第422話 13歳(秋)…少年王に服を
でっかい子猫が足をジタバタさせながら浮遊する姿というのはなかなかインパクトがあるものである。
ただそのインパクトが強すぎ、普段もそうやって移動するものとつい思い込んでしまった結果の問題として、音もなく足元へやって来たネビアに気づかず歩き出し、ズドムッ、と蹴ってしまうという事故が屋敷でたびたび起きていた。
蹴られたネビアは「みゃっ」と弱々しく鳴き、足をしゃかしゃか動かしてすたこら逃げていく。
酷いことされたにゃん、と体で語るようなその様子は蹴ってしまった者の心を申し訳なさで一杯にさせる。
これを越える申し訳なさとなると、羽化のためにようやく地上へ上がってきた蝉の幼虫を踏んづけてしまった時くらいではなかろうか?
あれはトラウマレベルで申し訳ない気持ちになる。
ともかく『ネビアをうっかり蹴ってしまう問題』についてメイドたちから相談を受けたおれは、簡単な解決法としてネビアに鈴のついた首輪をかけようとした。
が、これがまさかの難航。
爪切りも、お風呂も、普通の家猫なら嫌がって苦労することも受け入れたネビアであったが、鈴付きの首輪だけは「お断りにゃん! 断固お断りにゃん!」と必死の抵抗をしてくる。
音を出す物を身につけることを嫌がるのは、風の魔術で音を消すこともする魔獣の本能なのだろうか?
それでもいずれは慣れるだろうと強引に首輪をつけたのだが、それからネビアは弱々しく悲しげに鳴くようになり、それがあまりに切ない鳴き声だったのでセレスが首輪はやめようとおれに言ってきた。
おれは従った。
ネビアは喜んだ。
セレスも喜んだ。
でも問題は振り出しだ。
「猫の首に鈴をつける、という寓話はまったく正しかったわけだな」
「いや、微妙に違うような気がするんですけど……」
猫の首に鈴をつける、という言葉はイソップ物語から来ている。
仲間が狩られないようにとネズミたちが猫の首に鈴をつけることを思いついたが、誰もそんな危険なこと出来なかったというお話だ。
要は実現不可能、出来ない相談ということである。
「あのな、よく考えてみろ。あの猫の首に鈴つけるとだな、セレスに嫌われてしまうかもしれないんだぞ」
「なるほど、確かにそんな危険はおかせませんね!」
シアはようやくおれの発言の意味を理解し、大きく頷く。
「でもそうなると……、どうするんです?」
「それを相談しているんだろうが。何か案はないか?」
「案ですかー? 困りましたね、鈴が駄目となると、もう猫ちゃんに誰かの近くに来たら一声かけるようにしてもらうくらいでは? もしくはそっと風を起こして居ることをアピールしてもらうようにするのはどうでしょう?」
「ふーむ……、ちょっと試しに伝えてもらうか」
名案かどうかはわからなかったが、ひとまず試してみようとおれはこの案をまずジェミナに伝え、ジェミナがプチクマに伝え、プチクマがネビアに伝えた。
結果、この問題は突然変異を起こした。
犠牲になったのはシャンセルだ。
その時、シャンセルは二階廊下の掃除をしているところだったのだが、そこにネビアが音もなく接近。
そしてシャンセルの足元まで来ると、唐突に「にゃおぉーん!!」と盛大に鳴いた。
まったく警戒していなかったところに、突然の鳴き声。
「ふわぁっ!?」
ビクゥッ、とシャンセルは身を震わせて硬直することになったのだが、そこでネビアがさらに追撃。
