第440話 13歳(春)…マッスルランド
忙しさの原因。
これについて考えてみると、結論されるのはおれが自分にしか出来ない仕事ばかりを始めるため、人に手伝ってもらうことは可能でも完全に任せることが出来ないという効率の悪さに辿り着く。
つまりこの状況を改善しない限り、さらに仕事を増やすという行動は『苦労するために努力している』ようなものなのではあるまいか?
そもそも、おれが働くのは名声値を稼ぎ、導名を得るためだ。
自分の出来る範囲内という縛りを抱えたままではどう足掻いても頭打ちになるし、ようやく導名を得たけどもうジジイ、なんて事態も起こりうる。
故におれが挑戦すべきは企画を立て、この人ならば、と見込んだ者を信じて後を任せることなのではないかと思う。
が、しかし。
任せた者が想像を超える事態ばかり引き起こすとなった場合、おれはいったいどうすればいいのだろう?
それでも任せ続けるべきなのだろうか?
結果として、この世の中がどんどん狂っていったとしても?
「――ス卿、レイヴァース卿、どうしました?」
「あ、すいません、ちょっと人生の儚さについて考えていました」
アレサに呼びかけられていることに気づき、おれは答えのでない自問自答を中断する。
この日、いいかげん地下に籠もって酒造りに勤しむことに疲れてきたおれは、アレサとリィを連れ、パイシェたちが野郎どもの訓練を行っているという都市郊外の駐屯所を訪ねた。
するとそこにはアスレチックランドが爆誕しており、肉体改造に勤しむ野郎どもで大盛況になっていた。
「アレサさん……、最近、この近所で革命でもありました?」
「いえ、そういったことは起きていません、はい」
「そうですか。残念です」
野郎どもの訓練指導についてパイシェは「万事順調です!」と満面の笑みで報告してくれていたが……、どうやらおれの脳裏に描かれていた『順調』と、現実で進行している『順調』とには大きな隔たりがあったようだ。
「ふはははー! 血と汗と涙を流せー!」
巨大な障害物コースではシアさんが両手に呪われた鎌を持って野郎どもを追い立てていた。
ちょっと来てもらって詳しい事情を聞く。
怒ってないよ、怒ってない。
ただちょっと困惑してるだけ。
うん、任せっきりにしたおれも悪いからね。
「気合い入りまくりのパイシェさんにミーネさんが感化されましてね、じゃあ思う存分トレーニングできるアスレチックランドを作ろうということになりました。ちなみに現在も順調に増築中です。ほかの皆さんはパイシェさんに頼まれてそれぞれ指導員だったりなんだったりしています」
パイシェが総括指導官としてトレーニングメニューを決め、リビラ、リオ、アエリスという三名が指導員をしているらしい。
「わたしはコースで走る人たちを追い立てる役と、あとは兵隊さんたちの食事を作る炊事班に料理指導などをしています。デヴァスさんは買い出し担当です」
思い切り体を動かした野郎どもの集団だ、食料がより必要になり、デヴァスが何度も他の都市へ買い出しに向かっているらしい。
「おいおい、デヴァス過労死すんじゃねえの?」
「たぶん大丈夫ですよ。あのお酒を飲んでもらってるので。力がみなぎってしまって仕方ないらしく、早く次の買い出しに行きたいと滅茶苦茶張りきってますから」
「それもどうなのかなぁ!」
ある日、電池が切れたみたいにパタンと倒れて動かなくなってもらっては困るのだが。
「まあ兵たちに関しては、暇を持てあまして町に迷惑かけているよりはよっぽど健全だしいいんだけど……、なんか数が増えてない?」
「市民兵の方も参加してるみたいです」
「そっちにも影響でてんのかよ……。地下の喧嘩広場の運営を任せているレヴィリーとバイアーはこの状況を知っているのか?」
「もちろんです。より鍛えて帰ってこいと推奨しています」
「おれが籠もって作業を続けるうちにこんなことに……」
「まあ悪いことじゃないですし、いいじゃないですか」
「それはな。で、あれはなんだ?」
と、おれが示した先では上半身裸の野郎どもが、お互いの肉体を称え合っていた。
実に暑苦しく和気藹々としている。
「おいおい、お前の筋肉だいぶ熟れてきたんじゃねえの? ずいぶん美味そうじゃねえか」
「はは、まだまださ。お前こそずいぶん熟してるじゃねえか。ちょっとお前のコカトリスの卵を叩かせてくれよ」
「いいぜ。ほら。叩きたい奴は叩けよ」
