第457話 13歳(春)…邪神官カロラン
「やれやれ、寄って集って年寄りを苛めるか……」
右手に持つ異様な杖でアンバランスな重心を支えるように立つカロランは苦笑すると、左手で腰に取りつけていた小さな鞄――魔導袋から黒く染められた生地をずるりと引き出した。
と、そこでカロランは生地から手を離すが、生地は宙に浮かんだまま、施されていた見事な刺繍をおれたちに見せつけようとでもするように、ひとりでに広がり、そして垂れ下がる。
おそらくは『デミウルゴス』によって操っているのだろうが、それを気づかせるような圧迫感の無さにおれは驚いた。てっきりその支配領域にはいったとたん、はっきり感じるものと思っていたからだ。
なるほど、確かにこれなら事故死を装っての暗殺などお手の物なのだろう。
カロランが広げた生地はどうやら外套だったようで、その背にあたる部分には白い炎を背景とした立派な大樹の刺繍があった。
「貴様らは私から国を取りもどそうとしているようだが……、それは正確ではないどころか誤りだ。そもそも、この都市は我々のもの。この紋章にすべてを捧げた賢者たちの都市であったのだ。ものもわからぬ野蛮人共に占拠されるまではな」
カロランは静かに語る。
すると外套はまた動きだし、露わとなっていた上半身を覆い隠すようにカロランに被さった。
「この場における私と貴様らの構図――、これは奪われた都市を取りもどした正当な継承者に、勘違いした侵略者どもが挑むというものに他ならない。無知、蒙昧、甚だしく、身の程をわきまえぬ振る舞いは度し難い。愚か者どもよ、来るがいい。そして分際を知るがいい」
コツン、とカロランが杖の先で床を突く。
瞬間――辺りの空気が一変、支配領域の密度が跳ね上がった。
母さんが『デミウルゴス』を披露したときは強い圧迫感のようなものを感じたが、カロランの場合はそれに加え猛烈な不快感がある。例えるならドブ水で蒸されたサウナに放りこまれたようなものだろうか。高温多湿となればただでさえまとわりつく湿気に苛まれ、吸う空気が熱いせいで呼吸にすら難儀するというのに、それが汚染された蒸気とくればその不快感たるや並大抵のものではない。
そんなカロランの支配領域にあって、まず動いたのはミーネ。
母さんから教えられた『デミウルゴス』潰しを実行すべく、術者であるカロランではなく、その支配領域に穴を開けようとする。
だが――
「〝魔ど――〟――くっ!」
魔技を放とうとした瞬間を狙われた。
ミーネの行動を察知したカロランは何らかの攻撃をしたのだろうが、ミーネもまたそれを察し、不完全の魔技でもって打ち消した。
それは一瞬の攻防。
もしかして戦いはこのレベルで進むのかと焦ったおれは〈針仕事の向こう側〉と〈魔女の滅多打ち〉を再使用。
これで勘は鈍くとも対処できる――、そう考え、ひとまず最速の雷撃で牽制しようとしたらその瞬間にドゴッと吹っ飛ばされた。
え、と驚けたのは、後ろにいたシアがおれの背中に手を当て、衝撃をやわらげながら受けとめてくれた後だ。
相手が攻撃しようとする意識の起こりを読み、それに先んじて攻撃を仕掛ける。先の先。これを体験するのは初めてではない。シャフリーンが自分の素性を打ち明けてきた時に、自身に備わっていた能力を理解してもらおうと体験させてくれたからだ。
そして、だからこそわかる。
カロランがこれを支配領域内で自在に行えるとなれば、奴の強さは半覚醒の魔王となったシャフリーンと遜色がない。いや、戦闘力だけを見るなら、むしろ上回っている可能性があることを。
実態が掴めなかったカロランの実力が、実は想定をぶっちぎっていたことには愕然とした。
と、それを肩越しにふり返ったおれの表情から読んだのか、シアはわりとマジな顔で言う。
「ご主人さまは下がっててもらえます?」
「あ、はい」
攻撃しようとした瞬間に攻撃されている。
