第475話 13歳(春)…獅子の捕獲
屋敷に帰還したことでようやく日常が戻ったのだが――
「あー、そういやシャロ様の像はもうなかったかー……」
翌日の早朝――。
目が覚め、さて日課のお参りを、と考えたところでシャロ様像が異国の地で塵になってしまっていたことを思い出す。
もともとは想定外に貰ってしまった像。
最初こそ戸惑っていたが、シャロ様がいつも見守ってくれているという状態は思いのほか安心感を与えてくれ、気づけばあの像はおれの日常を構成する大切な物の一つになっていた。
それを今更ながらに思うが、無いものは無いし、新たに像を用意するのはなんか違うような気がする。まあ用意するにしても一朝一夕というのは無理な話なわけで、ひとまず以前と同じように王都の正門広場にある新しいシャロ様像へお参りに行くことにした。
これに同行するのはアレサと犬。
「こうしてお祈りに向かうのはひさしぶりですね」
「わおわおーん、わおーん」
アレサはにこにこ、犬ははしゃぎ荒ぶる。
涅槃仏シャロ様が無くなって楽はできなくなったものの、こうして道すがら、アレサとたわいもないお喋りをしながら朝の散歩ができる状況は思いのほか心が安らぐので悪いばかりではない。
ただ――
「わん! へっへっへ、わおわおーん、わん! わふ? わん!」
ついてきたバスカーが騒がしすぎる。
何がそんなに嬉しいのか、楽しいのか、バスカーがあっちこっちにちょこまか走って行き、戻ればウィリーして前足をジタバタ、そしてまた走って行くという行動を忙しなく繰り返していた。
「落ち着け、もう少し落ち着け」
「ふふ、猊下とお出かけできるのがよほど嬉しいのでしょう」
「ちょっと散歩するだけなのに……」
「きっとその『ちょっと』が肝心なことなのですよ」
そういうものなのかな、と思っていたら前方にいたバスカーが「わん!」と肯定するように吠えた。
尻尾は相変わらずぶるんぶるんしている。
発電とかに使えないかなあれ。
△◆▽
それからおれたちは広場のシャロ様像にお参りをしたのだが、そこで販売されているミニチュアなシャロ様像にニューモデル――涅槃仏タイプがあるのを見つけて驚いた。
これは……、いいのだろうか?
まあ有り難いシャロ様の像であることには違いないから……、いいのかな?
お参りから戻って朝食をとり、それからおれは屋敷内をうろうろして家族やメイド、妖精やぬいぐるみと雑談をして午前中を過ごした。
のどかである。
もう二、三日はゆっくり体を休めることに専念するつもりなので仕事はしない。
今回同行してくれた面々にも、三日くらいは好き勝手にのんびり休んでくれと伝えてある。
昼食をとったあと、おれはミーネにせがまれてムーンウォーク――正確にはバックスライドのレッスンをすることになった。
「あーもー! できないー!」
「ふとした瞬間にできれば、あとはそれを再現しようとすればいいんだけどなー」
うまくいかず「ムキャー」と憤慨するミーネを適当になだめながらレッスンを続ける。
なんだかんだで習得するんだろうなー、と思っていると、おれとミーネが遊んでいると思ったのか――、いや、遊んでるなこれ。とにかく仲間にいれてとセレスがやってきてこれに参加。
よたよた後退するセレスの背後にでっかくなったピヨが控えているのは――
「あ、あぅ!」
「ぴよよ!」
と、転倒したセレスを受けとめるクッションとしてである。
おれたちは夕方になるまでレッスンを続けた。
それはとてものどかで心安まる時間だったのだが――
「ご主人さまー、どうかしたんですかー?」
夕食後、仕事部屋に引っ込んだおれのところにシアが来る。
おれの様子がおかしいことを気づいたのか、誰かから伝えられたのかはわからない。
「……ちょっと、な」
「わたしにも言えないことなんです?」
シアには……、まあ言っても平気なのだが……。
「頭がおかしくなったと思われかねないからな……」
「いやそこは問題ないですよ。まあ話してみてください」
ちょっとどういう意味かわからないですね。
まあいい。
「実は……、ムーンウォークのレッスンをしているときにな、気づいたんだよ。お、おれの視界にな」
「視界に?」
「なんかムキムキしたのがいたんだよ……!」
始めは飛蚊症のような目の病気かと思った。
だが、飛蚊症が視界の中に常にある影なのに対し、筋肉はこの屋敷の塀に立っていたのだ。
こうなると病気なのは目ではなく、脳か、もしくは心か。
ここのところアレサによく診断してもらって身体に異常がないことは判明しているので、可能性として高いのは心である。
今回、あまりに深く筋肉と関わりすぎたことで、おれの心が病んでしまったのだろう。
居もしないものが見えてしまうという恐怖。
シューベルトの『魔王』に登場する、熱にうかされたお子さんの気持ちがよくわかる。
「シア、おまえには見えないだろう、でもおれには見えたんだ。逞しい肉体を見せつけるように半裸で腕組みして、笑顔を浮かべこちらを見つめている筋肉が!」
「ええ、居ますね。今も居ます。来たのは昼前あたりでしたね。倶楽部から派遣されてきたご主人さま付の御用聞きらしいです」
「ホントにいたのかよ!?」
なんだよチクショウ、すげえびびってたんだぞ。
「ってか倶楽部のってどういうことだ! どうしてここに来られるんだよ!」
「なんか聖都側と話し合いをして、特別に精霊門の使用許可をもらったらしいです。ほら、ご主人さま関係となると聖都は甘いですし」
「なんてこったい!」
屋敷に戻ったのに、心が……、心が安まらない!
