第51話 8歳(夏)…妹の誕生
夏にさしかかったあるうららかな日の午後、母さんが産気づいた。
準備は婆ちゃんの指示によっておれや父さんが慌ただしく整え、いよいよとなると部屋から追いだされる。
シアはずっと青い顔をして「はわわわ」とか「あばばば」などうめいていたが、婆さんに部屋へ引きずり込まれて消えていった。
そして残されたのは野郎三人。
クロアは赤ちゃんが産まれる、自分に弟妹ができる、ということを婆ちゃんからよく聞いていたようで、期待してそわそわしていた。遊んでやろうとしたが、産まれてくる子のことで頭がいっぱいらしく上の空、なにも手につかない様子だった。
父さんはレイヴァース家のサーキットライダーと化し、屋敷中をうろうろ巡回しながら出産が無事にすむようぶつぶつ祈っている。
クロアのときは六時間くらいかかった。
長い時間のようだが、婆ちゃんは早く産まれた方だと言う。なかにはまる一日かかることもあるそうな。ちょっと想像がつかない。
しばらくすると、レイヴァース家のサーキットライダーは三人になり、おれと弟と父さんはうろうろと巡回し、遭遇すれば適当な会話をしてまた巡回を始めるというサイクルを繰り返した。
△◆▽
出産が始まって四時間ほど経過した。
あたりはすっかり暗くなり、レイヴァース家に明かりが灯る。
普段であれば皆でのんびり夕食をとっている頃だが、今夜は無理だ。
ひとまずおれは食べやすい軽食を用意することにする。
サンドイッチ――というよりケバブに近いもの。あとカップでも飲める、こまかく刻んだ野菜のスープである。飲み物については、婆ちゃんがお茶をたっぷり用意していたので必要ないだろう。
作った軽食をドアごしに婆ちゃんへ渡してから、おれは弟と一緒に食事をとった。父さんは巡回が忙しくてそれどころではなかった。
弟は夕食を食べたあと、すぐにうつらうつらし始め、しかしなんとか産まれるまでがんばろうと懸命に眠気をこらえていたが、やっぱり寝た。
眠りこんだ弟を、巡回中の父さんを捕まえて部屋に運んでもらうようお願いする。
父さんはわかったと言い、弟を背負ったまま巡回し始めた。
なにもわかってなかった。
さらに二時間ほど経過してすっかり真夜中となった頃――
「産まれましたよ――――ッ!!」
うろうろしていたおれに、張りあげたシアの声がとどく。
「ほら、ほら、クロア、産まれたぞ。クロア、起きろ、クロアー」
部屋の前にすっ飛んでいくと、すでに到着していた父さんは背中で寝込んでいるクロアを揺すって起こそうとしていた。弟はすごく眠そうに顔をもにょもにょさせていたが、なんとか目を覚まそうと手で顔をごしごし擦る。眠らせておいてやりたい気もするが、そうするとさすがに拗ねそうだ。
やがてドアが開き、満足そうな顔をした婆ちゃんが出てくる。
「元気な女の子だよ!」
「おぉ、娘か!?」
ひとしきり婆ちゃんに感謝をして、それから意気揚々と父さんはクロアを背負ったまま部屋にはいっていく。
おれもそれに続こうとする――、と、
「シアちゃんは頑張ったからね」
婆ちゃんがそっとおれに言う。
ベッドにいる母さんのすぐ傍らに、布にくるまれた妹がいる。やはり生まれたての赤子というのはへちゃむくれだ。それをベッドの横にしゃがみ込み、かじりつくようにして眺めているシア。口が半開き、ほんわかした幸せそうな表情でいる。
「ほらクロア、おまえの妹だぞ。名前はセレスだからな」
「いもうと、せれすー?」
「そうだぞ、セレスだ」
「せれすー」
父さんの肩越しに、産まれたばかりの妹をびっくりしたような表情でクロアは覗きこんでいる。
「シアちゃんありがとうな」
「ふえ!?」
父さんにわしゃわしゃなでられて、シアが驚く。
というか、妹を眺めるのに夢中でやっと父さんに気づいたような感じだ。
「え、あ、ど、どういたしましてですよ」
あたふたと立ち上がり、そっと父さんに場所を譲る。
今度は父さんがしゃがみ込んでうっとりと、弟は興味津々でセレスを眺め始めた。
シアはそんな様子をほっとしたように眺めていたが、やがてふらふらと部屋を抜けだしていく。
どうしたものかと思っていると、婆ちゃんが肘でぐいぐい押してきた。
お節介な婆ちゃんだ。
いやまあ行くけど、もうちょっと妹との対面させてよ……。
おれは部屋からでると、シアを捜す。いったいどこに行ったのかと思ったら、庭で座り込んでいるのを見つけた。
庭へ向かうと、シアはぼんやりと周囲の木々に押しこめられた狭い夜空を眺めていた。
「おつかれ。手伝ってみてどうだった?」
後ろから声をかけると、シアはぼんやりしたままのっそりと立ちあがる。
「大変でした。わたしは言われたことをするだけでしたけど。いやー、産婆さんって偉大ですね。ご主人さまが頼れる女性って言っていた意味がよくわかりました」
はぁー、とシアは大きくため息をつく。
「出産ってぶっちゃけグロですからね、もうわたし、あれ、死ぬ? これって死んじゃうんじゃないの平気なの? ってずっと思ってましたよ。もう頭の中ごちゃごちゃでしたけど、ハンサさんに叱咤されてなんとか取り乱さずにすみました。それに――」
と、シアはまた夜空を仰ぐ。
「妹が産まれてくるんです。お姉ちゃんがしっかりしないといけないと思ったんです。ちゃんと迎えてあげないといけないって。なんとしても、取りあげてやらないとって……」
「ちょい待て。おまえどこまで手伝ったの?」
「え? ハンサさんに指導うけながら、セレスを取りあげるまでですよ?」
「そこまでやったの!?」
助手どころの騒ぎじゃねえ!