これは意識の加速と身体能力の向上程度では対処できるものではなく、魔力感知まではいかなくとも、相手が何かしてくる気配のようなものを察知できる――、戦いのセンスが必要なようだ。
うん、おれに一番無いものですね。
今のをしのげなければ足手まとい――と、仕切り直して早々の戦力外通知をくらうことになったが、ここで下手に意地を張ってやられたら皆の集中が鈍り、瓦解を招く。
おれは大人しく戦いを見守る面子――リオとアエリス、デヴァスとストレイの元に引っ込んだ。
「ご主人様、一緒に皆さんを応援しましょう!」
リオがしょんぼりしたおれを迎えてくれているうちに、皆はカロランの周囲に展開して取り囲んでいた。
おれが抜けての八名。
シア、ミーネ、アレサ、リィ、パイシェ、リビラ、エドベッカ、ディアデム団長。
このなかでエドベッカだけどう戦うのか知らないが、残りの七人、いや、シアとミーネの二人がかりだけだとしても、その攻撃は尋常なものではなく、普通なら激しい戦闘になるはずだ。
だというのに、その戦いの様子は静か――、もっと言えば、まだまともな戦いにすらなっていなかった。
カロランは皆が全方位、どの位置にいようとお構いなしで、繰り出そうとする攻撃をことごとく潰していくからである。
皆は未だその場から一歩も動かぬカロランを取り囲みながらも有効な攻撃をくわえることができず、逆に、仕掛けられる攻撃を察しての迎撃、予測しての移動と、ただ体力だけを使わされている。
さすがに八人を的確に狙っていくことはできないようで、カロランは攻撃に対してのカウンターを行っていたが――
「つまらんな。この程度か?」
そこで攻勢に回った。
いや、それを攻勢と言っていいのか?
カロランの繰り出す攻撃は適当だ。
なんとなくといった感じで火柱を作り、風の斬撃を放ち、氷の柱を作ったかと思えば、大雑把な雷撃を放ったりする……。
それはふとした思いつきの攻撃で、皆をなぶっているようであった。
代わりに行動阻害を行わなくなったが、繰り出される魔術的な攻撃に対処するのでせいいっぱいとなり、皆は反撃にでられない。
これだけの人数で囲んで挑んでいるのに、有効な一撃どころか、かすり傷ひとつ負わせられない事実。
「うっそだろおい……」
そこらのゴロツキが囲んでいるわけではないのだ。
シア、ミーネ、リィの三人がいて、それでもあしらわれている状況には愕然とせずにはいられない。
もちろんこの三人、それに他の五人だってまだ全力じゃないだろう。
けれどそれは力の温存とかそういう話ではなく、完全に主導権を奪われた状態――実力を発揮することができない状態を強いられてのことなのだ。
一撃、ただ一撃喰らわせてやれば、カロランは『デミウルゴス』の行使を中断され、そこで勝敗は決する。
皆はその一撃のために挑み続けるが、一方のカロランもそんなことは重々承知のはずだ。
にもかかわらずあの余裕すら感じさせる落ち着きはなんなのか?
おれたちでは一太刀浴びせることなどできないという確信か、またはその気になればどうとでもなるという自信か。
どうする、とおれは自問自答。
この『デミウルゴス』という魔法の欠点は魔力の消費量が莫大ということだが、カロランはそれをなんらかの方法で補っている。
可能性があるのは市壁の九つの塔。
別働隊がこれを破壊することでその魔力供給を絶つことができればいいのだが……、そもそもそれはリィの推測であり、事実であるかどうかは、実際にやってみなければわからない。
倒せるならば倒す、しかし、見守るおれよりも戦っている皆の方が感じているであろう、カロランに対する『こいつはヤバい』という感覚。現在の戦いはある意味で塔破壊までの時間稼ぎになるのだが、はたして、それまでおれたちは持つのか? ふとしたきっかけでカロランが本気になった場合、おれたちはしのげるのか?
