第405話 閑話…聖女とは(前編)
ルーの森の入口を守る衛兵たち。
彼らの仕事は主に訪問者の対応と、不審者への対処である。
とは言えルーの森は外部との関わりを好まず、そして家具くらいしか特産品のない森へ積極的に関わりたがる奇特な者もいないため、何事も無い日々がただただ続くばかり。
そんなルーの森の、ほぼ唯一と言っても過言ではない外部との関わりは、せいぜい月に一度ほどの頻度で訪れる女王の許可を得た商人くらいのものだった。
商人とは森から得られた恵みと日用品を交換するが、そこで生まれた余剰な利益は来るべき魔王との戦いの備えとして女王によって保管され、管理されている。
そんな変わらぬ日々であったが、つい十日ほど前、反乱分子として追放されたリーセリークォートに会いにきた者たちがいた。
そいつらは小癪なことにエクステラ森林連邦の後ろ盾を持ち、となれば門前払いも難しい。
仕方なく森へ案内することになったのだが、その結果が女王への無礼。
奴らが愚か者であることを見抜けなかった、と衛兵たちは恥じ入った。
おそらく、代わり映えのしない日々に油断があったのだ。
気を抜いてはいけない。
ルーの森の一員であるという自覚に綻びがあってはならない。
いずれ魔王が現れたとなれば、我らが女王はその討伐に向かう。
そこに同行する戦士――ルーの森の討伐戦士としての自覚を常に持ち続けていなければならない。
この討伐戦士であるという意識。
それは森の警備しているだけであっても『一分の隙も見せぬ』『ただの衛兵ではない』と、遠く自分たちを目にした者がはっと理解するほどの、立派で毅然としたこの立ち姿に現れていることだろう。
その日も衛兵たちは森の入口に立ち、どんな些細な異変も見逃すまいと神経を集中させて周囲を警戒していた。
と――
「……なんだ? あれは?」
異変が。
遠き空から飛来する五つの影。
普通の者ならばぼやけてよくわからない距離であっても、常に遠方を睨み続けてきた彼らにはその姿がはっきりとわかった。
竜だ。
五体の竜が、このルーの森を目指して飛行してくる。
距離は徐々に近くなり、竜がその背にそれぞれ人を乗せているのが見えてきた。
先頭を飛ぶ一体の背には二人の人影、そして残る四体にはそれぞれ一人ずつ。
「異変あり! 異変あり! 竜飛来! 数は五! その背に乗る者が六名! 誰か、中央へ報告の準備!」
相手を確認したのちに、すみやかに一人を里へと走らせる。
これでもし自分たちだけで対処できぬ事態になっても、その頃には体勢を整えた同志――討伐戦士たちが派遣されてくるだろう。
いよいよ竜の姿、その大きさがはっきりとわかるほど近づいてきたとき、ふと気づく。
「……歌?」
竜の背に乗る者――女性たちが歌っていた。
やがて竜たちは森の手前で地上へ降りると伏せ――、いや、まるで潰れるようにだらしなく地面にへたり込んだ。
五体の竜のうち、背に一人ずつ乗せていた四体の竜はどういうわけか疲労困憊らしく、荒く呼吸を繰り返しながらぐったりだ。
二人乗せていた竜は一番大柄で迫力があり、疲弊した他の四体とは違ってゆっくりと身を伏せ、背に乗っていた男性と、まだ少女と言った方がいいような若い女が地上へ降りられるようにする。
「む……、奴らは」
衛兵たちはその二人に見覚えがあった。
女王に無礼を働いた愚か者どもは内の森へ追放処分となったが、それを免れた若い女は牢へ入れられ、その後、逃げだしたと聞く。
その女が戻ってきたのだ。
男性の方は追放処分となったはずだが、どうしてそこにいるかわからない。
女はどうやら聖都と呼ばれる善神を祀る国において聖女と呼ばれる者のようだが、こうして竜と仲間を引き連れ、戻って来たことを考えると、不当な扱いをされたとの抗議に来たのではあるまいか。
しかしルーの森、その女王に無礼を働けば処罰されて当然の話であり、抗議など受ける必要はない。
前回は里へと通し、それが失態になった。
ならば今度は毅然とした態度でお引き取り願うまでだ。
が……、素直に従う雰囲気でもない。
「……報告! ……急げ!」
すぐに一人を里へと走らせ、残った者たちは引き続き来訪者たちへの警戒を続ける。
舞い戻った聖女以外の女性も、その姿からして聖女なのだろう。
四名はなにやら竜の背に積んであった長く大きな荷物を下ろし、美しい生地で何重にもくるんであったそれを出そうとしている。
女王に無礼を働いたことへの謝罪、それから仲間を返してもらうための献上品かと予想したが――
「な――」
姿を現したそれを見て、衛兵たちは絶句した。
それは木。
まず人の背丈ほどある木材部があり、その上部には実寸大の逞しい男性の像があった。磨き上げられたそれはもはや木であったことが信じられぬほどつるりとした光沢を――、いや、ほのかに光すら放っている。
それぞれ表情の違う像が四体。
確かにその像は見事なものであったが、少なくとも献上品でないことはすぐにわかった。
では一体あれはなんなのか?
