第472話 13歳(春)…獅子と猪
カロランの死、そして人質となっていた国王を始めとする王族、さらに有力貴族たちの解放が広く告知され、ようやく国が正常化するとエルトリアの人々は大いに湧いたが、一方、おれの方はダウンして寝たきりの生活を強いられることになった。
オークのお面から解放されて以降、体にさっぱり力が入らず、日常生活も苦労するようになってしまったのである。
「はい猊下、あーんしてください」
「あーん」
「美味しいですか?」
「うん、おいしいよ!」
エルトリアの王宮の一室。
養生中のおれはベッドで上半身を起こし、でっかくなったバスカーとその上に乗る、同じくでっかくなったピスカを背もたれにしていた。
そんなおれの介護をしてくれるのはアレサである。
「危機を免れたのはあの仮面のおかげというのもありますが、しかしだからと言って助けを求める猊下をお救いできなかった事実を無かったことには出来ません。せめてもの償いに、身の回りのお世話をさせてください。……いえ、一人で大丈夫ですよ。はい、なので皆さんはどうぞ王都の観光を楽しんでください。……いえいえ、本当に大丈夫です。大丈夫ですから皆さんは観光を……。あの……。……。私、大丈夫、と言っていますよね……?」
こんな感じで介護を買って出てくれたのだが、あのお面についてはアレサが責任を感じる必要はないので、償いとしてではなく、改めておれからお願いして面倒をみてもらっているのである。
そして現在、アレサは食事の手伝いをしてくれていた。
あんまり食欲は無いが、それでも少しは、と野菜をよく煮込んだスープを一杯。
アレサがスプーンで口元に運んでくれるので、おれは機械的に口を開けてスープを口に含み、飲みこむという動作を繰り返す。
今のおれは無心であった。
現状について深く考えると気が狂いそうになるからである。
お面がそうしたのか、エルトリアの人々はおれがフォーウォーンの依代となったと信じきっているが、まあそれは幸いとしても跳んだり跳ねたり大活躍したのはばっちり認知されている。
つらい。
これだけでも充分な心労である。
が、さらにおれの精神をごりごりゴキゲンに削ってくる問題がある。
それはお面が野放しになっていたという事実だ。
今回の騒動、場合によってはエルトリアに留まらず、もっと広い範囲――大陸全土にまで及ぶ可能性を秘めていた。このことをよく考えておいた方がいいと思うのだが、この解決できない問題に悩んでいるとまたオークのお面が「力が欲しいか」とか言って現れそうな気がして恐くて仕方ない。
仮眠するとだいたい夢に出てくるため、うなされてアレサに起こされるまでがセットになっている。
もうもたない――、そう自分で感じ、おれは考えることをやめた。
無心なのでなすがままである。
恥ずかしいとか、そういう一般的な感情も無い。
せめてオークのお面が出現したら逃げられるくらい回復するまでおれは無心のままでいることにしたのだが……、つい、意識が戻ってこんなふうに考え事をしてしまう。
いかんいかん、心を無にせねば……。
「はい、猊下、あーん」
「あーん」
無心なんだけど……。
こんな姿はクロアやセレスには見られたくないな……。
△◆▽
三日間アレサの手厚い介護を受けていたが、四日目になった頃には日常生活くらいなら自力で行えるようになった。とはいえ跳んだり跳ねたりはできず、おそらく力比べはセレスにも負けるだろう。
そんな状態なので散歩も一人では許されず、必ずアレサが同行し、おれはでっかくなったバスカーの背に乗り、姿勢制御のためでっかいピスカを抱えるようにもたれかかって王宮をうろうろすることになる。
「バスカー、いいか、お面が出てきたら走って逃げるんだぞ? おれが振り落とされない程度でな」
「わん!」
まだ一人では逃げ切れない状態だが、そこはバスカーにお願いすることにした。
