第510話 13歳(夏)…ちっちゃな暴君
戻って来ました迷宮都市エミルス。
竜化したデヴァスに乗って再びフリード伯爵のお屋敷にお邪魔したおれたちは、伯爵が準備してくれていた馬車に乗せられベルラットとエルセナが暮らすお宅へとドナドナ連れて行ってもらう。
二人は庶民的な一般層が住む地区に大きめの家を持っているらしい。
「二人ともこの都市を代表するデリバラーだったわりには庶民的な場所に住居を構えたんですね」
「はは、あまりお上品な地区は肌に合わないらしいよ」
「あー……」
なんだかすんなり納得できた。
確かに二人(特にベルラット)は富裕層の暮らす地区で優雅に生活、というイメージではない。
やがておれたちはベルラットさんちに到着。
馬車を降りて皆で玄関前に集まり、伯爵がドアノッカーをゴチンゴチンと鳴らす。
少し待ったところで扉が開き、現れたのはベルラットその人だったのだが……、なんだか姿がずいぶんだらしないことになっていた。
端的に表現すると、連日の徹夜仕事に疲れ果て身なりに気を使う余裕すらなくなったオッサンだったのである。
「お、伯爵――く!? おお!」
ベルラットはぼけっとした表情でまず伯爵に反応したが、すぐにおれたちの存在に気づいてやっと寝ぼけた状態から覚醒したように表情がはっきりした。
「おめえらか! シャフリーンも! 手紙を読んでさっそく会いに来てくれたんだな!」
「あ、実は手紙はまだ届いていないんですよ、別件で伯爵に会いにきたところ子供が生まれたと聞きまして、ならばとシャフリーンも誘って来ました」
「そうかそうか、まあ来てくれたならなんでもいいや。さあ入った入った。今ちょっと立て込んでてな、散らかってるのは大目に見てくれ」
そう言うベルラットに連れられ、おれたちは広間に案内される。
そこはダイニングキッチンだったのだろうが、ダイニングルームにあたる場所はイスもテーブルも撤去され、敷かれた絨毯の中央には赤ちゃんの眠る揺り籠がある。
揺り籠の周囲は育児用品が散乱しており、そこに紛れるようにしてクッションの上に横たわってうとうとするエルセナがいた。
「悪いが靴を脱いで絨毯に上がってくれ。この部屋は息子のための場所になってるんでな。あと今ようやく眠ったところなんで、なるべく静かに頼む。エルセナー、エルセナー、お客さんだぞー」
「……ふえ?」
ふと寝ぼけ眼でおれたちを見たエルセナは、次の瞬間ハッとして上半身を起こした。
「あらみ――……、みんな……! いらっしゃい……!」
エルセナは大声をあげようとして思いとどまり、小声でおれたちの訪問を歓迎した。
「実はまだ出産後の不調から回復しなくて、こんな姿で応対するしかないの。ごめんなさいね」
「ああいえ、おかまいなく。どうぞ安静にしていてください」
セレスが産まれたときにシアから聞いた話だが、子供を出産したのち女性の体――変型した骨盤は即座に妊娠前の状態に戻るわけではなく、ある程度の期間が必要になる。
この期間は一ヶ月ほどで、その間はなるべく動かずにいることが大事らしい。
下手すると骨盤が変型したまま安定してしまい、後遺症が残ってしまうのだ。
これは体の仕組みの話なので、エルセナがデリバラーをやっていた屈強な女性であるということは関係なく、ちゃんと安静にしておかなければならない。
となると、ベルラットが疲れ切った状態なのは、動けないエルセナに代わりなるべく息子の面倒を見ることにしているからだろう。
シア、ミーネ、アレサ、シャフリーンの四名が揺り籠を囲んで赤ちゃんを覗きこむのに一生懸命になっているなか、おれと伯爵はベルラットと少し話をする。
「ベルラット君、やはり乳母を雇った方がいいのではないか?」
「ああ、そうかもしれねえ。オレとエルセナが居れば充分だと思っていたんだけどよぉ……。まったく、赤ん坊はすげえな。迷宮に突っ込むよりも大変だぜ、へへっ」
