第486話 閑話…腹が減るたび思い出せ
王都郊外にある冒険者訓練校はその名の通り冒険者を目指す子供たちの学舎である。
ここで学ぶ――あるいは叩き込まれることは、冒険者として活動するに必要な知識や技能、その基礎であり、故にどれも軽視することはできないが、その中でも特に重要視されるのは体力作りである。
冒険者は体が資本。
基礎体力がなければ学んだ知識も技能も発揮することはできないからだ。
訓練校の生徒は大人の入口に立ったばかりの子供。
この時期にしっかりと訓練を行うことは、これから出来上がっていく体をより逞しく頑丈なものにするのである。
そして当然のことながら、育ち盛りの子供たちがよく体を動かしたとなればお腹はぺこぺこになるもの。
美味しい料理をお腹いっぱい、といきたいところだろうが、ほとんどの訓練生たちは量を重視した、あまり美味しくない学食の料理で腹を満たすことになる。
そんな学舎たる訓練校の訓練場では、現在ロークが訓練生たちに指導を行っていた。
最初こそ鬼教官――訓練内容が厳しすぎると生徒に恐れられていたロークだが、訓練の成果を実感できるようになったところで評価は変わり、自分たちをちゃんと鍛えてくれる鬼教官として恐れられつつも慕われるようになっていた。
「よし、少し休憩だな」
そう言ったロークの前には生徒たちが死屍累々といった感じで地面に転がり、うめき声すら上げず体力回復に努めている。
いつもと変わりない訓練風景であった。
その瞬間までは。
ザンッ――と。
「ん?」
何かが飛来したような音にロークは素早くふり返る。
するとそこには怪しい人影。
着地の衝撃を吸収すべく屈んだ体勢だったが、やがてゆっくりと立ち上がったそれ。
体は逞しく、そして銀色であり、頭は魚だ。
『…………』
突然の怪人。
地面に転がる訓練生たちも首だけ起こして姿を確認したが、だからといって特別な反応をすることはできず、ただ困惑してぽかんとするばかりだ。
瞬間的に身構えたロークだったが、姿は珍妙であれど敵意が感じられないこと、そして、何よりその頭部の魚に物凄く見覚えがあるという理由から警戒を解いた。
「息子よ……、お前はいったいどこに向かっているんだ……」
訓練校では教員や訓練生がよく彼の息子のことを話題にするのだが、それは華々しい活躍についてがほとんどを占め、こういった珍事を引き起こすことについては誰も触れてこない。
いや、そもそも知られていないのだろう。
息子の変なところを知るのは、おそらくマグリフ校長、それからちょっと関わったことのある同僚のラウスくらいだ。
息子には自分のような人生を歩んで欲しくないと願っていたロークだが、最近ちょっと悩むようになった。
いくら『偉人は変わり者が多い』という言葉が便利だとしても、限度というものはやはりある。
ロークは思う。
あの魚頭、きっと息子が活きを良くしようと――そもそも死んでいるのだが――祈りを込めすぎたことで本当に活きが良くなってしまった代物なのではないか?
それは適当な思いつきであったが実に的を射ており、ある意味で彼が『息子のことをよく理解している父親』であることの証明とも言えた。
まあ息子関係ならば害はないだろう。
そんな判断でロークは怪人に近づいたのだが――
「Do you like fish?(魚は好きかな?)」
ふと話しかけられた。
だが、ロークには怪人が何を言っているのかわからない。
「なんだって? 魔導言語か……? すまんが俺はうとくてな」
「Eating fish is good for your health...(魚は体に良いんだよ……)」
「こりゃ爺さん呼んできた方がいいか?」
自分の息子が関係していること、そして攻撃ではなくまず対話をしようとしてきたことにロークはつい油断した。
瞬間、怪人がガッとロークの首を掴む。
「んぐっ!?」
「Have you ever eaten raw fish?(魚を生で食べたことはあるかな?)」
魚頭は逆の手で自分の顔を毟り、ロークの口に押しつける。
毟られた部分は光だし、すぐに傷一つなく修復された。
「Chew it well.(よく噛んでね)」
「むごごご……!?」
理解できない存在が起こした理解できない行動――。
訓練生たちがただ見守るしかないなか、ロークは怪人の顔を食べさせられることになった。
すぐにロークはガクガクと震えだし、怪人が首から手を離すと地面に崩れ落ちてしまう。
『せんせぇぇ――――い!』
訓練生たちが悲痛な声をあげて呼びかけたところ、やがてロークがゆっくりと立ち上がる。
無事だったか、とこの場にいた訓練生たち、さらに訓練場の異変に気づき校舎の窓から見守っていた者らも安堵したのだが――
「魚……、さかなぁぁ! みんな、魚を食べるんだ! 魚を食べない子は強く大きくなれないぞ!」
ほっとした訓練生たちの表情が凍りつく。
ローク先生はすっかりあの怪人に洗脳されてしまった!