「そしてピスカ、おまえは攻撃だ。そのクチバシで突っついてあの忌まわしいお面を真っ二つにしてやれ」
「ぴよー!」
うむ、良い返事だ、頼もしい。
おれは介護されながらおっかなびっくりで過ごしているが、王宮で待機となっている皆は観光だったりお仕事だったり普通に活動しており、部屋で暇しているおれに色々と報告をしてくれる。
現在、王都は帰還したリオレオーラ王女の話でもちきりらしい。それからフォーウォーンの人気がうなぎ上りで、これを受けて王宮では国章を『獅子』から『獅子と猪』のセットにしようとか、新たに猪霊騎士団を設立してはどうかなど話し合われているとかなんとか。
そしてそんなフォーウォーンのついでに、その力を授かり戦ったおれの話もされているとのこと。
この話がザナーサリーへと伝わると、オーク仮面とフォーウォーンの関係性などが考察されるかもしれないが、まあそこは知らぬ存ぜぬで通すことにしよう。そうしよう。
「あ、おーい」
犬任せにうろうろしていたところ、現在精霊門の復旧作業をしているリィがおれを見つけて声をかけてきた。
カロランの魔導袋が消滅したことで吐き出された様々な物のなかに世界樹計画に関係する資料が無かったのは残念だったが、精霊門の稼働に必要な部品があったのでリィはすぐに復旧作業に入ったのだ。
「ちょうどよかった。たぶん明日で門は復旧するんだけど、お前どうする? ここの王様はお前の回復を待って表彰式をしたいみたいだけど、お前が無理ってんなら先に帰ってもいいと思うぞ? 自分の家の方がゆっくり休めるだろ?」
「それは確かにその通りなんですけどねー……」
確かに養生するなら屋敷の方がいい。
リィはおれの不調をかなり心配してくれており、原因についてもあれこれと考えてくれた。
有力なのは『簒奪のバックル』による、神々の恩恵の使いすぎ。
今回、運良くもらえた錬金の神の祝福と、トラウマと共に叩き込まれた闘神の祝福、この二つが増えたことによって『簒奪のバックル』を使っての『自滅耐性』の効果時間はかなり増えた。
この『自滅耐性』とは便宜的に考えた言葉で、神々の祝福、その力を『簒奪のバックル』でもって自身の保護にガン振りして『死神の鎌』の力を使った際、おっ死んでしまうのを防ぐことを指す。
ただ、効果時間は増えたが、自分の中身を無理矢理いじるようなことを続けるのが良いはずもなく、その後遺症として貧弱化しているのではないかというのがリィの見解だ。
アレサの診断によると肉体的におかしなところは無いらしく、ならば影響しているのは魔力とか霊体とか魂とかそっちの方だろう。
日を追うごとに回復していることから、おそらく『簒奪のバックル』による身体の変化が収まるに比例して――、要はクールタイムが明けたら体調も回復するだろうという話になっていた。
「表彰式とかサボれるならサボりたいですけど……、でもリオやアエリスの手前、そういうわけにもいきませんよ。それに今の状態で帰るとクロアとセレスが心配しますから、もう少し元気になってから戻ろうと思います」
「わかった。じゃあそれでいいな」
おや、リィが妙に心配してくれるので、帰るように説得してくるかと思ったらそうでもなかった。
「ん? どうした?」
「あ、いえ、リィさんは帰れっていうかと思ったので……」
「そりゃ帰った方がいいよ、でもお前は残るつもりなんだろ? ならそれでいいさ。うん、あとあれだ、こっちに出発する前にお前にあれこれ言ったけどさ、あれは忘れてくれ。お前はもうお前の好きなようにやれば勝手に結果がついてくるようだからさ、年寄りが横からうだうだ言うべきじゃないんだよな、うん」
あれ、リィさんが変な風に悟り始めてる。
「いや、そんなことはないですって。リィさんにはこれからもぼくの問題点とかですね、何かおかしかったら指摘してほしいんですよ」
「でかい犬の精霊に乗っかって、でかいヒヨコの精霊抱えている時点でもうすでに色々とおかしいんだけどな?」
くっ、何も言えねえ……!
