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おれの名を呼ぶな!  作者: 古柴
6章 『深緑への祝福』編
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第406話 閑話…聖女とは(後編)

 殴り倒す。

 殴り倒す。

 聖女たちはひたすら襲いかかってくるエルフたちを殴り倒す。

 何を言われようとお構いなしで殴り、歌い、ひたすら女王イーラレスカの居る神殿を目指して道を進む。

 やがて里に辿り着くと、状況が少し変わった。

 それまで果敢に挑んできたエルフの衛兵たちはただ突っ込むだけでは殴り倒されるだけだとようやく悟り、聖女たちの前を塞ぐように陣形を作ったのだ。

 しかし、そんなものおかまいなしに聖女たちは進む。

 結果、エルフたちは聖女五人に威圧され、勇敢なことを言いながらも距離が縮まらないよう後退することになった。

 殴り倒された者たちは、聖女たちの歌――範囲回復魔法によって外傷を残さずまったくの健康体であるものの、もう彼女らをどうこうしようと襲いかかることはできないでいる。

 再びあの痛みを受けると想像するだけで身はすくみ、気力は鈍り、立ち上がることすら放棄――意識よりも前に本能が拒絶するのだ。

 例えば足を挫いた程度でも、その痛みを無視してそれまで通りに歩くのは困難で、強い意志を必要とする。では一撃で深層意識にまで刻まれる痛みとなればどうか。それに再び立ち向かうなど、並外れた覚悟を持った者にしかできぬことであり、女王が作りだした里の雰囲気に呑まれ、討伐戦士を気取る思想家程度ではとても無理な話だった。

 さらにまだ聖女の一撃を受けていない者たちであっても、里の仲間が聞いたこともないような悲鳴を上げ、のたうち回る様子をこれでもかと見せつけられてしまえば、いったいどれほどの痛みを受けることになるのかと恐怖を抱くことになる。

 弱気になり、士気など存在しない隊列など意味をなさず、聖女たちに立ちふさがれるわけもない。

 しかしそれでも、衛兵たちに染みついた偽りの誇りは、無様に散り散りとなり、女王の守りを放棄することだけは拒んだ。

 とは言え、このままでは女王のいる神殿まで後退するだけ。

 攻めなければ、止めなければ。

 理性は行けと命じるが、本能が拒絶し、意識は攻めてはいけない理由を探してしまう。

 自分一人が飛びだしても餌食になるだけだからとか、下手に聖女を攻撃して範囲回復の歌がとまってしまえば一撃を受けた者は重傷のままになってしまうとか。

 戦わねばならぬという意識と、戦いを拒絶する本能。

 そんな葛藤などお構いなしに、悠然と歩み寄ってくる聖女たち。

 緊張状態の中、抑圧された精神はやがて決壊を迎える。


「うおぉぉぉ――ッ!」


 陣形を形成する一人が叫ぶ。

 すると次々に雄叫びが上がり、その場にいた全員での合唱となった。

 覚悟を決めたのではなく、緊張と抑圧に耐えられず、精神が爆ぜてしまったのだ。

 錯乱状態は伝播し、自棄となったエルフたちは全員一丸となって聖女たちに突っ込んだ。

 打たれる者がいた。

 馬鹿みたいな像で薙ぎ払われた者もいた。

 だがこのエルフたち、数だけは多い。

 誰かが犠牲になっている間に、槍が、弓が、魔術が、恐るべき聖女たちに届く。

 やった――。

 そう誰もが思った。

 森に引きこもっていたエルフたちは、聖女とはいかなるものなのか知る機会がなかった。

 だからこそ思ってしまった。

 これで聖女たちも止まると。

 そんな喜びの中、エルフたちが見たのは、魔術を受け、矢を受け、槍を――中には貫いているものすらあるにもかかわらず、まったく気にする様子もなく歌い、攻撃を続ける聖女たちの姿だった。