あのような重そうな代物をわざわざ竜を酷使して運ばせ、そしてここで担ぐ意味は?
とても人ひとりでは持ちあげることなど出来そうもないその像柱を聖女たちは肩に担ぎあげ、そして歌い続ける。
その異様な状況に恐れを覚えたが、この程度のことで威圧されては二度とルーの討伐戦士と名乗ることなど出来はしない。
「……な、何用だ!」
像柱を担ぐ四名をそのままに、こちらに近づいてきた赤い髪の聖女に対し、ルーの討伐戦士である自覚を抱きながら問うた。
「この世の未来を想い、祝福をもたらすために参りました」
「祝福……だと?」
「はい。誤った道、辿り着くは破滅。で、あれば……! ここで正すが我らの務め! 聖女シャーロットより始まった我らが使命!」
と、そのとき歌が止まる。
赤い髪の聖女の後方左右に二人ずつ、紺、金、緑、紫の髪をした聖女たちが、自身の傍らにズドンッと像の柱を立て、そして順に告げていく。
「青ざめさせるは悪の華! ハレルヤ・ブルー!」
「黄なる涙を流せよ獣! ハレルヤ・イエロー!」
「緑なさぬ巨木は薪に! ハレルヤ・グリーン!」
「紫が人々の無念を晴らす! ハレルヤ・パープル!」
ハレルヤ――。
それはシャーロットにより伝えられた神を称える言葉。
世の為、人のため、その未来のため。
戦うことを決意した聖女たちは、信奉する善神、その祝福を世に、人にもたらすため一時的に自分という個人を消し、ただ善神を賛美する一つの枠組み――ハレルヤ・ファイブを構成する色となる。
「赤き炎が焼くは罪! ハレルヤ・レッド!」
赤い髪の聖女の自己紹介を最後とし、聖女たちは像の柱を真っ直ぐに高く掲げると、声を揃えて宣言した。
『世の痛みを殴って止める! 我ら祝福の戦隊! これより祝福を開始する!』
何が――?
状況を理解できず、唖然とする衛兵。
そこにハレルヤ・レッドによる問答無用のメイスの一撃が下された。
△◆▽
もはや語るべきことなどなかった。
そのような段階は通りこしているのだ。
ハレルヤ・レッド――アレサは無言で愛用のメイス、マイトレーヤにてエルフの衛兵、その顔面を打ち据えた。
「ぎぃやあぁぁぁぁぁ――――ッ!?」
けたたましい悲鳴をあげて倒れた衛兵はのたうち回り、かろうじて残った判断で自分の顔に触れる。顔は砕けていないか、陥没していないかを確認したのだろうが、彼の顔はアレサに打たれる前となんら変わることはく、傷の一つもなかった。
まだ残る痛みと、唐突に殴られた理由を探して混乱する衛兵を一瞥すると、アレサはそのまま里へと続く道を歩き始める。
「待て! 貴様!」
「行かせぬぞ!」
同僚の受けた仕打ちに唖然としていた他の衛兵も、アレサが通り過ぎていったところで我に返り、その歩みを止めようと追おうとする。
しかし――
ぶん、と。
彼らは聖女たちが振り抜いた、善神の木像によって薙ぎ払われた。
要は丸太でフルスイングされたようなもの。
質量が質量だ。
衛兵たちは為す術もなく薙ぎ倒され、その痛みに悶え苦しむ。
アレサのメイス、聖女たちの振る善神像、果たしてどちらの方が痛いのか。少なくとも彼らがこれまでの人生で感じたことのない、容赦のない激痛であることは間違いなかった。
この圧倒的な痛みにより、衛兵たち――討伐戦士としての覚悟はあっさりと折れた。
自身の覚悟、誇り、意地、理想、そういったものを、意識が砕けたと感じるほどの苦痛のなかにあっても持ち続けられる者は希である。
人は痛みに耐えることも出来るが、誰しも限界というものが存在するのだ。
そして一度その限界を与えられると、再びそれを与えられるようなことがない選択をする。
禁忌を禁忌と理解できぬ哀れな者であろうと、痛みという原理を利用すれば躾けることも出来るのだ。
心が折れた衛兵たち。
ならば今はそれで良く、聖女たちは歌いながらアレサに続く。
彼女らが歌うのは『癒しの歌』と呼ばれる範囲回復魔法。
その声の届くすべてを無差別に癒す。
効果は確かで、善神像で殴られた衛兵たちも外傷は無い。
いや、癒えたのだ。
時間があるなら衛兵たちの魂が浄化されるまで殴打することもやぶさかではないが、今は優先すべき使命がある。
