第412話 13歳(秋)…汚染拡大とその終息
うちに来たばかりの頃、ネビアはぬいぐるみたちによく襲いかかっていた。
床をうろちょろする奴にも、天井付近をふわふわ浮遊している奴にもネビアは果敢に挑んでいったが、最終的にはぬいぐるみ軍団に囲まれてぽこすか袋だたきにされるという結末を迎えていた。
今ではさすがに懲り、ぬいぐるみたちに襲いかかることはなくなったが、クマ兄貴だけは例外なようで襲いかかって敷き布団にしているのをよく見かける。ぬいぐるみ派閥の関係か、誰にも助けてもらえないクマ兄貴は子猫が飽きるまで敷き布団にされていた。
このように、一番やんちゃして屋敷を引っかき回しそうと懸念していた子猫が早々に身の程を知って落ち着いたのは喜ばしいことだったのだが、かわりなのかなんなのか、にゃん娘化したシアの影響が屋敷をおかしくしていた。
この影響を最も受けてしまっているのは、シアに一番なついているセレスである。
セレスはコルフィーに作ってもらった猫耳をつけ、猫化した姉となんとか意思疎通すべく、懸命に「にゃんにゃん」と語りかける日々。
話だけ聞けばそれは悲劇的だ。
しかし……、絵面的には困ったことに可愛らしくほのぼのとしたものであり、それを目の当たりにしたミリー姉さんはあえなくノックアウトされた。
今ではミリー姉さんも猫耳を付け、シアとセレスに混じって嬉しそうににゃんにゃんしている。
ミリー姉さん、この世の春であった。
「にゃんということでしょう。力がみなぎります。今ならお爺さまを追い落として女王にもなれそうです」
やめろ。
もしやれてしまったら絶対この国の黒歴史になる。
さらにまかり間違って事の経緯が知れ渡りでもしたら、きっと歴史の逸話として語り継がれてしまうことだろう。
そんな錯乱する主人につきあってか、シャフリーンも猫耳をつけており、感想を求められたので凛々しくて素敵ですと答えておいた。
まんざらでもなさそうだが、鳴き声は棒読みだった。
そんなにゃんにゃん汚染は気づけばさらにミーネ、ティアウル、ジェミナに及び、猫耳をつけて誰彼かまわずすり寄って甘える行動が屋敷で流行りだした。
正直戸惑ったが、シアが正気に戻った時、みんな一緒になってやっていたのであれば少しは気持ちも楽になるだろうと考え、おれはそれを受けいれる。
「にゃんちゃん、にゃんちゃん」
「ジェミ、撫でる。にゃん」
「はいはい」
撫でて欲しいならば誰であろうと撫でよう。
どんと来いの心構えであったが、翌日、サリスがウサ耳を生やしてぴょんぴょん言いだしたときはさすがに天を仰いだ。
もしかしたらこの屋敷は間違った方向へ爆走中なのではないかと不安を――、いや、今更か……?
だがこれ以上おかしくなるのは食い止めたいのだ。
でもここで止めるのは……、躊躇われる。
ここで中止したら、サリスは自分のウサ耳が似合わなかったのだろうかとショックを受けてしまうかもしれない。
「御主人様、どうですかぴょん」
「可愛い可愛い」
可愛いのは本当だし、皆が楽しんでやっているならもう構わないのだが……、いや、やっぱ心配になるわ。
そんなサリスのぴょん化が契機となり、一気にケモ耳化が拡大。
おれ以外の全員がケモ耳持ちと化した。
妖精たちもちっこいケモ耳をつけ、さらに両親、ティアナ校長やデヴァスまで付き合いでケモ耳を装着している。
その頃になると、どこからともなく湧いたルフィアが皆の写真を撮りまくり、おれは代わる代わる誰かを撫で撫でしているという状況になっていた。
「……やはりぼくが悪いのでしょうか、屋敷がどんどんおかしくなっていくのは……」
校長室。
ケモ耳を付けたティアナ校長とヴィルジオ、そんな二人とお茶をしながらおれは現状を嘆いた。
大量の精霊に、動き回るぬいぐるみ軍団。
妖精がやかましくお菓子をねだり、犬もどきとヒヨコもどきが闊歩、猫がじたばたしながら宙を泳ぐ。
ファンタジー世界なのに、そのなかでも『ファンタジー』と分類される状況となってしまった屋敷の有様に、おれは責任を感じていた。
「ぼくが来るまでは普通の屋敷だったのに……」