 そのなかでアレサに槍を突き刺したエルフの男は、その異様――、いや、異常としか言えぬ聖女たちの戦いぶりに、畏怖よりも疑問が先んじて言葉となった。


「な、何故、お前達は止まらない……!? 痛みがないのか……!」


 アレサは微笑み、答える。


「我々聖女は痛みに詳しくなければなりません。どのような道具がどのような痛みを人に与えるのか、よく知り、慣れ親しんでおかなければなりません。故に、聖女となる者はまず、すべての痛みを知るのです」


 それは聖女となるための通過儀礼。

 斬撃、打撃、刺撃、焼かれ、割かれ、落とされ、沈められ、世に存在するすべての痛みを知るという狂気の試練。

 もちろん耐えられぬ者も居る。

 いや、耐えられる者が希に居る、と言うべきか。

 あらゆる苦痛を与えられ、それでもなお世のため、人のため、その信仰心を失わずにいられた者が聖女となる資格を得るのだ。

 叩かれ叩かれ、鍛え上げられた鋼の精神――、いや魂か。

 聖女とは、鋼の魂を持つ信仰の獣なのである。


「あ……、あぁ……」


 それを聞いたとき、エルフの男は敗北を悟った。

 男はそれほどの苦痛に耐えてなお理想を持ち続けることが自分には出来ないと理解してしまったのだ。

 それはエルフたちが信じる、里に蔓延した思想に自己犠牲を尊ぶ傾向があったが故でもあった。

 自分を犠牲にしてでも叶えるべき理想があるというのに、自分はただの痛みに屈してしまう。

 誰もが屈するならば仕方ない。

 だが、目の前に屈しなかった者が――、そしておそらくこれからも屈することのないという、理想を体現した者がいる。

 それを知って男は折れたのだ。


「さあ、祝福を与えましょう」


 唖然とする男めがけ、アレサがメイスを振りおろす。

 一撃はあまりにも痛かった。

 歯を食いしばって耐えるとか、そんなことに意識を割く余裕すらももはや無く、地に伏し、無様な悲鳴を上げてのたうち回ることしか出来なくなる。

 無理だ。もう無理だ。

 男は理想のためならばどんな試練、困難にも立ち向かえると信じていたが、ただの一撃でその覚悟は砕け散った。

 痛みに屈して思想を放棄することは負けなのか?

 人は痛みに耐えうるようできていないのだから仕方ない?

 そう考えてしまう時点で『真』ではない。

 本当に、本当に、本当に、自身のすべてを信ずるものに捧げているならば、『信じている』という状態以外に変化しようがないのだ。

 大地は大地、空は空。

 変わらず、変えることなど出来はしない信仰の強度。

 それが聖女を聖女たらしめる。

 激しい痛みにのたうち回った男だが、やがて痛みが治まってきたがもうアレサを留めようとする気力は根こそぎ失われていた。

 と同時に、それまで信じていたものの喪失によって谷に放りこまれ落下していくような、絶望的な喪失感を抱く。

 自分はいったい何をしていたのだろう……?

 するとそのとき、アレサと倒れ伏す男の間に割って入る小さな人影があった。


「父さんをイジメるな!」


 それはまだ十年も生きていない息子。

 愕然とした。

 父を守ろうと、この恐ろしい聖女に立ちふさがる息子の姿は男にとってあまりに眩しかった。

 親は子を守るもの。

 だが子とて親を守ろうとする。

 なのに、自分は、と男は自らを省みた。

 この程度、一撃打たれただけで理想を放棄してしまうような覚悟で親を捨てた。追放することに賛同した。

 本来であればこの息子のように、庇わなければならなかったのに。

 親は多くは語らず、大人しく追放を受け入れた。

 いや、今ならばわかる。

 父は、母は、この女王が統治する里のなかで、自分の子供の立場が悪くならぬよう抵抗しなかったのだと。

 守ってくれていたのだと。


「う、おぉ……、おぉ……」


 自分はなんと、愚かなのか……。


「息子よ……、その人は父さんを苛めているわけではないのだ。罰しているのだよ。父さんは打たれるだけの理由があったのだ」


 悔い改めたとき、人は罰せられることを望む。

 罰せられることが罪の償いに、そして許しに繋がるが故。

 あまりの幸福を感じたとき、ただただ感謝せずにいられないように、己の罪深さを知ったときは罰を求める。自分よりも大きなもの、偉大なもの、多くの場合、それは信ずる神であるが、この男はアレサにそれを求めた。