「シアさん、ちょっとお願いなんですけど、その筋肉追っ払ってきてもらえません? あれあれ、モーツアルトの『魔笛』に登場する夜の女王の威嚇みたいな感じで」
「あ、あのですね……、ご主人さまの言うのが私の知っている『魔笛』としてですよ、あちらの屈指の天才が生みだした最後のオペラを威嚇の一言で片付けてしまうその感性はどうかと思います」
え、だって威嚇じゃん、あれ。
「まあご主人さまの感性はおいといて、あの人は心からご主人さまの役にたとうと思って来た人です。本当に追い払っていいんですか?」
「善意なのがやっかいだなホント……」
筋肉は恐い。
まだ恐いが……、おれとて鬼ではない。
ひとまず話を聞くことにして……、いや、まずは服を着てもらうところから始めるか。
△◆▽
御用聞きの闘士はずっと塀の上にいて、おれが必要とするその時まで立ち続けるつもりでいたらしいが、あんなのがいたらご近所さんにますます変な目でみられてしまうため、このエイリシェでも適度に倶楽部の布教をするように指示をして追い払うことにした。
こうなると倶楽部の拠点となる場所が必要なため、道場に使えるような建物をサリス経由でダリスに伝え、探してもらうことに。
拠点が見つかるまで闘士はエルトリア大使館で世話になるようだ。
それからは何事もなく、おれはのんびりと数日過ごし、そろそろ体調も万全となってきたのでお仕事を再開した。
二ヶ月ほど前までは机に齧り付いての仕事など放り投げてしまいたくなっていたが、今となっては静かに作業に取り組むことができる状況を心から歓迎している自分がいる。
仕事部屋で頑張っていると、やがて休憩の時間となり、リオとアエリスがお茶とお菓子を運んできてくれた。
おれは仕事を中断し、リオとアエリスも一緒にひと休みする。
今回の騒動を終えて、アエリスはそう変わらないが、リオの方はのほほん具合が進行していた。
「肩の重荷が下りましたー」
「いえ下ろしてどうするんですか。貴方はこれからでしょう」
「えー、女王とか面倒……」
リオの言い分はこうである。
――やるしかなかったからやった。
――丸く収まった後のことは考えていなかった。
なんだかとても親近感が湧き、生暖かい目で眺めているとリオはちょっと上目遣いにこちらを見て言う。
「ご主人様、ご主人様、国とかに興味あったりしません?」
と、その瞬間だ。
廊下と寝室に通じるドアがバーンッと同時に開き、メイドたちが部屋に踏みこんでくる。
「まずいっ」
慌てるリオをメイドたちは捕縛、そしてそのままどこかへ連行しようとする。
まるで秘密警察が踏みこんできたみたいだ。
「アーちゃん助けてー!」
「次期獅子王が何を。そこはガッと」
「ここだと私じゃ子猫ちゃんくらいなのにー!」
リオはアエリスに助けを求めたが、その親友は我関せずと静かにお茶を嗜むばかりで動こうとはしなかった。
「誤解誤解、誤解ですからみなさん落ち着きましょう! あんまり乱暴なのはよくないですよ! 私、エルトリアの姫ですから!」
「あたしはベルガミアの姫だぜ」
「あーんもう強いここの人たちぃー!」
リオはなんとか連れ去られまいと抵抗していたが、多勢に無勢、取り囲まれるようにして部屋から何処かへと連行されていった。
こうして残るはおれとアエリスのみに。
「いいのあれ……?」
「はい。未来の女王だからこそ、ああいった友人とのふれあいは貴重なのです」
すまし顔でアエリスは言い、それからおれを見る。
「それで、どうですか、リオの夫などは?」
「王配とかおれじゃとても無理だよ」
「いいんですよ、それで。エルトリアはそういう国ですし。もしも御主人様にその気があれば、心より歓迎しますので」
そう言うアエリスはちょっとイタズラっぽい微笑みをしていた。
※誤字脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/02/18