見守っていた訓練生の誰もが戦慄するなか、そこで他の教員が訓練用ではない実戦用の武器を手に訓練場へと現れた。
その先頭にいたのは冒険者を引退後、マグリフ校長に誘われて教員となったラウスであったが――
「おいぃ、正気を失ったロークとかカンベンしろよぉ!」
ロークの有様にいきなり意気を挫かれる。
今では完全に息子の影に隠れてしまったが、年代的にラウスくらいまでの冒険者ならばロークの不吉な異名を知っており、恐怖の対象となっている。
一流とはまた別の、伝説的な冒険者。
ラウスはまだ冒険者から足を洗って短いということもあり、伝説がここに居るとなれば興味も湧いてちょくちょく模擬戦を申し込んだりするのだが未だに勝てたことはない。
なんとなく行けそうな気はするのだが、どういうわけか勝てない。
こちらの攻撃――やることなすこと、ことごとく芯を外されると言うか、とにかくうまく行かず、それでいてロークの方はちょっとした隙にそれを狙っていたかのように当ててくる。
聞いてみても「あらかじめ捻っておいた」と、よくわからないことを言うばかりだ。
一対一では相手にならないため、他の教員も誘ってローク対教員チームでやったこともあったが、結果は同じだった。
こちらより少し動きが早い、こちらがちょっと攻撃しにくい位置に居る――、ちゃんとそこに居ると捕捉しているにもかかわらず、いざ何かしらの攻撃を加えようとするとそれが上手く行かない。
そう、上手く行かないのだ。
この『上手く行かない』という要素が、冒険者ランクC止まりだった自分と、Bまでいったロークの差なのだろうかとラウスは考える。
そんなただでさえ敵わないロークが錯乱状態とくれば、ラウスを始め教員たちの気は重くなるのも仕方のないことであった。
おまけにロークをあんなことにしてしまった、魚の頭をした変な奴もいるとくる。
駆けつけてはみたが、誰も彼も表情が暗い。
どうするか、とラウスが考えていた、その時。
ドカーンッと。
ロークが爆発した。
「ロォォォ――――クッ!」
突然の事態に度肝を抜かれてラウスは叫んだ。
すると――
「待たせたのう」
と、現れたのはマグリフ校長。
あの爆発は校長の魔法攻撃だったのである。
「ちょちょちょ、こ、殺すこたねえだろ!?」
「ふぉ? 殺してなどおらんぞ? いや、あれくらいでは死なんよ。ほれ見い」
普通なら死ぬ、もしくは重傷と思われる魔法攻撃であったが、煙がはれて現れたロークは服がズタズタで頭はぼさぼさ、顔も黒っぽく煤けていたがぴんぴんして「さかなさかな」と言っていた。
「なんで生きてんだ!?」
「丈夫じゃのー。気絶くらいはすると思ったんじゃが」
「いや丈夫とかそういう問題じゃねえだろうよ。どうなってんだ」
「心が傷つくことを拒否しとるんじゃよ」
「そんなもんで魔法をどうにかできねえだろ!?」
「程度……、規模、いや、次元の問題じゃな。色々と大変な人生を歩んできた奴じゃから、その意志が狂気的なまでに強いんじゃよ。そしてその意志に魔力が応じての、簡単に言えば常に魔法に抵抗する魔技を使い続けておるようなもんじゃ」
「変態かよ……」
「変態じゃな。まあもちろん耐えられる限度はあるからの、結局は『死ににくい』という話になるんじゃが……、やりにくいのう」
ふぅ、とため息を一つ。
それからマグリフは短い詠唱の後、先ほどと同じ魔法を使ったのだが、魔法がまさに発動するその瞬間、ロークはその愉快な感じになってしまった姿とは裏腹に素早くマグリフに向けて跳躍した。
と、そこで爆発があり、結果、爆風を背に受け加速したロークが凄い勢いでマグリフに襲いかかることになった。
しかしマグリフはそれを読んでいたように次の魔法を使う。
「ワールウィンド!」
半月型の巨大な風の刃がロークに襲いかかる。
が、ロークは両手でその刃を受け、その衝突によって生まれた力を利用して前転するように刃を飛びこえてきた。
「どんな変態じゃ! ――まあいいわい!」
そこでマグリフは得意の土魔法――アース・クリエイトを使用し、風の刃をやり過ごしたことで勢いが弱まったロークの着地地点に大きく、そしてとても深い穴を拵えた。
「さぁかなぁぁぁぁぁ――ッ!」
跳んだ状態では対処のしようがなく、ロークは叫びながら穴へと落ちていった。
「おぬしらはロークを頼むぞ。儂はあの魚の相手をする」
言われてラウスたちが穴の縁まで向かうと、すでにロークは壁のわずかな凹凸に指をかけ、穴から這い出そうとしていた。
「まずい、このままじゃ脱出される! 何かぶつけるんだ!」
ラウスの案に教員たちはひとまず自分の靴をローク目掛けてぼこぼこ投げつけ始めた。
「落ちろー!」
「登ってくんなー!」
「さ、さかなぁぁぁ――!?」
「よし落ちた! あ、まだ諦めてないぞ! 誰かもっと投げる物を持ってきてくれ!」
と、ラウスたち教員が奮闘する一方、マグリフはこの騒動の元凶たる怪人と対峙していた。
「Would you like a taste? (食べてみるかい?)」