 しかし――


「良い息子さんですね」


 アレサはそう言うと、自らに刺さった槍を引き抜き、地面に突き立て男と子を通り過ぎ、神殿へと歩を進める。

 すでに聖女たちに襲いかかった同胞はすべて叩き伏せられていた。

 続いていく歌と歩み。

 皆がどう思っているかわからないが、男にとって聖女たちの後ろ姿は神々しく、犯しがたい神聖なものに思われた。

 おお、あれこそ平和への歩み――。


    △◆▽


 息子と義理の娘が王都へと旅立ったその年の夏、家に竜がやって来た。

 ロークはてっきりクロアとセレスが襲われていると思い、咄嗟に竜に蹴りをいれたのだが、実はその竜は息子の手紙を持ってきてくれたお客さんだった。

 竜はアロヴという名で、いきなり蹴りを叩き込んだことも笑って許してくれる大らかな人物。

 そんなアロヴに息子が百獣国の英雄になったことを聞かされたとき、ロークは誇らしさよりもまずはよく理解できなくて唖然としてしまった。

 息子は普通とは違うと感じてはいたが、いくらなんでも『スナーク狩り』は無茶苦茶だ。

 本当に自分のような者から生まれた息子なのかとリセリーに話したところ、自分の浮気を疑われたのかと思ったリセリーにキレられた。

 それからしばらく経ち、冬が近くなった頃に英雄となった息子から届いた、王都へ来ないかとの手紙。

 そのなかに従聖女になったアレグレッサについての話もあった。

 聖女――。

 恐れられる理由についてはロークも話だけは知っていた。

 断罪によって髪が白くなるまでの拷問――、ではなく、お仕置きをするという女性たちは、結婚しろと魔法をぶちかましてきた我が妻とどちらが恐いのだろうと、ふと思う。

 直接関わったことがなかったため、実際、聖女がどのような人物かは想像するしかなかったが、いざ王都を訪れ、会ってみたところ、アレグレッサはとても良いお嬢さんだった。

 どうやら自分は聖女の恐い話ばかりを聞き、勝手に恐れていたのだな、と密かに反省することになったロークだが……、ここに来てその考え方をさらにあらためた。

 あのアロヴや竜たちが、子供みたいに同行を拒否したわけだ。

 聖女は恐い。

 妻よりも恐い。

 あのいつも微笑みを絶やさない可愛らしい聖女アレグレッサが、悲鳴をあげてのたうち回るエルフを量産する様子はロークを恐れおののかせるに充分なものであった。

 そしてそんなアレグレッサと、さらには他の聖女たち、そして聖都の人々が自分の息子を猊下と崇めている事実に、ロークは「どうしてこうなった!」と心の中で叫ばずにはいられなかった。

 子育てを失敗したとか、そんな問題ではないはずだ。


「(息子よ、息子よ……! お前はいったいどこまで行くつもりなんだ……! いや、そこはまあいい! だが……、誰を選ぶとかそういうことはちゃんと考えているか……!? こじれたら結婚を迫ってきたリセリーとかそんな規模じゃない惨事になるぞ……!? 父さんは今からそれが恐い……!)」


 ロークは聖女たちの戦いぶりを見て恐れ、そこから息子の未来を想い、そしてさらに恐れた。


    △◆▽


 逃がした女が仲間を連れ舞い戻ったという知らせにイーラレスカは焦りを覚えた。

 報告では竜が五体、その背に乗る者たちが合わせて六名らしい。

 このなかでやっかいなのは五体の竜――、その気になれば一気にここまで到達してくるだろう。

 ここはひとまず招き入れ、話を聞くべきか。

 なんとか交渉――追放した者たちの解放を条件にして竜を森から遠ざける?

