第415話 閑話…憧憬と焦燥
誕生日の深夜、クロアはふと目が覚めた。
夢を――見た。
どんな夢だったのか、それを思い出すことは出来なかったが、激しい鼓動と胸にこびり付いている焦燥感からして楽しい夢でなかったことは確かだ。
すぐに眠り直すと夢の続きを見るかもしれない。
クロアはどうしようか考えた末、ちょっと外の空気を吸うことにして部屋を後にした。
廊下に出ると、精霊たちが現れて明かりになってくれる。
クロアはそのまま一階へ向かい、玄関を抜ける。
とぼとぼ訓練場の中央まで歩き、立ち止まって深呼吸。
耳を澄ましてみるが、聞こえてくる音は無い。
風も吹かない夜。
町は眠りの中。
静寂のなか夜空を仰いでみるも、生憎と今日は曇り。
星は見えない。
それでも眺め続ける。
と――。
「少年、こんな夜更けにどうしたのかね?」
気づけば目の前に人影。
声の主は少年と呼びかけてきたわりには、自分もまだ大人とは言えない少年だ。
そして顔にはオークの仮面。
「え……? オーク仮面……?」
去年、この王都エイリシェに出現したという謎の怪人。
おそらく兄だとクロアは思っていたが、どうやらそれは思い違いであったらしい。
いくら兄でも、この静寂の中でほんの微かな物音一つ立てず、唐突に出現するほど人間離れはしていないはずだ。
「そう、我はオーク仮面。生憎と、今はオーク串の持ち合わせがないのだ。すまないな」
「い、いえ……、お腹はすいていませんから……」
「そうか、それは重畳」
なんだこの会話?
まったく予想もしなかった怪人の出現にクロアは戸惑う。
「では少年、あらためて尋ねよう。こんな夜更けにどうしたのかね? 星すらない夜空を見上げ、探したものは何かね?」
「え、えっと、なにか探していたわけじゃなくて――」
「似ていると思った?」
「――ッ」
曇る夜空を眺め、今の自分のようと思ったのは確か。
ずばり言い当てられ、クロアは驚いた。
オーク仮面はさらに続けようとしたが――
「その子をたぶらかすのはやめてもらおうか」
背後からの声がそれを遮る。
クロアがふり返ると、片手にアークを抱えたメイド姿のリィがこちらへ向かってきていた。
そしてクロアが再び前へ向きなおったとき――
「――ッ!?」
そこにオーク仮面の姿はなかった。
「ふえ……!?」
現れたときも驚いたが、目の前にいた人物が目をはなした一瞬に消え失せていたのにはもっと驚いた。
あまりにも忽然と、実は立ったまま夢を見ていて、今まさにそれが覚めたのではと錯覚すらしてしまう。
「リ、リィさん、消えた……」
「ああ、瞬き一つで消えやがった」
正面に捉えていたはずのリィですらも、消える瞬間を見ることはできなかったようだ。
「……話が違うじゃねえかよ、まったく、師匠も大概だったがまだ現実的だったんだぞ……。なんか像は光ってるし……」
リィはぶつぶつ呟きながらやってくると、クロアの頭をそっと撫でた。
「クロア、大丈夫か? 何もされなかったか?」
「う、うん……、大丈夫です」
「そうか、ならいいんだが……、でもどうしたんだ? こんな夜中に」
「ちょっと目が覚めて……、リィさんは?」
「私は考え事したらこの時間になっててな、そしたらこのクマが来い来い呼ぶから出て来たんだよ。お前が変なものと話してるのを見たときはびっくりしたぞ」
「ごめんなさい」
「いや、謝ることはないんだ。悪いものではないみたいだからな。まあだからって良いのかと尋ねられたらかなり疑問だが……」
苦笑し、リィはちょっと考えてから言う。
「なあクロア、何か気がかりなことでもあるのか?」
「えっと……」
無いとは言えず、クロアは口ごもる。
「まあ話してみろよ。こう見えても長生きしてるからな、助言くらいは出来ると思うぞ? 大丈夫、誰かに言ったりしないからさ」
クロアはちょっと迷ったが、やがて悩みを打ち明けることに。
悩みは尊敬する兄に起因した。
それまで『お話』として兄の活躍は聞いていたが、エクステラ森林連邦で実際にその活躍を目にしてから、クロアの中には小さな焦りが生まれた。そしてその小さな痼りは、ルーの森でセレスを守る兄としての役割を果たそうとした経験によって大きくなった。
兄は国すら救う。
けれど自分は妹を守ることでも精一杯。
クロアはこの差に愕然としたのだ。
憧れが、あまりにも遠すぎて。
「兄さんは今のぼくと同じころ、もう冒険の書を作っていました。でもぼくはなんにもできてなくて……、それに何年たってもぼくじゃあ兄さんみたいになれないんだろうって思って……」
「なるほどなぁ……」
話を聞いたリィは微笑む。
その笑顔は楽しげなものではなく、何か感じ入るような、寂しげにも見える笑みであったため、クロアにはリィが自分の悩みを軽んじているわけではなく、むしろよく理解してくれているように思われた。
「んー……、そっかー、そうだなぁ……」