「No! Raw fish is not to my taste!(いらん! 生魚は口にあわん!)」
ロークと違ってこいつなら倒してしまってもよかろうと、マグリフは火の魔法――フレイム・ランスを手加減無しで叩き込んだ。
が――
「無傷じゃと!?」
炎の槍をその身に受けた怪人だが、まったくダメージを受けていないようだ。
「この程度では効果なしか、まいったの。これはひとまず周囲に被害が出んよう壁で囲うことから始めるか……」
そうマグリフが考えた、その時。
「お待ちなさい!」
訓練場に響き渡る可憐な声。
どこから、と声の出所を探すと、それは校舎の屋根の上であった。
そこには仮面を着けた少女が一人。
お嬢ちゃんは今日も元気じゃのう、とマグリフは思った。
「食事とはお腹を満たすだけではなく、同時に心も満たすもの。お腹も心も満たされた状態――、人、それを至福と言う」
「Who are you!(誰だ!)」
「食卓よりの使者――レディオーク! とう!」
レディオークは跳躍、そして訓練場へと着地。
そこで校舎から様子を眺めていた訓練生たちが湧いた。
歓声を受けながらレディオークは剣を抜き放つと、すぐさま怪人へと果敢に斬りかかっていく。
しかし怪人、躱す、躱す、躱してそこからの連続バック転で距離を取る。
「あなた凄い動きするわね!?」
想像以上に良い動きをする怪人にレディオークは純粋に驚いた。
考えてみれば、離れた建物の屋根まで跳躍できる身体能力を持つ相手だ。
これは気を引き締めなければ、と考えたそのとき、レディオークを背後から羽交い締めにする者がいた。
それは酷いことされながらも穴から這いだし、ラウスたちを蹴散らして怪人を守るべく邪魔をしにきたロークだった。
「ちょ、おじさま!?」
単純な力比べとなるとレディオークは分が悪い。
その隙に怪人が悠然と迫って来る。
「ちょちょちょぅ! 待った待った! ちょっとー!」
咄嗟に魔弾を怪人に叩き込むが、どれも効果が無い。
こうなったらロークの方をぶっとばし、あとで謝ろうかと考えていたところ――
「情けないぞ、レディオーク!」
またしても校舎の屋根から声が響いた。
そこに居たのは猛々しいオークの被り物をした偉丈夫。
いい歳してようやるわ、とマグリフ校長は思った。
「Who the hell are you!(何奴!)」
「我こそはエルダーオーク! 精霊の導きにより、老骨に鞭打ちここに見参! とう!」
エルダーオークはロークの背後に降り立つと、力まかせにレディオークから引っぺがした。
「レディオーク、おぬしはそっちの男の相手をしておれ。あ奴は儂が討つ!」
「わかったわ!」
頷き、レディオークは起きあがるロークを睨む。
「ちょっとおじさま! 混乱してるからって今のはあんまりだと思うの!」
ちょっと腹が立っていたレディオークは魔弾を放ったが、ロークはこれを回避。
そこでレディオークは剣を収め、そこそこものになってきた魔弾の連撃でもって仕留めようとするがロークはこれも華麗に回避した。
「普通に凄い!?」
同一の魔弾であれば片手で最速一秒に三連発できる。
今のレディオークはこれを両手同時にも、交互にも放てるのだ。
リセリーにも褒められてかなり自信を持っていたレディオークだったが、ロークのせいでそれがちょっと揺らいだ。
「ささ、魚は美味しいのにぃぃ――ッ!」
「それは知ってる!」
しかしそれでも牽制にはなっているため、レディオークは引き続き魔弾を使い、エルダーオークが魚を仕留めるまでロークの足止めを続けることにした。
エルダーオークが出張ってきたとなれば決着はすぐ、一瞬だ。
そのレディオークの読み通り、相対したエルダーオークと怪人はすぐさま同時に飛びだした。
「Eat my face!(我が顔を食べよ!)」
「破邪ッ!」
すれ違う両者。
そして宙を舞った物、それは魚――怪人の首であった。
受けとめる者が居なかったため、魚は地面にぼてんと落下。
金色の光を放つ魚は美味しそうには見えないが神々しくはあった。
「ハッ――、お、俺はいったいなに――ってなんか体が痛いよ!?」
「おじさま、正気に戻ったのね!」
怪人が倒されたところでロークが正気に戻る。
エルダーオークは一つ頷き、それから離れたところ、そして校舎の窓に集まって戦いを見守っていた訓練生たちに剣を掲げて見せた。
危機は去った。
そう理解した訓練生たちは再び湧き、エルダーオーク、レディオークと叫んでは手を振った。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/26
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/31
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/08
※単語の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/05/03