 しかしすぐに解放を迫られた場合はどうするか。

 結界内に追放した者を召喚するようなことは出来ない。

 場合によっては森でのたれ死んでいる可能性もあるため……、最悪、森から脱する必要に迫られるかもしれない。

 しかし上位者を誕生させるためにこれだけの準備をした。

 できればこの森から離れるのは避けたい。

 この森の女王であるという立場、そして悪神の助けがあってようやくこの状態に出来たのだ。

 ここ以外となると……、さすがに難しいものがある。

 イーラレスカが悪神と関わったのはリーセリークォートがシャーロットと別れ、森に帰ったあとからであった。

 同年代であるにもかかわらず、若い姿を保ったリーセリークォートにイーラレスカは激しく嫉妬し、格下の存在と思っていた彼女が外の世界では誰もが口を揃えて褒め称えるシャーロットの弟子として認められた存在となっていることに歯が砕けそうなほど歯軋りした。

 そしてシャーロットによって若返りの魔法を使われたと知ったときは、憎しみを通りこして殺意が生まれた。

 どうして自分ではないのか。

 あらゆる栄光を受けるのが、若さを享受するのが。

 何もしていないから――、と、子供でもわかりそうな事実すらわからぬほどの自己中心。

 欲しい、欲しい、あらゆるものが。

 だが今は若さが、若さが欲しい。

 その呪いのごとき渇望が悪神の興味を惹いたのだ。

 悪神。神。まさに上位者。

 ここで悪神が若返らせてくれたらそれが一番てっとり早かったのだが、残念、それは叶わなかった。

 悪神は成長する者、挑む者、自ら助くる者を助く。

 ただ願いを叶えてくれるのではないらしい。

 代わりに悪神がしてくれたのは、とある魔導師への口利きであった。

 訪問してきた二人の魔導師。

 話してみると、若い方が悪神から指示を受けた者であり、年配の方は彼から学ぶために同行を許された者だった。

 若い魔導師はまず、イーラレスカの要望を聞くことに専念した。

 目標は若返りであり、そのために不可欠な上位者であるが、これは完全に自分に従うものでなければならない。

 自分よりも上位でありながら、下位となる自分に従う存在とはやや矛盾を孕むものであったが、若い魔導師は世にはそういう主従関係も有り得ると言う。

 例えばそれは魔物使い。

 幼獣の頃から飼い慣らしたことにより、自分よりもはるかに強い魔物を完全に支配下においている者である。

 ただ今回の場合、ただ強力なだけの魔物を使役できるようになっても何の意味もない。上位者の候補として挙げられたのは大精霊や覇種といった伝説的な存在であったが、これはさすがに現実的ではなかったため、第三の候補が挙げられた。

 それが霊獣。

 魔素の多い地域――魔境となる場所ではただの獣でも魔術を使える個体が出て来るが、霊獣とはそんな領域で希に生まれる存在だ。

 特殊な状況で生まれる特別な個体であり、長い年月を生き、やがては精霊のような存在へと至る存在だ。準覇種とも言われ、その地域の守護獣であれば聖獣とも呼ばれる。

 ルーの森に張った結界の目的はこの霊獣の誕生。

 霊獣が誕生した暁にはすみやかに従属させ、結界からの解放を条件にリーセリークォートに若返りの魔法をこの霊獣に授けさせる、それがイーラレスカの計画であった。

 しかし現段階では霊獣の誕生を確認できていない。

 去年、召喚を試してみたが、何も呼びだすことは出来なかった。

 やはり範囲を狭め、魔素を集中させた方がよかったのか?

