第439話 13歳(春)…清く正しく逞しく
早朝、酒場の前に男たちの長い列が出来ていた。
主にレヴィリーと共にロンドへ来た兵たちだが、町の男たちもけっこう混じっているようだ。
この野郎どもの目的は『悪漢殺し』。
昨日、レヴィリーとバイアーの喧嘩に立ち会った者たちが『悪漢殺し』に興味を持ち、自分もその未知の体験をしようと集まったのである。
さらにはその噂を聞いて集まった者たちもいる。
いや、むしろそっちの方が多いか。
これはレヴィリーとアーシェラの婚約話が関係する。
エルトリアの異変によって不安ばかりが蔓延し、息苦しい雰囲気になっていたロンド。そこに降って湧いた辺境伯の子息とその侍女――みなし子だった女性との婚約話は『楽しみ』として瞬く間にロンド中に広がっていき、そのついでに『悪漢殺し』のことも広く知られるようになったというわけだ。
結果、酒の味を知りたい者、興味本位の者、憂さ晴らしをしたい者、実に様々な暇人がこの寂れた酒場に集結し、仲良く殴り合った後は『悪漢殺し』を飲んでGクリーン化する。
このGクリーンとはシアが名付けた、野郎どもが浄化される現象のことである。
由来は『きれいなジャイアン』だ。
ともかく野郎どもは『悪漢殺し』目当てに集まりまくり、こうして長い列を作ることになった。
現在、おれとアレサは酒場のカウンターで心ゆくまで殴り合った野郎どもに『悪漢殺し』を提供するボランティアをやっている。
どうしてこんなことになっているんだろうと疑問で一杯のおれとは違い、アレサはこの一杯はおれの施しであるとかなんとか説法めいたことを嬉しそうに説明しているので案外楽しんでいるのかもしれない。
「この酒、悪心にも効果があればよかったですよね」
ぼんやり殴り合う野郎どもを眺めつつ、おれはアレサに言う。
この『悪漢殺し』であるが、心の澱みは浄化するものの、悪心を打ち消すまでには至らないようだ。つまり悪人に飲ませたところで、元気ハツラツな悪人が誕生するだけなのである。
悪心も浄化してくれるなら、聖女の仕事もずいぶん楽になっただろうに……。
そんな話をしたところ――
「レイヴァース卿、駄目ですよ、あまり聖女を甘やかしては」
アレサは困ったように微笑みながらおれのおでこをツンと突っついた。
その感じが何だか凄くお姉さんっぽくて、異常事態に翻弄されるおれの心をちょっとほっこりさせてくれる。
「あ。――す、すいません! 猊下がせっかく私たちのことを思ってくださったというのに、私はなんと失礼なことを……!」
心のほっこりが顔にまで出ていたか、おれの様子が変わったことに気づいたアレサは何故か恐縮してしまう。
「いやいやいや、失礼なんてことありませんから」
「ですが……、猊下はあきれたような顔を……」
「あきれてなんていませんよ。なんだか自然な感じのアレサさんを見ることが出来たような気がして、ちょっとなごんでいただけですから」
たぶん人相が悪いからそう見えたんだろうね。
父さん譲りだから仕方ないね。
「自然な感じの……?」
「お姉さんっぽい感じで、なんかいいなーと思ったんですよ」
「んほっ!?」
なんだ「んほっ」って。
「ぼくは長男で上がいませんからね、それでそう思ったんでしょうね」
兄についてはアル兄さんが居るが、姉がなぁ……。
姉っぽいのは何人か居るけど、ティゼリアは必要ならおれをこき使おうとするし、ミリー姉さんはアレだし、ルフィアは姉という概念から逸脱してるし、ミーネの姉のセヴラナはほんわかさんでなんか『姉』という感じがしない。
まあぶっちゃけると甘やかしてくれるお姉ちゃんが欲しいだけなのだが。
「わ、私などでは猊下の姉に相応しくありませんから……」
「いや相応しいとかそいう話じゃなくてですね……、んー、今みたいに恐縮しないで、あんな感じで普段から接してくれたらなーと思うわけですよ」
アレサの状態はだいたい『奮起』『恐縮』『崇拝』の三つに集約されているからな、まあそれをやめるのは無理としても、もっと『猊下』を意識しない状態であっても良いと思うのだ。
「げ、猊下がそれを望まれるのであれば……!」
「うーん、すでに無理っぽい……」
さすがにそれは無茶振りだったかな?