「レイヴァース卿が原因であるのは確かですが、そこに責任はないと思いますよ? レイヴァース卿が様々な問題を解決した結果としての状況ですし、ご自分のお屋敷ですから」
「皆、それなりに楽しんでおるし、気にすることもなかろう」
そう言うヴィルジオは初の猫耳姿をティアウルに笑われたあと、ティアウルの頭を掴んで高い高いして楽しんでいた。
「あー! あだだー! ごめんごめん、ごめーん!」
宙づりで叫ぶティアウルはなんだか引っこ抜かれたマンドラゴラみたいだった。
以後、ヴィルジオのケモ耳姿への否定的な意見はどこからも聞かない。
「まあシアの状態に端を発する状況については、快く思ってないのが二人ほどおるが……、妙な意地を張って素直になれんだけだしな」
にゃんにゃんに毒される屋敷だが、自前のケモ耳を持つニャン娘とワン娘の二人だけは、その空気に流されることはなかった。
「感じるニャ。大きな流れを感じるニャ……。しかし、ニャーはその流れに屈することが出来ないのニャ。ニャーの中にある誇りがそれを許さねえのニャ……!」
「あー、立つ瀬がねえぜ……」
自前のケモ耳を持つ二人には譲れないものがあるようだ。
ちなみにこっちにも来るようになったユーニスであるが、犬耳を付けたクロアと問題なく仲良くやっている。
△◆▽
そんなにゃんにゃん汚染であったが、ルーの森から帰還後、十日ほど経過した夜の夕食時、シアがハッと顔を上げた瞬間から収束が始まった。
シアは上を見あげたまましばらく硬直。
おそらく、これまでの自分の行動を思い出し、そしてどうすれば違和感なく日常へ戻れるか考えたのだろうが、こんなわかりやすく硬直してしまっては手遅れだ。ここはまだ猫化している振りをしてやり過ごし、明日の朝、何も覚えていないような素振りで出て来ればよかったのだろうが、もう後の祭りである。
これで皆に自分が我に返り、そしてこれまでのことを覚えていると知られてしまった。
その時のシアの表情、リビラに言わせるとこうである。
「まるですべてを終えたあと、もう帰るべき場所が無いことをあらためて感じている復讐者の顔ニャ……」
意味がわからない。
まあ普通ではないということだ。
そんな急に様子が変わった姉へ、セレスは不思議そうに言う。
「にゃにゃん、にゃんにゃんにゃ(ねえさま、どうしました)?」
にゃん娘化したシアの影響を受けすぎたセレスはもはや人語を話してない。
しかし言いたいことは皆に伝わる。
不思議だ。
「……にゃ、にゃん……」
シアはか細い声でそう応え、それからぷるぷるし始めた。
どんな葛藤があるのか……、おれにはわからない。
そんなシアの様子に、メイドたちは誰からともなくそっとケモ耳を頭から外すと、静かに食堂から退出していった。
「みんなの優しさが痛い……!」
絞り出したようなシアの嘆きであった。
△◆▽
シアは望んでにゃんにゃんしていたわけではなかったが、だとしてもその行動が恥ずかしいものであると理解できる皆だからこそ、シアにかける言葉はなく、そしてその旅立ちを止めることは出来なかった。
翌日、シアは夜明けと共に旅立って行った。
いつか、その心の傷が癒えたときにまた会おう……。
「にゃんにゃ、にゃんにゃにゃんにゃにゃん(にーさま、シアねーさまはどこへおでかけしたんですか)?」
「少しのあいだルフィアさんのところでお世話になるんだって」
「にゃーん(どうしてですか)?」
「どうしてだろうねー」
「にゃん、にゃにゃん(セレスもいきたいです)」
「あー、それはちょっと我慢しよう」
「にゃーん(どうしてですか)?」
「どうしてだろうねー」
クロアが困った様子でセレスを諭している。
まあクロアの誕生日までには戻って来るだろう。
来なかったらその日だけでも連れ戻しに行くが。
しかし……、あいつそろそろお姉ちゃんとしての化けの皮が剥がれてきてるな。
他人事と思わず、おれも気をつけることにしよう。
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/22