ポージング――両腕をあげてぐっと力こぶを見せる野郎に皆で群がり、ペチペチその筋肉を叩き始める。
「おい、誰だ脇をくすぐってる奴は! くすぐったいだろ!」
『ははは!』
半裸の野郎どもがすげえキャッキャウフフしてる。
悪いことしてるわけじゃないけどすげえ雷撃ぶっ放したくなった。
「あれですかー……、あれもパイシェさんがきっかけでして……」
訓練中のパイシェは鬼であった。
なるほど、エクステラ森林連邦で元部下たちを厳しく叱咤していたパイシェだし、それはわかる。
だが厳しいだけであの人気にはならない。
見た目が可愛らしいというのもあるだろうが、それ以上にパイシェは訓練外ではよく野郎どもの体の仕上がりを褒めたようだ。
見た目のコンプレックスから逞しい体つきの男性に憧憬を持つパイシェであるからこそ、その称賛は偽りのない本物である。
褒められれば嬉しいもの。
それが自分たちを鍛えてくれる指導者で、おまけに可愛いとくればもういちころだ。
たぶんこれがメルナルディアの武官であったパイシェが部隊の者たちに愛され――ではなく、慕われていた理由なのだろう。
飴と鞭、そして可愛い。
パイシェは天然の男たらしだったようだ。
ともかくパイシェによって『褒め合う』ということを野郎どもは学ぶことになり、それを仲間内でも実践し始めたということらしい。
「で、コカトリスの卵ってなんだ」
「上腕二頭筋です」
「それはなんとなくわかるが、どうしてそんな表現が流行っているかと聞いている」
「お、面白いかと……」
「やっぱりおまえも噛んでたのか……!」
「だ、だってあれですよ、誰も彼も似たような褒め方するばかりだったんですよ。でも変わった表現を取り入れることで、それを考える人も、言われた人も、聞いた人も楽しくなってより活気がでたんです」
「これ以上活気だしてどこを目指すんだよ!?」
もしボディビルディングの概念がロンドだけに留まらず各地へと広まってしまった場合、このシアが面白半分で教えた称賛法も一緒に広まり、やがては伝統化してしまう可能性がある。
恐ろしいことだ。
「あ、あー、えっと、そうそう、ご主人さま、聞いてくださいよ。訓練を始めた人たちはここにいる人たちだけじゃないんですよ」
状況がまずくなったと思ったか、シアが強引に話を変えようとする。
シアが言うには、野郎たち全員が常にここでトレーニングをしているというわけではないようだ。パイシェによる訓練は過度な詰め込みではなく、疲労した体を回復させるための時間もちゃんと設けられており、その間は自主トレーニングであっても禁止されている。しかし体を動かしたくて仕方ない野郎どもは、休憩と言いつつ町へ繰り出していき、市民たちに願い出て力仕事をやらせてもらっているというのだ。
この活動によってネーネロ家の兵たちはパイシェの言った通り汚名返上となり、今では市民たちに感謝されるまでに至っている。
唐突に完成した『悪漢殺し』とパイシェによる訓練指導。
この二つが上手く噛みあい、それまで不安に怯え、雰囲気が暗く息苦しくなっていたロンドの町が活気を取りもどしつつあった。
誰もが笑顔。
でもおれは真顔。
とても良い傾向なはずなのに、急激に、加速度をつけて何かが狂っていくような不安を覚える。
おれはこの不安がただの杞憂で終わってくれることを祈った。
△◆▽
体を鍛えれば筋肉が発達するのはまあ当然だが、さすがに一週間程度で見違えるほどムキムキしてくるのは異常だと思う。
ヒマワリじゃないんだからさ。
これはやはり『悪漢殺し』が影響しているのだろう。
現在のところ、被験者たちに副作用らしきものは出ていない。
いや、ムキムキ化するのが副作用と言うならば、もう集団訴訟待ったなしなくらい出ているが、喜ばれているので問題はないようだ。
そんななか、野郎どもと同じようにトレーニングも決闘も行い、『悪漢殺し』も摂取しているにもかかわらす、まったく体型が変わらず維持されたままの者もいる。
パイシェである。
「どうして……、どうしてボクはムキムキにならないんですか……」
ずいぶんと落ちこんでいるらしく、今夜は深酒。
それに付きあうのはミーネ、リビラ、リオ、アエリスという面々である。
円卓の一箇所に寄り添い、料理なんかもずらっと並べてわいわいやっている。異様に陽気なのはアルコール度数1パーセントのジュースを提供しているからである。
あれも女子会と言っていいのだろうか?