「じゃあ、ちょっと試しに、今のをもう一度やってみてください」
「もう一度!?」
「はい、お願いします」
ほっこりをもう一回、とお願いしてみたが、アレサはおろおろ。
だがおれが望むならと意を決したか、アレサは右手の人差し指をピンと立てておれのおでこに狙いを定め始める。
物凄く真剣な顔だ。
それは店内で殴り合ってる野郎二人よりもずっと必死で……。
おかしい、おれの想像していたのとなんか違う。
それにあれだ、どういうわけかおれの気分が一子相伝の暗殺拳の使い手にいよいよ秘孔を突かれるモヒカンのものになってきている。
「ア、アレサさん、改まってではやりにくいなら――」
「はあ!」
「あべし!」
ずびしっ、とアレサの指がおれのおでこにクリティカル。
そっかー、意識しちゃうとダメかー……。
△◆▽
そろそろ本気で『悪漢殺し』を野郎どもに提供するのが面倒くさくなってきた頃、シアがのこのこやって来て言った。
「ご主人さまー、通行の邪魔だって近所の人たちから苦情がきてまーす」
「おれに言われてもなぁ!」
納得はいかなかったが、騒ぎのきっかけ、そして現在は中心になってしまっている以上、何らかの対策をする必要がある。
そこでその夜、皆と相談してミーネが拵えたものの放置されている大広間に野郎どもを収容、そこで戦わせることにした。
さらにおれはなんか消費されまくっている『悪漢殺し』の製造を頑張る必要があるので、この『殴り合い集会』についてはうちの面々とレヴィリー、バイアーに任せることにした。
こうして方針が決まり、それから数日は平穏だったのだが――
「パイシェさんが訓練の指導をするんですか……?」
「はい、あの者たちはどう鍛えたらいいかわからないまま訓練をしているようなので、ボクが指導しようと思うのです」
このパイシェの提案。
どうやらGクリーン化された野郎どもは体を鍛えようと思いたったものの、適切なトレーニングの仕方がわからないまま無茶苦茶やっているらしく、それを心配してのものらしい。
「人は体を動かすように出来ています。なので単純に体を動かすだけでも、それは喜びになるんです。しかしそこにはつらさも伴うため、ついつい楽を求め、いつしか人はなるべく体を動かさなくてすむようにと流されていってしまう……」
ぐ……、運動さぼりまくっているおれはちょっと耳が痛いです。
「しかし、レイヴァース卿の作りだした神酒のおかげであの者たちは思い出しました。体を動かす喜びを、そして鍛える快感を!」
「か、快感……?」
「はい。快感です。これでもかと体を鍛えたあとの、あのえもいわれぬ清々しさ、心地よさ……、おそらくレイヴァース卿も経験があることでしょう」
あ、あったっけ……?
記憶にないぞ?