「かつての魔迅帝も赤ちゃんの前には形無しですか」
これくらいの赤ちゃんは何時間か眠り、そして何時間か覚醒を繰り返す。
その合間にお腹が空いては泣き、お漏らししては泣き、なんか気に入らなくて泣く。
すやすや寝ている姿は可愛らしいんだがね。
「なんかむすっとしてるのね……」
赤ちゃんを眺めていたミーネであったが、気を使って柔らかい表現でブサイク顔なことを指摘する。
するとシアが笑いながら言った。
「まだこのくらいの頃はこういうものなんですよ。もうしばらくするとすっきりしてきます。セレスちゃんもこんな感じでしたから」
「へー、そうなの。じゃあまたそのうち会いに来ないといけないわね。あ、ルフィアも連れてきて写真をとってもらいましょう」
「それは良い考えですね。あ、ところで猊下の赤ちゃんの頃の写真などは無いのでしょうか?」
無いです。
金銀赤は赤ちゃんを覗きこみながら会話していたのだが――
「あ」
と、そこでシャフリーンが声をあげる。
「どしたの?」
「お漏らしをしたようです。おむつの替えはどこでしょう?」
シャフリーンはいち早く赤ちゃんのお漏らしに気づき、おむつの替えを準備しようとする。
そこで赤ちゃんがむずむずし始め、そして目覚めと同時に泣き始めた。
「はいはい、ちょっと待ってくださいね」
シャフリーンは微笑みかけながら、手慣れた様子で赤ちゃんのおむつを替え始めた。
「慣れてるのね」
「私は向こうの父が母との結婚のため出稼ぎにきたところで預けられましたからね。年長者であり、特殊な能力を持つ私は必然的に弟妹の面倒をよく見ることになったのです」
「なるほどー」
ちなみに、おれとシアもそれぞれクロアとセレスの時によくやったので慣れていた。
機会の無かったミーネとアレサは、シャフリーンがおむつを替える様子を興味深そうに見守っている。
見守っているのだが――、なんかミーネの視線が赤ちゃんのおチンチンにロックオンされているような気がするんですよね。
ついてないから興味をそそられるのか?
そんなことを思っていたらシアが言った。
「ミーネさん……、こしょこしょしては駄目ですからね……?」
「……ッ!? そ、そんな、こ、こしょこしょなんてしようと思ってないわ。でも……、案外喜ぶかもしれないと思わない?」
「まあどうしてもと言うのであればわたしは止めませんが……」
とシアが指さす方には、おしめを替えた赤ちゃんをあやすために左手で抱え、右手では手刀を構えているシャフリーンがいた。
ちょっと菩薩っぽいと思った。
「な、なんでもないわ……」
ミーネが退いた。
姉は強し、か。
「ベルラットさん、乳母のことなんですが、シャフリーンはしばらくここに滞在して赤ちゃんの世話をするつもりなので必要無いかもしれませんよ?」
「え! シャフリーン居てくれんの……!? なら頼む……!」
「はい、もちろんです」
泣くことでしか意志を伝えられない赤ちゃんの世話となれば、もしかしたらシャフリーン以上に適任は居ないかもしれない。
抱っこにしても、赤ちゃんが心地良い抱え方と、そうでない抱え方があるわけで、事実、シャフリーンに抱っこされた赤ちゃんはすんなり泣き止んであぶあぶしている。
「あ、笑ったわ。なんか笑った」
「そうですね、笑いましたね」
ミーネとアレサが赤ちゃんが笑ったと騒いでいる。
生後一ヶ月くらいなら生理反応で微笑んだりするのだが……、ここは余計なことは言わずにおこう。
おれはシャフリーンが赤ちゃんをあやす様子を眺めていたのだが――
「ふんっ!」
「ぐふっ!?」
唐突にシアから攻撃を喰らった。
「え……、何故に攻撃……?」
「すいません。今シャフリーンさんは赤ちゃんを抱っこしているので、うっかり迂闊なことを言わせないために攻撃しました」
なんだそれ!?
