランは渋い顔でお髭を撫で撫で。
それから気を取り直したように言う。
「日記はこの屋敷で読んでもらうことになるが、かまわないか?」
「もちろんかまいません。あ、ちょっと本人に確認しないといけないんですが、よければデヴァスに乗って行きませんか?」
「竜にか。それはありがたいことだが……、となると……、うむ、飛んで行くなど初めてでどれくらいかかるかわからんな。三日……、いや四日はかかるか……?」
「あ、そんなに急がなくても大丈夫ですから、無理のないように」
「そうか? では少し向こうに留まって魔王の資料なども書き写してくると……、それなりにかかるかもしれんな」
「それはありがたいです、お願いします」
「わかった」
バートランは頷き、それからミーネを見る。
「どうだミーネよ、久しぶりに領地へ戻ってみんか?」
「んー……」
ミーネは首を傾げ傾げ考えていたが、ふと首を傾げた状態でおれと目が合う。
「やめておくわ」
「ふふ、そうか。まあ、いずれ、だな」
「ええ、そのうちね。シャーロットがうちにも精霊門を作ってくれていたら、すぐに行けたのにね」
おや?
そう言えばそうだな。
勇者仲間なんだから、領地に精霊門を用意してあげてもおかしくないような気がするんだけど……。
まあシャロ様のことだ、深い理由があったのだろう、きっと。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/28
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/11




