第50話 7歳(春)…春の終わりに
春の終わり、父さんはハンサ婆さんをつれて帰ってきた。
「かわりないようだね。おや、お嬢ちゃんはずいぶんと身綺麗になったじゃないかい」
婆ちゃんはおれとシアの頭をわしゃわしゃする。
「おっと、クロアもすっかり大きくなってるじゃないか」
弟のクロアにしてみれば、婆ちゃんに会うのは初めてという認識だろう。生まれてからひと月ほど面倒を見てくれたが、さすがにそれは覚えてはいまい。
弟はもじもじと自己紹介したあと、婆ちゃんにわしゃわしゃされてびっくりしたのかシアの後ろにひっこんだ。弟よ、なぜにシアなのだ……。
「弟のほうは普通の子みたいだね、ちょっと安心したよ」
どういう意味だ。
△◆▽
その日から婆ちゃんがくわわっての生活が始まり、とくに何事もなく日々がすぎる。
初めは人見知りだった弟も、数日もしたらすっかり婆ちゃんに懐いていた。
「クロアには兄ちゃんみたいな無茶はさせてないようだね」
ほっとした婆ちゃんの言葉に、確かにそうだ、とふと思う。
弟への教育といったら、おれが絵本で文字を教えているくらいだ。
それについて尋ねてみたところ、父さんは笑って言った。
「うん、それな。正直おまえにはやりすぎたと思ったんだ」
ですよねー。
弟にも同じスパルタ教育しようとしたら、おれが全力でとめていただろう。
夏が終わると弟のクロアは四歳になる。
まだしばらく、あと三年くらいは好き勝手はしゃぎ回る日々をすごしてほしい。おれはそこにちょこちょこ教育をはさみこんで学力向上を促すことにしよう。
とりあえずは簡単な文字の読み書きだ。
その次は算数か。
足し算、引き算、かけ算、割り算、これくらいは必要だろう。
小数や分数、図形とか量とかも覚えておいて損はないはず。
「ごごご、ご主人さま~!」
弟の教育方針について考えていると、シアが慌ただしくやってきた。
ノックもなしに、主の部屋に突撃してきたシアはひどく取り乱している。普通なら頭をひっぱたいているところだが、メイドであるというだけでこの浅ましさも味わい深いものとなる。実に不思議なメカニズムである。
「なんじゃい」
「た、大変なことになりました! ハンサさんが出産のときわたしに手伝ってもらうとか言うんです!? ど、どうしましょう!」
「よろしくお願いします」
おれは丁寧に頭を垂れた。
「あれ!? 絶対とめると思ったのに!?」
「確かにおれとしてはどうかと思う」
「でしょう!? わたしが元あれだから、どっかに捨てようとか言っていたご主人さまなのに、どうして抗議しないんです!?」
「そりゃあ、おれ、弟と世話になった恩人だからな。婆ちゃんがおまえを手伝わせるって言うならおれはそれに抗議することは出来ない。というわけでお願いします」
おれは再度、丁寧に頭を垂れる。
「いぇやめてくだすぁいよぉ……」
予想と食い違い、おれが同意してしまったためシアは半泣きになっていた。
「おいおい、そんなに嫌か?」
「嫌っていうか、わたし元あれですから、そういう場に立ち会うのはちょっとどうかと。そういう場に居合わせていい存在じゃないって言うか……、いや、害はないんですよ? そもそも害なんてないですからね! でも……存在自体が不吉なものですから、居たら場違いって言いますか、元の役割と正反対のお手伝いをするなんて恐れ多いと言いますか……」
「元があれというのはわかるが、今のおまえは一応おれの義妹だ。産まれてくるのはおまえの弟か妹、なんとか婆ちゃんの手助けをしてやれないか?」
「産まれてくるのはわたしの……?」
シアはきょとんとして、今度はもじもじし始める。
「わ、わたし、お姉ちゃんになるんです?」
「いや姉かどうかで言ったら、すでにクロアの義姉だろ」
「あ、そういえば」
「というわけだから頼むよお姉ちゃん。おれでいいならやるが、婆ちゃんはダメって言うに決まってる。となると、今この家で婆ちゃん手伝うことができるのはおまえだけなんだ」
「うぐぐ……」
「婆ちゃんだって、いくらなんでもおまえに産まれてくる子を取りあげろなんて言わないだろうから、そんなに気負う必要はないんじゃないか? たぶんあれだろ。〝手術中に医師が「メス」って言ったらメスを渡して、「汗」って言ったら汗を拭く係くらいのもんだろ〟」
「うーん、それくらいなら……」
「どうしても無理ってんなら、あとは母さんを説得するんだな」
「お母さまにはすでに言いました。お願いねって言われました。お父さまには跪かれて祈られました。ご主人さまが最後の望みだったんです」
「そ、そうか……」
むぅー、とシアは睨んでくるが、すぐに表情をあらためた。
「でも、ちょっと考え直しました。そうです、産まれてくるのは弟か妹なんですよね。だったらなんにも出来ないご主人さまにかわり、お姉ちゃんのわたしがなにかするべきですね!」
ちょっとイラッときたが我慢。
とにかくシアはやる気になった。
かに思われたのだが……
「やっぱり、わたしが手伝うのってどうかって思うんですよー……」
夜な夜な、不安にかられたシアがやってくるようになってしまった。
産婆のお手伝いというおれじゃできないことをやってもらうわけだから、さすがに「知るかボケ」ではすませられず、おれは自分が産むわけでもないのにナーバスになっているシアを励ましたり説得したりで夜更かしするはめになった。
なぜシアがナーバスになるのかは、だいたい想像がつく。
歯切れ悪く、自分が出産の場にいるのは場違いとシアは言った。
そう、本来であれば新しい命が誕生する瞬間に死神はふさわしくない。――が、現実はそうでもないのだ。
死神であった頃のシアは幾度となく出産に立ち会っていただろう。母と子のどちらかの死、もしくはその両方の死を看取るために。
だからこそ、自分を娘として受けいれてくれた人の出産に立ち会うのをシアは避けたいのだろう。元死神の立ち会いが出産に影響することはないとわかっていても、見つめてきた多くの母と子の悲劇を引き連れてきてしまうような気がして。
……うん、こんなもん、おれが励ましたり説得したりでどうにかなるもんじゃない。
「……どうしたもんかね……」
一週間もした頃、シアはともすれば上の空、泣き言すら言わなくなって、夜になると幽霊みたいにおれの部屋に来るようになっていた。
どうもひとりでは眠ることができなくなっているようで、放心した状態でもそもそベッドにはいってくる。寸法とるのに大騒ぎしていたのが懐かしくなるような状態だ。どうやらひとりでいると悪い想像ばかりしてしまうらしい。仕方がないのでおれはできるだけシアがひとりにならないよう気をつけた。
主人たるもの、メイドを見捨てるわけにはいかないのだ。
もしシアがメイドでなかったらめんどくさくなって森に捨てに行くところである。
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/12/25
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/12/29
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/10