「いやなんかお母さまがやってみたらとか言いだして、そしたらハンサさんも乗り気になってどういうわけかそうなりました。そこからはもう緊張しすぎで意識が飛びそうになるのを精神力でねじふせてがんばりました」
「母さん、また無茶なことを……」
なんとなく母さんがなにを目論んでいたかを理解する。
母さんが昔の自分をシアに投影しているふしがあることには気づいていたが、だからってこんな荒療治をやるほどとは思わなかった。
「実は途中の記憶が飛んでるんですよね。気づいたら、セレスを無事に取りあげることが出来てました。それでお母さまに話しかけられていました」
「なんて……?」
「血が繋がっていなくても、この子にとってあなたはお姉ちゃんなんだって。自分をとりあげてくれた、ただひとりの人なんだって」
やはり、妹を介してシアに家族の一員としての自覚を埋めこむのが目的のようだった。
ちょっと洗脳っぽいんだけど……まあいいか。
「お母さまはわたしを本当に娘として受けいれようとしていてくれたんですね」
「そうだな。……とはいえ、無茶だろ?」
「無茶ですね。気持ちは嬉しいですよ? でも今回のはちょっとありえないです。もしセレスになにかあったらどうするつもりだったんでしょう」
「たぶんそんなことは起こらないと信じていたんだろ」
「信じていたって……、それが母の強さというものでしょうか」
母の強さというか、母さん固有な強さだろう。うちの家族には善神の加護があるとか、いざとなったら回復魔法やポーションがあるとか、そういったもろもろの保険が意識にあったから強行したのではなかろうか。とはいえやっぱり六歳児に子供取りあげさせるのは無茶だ。
「わたしのお母さまはすごいんですね」
ふふっとシアは笑う。
「いつかわたしもお母さまみたいになれるでしょうか。それで……えと、あー……」
なにか言いかけて、シアは言葉を濁した。
「あん?」
「いやほら、今わたし普通の人ですから、いつか、その……なんというか」
急にもじもじし始めたシアに、おれはなんとなく言いたいことを理解する。
「そうだな、いつか――」
おれは夜空を見あげる。
「生きのいいオークがいたら捕まえてきてやる――」
「おるぁぁぁッ!!」
「のほぉぉ!?」
瞬間、シアはおれの背後に回り込み、渾身のタイキックを喰らわしてきた。
あまりの威力におれは地面に倒れこみのたうち回った。
「な、なにしやがる!?」
「なにしやがる? なにしやがるじゃないです! なにしやがるじゃねえんですよ! 人が幸せな気分でなんとなくいい雰囲気かもしだしてるところになにいきなり言いだしてんですかこのバカ主人は!」
「いやだって赤ん坊がほしいのかなって……」
「どうしてそこでオークがでてくるんですかね! どうしてそこでオークがでてきてしまうんですかねぇ! もう一瞬にしてわたしの心のキューティクルがささくれてしまいましたよ!?」
「いやだってこういう世界だから子だくさんといったら……」
「だから、な・ん・で、オークなんですか! なんでわたしがオークとねんごろになると思うんですかね! 言っておきますけど、こっちじゃオークは普通にオーク同士です! っていうか異種間で深夜のレスリングにチャレンジ一年生するのはもっぱら人族です!」
マジで!? こっちの人間もたいがいだな!
「ああああっ! これはちょっと無理ですよ!? ダメですね! この害された気分の仇を討たねば気がおさまりません! というわけでご主人さま――ちょっとぶっ殺します!」
「ちょ!?」
妹のセレスが産まれためでたい日、おれはメイドにぼこぼこにされて、わりと本気でベッドで安静にしなければならなくなった。出産の疲れがあるからか、母さんは回復魔法をかけてくれなかったので、おれは三日ほど寝たきりですごすことになり、おれを暴行した張本人によって看病をうけるという妙な日々をおくった。
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/04
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/22




