第52話 8歳(夏)…助言の意味1
無事に産まれた妹は、とくに体調を崩すようなこともなく、家族に見守られながら順調に育ちつつある。
産まれたてこそへちゃむくれだったが、一週間もするとずいぶんと赤ちゃんらしくなってきた。母さん譲りの黒髪に濃褐色のお目々をしている。きっと母さんみたいな美人さんになるだろう。
その日、おれは妹に〈炯眼〉を使ってみようと思いたち、シアの部屋へと向かった。
現在、妹のセレスはシアに独占されているような状態になっている。
「ほーら、お姉ちゃんですよー。お姉ちゃんですよー」
部屋ではシアが揺り籠に寝かされているセレスに向かって「お姉ちゃんですよー」とひたすら囁き続けていた。話しかけられているからかどうかは不明だが、妹は手足をもじもじ動かし、開ききらない薄目でシアを見つめていた。
「ん? あれ、ご主人さま、どうしたんです?」
「ちょっとセレスの状態を調べてみようと思ってな」
さっそくセレスに〈炯眼〉を使用する。
さて、妹の才能はどんな感じだろうか。
《セレス・レイヴァース》
【称号】〈シアの妹〉
〈レイヴァース家の長女?〉
【神威】〈善神の加護〉
【身体資質】……並。
【天賦才覚】……並。
【魔導素質】……優。
称号を見て、おれは床に崩れ落ちた。
「なぜだ……、なぜなんだ……」
「ちょっ、どうしたんです!? セレスちゃんになにが!?」
顔色を変えてシアが尋ねてきたが、ちょっと答えたくない。
どうして称号の一番手が〈シアの妹〉なのだ。
そこはおれ――……、ん?
いやダメだ! シアでいいんだ、これは!
おれの名前がそこにはいるなどとんでもない!
「いや、気のせいだった」
何事もなかったようにおれはすくっと立ちあがる。
「ホ、ホントですか? なにかあってからじゃ遅いんですよ?」
「ちょっと称号がおまえの妹になっててショックをうけただけだ」
「ん? ――あらま! あらまあらま!」
シアがぱぁっと顔を輝かせた。
ちょっと癪に障るが、まあいい。
「セレスちゃんの才能はどんな感じです?」
「魔導の才能がかなりあるみたいだな。それ以外は普通っぽい。外見の特徴もそうだが、かなり母さん譲りみたいだな」
揺り籠を覗きこむと、セレスはぼんやりとおれを見た。
まだ視力が発達してなくて、誰が誰かわからない状態だろうなと思いつつ、シアに負けまいと「お兄ちゃんだよー」と囁きかける。
すると――、シアはふと思いついたように言う。
「セレスちゃんにとってはお兄ちゃんはふたりなんですよね」
「ん? そりゃそうだろう。それがなんだ?」
「あ、いえ、後々ちょっとめんどくさいかなぁと」
「めんどくさい?」
シアがなにを言いたいのかよくわからず、おれは首をかしげる。
「たいしたことじゃないんですけど、例えばご主人さまとクロアちゃんが一緒にいるとき、どっちかに用があった場合、どう呼ぶのかと」
「あー、そういう……」
なんとなくシアの言いたいことを理解した。
おれもクロアもお兄ちゃんだから、お兄ちゃんと呼びかけるのではどちらかわからない。
「まあご主人さまはお兄ちゃんだけで、クロアちゃんはクロアお兄ちゃんと呼ぶようにすればいいわけですけど、それを兄妹間の決まり事にするのって、やっぱり慣れるまで面倒じゃないですか」
「確かにな」
とっさにクロアをお兄ちゃんとだけ呼ぶ場合もあるだろうし。
とはいえ、おれをセクロスお兄ちゃんと呼ばせるのはな……。
「一応……、ちょっとくらいは名前を呼ばれる覚悟をしておいたほうがいいんじゃないですかね? 可愛い妹なんですから、そこはお兄ちゃんとして甘んじて耐えるべきでは」
「可愛い妹だからこそ名前を呼ばせたくないんだがな……」
「あー、ですよねー」
暗澹たる気分でうなだれるおれを、シアは気の毒そうに見つめてくる。これがただ名前を呼ばれることに慣れろという話であればおれはシアの頭をひっぱたいているところだが、純粋に兄妹間に生まれてしまう妙な決まり事を心配しての話だとわかるので、おれはその提言を真摯に受けとめる。
しかし、名前を呼ばれる覚悟ってなんなんだよ。
「……?」
覚悟?
名前を呼ばれる?
ふと、なにかが脳裏に引っかかった。
なにかすごく重要なことを思いつく予感があった。
と同時に、とてつもなく不愉快になるという確信もあった。
「あ」
そして――、気づいた。
装衣の神は言った。
導名を得るためにおれがやっていることは間違いではない。
だが自分自身を知らしめる覚悟が足りていない。
このままではシャーロットと同じ失敗をする。
言われた時は意味がわからず、その後も時々その意味を探ろうとしたがやはりわからなかった。
けれど、わかった。
導名を得るためには人々に多大な影響を与える必要がある。これは間違いない。だが、その影響が誰からのものであるか知らしめる必要があるのではないか? つまり、自分の名前も積極的に広めなければならないのではないか? 装衣の神が言っていた、自分自身を知らしめる覚悟というのはものの例えではなく、おれに対して、そのままの意味だったのではないか?
「最悪……、だ」
もちろんこれは思いつきの仮説にすぎない――、そう心の中で呟いてみたものの、確信のようなものがあった。
なにしろ、これならシャロ様が導名を得るのが遅れた謎があっさりと説明できてしまうのだ。
シャロ様は様々な物や制度を生みだした。それはすぐに社会に組み込まれることはなかったにしても、あれだけのことをやっているのだからそれなりに名声値は稼げていたはずなのだ。
なのに、シャロ様が魔王を討滅するまで導名を得られなかった。
その理由。原因。
おれにはわかる。
痛いほどにわかる。
シャロ様は名前を伏せていたのだ。
もしかしたら、母さんが読んでくれた絵本のシャロ様がずっと『名無しの魔導師』だったのはこの名残なのかもしれない。
影響だけでは駄目なのだ。
信仰を束ねるために象徴が必要なように、名声値を収束させるためには名前が必要なのだ。
装衣の神が言っていたシャロ様の失敗とはこれのことだろう。
このままではシャロ様と同じ失敗をする――、なるほど、気づかなかったら確かにおれはしくじっていただろう。というか、絵本の著者名をヴィロックにしているから、すでに小さな失敗はしていたのだが。
しかし、今取り組んでいる計画の完了前に気づけてよかった。
よかったのだが――、喜べない。
喜べるわけがない。
「あ、あの、ご主人さま? どうしました? 顔色ヤバいですよ?」
セレスを眺めての幸せな気分から一転、おれは失望と憤りとで目眩がした。ちょっと取り繕うどころではなく、シアが心配してくる。
「パンツのヒント、その意味がわかった……」
「パンツ……? ああ、服の神さまですね。いやその呼び方はさすがに失礼すぎると思いますが、今は置いておくとして、どうしてヒントを理解してそんなことになってるんです?」
「理由はあとで話す。いまはもう少し考えたい」
おれはシアが答えるのも待たず、よろよろと部屋を後にした。
しばらく、ひとりでもう一度じっくり考えたかった。
もしかしたらただの勘違いかもしれない。
――しれない、が、これは神の敵対者を捜すことも真面目に検討する必要がありそうだと、おれは思った。
※実子としては長女、家族としては次女というセレスの立場を現すため称号に?をつけました。
2020/01/07
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/10