平等とは理想。
現実的には、より多くの人々を救えるよう選択を強いられる。
今ここで衛兵を真人間にするには時間がかかる。
その時間でレイヴァース卿とその家族、関係者の救出が遅れたことで取り返しのつかない事態となった場合、レイヴァース卿の手によって救われるであろう、多くの、とても多くの人々までもが犠牲になる未来が訪れてしまうのだ。
故に、今優先すべきは進むこと。
すみやかに女王を捕縛し、レイヴァース卿とその家族、関係者を保護することなのだ。
△◆▽
人々を虐げ、国を蝕む為政者たち。
かつて、二百年前まで行われていた、より良き世の中を実現するための聖女たちの取り組み、戦隊による大陸の『痛み止め』は保身のみに尽力し、弱き人々を食いものにするすべての者たちを断罪した。
首謀者だけでなく、その部下、関わった者たちすべてを見つけだし善神の姿をした巨大な鈍器――神柱棍で打った。
悪事を二度と働くことが出来なくなるよう、徹底的に、その深層意識にまで『悪事を行うことへの拒絶』を刻むため、その精神が砕け散り再構築されるまで、いつまでもいつまでも打った。
結果、その恐るべき『祝福』を受けた者は、ふと悪事を働くことを想像しただけでかつての断罪を思い起こし、悲鳴を上げて痙攣し、白目を剥いて気絶するまでに至った。
そういった者たちはやがて髪が白くなり、燃えつきたように穏やかになることから『灰者』と呼ばれるようになる。
この聖女たちの働きは『国崩し』とも呼ばれ、悪しき為政者の心胆を寒からしめることになった。
しかし悪しき為政者たちはただ恐れていただけではない。
保身のための企みが生き甲斐のような者たちだ、弱き人々の希望である聖女たちを貶めるべくさまざまな手を打つ。
それまで搾取しかしなかった為政者が急に友好的となり、締め付けの手を緩め甘い言葉を囁くようになると、人々はころりと騙され為政者の望むように聖女を敵視するようにもなった。
だが、聖女たちが断罪を止めることはなかった。
誰にも理解されなかろうと、守るべき人々に敵意を向けられ暴言を投げかけられようと、折れることなく断罪を続けた。
何故ならその先により良い世の中があると信じていたからだ。
今は理解されなくとも、どれほど忌み嫌われることになろうと、そのすべてを受けとめきり、後の世に残さぬために戦った。
始まりは聖女である勇者シャーロット。
希少金属の輸出国であることから、当時、星芒六カ国の内にあって好きかってに振る舞っていたザッファーナ皇国の若き王、竜皇ドラスヴォートを断罪したことで星芒六カ国の関係は正常化、後の世に多大な良い影響を及ぼした。戦隊とは、そんなシャーロットの行いに倣った、失われてしまうものが失われずにすむための暴力装置なのである。
そんな聖女たちが担ぐ神柱棍、これは戦隊にのみ使うことが許される祝福の棍棒であった。
セントラフロ聖教国南方に存在する魔境ビウロット。
その魔境の奥の奥、魔素を充分に吸った大樹より彫りおこされた善神像は長い年月、聖女たちの祈りを込めながらのカラ拭きによって光沢どころか仄かに光を発するに至った。分類するならば魔化した巨大すぎる棍棒というところだが、聖都ではこれを神柱棍と呼ぶ。善神の信徒であり、加護を持つ聖女にのみ、やすやすと自分を振らせるほどの剛力を与える恐るべき呪物――ではなく、神具である。
この神具――神柱棍は七元徳に準えられ、全部で七体存在する。
徳とは善を行う堅固な習性のことであり、それを重んじることにより良き行いはより良く、最善となりえる。
そして七元徳。
これは三つの対神徳と四つの人間的徳に分けられる。
対神徳は信仰、希望、愛。
神への歩みは『信仰』に始まり、『希望』によって強められ『愛』において完成されるという考え方によるものである。
人間的徳は知恵、勇気、節制、正義。
これはさまざまな徳のなかで理想――神に似たものへと至るために特に重要とされる枢要徳である。
戦隊が結成された場合、隊長となる人物が対神徳のうちの一体を選び、従う四人は人間的徳の四体の像を持つことになる。
