第444話 閑話…魔道具を使う者(後編)
これで準備は整ったとばかりにエドベッカは歩み寄ってきた。
無手のまま、何の迷いも無く悠然と。
「はあ!」
対し、ストレイは槍の突きを繰り出す。
武術の心得がないストレイであるが、その鍛え上げた肉体から繰り出された一撃は素人のそれとは一線を画し、また、内心の決意もあってエドベッカを突き殺すことも辞さぬ容赦のない鋭さがあった。
が、しかし。
「な――」
手応えを感じたストレイが目にしたのは、胸へと突き出された槍の穂を握りしめて受けとめたエドベッカの姿だった。素手ならばただではすまぬところだが、どうやらその手袋は防刃処理を施された品らしい。
「――ッ」
次の瞬間、ストレイは槍を消した。
一瞬、エドベッカが槍にかけた力を感じ、変に絡め取られる前に『掌の怠惰』へと収めたのだ。
この『掌の怠惰』は出した道具から手の平――手袋が離せないという制限があった。故に得物を掴まれ、その制御を奪われた場合、いいようにあしらわれてしまう危険をはらむ。しかしそんなもの、ほとんど可能性の話であって、まさか本当にそれを危惧しなければならない相手が現れるなどまったくの想定外であった。おまけに、なるべく距離を置いて戦えるようにと槍を選んだにもかかわらず、今の自分が繰り出した渾身の突きをやすやすと捕まえられる相手など……。
「ふむ、君はあれだね。道具を使うことは出来ても使いこなしてはいないようだね。魔道具への愛が足りないのかな? 普段からよく話しかけ、親睦を図ったりはしていないのかね? 私はしているよ」
警戒を強めるストレイに対し、エドベッカは変わらず飄々としたものだ。しかし書類整理が得意そうな見た目とは裏腹に、その身体能力は卓越したものがある。いや、もしかしたら身体強化の効果を持つ魔道具を使用しているのかもしれない。
どちらにしろ、見た目に惑わされてはいけない。
槍の突きという躱しづらいものを掴み取るような相手、例え武器を他の物に変えたところで、武術者ではない自分の攻撃は通用しないだろう。
ならば――受けとめられぬ物を。
ストレイが次に取りだした魔道具、それは表面に文字と模様が踊る金属の棒であった。
それを見たエドベッカは大いに興奮する。
「ほうほう! それは知らないぞ! いったいどんなものなのかね!」
「身をもって知れ!」
金属の棒を振りかざすストレイ。
エドベッカはその棒を手で受けとめる。
と、そこで異変。
「むッ!?」
棒を掴んだエドベッカの右手が手首からくてんと力なく垂れ下がる。
その隙を見逃さず、ストレイはさらに追撃。
エドベッカは腕をかざしそれも受けるが、今度は肘のあたりから右腕がだらんとたれ下がり動かなくなった。
「これは参ったな! はは、少し待ってもらえないかね?」
「誰が待つか!」
さらに襲いかかるストレイだったが、そこでエドベッカが左手でもって魔導袋から取りだした何かをかざす。
それは一冊の、一抱えほどありそうな大きな本。
表紙の縁を持ってかざし、重力に引かれて開かれたページには一面に水の中の絵が描かれていた。
と、その瞬間、ストレイは自分が水の中にいると錯覚する。
「こ――、く……!?」
視界は滲み、呼吸も出来ない。
もう攻撃どころではなかった。
「これは『白昼夢の画集』と呼ばれているものでね、一目見れば描かれた景色の中に自分がいると錯覚してしまうんだ。水の絵では呼吸が出来なくなり溺れ、炎の絵であれば熱さと焼かれる苦しみに悶える。目にした対象の魔力に干渉し、それを体験させる代物なんだ。ただしその幻覚の元となる感覚を経験していなければならない。さらに言えば、絵を見てその状態を想像できる想像力を持っていることも重要だ。赤子には効果がないんだよ。面白いだろう?」
そうエドベッカは言うが、ストレイは面白がっていられる状態ではなかった。
慌ててエドベッカから顔を背けながら距離を取る。
見たら手も足もでなくなる魔道具など、とんでもない代物だ。
「君のその金属の棒はなんなのだろうね。打たれた部分の感覚がなくなってしまったよ。動かせないし、痛みもない。暴徒を鎮圧するための代物か? それとも……、医療用か? しかし困ったな。どれ」
そっと見やると、エドベッカは本を仕舞い込み、今度は一枚の布きれを取りだしていた。刺繍がすばらしいテーブルクロスのような代物だ。エドベッカはそれを動かなくなった右腕にかけ、数秒の後にそれを取り去った。
するとそれだけでエドベッカの右腕は回復、動くようになっていた。
「ふむ、効果ありか、魔力の異常も正常化してくれるのだね」
「な……!?」
ストレイが驚いていると、エドベッカがにっこりと笑う。