なんか納得できなかったが、シアはそんなおれをほったらかしに赤ちゃんを抱っこさせてほしいとベルラットとエルセナにお願いする。
「もちろん。ぜひ抱いてやってくれ、あんたらが居たから生まれてくることができた子だ」
「そうそう、特にシアちゃんにはお世話になったから」
それを聞いてミーネとアレサも抱っこに立候補。
おれたちが関わったから……、か。
確かにそれはあるだろうな。
一番の立役者は自らをウェディング・エンジェルと称し、特別レースを企画したシアである。
そんなシアがシャフリーンから赤ちゃんを受けとってあやす。
わりとお手の物である。
セレスが赤ちゃんのときは独り占めレベルで世話をしていたからな。
ちっちゃい赤ちゃんとは言えど、シアも小さかったので本来なら大変なことだったが、そこはシアが力持ちだったので問題なかった。
そう考えるとシアも大きくなったなー。
……。
おれは危険なことを考えないように思考を一時遮断。
心を空にする。
おれが意識を再起動するなか、シアに続きミーネ、そしてアレサと赤ちゃんを抱っこしていた。
ミーネとアレサはちょっとおっかなびっくり。
あんまりにも華奢なので戸惑ってしまっているようだ。
それからしばらくの間、ばぶばぶする赤ちゃんを見守りながらみなでほっこりする時間になった。
△◆▽
赤ちゃんの世話をすることになったシャフリーンを残し、おれたちはベルラットさんちを後にした。
それから馬車は闘士倶楽部エミルス支店へ向かったのだが、サーヴァスはそこにも居なかった。
闘士見習いの荒くれ者どもが言うには、現在デリバラーとして迷宮に潜っているらしい。
なんでそうなる、と思ったが、迷宮都市という特色を考慮して布教のためにやっているようだ。
目標はデリバラーたちがしのぎを削るFDRレースにも参加することであり、最終的にはエミルス支部から上位デリバラーを輩出するつもりとかなんとか。
展開していくための真面目な活動なんだろうが、何かにつけて『なんでそうなる』と言いたくなるのは何故だろう?
またしても肩すかしとなった闘士倶楽部訪問の後、おれたちは明日から三日間お世話になるシャロ様の別荘へと到着した。
屋敷は以前と何も変わらず異常無し。
空気の抜けたバランスボールみたいなスライム――イールさえ居なければ、だが。
「あ、お待ちしていましたよ皆さん。お元気でしたか?」
巨大な水饅頭が言った。
「まあ元気だよ。おまえはどうだ?」
「私は魔素溜まりを確保できましたし、おまけに都市の人々が毎日元気にもりもりっとするウ――」
「それは言わなくていいから」
まったく、相変わらずか。
呆れているとミーネはイールをぺちぺち叩き出す。
前はティアウルも一緒になってぺちぺちしていたんだがなー……。
「それで今回は何をしに?」
「ちょっと明日からのあれ、勇者見習いたちに関係してな」
「ああ、あれですか。準備は万端ですよ。ちゃんとおもてなしをするつもりです」
「おもてなし?」
「実戦経験を積むという話でしたので、わざわざ下層へと進まなくても戦えるように調整をするんです。あまり強力な魔物を出してもいけないので、よく見かけるゴブリンなど下級の魔物を勇者に合わせ適度に調整、数も用意してありますよ」
「ふむ、それなら問題はないか……」
まあ実際勇者たちがどう行動するかも関係するので、明日はちょっとミーネについて様子くらいは見ておいた方がいいだろう。
そしてもう一点。
「あ、ちょっと一つ頼まれてくれるか」
「はいはい、なんでしょう」
「今迷宮内にいる連中のなかで、一番ムキムキした奴におれがここに来ていると伝えて欲しい。名前はサーヴァスだ」
犬やヒヨコを送り込んでもいいが、迷宮内に居るとなればそれは控えなければまずいだろう。
出現のおまけに放たれる雷撃に感電したところに、魔物からの痛恨の一撃、なんてことも有り得るのだ。
べつにやられても排出されるだけだが、そうなると申し訳なくて何も言えなくなるので精霊便は避けてイールに頼むことにした。
「わかりました。では、また何かあれば呼んでください。すぐに現れますので」
そう言い、イールは屋敷の床に沈み込んで消える。
それはつまりこの屋敷はすっかりあいつと同化……、いや、誰も得をしない真実など明らかにしても意味が無い。
深く考えるのはやめておこう。
※誤字を修正しました。
2018/09/28
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/31
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/04