 だが霊獣が誕生するのは本当に希なことであるため、範囲を広くとってそこに生息する動物の数を増やすのも重要だった。


「(……ひとまず召喚を試しておくか。もしかしたら最近誕生したかもしれん)」


 召喚の発動はそれなりに時間がかかる。

 結界の外周から中心に向かって条件に合う存在が探索され、見つかった段階で召喚されるのだが、居ない場合は何も起こらない。


「(どうやってこんなことを実現しているか知らんが……、あの若い方は残しておきたかったな)」


 もしルーの森を追われることになったらあの若い魔導師を頼らなければならないところだが……。

 保身のために思考を巡らせるイーラレスカ。

 さらなる状況報告を待っていたが、そこで受けた報告は朗報とも凶報とも判断のつかぬものだった。

 危険視していた竜は森の入口で待機しており、使者と思われた女性五人が衛兵たちを殴り倒しながらこちらに向かって進撃してくるというのである。

 竜が飛んで来て火を放たれるよりはマシだが、たった五人を衛兵たちが止められず、里にまで到達してしまうのもまた問題。

 やがて女たちは里に姿を現した。

 兵を総動員して当たらせたが……、情けないことにあっさりと突破され、もう神殿から見下ろせる位置まで侵入を許している。

 神殿の守りをしている特に優秀な衛兵――近衛兵たちが女に襲いかかっていくが――


「あやつら正気か!?」


 槍で突かれようと、魔法を放たれようと、女たちはかまわず近衛兵を殴り倒している。

 確か聖都の聖女。

 あれほど狂った連中であったことに、イーラレスカは愕然とした。

 聖女たちは近衛兵を薙ぎ倒し、いよいよ神殿へと近づいてくる。


「ええい、こうなったら……!」


 イーラレスカは魔導杖を使い、神殿の防御機構を起動。

 これにより、神殿を形成するピラミッドは侵入を拒絶する結界に覆われる。

 ひとまず距離を置いて話ができる状況を作り出せたことにイーラレスカは安堵。もし交渉にすらならなくとも、いざとなればここから屋敷の地下室に転移し、持つ物を持って逃げることが出来る。

 ともかくまずは交渉――、そうイーラレスカは考えていたが、そこで聖女の一人、アレサが結界への侵入を開始した。


「……は?」


 イーラレスカは唖然とするしかなかった。

 これは触れただけで破壊の力によって損傷する結界――ダメージフィールドである。果実を放りこんで確認したことがあるが、果実は地面に落ちる前にズタズタになって原形を留めなかった。

 障壁ではなく結界、壁ではなく領域。

 理想は何者をも拒絶する仕掛けであったが、これとて侵入しようとして出来るものではない。武器であろうと魔法であろうと、神殿そのものを消し飛ばすような威力でもないかぎり攻撃もこちらへ届く前に消滅する。

 なのにアレサは侵入し、階段を一段一段と上がってくる。

 結界の不備かとも思われたが機能は正常に働いており、確かに破壊の力はアレサの体を引き裂いていた。

 引き裂いていたが、それを瞬間的に治癒しているのだ。

 それでも一瞬の損傷はアレサの血を噴き上がらせ、それが彼女の周囲にその気炎を表したような血煙を立ち上らせた。

 血煙の尾を引かせながら進んでくるアレサ。

 イーラレスカは恐怖するしかなかった。

 あれはここまで来る。

 では来たとき、いったい自分はどうなるのか?

 追放した者たちがどうなっているかさっぱりわからないと告げようものなら、どうなってしまうのか?

 今すぐ逃げる?