うーむ、あれか、親からのスパルタ教育ではなく、自ら進んでやることによって得られる快感なのかもしれないな。
「ですが適切な訓練のやり方を知らないまま無理をして体を壊しては元も子もありません。そこで部下たちの訓練を指導していたボクが役立てるのではないかと思いまして」
「あー、そうですね、パイシェさんにとっては専門みたいなものですからね」
「はい。どうすれば逞しくなれるか、幼少よりずっとそれを考え続けてきましたから。メルナルディアでもボクほど適切な訓練を指導できる者はおりません」
おおー、言いきった。
そこまで自信があるのか。
「この取り組みによって、あの者たちが体を鍛える喜びを実感できたらしめたものです。先にも述べましたが、訓練によって人は喜びと快感を得ることが出来ます。ですが訓練によって得られるものはそれだけではないのです。訓練によって身体機能が成長することで、正しい努力によって人は成長することを学べ、苦しみを乗り越えることによって苦難にも負けない強い心を育むことが出来ます。これは今、やる気になっているからこそ体験すべきことです。あの者たちはようやく運命と出会おうとしているのです」
「お、おう……」
なんかパイシェの熱の入れようが凄いな……。
「そして訓練の果てに、自らの体に宿る頼もしい相棒――筋肉が成長していることをあの者たちは知るでしょう。筋肉、そう筋肉です。今こそ筋肉を発達させる訓練を行うべきなのです。この訓練を自ずと行えるようになったとき、もうあの者たちは道を誤ることなく清く正しく生きていけるはずなのです」
「そ、そこまで……?」
「はい。まさかそこまで、と思われるでしょうが、これは確かなことなのです。どのような状況になろうと、例えすべてを失うことになろうと側に居てくれる努力の結晶としての筋肉。これほど尊く、頼りになるものそうはありません。それに気づいたとき、人は途方もない開放感と充足感に満たされます。こうなればもう邪な考えに惑わされることはありません。それどころか自分の幸福を人にも分け与えたくなり、結果として人に親切にせずにはいられなくなるのです」
「パイシェさんの部下もそんな感じで……?」
「はい、皆、気持ちの良い奴らばかりです」
「…………」
そいつらに関しては盛大に道を踏み外してるところもあるような気がするんだが……、まあ今それを指摘するのは残酷か。やめよう。
「どうでしょう、上手く行けば町に迷惑をかけていたあの者たちが汚名を返上する機会にもなると思うのですが……」
「わかりました。パイシェさんがそこまで言うなら任せます。あ、でもレヴィリーやバイアーに許可を取ってからですね」
「ご安心ください。すでに許可は得ています」
「じゃあこれについてはパイシェさんにすべて任せますよ」
「ありがとうございます!」
そう礼を言ったパイシェは生き生きとしていた。
しかしながら、訓練しただけで人がそんなに変わるものかと思い、ちょっとシアに話を聞いてみる。
「んー、要は筋トレってことでしょうか。なら意外とありえる話ですよ。筋トレをすると色々と神経伝達物質が出るんですよ。エンドルフィン、アドレナリン、セロトニン、ドーパミン……、気分を高揚させたりリラックスさせたり、まあいい感じにキマるってことですね。あとテストステロンってホルモンも分泌されます。これは筋力増強や骨格形成に作用しますし、他にも決断力や判断力を高める効果もあるようです」
「なんかすげえな……」
「まあ修行みたいなものなんですよ。ほら、厳しい修行の結果、悟ったり神の声を聞いたりってあるじゃないですか、ああいうのはほとんどその分泌物でトリップした結果です。ある意味、筋トレも宗教なのかもしれませんね」
「筋肉教か……」
「正確には筋トレ教です」
「おれも筋トレすれば少しはハッピーになれるかな?」
「なれるかもしれませんよ? それはべつとしてもご主人さまって王都にきてから訓練とかさっぱりじゃないですか。ちょっとは体を動かした方がいいと思います」
「ああ、運動不足はおれも感じていた。でも忙しくて……、冒険の書の三作目も夏の終わりまでには仕上げて試遊してもらいたいと思ってるし……」
「ほらほら、それですよ。その落ちこんだ気分。それを吹き飛ばしてハッピーにしてくれるのが筋トレってわけです。試しに一時間とか始めてみてはどうですか?」
「んー……、考えとく」
曖昧な返事をしておく。
やった方がいいとわかっているものの、いざとなると面倒になるんだよなぁ……。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/27
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/06