今回においては戦隊の再発足を提案したアレサが隊長として対神徳の像を持つはずだったが、アレサは像を選ばず、愛用するメイス――マイトレーヤを使うことを望んだ。
善神の祝福を戴くレイヴァース卿により名付けられたこと、そしてマイトレーヤが『慈しみ』を語源とする言葉であり、それはつまり『慈愛』、対神徳の『愛』に相当するものであるという発言が認められたためだ。
そんな隊長たるアレサに従う四人の聖女たち。
一人目はアレサの先輩、紺色の髪をした聖女ティゼリア。
手にした神柱棍は厳めしい表情をした『正義』の善神像。
二人目は金の髪をした聖女ヴァーリー。
手にした神柱棍はおごそかな表情をする『節制』の善神像。
三人目は淡い緑の髪をした聖女ニールグ。
手にした神柱棍は勇ましい表情を見せる『勇気』の善神像。
四人目は紫色の髪をした聖女イルプルーフ。
手にした神柱棍は涼やかな表情でいる『知恵』の善神像。
この四人、誰もがアレサよりも経験豊かな聖女たちであるが、進んで若輩のアレサに従っていた。
それにはとても深い理由がある。
聖女の多くは生涯独身。
善神に捧げた身であるからそこに後悔はないが、しかし、思うところが無いわけではない。
聖女とて一人の人間、一人の女性。
だが、しかし、聖女の相手となると、普通の男性ではどうしても荷が重い。
恐れ多いと敬遠されるか、その尊さに劣等感を抱き忌避するか。
さらには単純に、聖女としての戦闘力が恐怖の対象であり、そして嘘を見抜くとなれば……。
浮気などしようものなら、二度と浮気をしようなどと考えられない自分へと生まれかわることになるだろう。
このように、聖女は恋人を作ることが難しい。
だからこそ――、それをよく知る先輩たちだからこそ、愛しい君を救い出そうとブチキレている後輩――アレサを応援しなくてはならないという使命感を抱き、張りきっているのである。
しかしエルフの衛兵たちを問答無用で薙ぎ倒す様子を見守るロークと、彼とアレサを背中に乗せて飛んで来た竜騎士アロヴ、それから聖女一人とその聖女が使うクソ重い鈍器を背負って苦行のような飛行を続けてきたデヴァスと他の竜騎士たち――要は男性陣――はどん引きであった。
このあたりの感覚がズレてしまっていることこそ、聖女たちがモテないことの一番の原因なのではないかと推測できるのだが、残念ながら実証――確たる証拠はなく、そしておそらくこれからも報告されることはないだろう。
「……あ、あの、アレサちゃん、俺、邪魔かな……?」
ロークはアレサの、そして歌い続ける四人の聖女たちの気迫に気圧され、出来れば一緒に行かずにすめばいいなと思った。
もちろん家族のことは心配だが、このまま一緒に行くと、もうアレサやティゼリアに気安く話しかけることが出来なくなりそうな気がして恐ろしかったのだ。
例えばそれは、竜から人の姿になったものの、着陸地点からまったく動こうとせず待機する気満々でいるデヴァスやアロヴを始めとした竜騎士たちのように。
「ロークさんはどうぞご一緒に。私たちを運んで来てくださった竜族の皆様はしばし休息をとってください」
そのアレサの発言に竜族の面々は喜び、ロークは悲しんだ。
優しい声音であったが、断れるような気配ではない。
ロークはアレサたちについていく覚悟を決めたが、その前に最後の希望を込めて同行者を募ろうとデヴァスやアロヴたちを見た。
竜たちは揃ってそっぽを向いた。
冷たいようだが、それも無理もない話。
竜族にとっては聖女は恐怖の象徴だ。
竜皇国では躾けのため、親が子供に「悪いことしてると聖女が来るよ」と言うのが当たり前になっているのである。そして、竜族のなかには聖女シャーロットに尻尾を掴まれ、城が半壊するまで叩きつけられ続けた竜皇ドラスヴォートの悲劇を記憶している年寄りもいるだけに、笑い事ではすまされないところがあった。
結局、ロークは聖女たちの後方を一人とぼとぼ付いていくことになった。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/01
※誤字脱字、文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/04