皆が攻めあぐねる状況のなかで、もしかしたら効果があるかもしれないという手段も思いついている。
だが、それで適当に皆をなぶっているカロランが本気になった場合のことを考えると、それを行うかどうか迷うのだ。
殺せない理由があるならまだいい。
だが『捕らえて活用しよう』程度のつもりであれば、いざとなったら容赦なく殺しにくるだろう。
もし有効そうな手段――バスカーとピスカを召喚し、でっかくしてぶつける――これで倒せるのならば迷う必要はない。
けれど漠然と感じるのは、それでは足りないという悪い予感だ。
もっと、もっと強い『力』が必要で、例えばそれはおれが扱いかねている黒雷のような、一つ段階が違うものでなければやる意味が無く、むしろ危機を招く、そう感じてしまうのだ。
しかしこのままではジリ貧。
そして塔の破壊まで持たない可能性が高い。
まいったことに、完全にこちらの油断による窮地である。
自分に手出しさせない状況を作りだすのが上手い相手が、ここまで隔絶した実力を持つ魔導師であるとは予想できなかった。使えはしても使いこなせない魔法としての『デミウルゴス』を、この八人を相手取れるほど自分のものにしているとは、そしてこの面子が真っ向からやり合って、まさか敵わない相手がいるとは想像もしなかった。
コボルト王から始まり、スナーク戦二回、そして半覚醒魔王との戦いをくぐりぬけてきたシアとミーネ、二人がそろっていて敵わない相手がいるなんて……、いや、違うか。
二人ならば倒せる。
これはおれが作戦をリィに投げ、何も考えてなかったからこその状況で、つまりそれは、自分の実態を掴ませないよう立ち回っていたカロランに対し、おれが初めから敗北宣言を出していたからこその結果なのだ。
ここは……、一旦退いて仕切り直すべきか?
そうおれが思った時、リィが叫んだ。
「一度退くぞ!」
判断はリィの方が早かった。
このリィの言葉に皆が動揺を見せないのは、誰もがどこかでそれを考えていたからなのだろう。
ここでおれが曖昧な態度だと皆がどちらに従ったらいいかわからなくなって動きが鈍るため、リィに続いて叫ぶ。
「みんな、退くぞ!」
「退くったってー!」
ミーネが言う。
確かにすんなり退却できる状況ではない。
「判断は良いぞ。不可能ではあるがな」
カロランに逃がすつもりは無いようだ。
退くと決めたにしても、まずは逃げるための隙を作らなければならず、それもまた至難とくる。
すると――
「はああぁ!」
シアが跳躍、カロランに頭上からの攻撃を仕掛けた。
撤退という指示に反応したカロランの意識の隙を突こうとしたようだが、跳んだところを迎撃される。
シアはかろうじて防御したようだが、その拍子に右手の鎌――アプラがその手を離れ、カロランの所へと落下した。
アプラは特別勢いもなく、カロランはそれを一瞥したところ――
「――ッ!?」
その表情にわずかな驚きが生まれた。
てっきり弾き飛ばすと思いきや、カロランはまるで手にしろとばかりに落ちてくる鎌に左手を伸ばす。
そこでおれは思い出した。
あの鎌が呪われていることを。
「今だ! みんな退くぞ!」
おれが叫ぶとほぼ同時、カロランはアプラをキャッチ。
しかしそのために踏み出した一歩は、最初に纏っていたローブの塊の上であったのが災いして足を滑らせた。
「な――、なッ!?」
さらに驚くカロランであったが、どういうわけか魔法で姿勢制御をせず踏ん張って転倒を堪えようとした。
しかし、そもそも重心がおかしなことになっており、さらに上部ばかりがでかく重そうな杖を持っているのだ、一度崩れたバランスは立て直しようもなく、後ろにひっくり返りそうになったところでうっかり鎌を握った左手を地面につこうとした。
結果、カロランは自分で刃を上にむけた状態の鎌に、ズドムッ、と尻を捧げるという、見ているおれたちにも精神的ダメージを与えるような惨事を引き起こす。
「アアアァァァァ――――ッ!?」
その瞬間、カロランの口から放たれた悲鳴はこれまでの重々しく凄味のあるものと打って変わって、本気の本気、まったくもって予想外の痛みにただただ吐き出された純粋な絶叫であった。
※誤字を修正しました。
ありがとうございます。
2019/02/07
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/01/24