「そんな悲壮な顔すんなよ。べつにお前を見捨てようとかそんな話じゃないから。まああれだ、ちょっと自惚れていたのがわかって立ち位置を変えたって話だ。いざとなったら私がなんとか、なんて考えていたんだが、結局はお前に協力するので精一杯だったからな」
「もう疲れたから森に帰るとかそういうのじゃないんですね?」
「帰らねえって……。これからも協力できることがあれば力を貸すよ。要は方針を決めるのはお前で、私はその支援ってことだ。状態としては師匠と一緒だった頃と同じになるかな……? まあお前の場合はやり方が師匠とあんまりにも違いすぎて戸惑ってばかりだったが、それでもちゃんと結果は出したし、これまでもそうだったんだろ?」
「ま、まあ色々と……、でも今回はそのなかでもかなりアレです」
「いいじゃねえか、予想外の事態だろうが、それがさらに暴走状態になろうが、それでも丸く収められるならそれもまたお前の持ち味だ」
「そんな持ち味は嫌なんですが!?」
「そこは諦めろ。私は諦めた」
そう言うリィの笑顔は清々しいものだ。
長い森暮らしを終えたところに、特別濃ゆい状況に放り込まれた結果、リィの精神は変な成長をしてしまったのか……。
なんかすいません……。
△◆▽
エルトリアの解放から五日目、精霊門が再稼働した。
そこでひとまず誰かに屋敷へ行ってもらい、こちらの無事と簡単な報告をしてもらうことにする。
これはおれが『簒奪のバックル』のクールタイム中であるため精霊便が使えず、屋敷との連絡が途絶えていたからだ。
犬にヒヨコ、そして大量の精霊とシャーロット像が消失したとなれば、こちらがただ事ではない状況になっているのは明らか、きっと心配していると思う。
ただ、エルトリア解放のその夜、精霊たちが天の川みたいになって夜空を西へ西へと飛んでいったらしいので、もしかしたら今頃屋敷に到着しており、なんとかなった、と判断されているかもしれない。
「だいぶ動けるようになったし、おまえらには先に帰ってもらうか」
「わふ?」
「ぴよよー」
そして誰に屋敷へ帰ってもらうかだが、これは消去法でティゼリアとデヴァスの二名になった。
「では、我々はそこに便乗させてもらうとしよう」
そう言いだしたのはエドベッカ。
ここ数日、おれに何か言いたそうにしていたが、結局は言わずにストレイを連れてエイリシェへ戻ることにしたようだ。
まあ重要なことならすぐに言うだろうし、黙ったまま行くならきっとそこまでのことではないのだろう。
「大闘士殿――、いえ、レイヴァース卿、貴方に会うことができてよかった」
ストレイはまず魔道具ギルドへ連行され、その後に処遇が決まるようだ。どのような処遇になるかわからないが、ストレイはまず犠牲となった子らの親元へ出向くつもりでいるようで、そこから始めるつもりならば、ここはおれが余計な口出しをすべきではないだろう。
「じゃ、行ってくるわね。たぶん夕方前には戻るから」
そう言い残し、ティゼリアは三人と二匹を連れ、まだ朝の内に精霊門をくぐってエイリシェ側へと行った。
そしてついて行かなかった面々であるが、アレサはおれのお守り、リィは念のため精霊門の稼働状況のチェックがある。
金と銀と猫娘は王都ヴィヨルドとその周辺を観光しているだけだが、まあよく頑張ってくれたし、特にシアは無事だったアプラを回収し、念入りに洗ってようやく元気になったところ、もうしばらく好きかってさせておくことにする。
ちなみにリビラの獣剣は普通に回収された。さすがに頑丈だった。
パイシェは倶楽部の関係で今ちょっと忙しい。
というのも、筋肉たちはお面がひどいことしたせいで全員もれなく地獄の筋肉痛になって養生中。ミーネが郊外に用意した大型の収容所で筋肉痛に耐える日々である。
残念ながら『悪漢殺し』は品切れなので耐えるしかない。
闘士長であるパイシェはそいつらの面倒を見る人たちの管理、食料の手配など、責任者として頑張ってくれている。
そして残る二人――リオとアエリスは屋敷に戻るわけにはいかない。
とはいえそれは、まだ、という話。
二人はこのまま国に残るかな、と思ったが、メイドのテスターとしての仕事が終わるまではエイリシェに居るつもりらしい。ならば終わり次第帰還かと思えば、もうしばらくは見聞を広めるという名目で国には戻らないようだ。
いいのだろうか、とおれは尋ねたところ――
「よくはないのですが、王宮には王宮なりの思惑があるのです。獅子の儀を達成した挑戦者が、国王に挑むことなくのんびり王宮暮らししているというのは前例がありませんし、挑むにしても陛下がそれを好まず、ではリオの不戦勝となっては国の正常化を行うのは……」
国民としては期待したいだろうが、その期待を裏切らないようにリオの元で働く人々は苦労しそうだ。
「そうか、王宮暮らしはちょっと問題、だから落ち着くまでもうしばらくこっちに居てくれってことか」
「はい! そんな感じです! これからもよろしくお願いしますね! あ、それとご主人様、私たち来年になったら一旦契約が終わりますし、そうなったら一緒に冒険者の仕事をしましょう! いつか言ってましたよね! 一緒にって! 大冒険です!」
「今回が相当な大冒険だったと思うんだが……」
ともかくリオはメイドを続け、アエリスもそれに付きあうらしい。
△◆▽
精霊門の開通後、エルトリアの正常化は各国に伝えられ、今度は各国の使者が精霊門を通じてエルトリア側へとやってくることになる。
一斉に来るのでは渋滞が発生するため、あらかじめ迎え入れられる日時を、精霊門再開の知らせと共に各国に伝えているようだ。