「これは『治癒の織物』、強力な回復効果を持つ布だ。少しばかりの傷ならばわずかな時間かぶせるだけで癒え、骨折などもしばらく巻いておくだけで完治する。ただいつまでも身につけていると、その部分が壊死して腐り落ちるから気をつけないといけない代物だ。なんでも治るわけではなく、病気、毒、欠損、切断には効果がない」
いきなり腕が動かなくなったとなれば混乱するものだろうに、エドベッカは少しの困惑で済ませたばかりか、どこか喜んですらいるという始末。
実にやりにくい。
魔道具を使う相手との戦闘。
普通はその不思議で不可思議な効果に困惑し、動揺を始め、終いには恐怖を覚えるものだ。
しかしエドベッカは喜ぶとくる。
手持ちの使えそうな魔道具はまだある。
だが、それは相手とて同じこと。
ただ『使えそう』で選ぶ自分では、その『使い方』を熟知し、機会があれば実験までもするエドベッカに魔道具戦を挑むのは力量不足、劣勢に追いやられるのは当然のことだ。
思えばこれまで、ストレイは魔道具という予想外の効果を持つ道具によって無知な相手を翻弄して制してきただけだった。魔道具を扱うことを本業とし、そして同じ相手と戦ってきたエドベッカとでは、魔道具戦という通常は有り得ない戦いに対しての経験値が圧倒的に負けている。
だが、だからといって魔道具を用いる以外に、この場を切り抜ける方法があるのだろうか?
短い逡巡――、その後、ストレイは決断した。
「私は行かなければならない、ヴィヨルドに……」
ストレイは言い、魔導袋を外すとそれを放る。
「なに……!?」
これにはエドベッカも驚いた。
魔道具を使っての戦いをしているのに、その魔道具を収めている鞄を放り捨てたとなれば。
だがストレイの行動はそれだけではなかった。
手袋を捨て、さらには素早く上着を脱ぎ捨て、そして上半身裸になる。
「もう止めだ! ただ使うことしか出来ぬ魔道具など邪魔でしかない! 今の私にはこの肉体があるのだから!」
自分はヤケになっているとストレイ自身も感じていた。
だが、ストレイはこれが正解であるとも強く感じていたのである。
これにエドベッカは強く驚きの声をあげた。
「なんということだ……、君は自ずとそこに思い至ったというのか……!」
エドベッカの驚愕には感動も含まれており、彼はストレイに続くように上着を脱ぎ捨て、同じく上半身裸となる。
「――お、おお……!」
その肉体の仕上がり。
思わずストレイが唸り声を上げるほど。
細身なれど――、いや、一度作りあげた逞しい筋肉を搾ることで密度をあげたような、細くしなやかな筋肉の鎧であったのだ。
「魔道具を使う者は魔道具に魅入られてはならない。では、そのためにどうすればよいのか? 答えは簡単だ。簡単だからこそ、そこに至るのが難しいとも言える。そう、君も感じたもの、自分は魔道具に頼らずともやれるという圧倒的な自負、いざとなれば自身の肉体でどうにでも出来るという揺るぎない自信なのだ!」
「……!?」
「ストレイ。私は不思議に思っている。君が行ったであろう活動についてはこちらも調べあげたのだが……、私には君がそれを行ったようには思えない。本当に君がやったことなのか?」
「そう、私がやったことだ。卑しき私の……、罪だ」
「ああ、わからないな。にもかかわらず私には君が高潔に見える。数々の悪事、君を動かす正当な理由でもあったというのか」
「友が私を変えた。共に鍛え、闘い合った友が」
「その友を裏切ろうとしているのはどういうことだ」
「遅かった。私の目覚めが。すでに情報を送った後。もう手遅れだった。私はもう彼らを友と呼ぶ資格がない」
「だからカロランの元へ逃げ帰るのか?」
「違う! 挑むのだ! 生まれて初めてカロラン――父へと挑むために私はヴィヨルドへ戻るのだ!」
「ち、父だと!?」
驚愕するエドベッカに、ストレイはさらに続ける。
「数々の罪、裏切り、そのせめてもの償いに、このエルトリアを巡る騒動に終止符を打つ! この手で父の首をへし折るために、私はヴィヨルドへ戻らねばならない!」
場を逃れる、もしくは何らかの策のため、時間稼ぎの出任せを言っているとも考えられる状況であったが、ストレイの気迫――その秘めた覚悟を爆発させた言葉は、聖女でなくともそれが本心であることを理解させるに充分なものであった。
「さあどけ! エドベッカ! 私は行かねばならない! そして行わなければならない! 悪しき私の、生涯一度の善行を! 父を殺し、父の元へ送った子供たちを救わなければならない! どかないと言うのなら貴様を殺し、罪を重ねてでも押し通るぞ!」
ストレイの言葉に、エドベッカは苦々しい表情をしていたが、深々とため息をついて言う。
「そうとわかってはますます行かせるわけにはいかないな。君には知りうるすべての情報を喋ってもらわないといけないからね。それに君の話次第では、君が手を下すことなく事態は収束へ向かうだろう」
