第489話 13歳(春)…魔心を神に
あっちの世界の料理をただ用意するのでは食神は満足しない。
ならば、こちらならではの料理――と考えたとき、ふと思いついたのはこちらには魔術や魔法が当たり前にあるということだった。
そこで次の発想を生みだすきっかけとなったのが、エルトリアへの遠征中に知ることになった『ポーションは魔術儀式である』という事実、そしてつい最近の、妖精たちの謎の儀式が酒や調味料の熟成を促すという事実だった。
これらのことから、おれは『美味しい』と感じる効力を食材に付与する魔術儀式があってもよいのではないか、そう思いついたのだ。
そこでおれは聖別を行い、そして完成したのがHQ食材。
怪人になって逃げだしたのは予想外だったが、食材は想定通り食べれば『美味しい』と感じてしまう食材の形をした魔術儀式に仕上がり、リィからは師匠の禁呪に近いものがあると呆れられた。
もはやそのままの状態で『美味しい』と感じてしまう食材は焼く必要すら無かったが、まあ一応料理と言い張るために手を加えた。
「どうです、これまでにこんな料理はありましたか?」
「あってたまるか! こんな……、こんな料理を――食文化を全否定するようなものが!」
「それは酷い言いようではないですかね? ぼくとしては、これは食文化の行き着く形、その一つと思っているんですが」
言ってやると食神は苦々しい表情で少し考え、それから口を開く。
「確かにその可能性もあるだろう。だが、貴様にしかできない調理……、調理? と、とにかく、誰にも真似できないようでは、ただの突然変異、突発的に出現したゲテモノでしかなく、貴様の周りのごく狭い範囲にしか認知されない。それでも『文化』と言うか」
「なるほど。では広まれば良いと?」
「まさか……、貴様これを広められるのか! どうやって!」
「ぼくだけの力では無理です。しかし、ぼくには特殊な魔法陣を作ることのできる、心強い味方がいるのです」
「リーセリークォートか!」
食神がハッとしてリィを見やる。
するとそこにはいつの間にか土壁の代わりに料理の並ぶ土のテーブルが出現しており、リィは金銀赤と一緒になってもぐもぐしていた。
よく見れば食神ジュニアも混ざっている。
「ん? あれ、まずかったか? 神さんが凄い勢いで食べるのを見てたらなんか小腹が空いてきてさ」
「あ、いえ、どうぞごゆっくり」
まさかの立食パーティーには驚いたが……、まあいい。
「魔術儀式によって味覚を操作できることが証明された今、あとはそれを再現する魔法陣を用意するだけです。いずれ、載せれば何もかもが美味しく頂けるお皿が完成することでしょう」
それは有害でなければ何であろうと美味しくいただくことができてしまう奇跡のお皿である。
極端な話、そこらの雑草や土ですら美味しくいただけるのだ。
「完成してしまえばあとはそれを複製して広めればいい。重宝されるでしょうね。されないわけがない。人は美味しい料理を食べるためにさく労力がなくなり、より自由に、より豊かに暮らしていくことができるでしょう!」
なにしろ食神の舌も満足させる味を作りだせたのだ、人などひとたまりもないだろう。
「この皿はいずれは大陸中へと広まり、そこまでの影響を与えたとなれば導名も夢ではないかもしれませんね! 素晴らしい! 何もかもあなたのおかげです! あなたが来なければ、ぼくはこんなことを思いつくこともなかったでしょう! ありがとう、ありがとう、あなたのおかげで導名を得るための目処が立ちました。ぼくは食文化に革命をもたらし、そして終わらせ、人が初めて突入する料理から解放された新世界でその名を知らしめ、名を新たにするのです!」
「き、貴様は……悪魔か!?」
「悪魔? おやおや心外ですね。ぼくは貴方に満足してもらうため考えに考え『真心そのものでもって調理が完了する術』を見つけだしたというのに! 言わばあなたの試練に応えた信徒! あなたが関わってこなければ、よけいなご託を並べなければ人畜無害なお子さんとして、あなたにお帰り願っただけでしたのに!」