やがて昼過ぎになった頃、エイリシェへ向かったティゼリアがミリー姉さんとシャフリーンを連れて戻った。
すでにエルトリア国王やリオたちに挨拶はすませ、養生しているというおれの様子を見にやって来た。
あてがわれた部屋のベッドで安静にしていたところ、ノックのあとまずティゼリアが、それからミリー姉さんが現れ、最後にシャフリーンが入ってくる。
「あ、そのままベッドにいてください。お見舞いに来たのに無理をさせるのは忍びないです。……大変だったようですね、でも、よくやってくれました」
せめて体を起こそうと思ったところ、それを読み取ったシャフリーンがベッドの横に来て、そっとおれの上体を起こしてくれた。
さすがである。
おれを挟んで反対側にいるアレサは役割を取られたと感じたのか、ちょっとむすっとしているようであるが。
「本当にお見舞いに……?」
「ふふ、半分は冗談です」
「ではもう半分は?」
「こちらに貴方を取られては困るので」
ああ、政治的な事、つまり業務用ミリー姉さんとしてか。
開通して即座に姫を送り込んで来る――、それも事態解決のきっかけとなった姉妹同盟のボスであるミリー姉さんとなれば、牽制としては充分だろう。
「もちろん貴方がなびくとは思いませんが、それくらい重要視しているというのは伝えないといけませんから。なにしろ、四年間も情勢を知らぬままですからね、迂闊なことをされると面倒――六カ国の機嫌を損ねることになりかねません……、あら、どうしました?」
「あ、たいしたことではないんです。いつもセレスによくしてくれているお姉さんとしての面ばかり見ていたので、少し戸惑いまして……」
「む、私もちゃんとやる時はやるんですよ?」
そう言われてもなぁ……、この姫さま、うちで見せる姿がアレすぎてなぁ……。
「そう言えばセレスちゃん、一緒に来たがったんですけど……」
「すいません、心配させるかなと思いまして」
「そうですね、早く元気になって安心させてあげてください。私は日暮れ前には戻るのですが、シャフは置いていきますから、身の回りの世話をさせると良いでしょう」
「それは有り難いのですが……」
アレサとシャフリーンがおれ越しに真顔で睨めっこしてるんですよね。
「御姉様、レイヴァース卿のお世話でしたら私一人で大丈夫です」
アレサが睨めっこを続けながら言う。
ミリー姉さんは笑顔なのだが……、どういうわけかそれが困っているように見えた。
「で、ですがアレサ、貴方はここ数日、ずっとレイヴァース卿につきっきりでしょう? 少しは休みませんと」
「アレサ、ミリメリア様のご厚意を無下にするのはいけないわ」
ミリー姉さんとティゼリアがそう言うも、アレサは退かない。
「そういうわけにはまいりません。猊下の側に控え、その身の安全を守り、少しでも健やかに過ごしていただくために私はいるのですから」
アレサは譲らない。
ミリー姉さんとティゼリアが浮かべたのは困ったような笑みで、その目はおれへと向けられている。
え、おれにどうにかしろって?
確かにアレサはおれにつきっきりだしな、気分転換にしばらく休んだらと思うのだが……、きっとアレサは断るだろう。
アレサに任せなければならない仕事でもあれば――、ってあるわ。
「アレサさん、精霊門が使えるようになったので、少し出向いてもらいたいところがあるんです」
「え!」
なんか凄く嫌そうな「え」をもらった。
「とても重要なことなのでお願いします。リィさんと一緒に、今回のことを報告しに向かって欲しいところがあるんです」
「私とリーセリークォート様で……? あ、え? ええ!?」
どこに行ってもらおうとしているかアレサは気づき、声をあげる。
出向先はロールシャッハのところだ。
「いや、あの、私などがご報告に伺うのは……! リーセリークォート様お一人で充分なのでは?」
「そのあと六カ国にも伝えてもらいたいので、そうなると聖女であるアレサさんが同行してもらうのがいいんですよ。リィさんではその都度身元確認などが行われるでしょうから。どの辺りまで伝えるかはまず相談してもらうということで」
「私が……、あぁ……、恐れ多い……」
「いやそんな恐い人じゃないですからね?」
まあ恐い恐くないではなく、若かりし頃のシャロ様の姿をした、シャロ様と共にあった精霊だからな、アレサが恐れ多く思うのは仕方ないか。
「すいませんが、お願いします。ぼくもだいぶ回復したのですが、そのあと六カ国に向かうとなると厳しいので……」
「あ……、いえ、猊下はこちらでゆっくり体を休めてください」
「突然、こんな仕事を頼んでしまってすいません。動けないここ三日は本当に助かりました」
アレサにちょっと乗り出してもらい、その頭を抱えて撫でる。
「……ふわぁぁぁ……!」
唸らずにはいられないのだろうか……?
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/26
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/27
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/08
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/19
※さらにさらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/01/24