突風を巻き起こし、その結果シャンセルのスカートが盛大にめくりあげられた。マリリン・モンローのスカートがめくれ上がる映画のワンシーンなんて生やさしいものではない。まるでそれは突風で裏返った傘。もしバンザイした状態であれば、そのまま服がスポーンと飛んでいったかもしれないというレベルのものだった。
はっきり言って軽いテロであったが、それを引き起こした張本人(?)であるネビアはめくれ上がったスカートの動きに勝手にびっくりしてそのまますたこら逃げていった。
残ったのは茫然とするシャンセルと、部屋から出たところでそれを目撃してしまったおれである。
「ダンナ……、見た?」
か細い声でシャンセルが尋ねてくる。
ここは見てないと言いたかったが、あの状態だ、どう言いつくろおうと嘘だとばれる。
おれは正直に答える。
「見ました」
シャンセルのおパンツは……、なんて言うんだっけか、かぼちゃパンツ? ふわっとしていて、さらに尻尾がある関係か、縦に切り込みがあるような感じだった。
「……う」
「う……?」
「うわーん!」
恥ずかしかったのだろう、シャンセルはダッシュで逃げた。
そして一人残されたおれもすぐに逃げた。
部屋に逃げ込むとかいうレベルではなく、屋敷を脱してクェルアーク家にお邪魔した。
「……いや、そこは大人しく謝った方がよかったんじゃないかな?」
事情を説明したところ、アル兄さんにそう言われた。
「ぼくは悪くないんです! そこに居ただけなんです! 前回もミーネに言われて一緒に居ただけなのに吊されたんです!」
「うん、それはごめんね」
突然の訪問であったがクェルアーク家はおれを歓迎してくれ、その日はそのまま泊めてもらうことに。
アル兄さんとはゆっくり話をした。
もう少ししたら去年会ったミーネの姉であるセヴラナと下の兄であるヴィグレンがこちらへ来るらしい。
「手紙で新しく加わった妖精や猫のことを伝えたから、きっとセヴラナは会うのを楽しみにしているだろうね」
「なんでしたら妖精は引き取ってもらってもかまわないんですけど」
「はは、誘っても君のところから離れるとは思えないな」
うーむ、ダメか。
「ヴィグレンは君が頼んだ絵をだいぶ描き溜めたみたいだよ」
「ああ、そうですか。ありがたい」
お願いしておいたのはカードゲームに使うイラストだ。
カードゲームは焚き火に突っ込んででも救出したくなるほど遊戯の神も期待していることだし、そろそろ企画を固めていった方がいいかもしれないな。
と、おれはのんびりクェルアーク家で一泊したのだが、翌日早朝、嬉しそうにやって来たバスカーと、それについてきたサリスの笑顔を見て執行猶予が終わったことを理解した。
「聞いてくれ、おれがやれと指示したとか、そんなんじゃないんだ」
「はい。それは存じております。しかし昨日の、シャンセルさんが酷い目にあったところで御主人様がネビアを窘めることをして頂けていたなら、第二、第三の犠牲者は防げたとは思いませんか?」
あ、これサリスも被害に遭った感じの……。
△◆▽
十一月となればそろそろ日中も冷えてくる。
アレサはおれの体が冷えることを心配して吊される前に上着を何枚も着せてくれたのだが、そんな心配りが出来るならまずおれを擁護してこんな状態にはならないようにしてくれてもよかったのではと思う。
で、現在アレサは吊されてぷらぷらするおれの足元で跪いて祈っている。
もうずっと祈り続けている。
なんか最近、アレサが一段階おかしくなったように感じるのはおれの気のせいだろうか?