「ぬぅ……」
「さあ認めていただきましょうか、この魔導調味術は食文化を一気に発展させると! ――まあ、べつに認めていただかなくてもいいのですけどね!」
「こんなものが広まれば、食文化など存在しなくなってしまう」
「まあ一つの到達点ですからね、それも致し方のないことでしょう。ですが良いではありませんか、ぼくの、食神たるあなたへの真心によって食文化が終わりを迎えるというのなら、それもまた運命であったのですよ」
「私は認めぬぞ!」
「おっと、認めないわけにはいかないでしょう。あなたがぼくに会いに来たのがすべての始まり。気に入らないからと否定する? あなたが言ったようにぼくはやっただけなのに。これを否定するなら、あなたは神たる資格を放棄するようなものなのではありませんか?」
「貴様、言わせておけば……!」
食神が睨んでくるが知ったことではない。
「ぼくの真心が世界を席巻する。昔ながらの調理も生き残るでしょうが、衰退はまぬがれず、ゆくゆくは消滅するでしょう。今日は食の文化の終わり、その始まりの日なのですよ」
「貴様ぁ……」
食神はおれを睨みつけるばかりであったが、そこで立食パーティーに参加していた食神ジュニアがこっちに戻って来た。
「父上ー、あーんしてください。おいしいですよ」
「あ、ああ?」
無邪気なジュニアに「はい」とカラ揚げを差しだされ、食神は戸惑ったものの大人しく口を開けて食べさせてもらう。
「おいしかったですか?」
「ん、あ、ああ、美味しかったよ」
食神が答えると、ジュニアは嬉しそうににこにこ。
「――――ッ」
その笑顔を目にしたとき、どういうわけか険しかった食神の表情が抜け落ちた。
突然の閃きに頭の中が占拠され、それまでの思考や感情が完全に停止したようなその様子は我に返ったようにも見え、食神は微笑むジュニアにそっと、躊躇いがちに手を伸ばしてその頭を撫でた。
「えへへー」
撫でられたジュニアはますます笑顔になって、それにつられるように食神も微かに微笑む。
「もうひとつもらってきますね!」
ジュニアはそう言って再び皆のところへ。
それを見送り、食神はため息まじりに告げた。
「なるほど、これか……」
何か納得するものがあったらしいが、おれとしては何があったのか知る術もないわけで困惑するばかりだ。
逆にすっかり落ち着き、なんか悟りを開いたような穏やかな顔をする食神はおれを見て一つ頷く。
「見事だ。確かに貴様は私が満足する料理を用意した」
「は?」
えっと……、満足されることは想定してないんですが……。
おれはさらに困惑することになったが、食神はお構いなしに続ける。
「あの鳥の揚げ物だがな、ずっと昔――、この世界で最初に作ったのは私だ」
ほう……、ほう!?
「当時、鳥と油の組み合わせは冬場の保存食になる鳥の油煮くらいのもの、突飛な発想と言われたが、両親は美味しいと喜んでくれた。そこから私の料理人としての人生は始まったのだ」
「ちょい待て。あんた……元は人なのか?」
「人だ。お前がこちらで会った神も、まだ会っていない神も、元は人だ。それぞれの分野で偉業を為した、な」
「それは導名に関係することか?」
「さて、それはどうだろう」
「どうだろうって……」
「つい口が滑ったのだ。それに話すべきことは別にある」
興味を惹いておいて話題を変えるとか、こいつ、さては意趣返しか。
ぐぬぬ……、と睨んでやるが食神は涼しい顔だ。
「体に足りない要素を含んだ料理というものはな、特別美味しく感じるものだ。そして貴様は食材にひたすら『美味しい』と感じるよう馬鹿げた力を注ぎ込んだ。結果、過剰なまでの『美味しい』は因果を逆転させ、私の心に足りない要素へと働きかけるとそのまま具現化させてしまったのだ」
「それが……、あの子だって?」
「おそらく。そう、おそらく……。私は……、誰かに自分の料理を食べてもらい、美味しい、そう言ってもらいたかったのだろう。神だのなんだの関係なく、純粋に料理を楽しんでもらえる者に……」