「まあまあパイシェさん、どうぞ」
「……うぅ、頂きます」
アエリスがパイシェにお酌している。
パイシェは成人男性ということもあり、普通のお酒を嗜む。
本人曰く、母親がドワーフということもあって酒には強いとのこと。
ただそれは一般的な尺度での『強い』であり、たくさん飲めば普通に酔っぱらうので限度は大事。
でも今夜はとにかく飲みたい気分なのだろうと、おれはパイシェを皆に任せてその場を離れ、野郎どもが集結している広場へと移動する。
向かう途中の通路でシアとアレサが待っていた。
「ご主人さま、今夜も盛況ですよ」
「なんで盛況なのかねえ!」
そして何故、おれは毎晩毎晩、暑苦しい野郎どもが殴り合う様子を見守っていなければならないのか。
まったく面倒だが、慣習化してきてしまったので今更やめるというのも理由がいる。
早いとこ適当な理由をでっちあげないと。
「レイヴァース卿、皆さんが今夜の始まりの挨拶をしてもらえないかとお願いしてきているのですが……」
「そんなのいる!? もう適当に殴り合って満足したら酒を貰いにくればいいだけなのに……!」
ああ面倒くさいと思いつつも、適当な挨拶をして今夜も野郎どもの宴は開始される。
それからおれは野郎どもが殴り合い称え合う様子を嫌と言うほど見学することになったのだが、しばらくした頃、女子会をしていたリビラが険しい表情でこちらにやってきた。
「ニャーさま、やべえことになったニャ、もうニャーにはどうしたらいいかわからねえニャ……」
「ど、どうした?」
「パイシェが酔いつぶれておねしょしちゃったニャ」
「そ……!? それは……、お、おう……」
確かにそれはもうどうしたらいいかわからなくなるな。
今、デヴァスは買い出しに出ていて居ないし、ギーリスは上で番をしているし……、ここはおれが何とかしてやらなければ。
シアとアレサにその場を任せて急いで居住スペースに戻ると、そこではミーネが魔術でちょろろろと水を出し、リオがモップで拭くというお片付けの最中だった。
「あれ、パイシェは? 起きてお風呂?」
「パイシェさんはアーちゃんが部屋に抱えていきました。自分は面倒見役だからって」
「いや、それは……!? と、とにかく、うん、わかった!」
アエリスは優秀だがちょっとアレなところがある。
酔いつぶれたパイシェを任せるのは心配だ。
おれはパイシェの部屋へ急いだ。
が、カーテンで区切られた部屋から聞こえる声――
「……おや、パイシェさん、つるつるですか……」
なんか間に合わなかったっぽい!
これは……、どうする。
踏みこむか?
しかし……!
「……さあ、ふきふきしたので替えの下着を着けますよ。ちゃんとコルフィーさんから素敵なのを預かってきていますからね……」
優しいアエリスの声だが、やっていることは残酷だ。
もう入れない。
パイシェさん……、すいません!
おれは逃げた。
そして翌朝――
「あいええええ!! 下着!? 下着なんで!?」
パイシェの悲鳴が地下にこだました。
混乱したパイシェは昨夜何が起きたかを尋ねてきたが、真実があまりにもアレなため、おれたちは何も語らず、知らぬ存ぜぬで押し通すしかなかった。
※誤字脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/25
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/06