まあ元の世界でも張り付け像に祈りを捧げる宗教が幅を利かせていたし、きっと考えすぎだろう。
おれはアレサが祈り終わったら世間話でもしようと思っていたのだが、お祈りは一向に終わらない。
暇である。
ぷらぷらしているだけである。
きっとそれが罰ということなのだろうが、そもそもおれは悪くない。
これで吊されるのは二回目になるが、どちらもおれは悪くない。
いや、きっと誰が悪いとかそういう話ではないのだ。
ただちょっと……、行き違いというか、伝達が上手くいかなかったというか、状況が噛みあわなかっただけなのだ。
たぶんおれからジェミナ、プチクマ、ネビアと話が運ばれていくうちに鳴き声の大きさとか風の強さとかがおかしくなったのだ。
おれは一緒に吊されてぷらぷらしているネビアに語りかける。
「ネビア、確かにおまえはおれの提案に従ってくれた。賢いぞ。ただ……、ただな、ちょっと鳴き声が大きかったし、風が強すぎた」
こいつは霊獣ということもあるのかずいぶん賢い。
もしかしたらおれが普通に説明した方がよかったのかもしれない。
「鳴き声はな、あれだ、部屋に入れろとさんざんドアの向こうで鳴きまくったあと、ドアを開けてやったら一声鳴くだろ? あれくらいでいいんだ、あれくらいで」
おれにはその「みゃん」がどうしても「バカめ!」と言っているように聞こえてならないのだが……、今はおいておく。
「あと風はだな、もっと弱くでいいんだ。こうだこう。フゥー! わかるか? フゥー! フゥー!」
それこそふと足元に注意を向けさせるくらいでいいのだ。
これで理解してくれたらいいなぁ、と思っていると――。
「レイヴァース卿、こちらにもお願いします」
「何を!?」
今度、ティゼリアにアレサについて相談の手紙を送ることにした。
△◆▽
おれの心からの語りかけが通じたのか、ネビアは誰かの足元に近寄るとき小さく一声鳴き、そっとそよ風を起こすようになった。
やれば出来る猫だ。
これで屋敷で起きた小さな問題が解決。
平穏が訪れたその日、おれは贈り物にする服についての相談をコルフィーにもちかけた。
この服はメルナルディア王国の少年王リマルキスに贈る物、求められるのは着心地よりも各種耐性を持つ魔装であることだ。
パイシェに聞いてみたところ、リマルキスは常にあの魔装と装飾品で覆われた姿で、ちゃんと素顔を見られるのはごく身近な者だけらしく、パイシェもまだ見たことが無いらしい。
もし、おれの作った服が現在身につけている魔装や装飾品よりも高性能になってくれたら、リマルキスはちゃんと人々に素顔を見せることが出来るようになるだろう。
そう伝えると、まだ出来るかどうかもわからないのにパイシェはとても喜び、感謝してきた。
「なるほど……、話はわかりました」
屋敷にある裁縫室、別名『コルフィーの砦』。
魔装の専門家たるコルフィーにリマルキス王の服の構想を語ったところ、神妙な顔でそう言い、深々と頷いた。
「兄さんが針仕事をやる気になっているならちょうどいいです。ここは一緒に皆さんの下着の製作もやりましょう」
「……へ?」
妹が何を言っているのかわからない。
「皆さんって?」
「そりゃ皆さんですよ。シア姉さん、ミーネさん、サリスさん、ティアウルさん、ジェミナさん、シャンセルさん、リビラさん、リオさん、アエリスさん、ヴィルジオさん、パイシェさん……? もしかしたらさらに増えるかもしれませんがともかく皆さんです」
「……下着?」
「下着です。まず兄さんにはたくさんデザインを描いてもらいます」
「待った。待った。わからない。コルフィー、君にとってリマルキス王に贈る服を作ろうという話が、皆の下着を作るという話に結びつくのはとても論理的な流れなのかもしれないが、おれにはさっぱりその繋がりがわからない」
意味不明すぎて尋ねると、コルフィーはやれやれと首を振る。
「兄さんがやる気になっているなら、と言ったじゃないですか。もともと私は兄さんに下着製作の手伝いをしてもらおうと考えていた、それだけのことですよ」
「いや、そんなのコルフィーがデザインして作ればいいだろ! 男のおれを関わらせてどうするんだよ!?」
そう言った瞬間、クワッとコルフィーの表情が険しくなる。
「デザインする能力に男も女もないのです! 私では皆さんの期待に応えられるような下着は作れないんです! だから、もうここは兄さんがやるしかありません! そもそもこれは兄さんが発端です!」
「なん……、だと……?」
おれが愕然とするなか、コルフィーはこの下着製作のきっかけを語り始めた。
※誤字と文書の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/05
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/17