そう言い、食神はおれの肩に手を置く。
「汝に祝福を授ける。その代わり、あの術は今日ここで破棄せよ。それ以外は好きにするがいい」
「それ以外って……、料理の作り方の紹介とかか?」
「ああ、あの術に比べれば大した問題ではないからな」
こいつ……、なんか急に悟りやがって調子が狂うな。
勝敗で言えばおれの勝ちなのだが、いまいちすっきりしない。
おれが釈然としない気分でいたところ、ジュニアがこちらへてけてけ戻って来た。
「父上ー、ふたつもらってきました!」
「おお、二つもか。一つはお前が食べなさい」
「はい」
右手のカラ揚げはジュニアがもぐもぐ、左手のカラ揚げは食神に差しだされ、その口におさまる。
「ふむ、そうだな」
それから食神はジュニアを連れて皆のところへ向かい、料理を詰めこんでもごもごしているミーネに言う。
「ミネヴィアよ、食べることは好きか?」
「ええ、すごく」
「料理はどうだ?」
「楽しいわ。自分で食べてもいいし、みんなは美味しいって喜んでくれるし」
「そうか」
頷き、食神はミーネの肩に手を置く。
「この子に料理を分けてくれたこと、それと詫びもかね、汝に加護を与えよう」
「あれ!? ……あ、ありがとう」
最初は邪険にされたこともあってか、急に態度が変わった食神にミーネは驚いたようだ。
「これからもそうありなさい。うっかり傲り高ぶると酷い目に遭うことになるぞ。君はとんでもないのと一緒にいるのだからな」
あん? おれのことかコラ。
「さて、私はこの子のことを良く知らなければならないため、そろそろお暇することにしよう。騒がせたな」
「おせわになりました。また、あそびにきてもいいですか?」
「ええ、歓迎するわ」
「ありがとうございます」
なんか勝手に遊びにくることが許可され、そして食神とジュニアは姿を消した。
「最後はまさかのおれ放置かよ……」
思わず呟いてしまったが、ともかく食神にまつわる出来事はこれで幕を閉じてくれるようだ。
△◆▽
食神とジュニアが帰ったあと、お片付けをメイドの皆に任せ、おれは仕事部屋へと引っ込んだ。
リクライニングチェアに腰掛けてひと休みしていたところ、シアがお茶を持ってきてくれる。
「あれ、なんかすっきりしない顔ですね」
「あの野郎をねちねちいたぶるはずだったんだが……」
「はあ。まあいーじゃないですか。祝福も貰えたことですし」
「貰うつもりは無かったんだがな。そういや今回が初めてじゃないか、まともに恩恵をもらったのは」
「まとも……?」
何言ってんだこいつ、みたいな目で見られた。
「いやほら、普通こういうのって何か神が試練をだしてきてさ、それをクリアして貰うもんだろ? 今回はまさにそれかなと」
「…………」
シアは何か言いたげだったが、それをぐっと呑み込んだようで、言おうとしていたこととは明らかに違うことを言う。
「わー、さーすがはご主人さまでーすネー」
シアの心ない棒読みがおれの心を傷つけた。
そんなシアに苛められていたところ、そっとドアが開いてミーネがひょこっと顔を出した。
「ん? どした?」
「大したことじゃないの。あの……、ありがと」
「なんで礼……? べつに今回のことはおまえのためにやったわけじゃねえし」
するとミーネはきょとんとしたが、にこっとして顔を引っこめ、それからドアが閉まる。
何故笑う……。
困惑しているとシアが言った。
「ミーネさん、ご主人さまが計画のことを喋ってるとき廊下にいましたよ?」
「は!? ちょ、なんで教えてくんなかったの!?」
「意味ないじゃないですか。わたしが一旦部屋から出たときはもうご主人さまはきれいさっぱり喋った後でしたけど? まあいいじゃないですか、おかげでミーネさんすぐ元気になってましたし」
「そ……、ってかおかしくね? あいつしょんぼりしてたし、普通はどっかで大人しくしてるもんだろう?」
「いやそこはまあミーネさんですし」
うん、まあそうね。
そうなんだけどね。