「遅い! それでは遅い! 父は何かをするつもりだ!」
「どうしても殺すと言うのか? 父親なのだろう?」
「父だからこそ殺すのだ! これは義務ではなく権利だ! 知るまい! 生まれたとき、すでに敷かれていた狂気への路! 自分の人生が社会に害為す悪でしかないという悲しみを! そのすべての発端が実の父であるという絶望を!」
「なるほど、説得できる段階ではないのだね。――ならば、もうあとは己が我を通すべく戦うのみだ! 来たまえ!」
「うおおおぉ――――ッ!」
もはや小細工など必要ない。
ストレイは己の肉体を信じ、待ち受けるエドベッカへと突撃する。
姿勢を低く駆け、エドベッカの腰へ取り付こうとしたストレイであったが――、気づけば宙を舞っていた。
「――ッ!?」
驚くとほぼ同時に背中から地面に激突し、呼吸が止まる。
だがこれくらい、友たちとの戦いで何度も経験している。
ストレイはすぐさま立ち上がり追撃を警戒したが、エドベッカは巧みな体術でストレイを放ったまま、その場に留まりさらなる挑戦を待ち受けている。
先ほどまで魔道具を見て無邪気に喜んでいた男とは思えぬ、厳しい表情を湛えるエドベッカ――、その姿から感じる凄味、それは一度だけ相手をしてもらった闘士長パイシェに勝るとも劣らないものだった。
魔道具戦では敵わぬと、肉弾戦を挑もうとしたストレイのさらなる誤算。
それはエドベッカが――、いや、真の魔道具使いという者は類い希なる闘士であることを求められる存在であったことだった。
だが――
「負けられんのだ!」
ストレイは挑む。
勝ち目のない相手であろうと、ここで勝たなければ進むことができない。
しかし現実は無情。
どれだけストレイが果敢に挑もうと、エドベッカという男は殴り合いも、取っ組みあいも、すべてがストレイを上回っていた。
「くっそぉぉ――――ッ!」
終いにはストレイは悔しさに涙をこぼし、わめきながら挑むことになっていた。
何故ここで、こんな男が立ちはだかってしまうのか。
自分には償うことすらも許されないのか。
これが重ねた罪の罰なのか。
「見せかけだけの筋肉ではないことは認めよう! だが、君はまだ肉体を生かす戦い方を知らないようだ! 魔道具と同じだよ!」
「うるさい! 黙れぇ!」
「ふむ、その闘志は認めよう! だが、闘志だけではどうにもならぬことがある! 私に敗北し、それをここで知るのだな! よろしい! 特別に私の奥義をお見せしよう!」
言い、エドベッカはストレイから距離を取る。
取っ組みあいの中で距離を取るとなれば、勢いをつけてのタックルか跳び蹴りか、闘士倶楽部で戦っていたストレイはそう思った。
だが――
「見るがいい! 我が奥義――フェニックス・アタックッ!」
叫び、エドベッカは跳躍した。
どれほどの脚力だったのか、エドベッカは高く高く舞い上がり、その背でもって太陽を覆い隠し見上げるストレイに影を落とす。その体勢は空中という不安定な状況にも関わらず驚くほどの安定を見せ、両腕を大きく開き、足をぴったりと閉じる姿は魔導文字の『Y』そのものであった。
しかし、見事であれど所詮は落下体当たり。
そんなもの避ければいい。
だが――
「お、おぉ……!」
ストレイは宙を舞うエドベッカの姿に見とれ、身動きが出来なくなっていた。
逞しく、そして美しいその姿。
まさにフェニックス。
フェニックスとはとても美しい鳥の魔物で、一目見るだけで心を奪われるほどだと言われている。しかしフェニックスは美しいばかりの魔物ではない。視界の届く範囲内を自在に炎上させ、場合によっては広大な範囲を炎の地獄に変える恐るべき魔獣なのである。
そんなフェニックスの名を冠したエドベッカの奥義。
ああ確かに、その美しさには目を奪われてしまう。
そしてその後に待ち受けるのは、落下してくる人一人分の質量だ。
いや、正確にはそれだけではない。
フェニックス・アタックはれっきとした魔技であり、その効果は『威圧』に近く、精神に影響を及ぼすものなのだ。
その一撃を食らった瞬間、影響は極限に達し、相手は幸福の内に意識を失うのである。
そしてストレイもその例に漏れず――
「はぁぁ――ん……!」
エドベッカのフェニックス・アタック――もろにその胸板で顔を打ち付けることになったとき、ストレイは謎の至福のなかで意識を失うのであった。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/25
※誤字と文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/06
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2023/05/12