 だが逃げるのは……、惜しい。

 せめて話をしてからだ。


「……あ、あやつがここまで来たら、お前達が留めるのだ! 多少は攻撃してもかまわん! とにかく抑え込むのだ!」


 身辺警護の兵に指示を出すも、兵たちもアレサの異様な雰囲気に威圧され、腰が引けていた。

 それでも兵たちは職務を全うすべく、とうとう結界を抜け、神殿内へと入ってきたアレサに槍を突き立てる。

 が、アレサがその程度で止まるわけもなく、使命感によって攻撃を仕掛けた兵たちはメイスの餌食となり、神殿に悲鳴の多重奏を響かせた。


「な、なんだ貴様らは、一撃受けただけで情けない! 立て、立つのだ! 余を守れ!」


 イーラレスカは兵を叱咤するが、その程度のことで立ち上がれるような生やさしい痛みではなく、兵たちは起きあがろうともしなかった。

 いよいよ追い詰められたイーラレスカは、迫るアレサに顔が引きつる。


「(くっ……、やはり霊獣はまだか。ならば、ならば……、そうだ、あやつが魔法陣に乗ったら転送してやろう!)」


 それは名案であった。

 アレグレッサが魔法陣の内部に入ってくれたなら。

 自分一人が無様に取り残されるという苦い経験をしたアレサである。

 もちろん魔法陣は避け、小さく迂回してイーラレスカの元へ。


「(な、何故に避ける!?)」


 イーラレスカは本気でそう思った。

 自分に都合の良いことが起きてあたりまえと信じるが故に。


「ま、待て! 待つのだ! まずは話を――」


 万策と言うほどの何かがあったわけではないが、ともかく打てる手が尽きたイーラレスカは最後の悪あがきをしようとする。

 だが残念なことに、もはや対話でどうにかなる段階ではなかった。

 建前として、聖女は罰する者へ特別な感情を持つべきではないとされているが、やはり人間、完全に無心というわけにはいかない。

 まして、心酔する対象を陥れた相手ともなれば、いくらアレサといえど怒りを封じ込めることは出来なかった。

 とっくに過去最大に頭に来ていたアレサであったが、今日また結界によってレイヴァース卿の仕立てた法衣がずたずたになったことで、その怒りは最大を突破。

 喜びを以て打つことなかれ。

 しかし今は、この時ばかりは――


「主よ、共に報いを受ける身が故、この怒りをお赦し下さい」


 呟き、アレサはイーラレスカの引きつった顔面に、生まれて初めての全力――渾身の力でもってメイスを叩き込んだ。


「あぎゃぁぁぁ――――――ッ!?」


 けたたましい悲鳴を上げながらイーラレスカは倒れ、悶え苦しみ、のたうち回った。

 イーラレスカは無防備であったが、この状態をさらに打つのでは意味がない。

 強烈な苦痛を連続させては相手に考える時間が与えられない。

 苦痛と、その苦痛が治まったあと――痛みがない状態という快感ののちに、再び痛みを与えるからこそより効くのだ。


「あ、あが、あががが……」


 ようやく痛みが治まり始めたか、イーラレスカはのたうち回るのをやめ、唸るようになった。

 やがて肘をついて顔を起こし、憎しみを湛えた目でアレサを睨む。


「……よ、余に、ここ、このような仕打ち! ただで……、ただですむと思うな! つ、追放した貴様の仲間たちなど、余の胸三寸で決まるのだぞ!」


 また打たれてはたまらないと、イーラレスカは出任せでもなんでも言ってアレサを止めようと考えた。

 しかし、アレサは引く気配すらなく、代わりに言う。


「一つ、お教えしましょう」

「……な、なんだ?」

「聖女は嘘を見抜きます」

「……な!?」


 愕然とするイーラレスカに、アレサはそっと微笑んで言う。


「さあ、罪数えの時間ですよ」

「……はぅ……」


 イーラレスカの抱いていた希望は潰えた。

 が、そのとき、神殿に変化があった。

 床に描かれていた魔法陣が光を放ち始めたのである。


「まさか……! 来た……、来たのか……!」


 召喚の成功。

 それすなわち、上位者にたる存在――霊獣が誕生していたということである。


「は、はは! ふはははは! 残念だったな、これで余の勝ちだ!」


 かろうじて希望をつないだイーラレスカは立ち上がり、何事かと警戒するアレサに言い放った。

 そして召喚は完了する。


※誤字の修正をしました。

 ありがとうございます。

 2018/12/22

※脱字の修正をしました。

 ありがとうございます。

 2019/01/27

※文章の修正をしました。

 ありがとうございます。

 2019/02/04


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