リィはしきりに唸り、それからうんと頷いて言う。
「兄ちゃんは好きか?」
「え? う、うん」
「そっか。なら、その悩みは解決するよ。途中、兄ちゃんが疎ましく思うようになるときもあるだろうが、最後にはな」
そうリィは断言し、さらに続ける。
「ただ……、な。どうだろう。自分で気づいた方がいいのかもしれないが……、遅い場合もある。だから……、そうだな。ちょっと私の話をしようか」
と、リィは自分と師匠――シャーロットの話を始めた。
「私の師匠が凄い人物ってのは知ってるよな?」
「うん、兄さんが一番尊敬してる人」
「あー、そこはちょっと疑問だが……、まあそうなんだろう」
リィは光るシャーロットの像をちらっと眺める。
「まあなんつーか、師匠は凄かった。凄すぎた。私もそれなりに有名だが、師匠のついでに思い出される程度だ。初めは誇らしかった『シャーロットの弟子』って称号だが、いつからか疎ましく思うようになった。いくら頑張っても師匠の足元にも及ばないし、回りから評価されるときはいつだって『さすがシャーロットの弟子』だったからな」
リィの話をクロアは黙って聞いた。
シャーロットとリーセリークォートの立場。
それはいずれ自分が辿り着く未来のようで。
「師匠と別れてからもそれは続いた。だから私はアーカリュースなんて名乗り、正体を隠して活動するようになった。私自身を正当に見てもらうためにな。まあそれなりに有名になったよ。周りの評価も上々で気分もよかった。初めの、うちは……」
と、軽く語っていたリィの口調がそこから鈍る。
「いつからか、何も感じなくなった。評価されたとしても、それがなんだって感じだ。おかしいよな、それを望んでいたはずなのに。なんて言うか、心にぽっかり穴が空いたような感じでさ、褒められても嬉しくもなんともないんだ。いったい自分はどうしちまったんだろうって考えたよ。それでさ、気づいたんだ。やっと」
リィは項垂れながらも話を続ける。
「私が本当に評価してもらいたかったのは誰か。本当に褒めてもらいたかったのは誰か。……師匠だ。師匠だったんだ。でもそれに気づいたとき……、師匠はもう……、居なかった……」
それはまるで懺悔のようで、震える声に、クロアはリィが少し泣いていることを知る。
「師匠と自分との差が埋まらないことに、焦ったのが始まりだったのか、憧れは、嫉妬になって、勝手に疎ましく思って、師匠が去ったことに安堵……、喜びもして、結局はこの有様さ。まったく馬鹿だよ、私は」
鼻をすすり、目を拭ってリィは顔を上げる。
その優しげな苦笑はクロアにとって印象深く、美しくすら思えた。
「クロア、私はさ、何もお前が兄ちゃんみたいになる必要はないと思うんだ。今のお前は充分凄いし、それはちゃんと、お前の兄ちゃんだって認めてる。いや、たぶんお前の兄ちゃんが一番認めてるよ。お前が憧れている兄ちゃんが、お前をちゃんと評価しているんならさ、焦る必要は無いんじゃないかな。世界なんて救わなくても、お前にとって兄ちゃんは自慢の兄ちゃんだろ? なら、世界なんて救えるようにならなくても、あいつにとってお前は自慢の弟だよ」
なあクマ、とリィはアークに言う。
急に同意を求められたアークは「え?」とリィを見上げたあと、うんうんと頷いた。
リィの話でクロアの悩みが完全に解消されたわけではない。
けれど、それでもずいぶんと気が楽になったのは確かだった。
それに自分の気持ちを理解してくれる人がいるという安心もあった。
「ありがとう、リィさん」
「どういたしまして」
ちょっと照れたようなリィ。
その仕草は可愛らしく思える。
「しかしなぁ、身近に凄いのがいるってなると、やっぱりそういう悩みは生まれるもんなのかな。そういや師匠はそのあたりのことを後悔しているようだったし……」
「後悔……?」
「師匠には弟がいたんだ。師匠が実験――じゃなくて、構築した『魔法』というものを最初に教えた奴だな。凄く才能があったって話だけど……、疎遠になったって話だ。師匠は導名を得ようと必死だったから、その頃は気にかけられなかったらしい。歳くってから、もっとちゃんと見ていてやればよかったって思うようになったみたいだ」
「そうなんですか……」
「ま、その点に関しては、お前の兄ちゃんは師匠より立派だな。いつもお前のことを気に掛けてるみたいだしさ」
微笑みかけられ、クロアは大きく頷いた。
これにて6章『深緑への祝福』は終了です。
すいませんが一週間の準備期間を挟ませてもらい、次回の更新は3月14日を予定しています。
次章はエルトリア問題解決編『獅子と猪』をお送りします。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/27
※誤字と文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/05




