第394話 閑話…空腹と空猫
「いったいどういうことなのよ。納得がいかないわ」
遭難二日目。
ミーネは八つ当たり気味に風の魔弾で道を作りながら森を突き進んでいた。
昨日、雷鳴の方角へ強引に飛んでいたミーネであったが、空間の捻れの一つに突撃することになり、また別の場所へと転移させられることになった。
遭難中にさらに遭難するという離れ業。
どうやらそこは彼から離れた場所のようで、もうどれだけ耳を澄まそうと雷鳴は聞こえてこず、ミーネは失望からその日は早めに休むことにした。
要はふて寝である。
ひとまず寝床とする土の建物を作ったあと、ミーネは思いつきで露天風呂を作ってみた。
問題は山積みのままだったが、自然のなかでゆったりと風呂に入るのは心地よかった。
「これが森林浴ってやつね」
盛大に勘違いしながらもご満悦の体。
翌朝、だいぶ日が高くなったところでミーネは目覚め、それからまた雷鳴が聞こえるのではないかと耳を澄ましてみたが……、残念ながら聞こえてくることはなかった。
そこでミーネは再び土の塔を作り、その天辺で落ちる影の向きを確認して方角を知る。そして飛んでいきたい気持ちをぐっと堪えて地上に降りると、自分がルーの森へ入った方角へ森を進み始めた。
そしてそこから――、ミーネの空腹との戦いは始まった。
「お腹が空いたわ……」
耐えがたい空腹。
予定ではとっくに彼と合流し、お腹いっぱい料理を平らげてこれからどうしようかと話し合っているはずだった。
しかし、今現在ミーネのお腹を一杯にしているのは魔術で用意したただの水である。
「……うぅ、お腹たぷたぷぅ……」
まったく不思議なことに、ミーネはお腹は一杯だがお腹が空いてしかたないという状態にあった。
いったいどこから計画に狂いが出始めたのか?
おそらくそれは、すぐに彼と合流できると楽観してしまったことに始まる。
つまり、計画は最初から狂っていたのだ。
行進の途中、食べられる野草を見つけることもあったが、残念なことにとても腹を満たすほどの量ではなかった。
実のところ、ミーネはかなりの食用できる野草を見逃していた。
意識が進むことを優先しているため、視界が前ばかりに向いてしまい周囲にあった恵みを素通りしてしまっていたのである。冒険の書の図鑑をよく読みこんで記憶しているミーネである、一旦立ち止まり、注意深く周囲を探索すれば発見することも出来ただろうが、進行のついでにそれらを発見できるほどの能力は養われていなかった。
「……うぅ、もう駄目。ちょっとでも何か食べないと」
歩みを止め、ミーネは最後の頼みである干し肉を食べることにする。
そのまま齧りつきたくなるのを堪えながら、魔術で竈と器を作り、そこに水を溜めて干し肉と採取した野草を放りこむ。
しばらく煮れば、干し肉と野草の塩スープが出来上がる。
ミーネは薪になるものを集め、さっそく竈で火をおこした。
あとは水が沸騰するまで見守るだけだ。
完成までの時間はもどかしいが、器の水だけを狙って火の魔術を使い、湯にするような繊細な作業など出来る気がしない。
せっかくの料理を吹き飛ばしでもしたら今日もふて寝である。
「うー……」
ミーネはじっとスープが出来上がるのを待つ。
竈の火と睨めっこしていると不思議と心が落ち着いてきた。
空腹感は相変わらずだが、意識が妙に冴え冴えとしていくのをミーネは感じたのである。
意識が一点に集約されるような集中ではなく、周囲――自分をとりまくすべてへと意識が向き、薄く広がっていくような、これまでミーネが感じたことのない集中だった。
竈の火を見つめ続けているのに、自分を中心とした周囲の状況がぼんやりと感じとれるのだ。
ミーネ自身はよくわかっていなかったが、それは周囲に存在する魔素を感じ取っていたのだった。
それは魔力感知の基礎。
空腹で弱り切り、もう自分の発する魔力すら弱まったところで、ようやく周囲の魔素を感じ取れるきっかけを掴めたのである。
「……?」
とそのとき、ミーネの感覚は妙なものが居るのを捕らえ、その方向――真上へと顔を向けた。
そして目にした、襲い来る獣――
「……猫?」
それは灰色の毛並みに黒の模様を持つ、普通の猫くらいの大きさをした子猫であった。
子猫はジタバタしながら、ミーネ目掛けゆるやかに落下してくる。
「なにあれ可愛い。魔術を使ってるから……、魔獣なのね」
迫りつつある子猫は一般的に空猫と呼ばれる大型の猛獣であった。
名の由来は体重を感じさせぬ動きをして空に跳びあがることからで、他にも風の魔術を使うことから風猫、木から飛び降りて下に来た獲物を仕留める様子から落ち猫とも呼ばれている。
「ほいしょっと」
すぐ頭の上まできたところで、ミーネは子猫をキャッチ。
間近で眺めると、普通の子猫よりも頭が大きく、足や尻尾が太く逞しいのがわかった。
子猫はミーネの手をガジガジ噛んでくる。
「……むぅ、ちょっと痛い……」
捕まっての抵抗ではなく、こいつめ、こいつめ、と攻撃しているような感じである。
「もしかして、いま私この子に襲われてるのかしら……?」
可愛らしい襲撃者は、手に持っているからよくわかるがひどく痩せている。
まだ親離れするほどには見えず、では何らかの原因で親から離れることになってしまった子猫か。
「あなたは一人なの?」
「ふしゃー!」
話しかけたら威嚇された。
可愛いかった。
「………………」
ミーネは悩んだ。
お肉だ。
しかしこの子を食べるというのはいくらミーネ――、空腹のあまり新しい可能性すら身につけたミーネであってもはばかられた。
子猫はミーネの苦悩など知らず、噛むのを諦めて今度はこれでもかと手を舐め始めていた。
「……ざりざりする……」
理性としては自分が生き延びるための糧とすべきという判断になるのだが、この状況にあってもこの子を食べる気にはなれない。それどころか懸命に手を舐める姿を見ていると、何か食べさせてあげたいという気持ちが強くなってくる。
悩んだ末、ミーネは子猫を地面に下ろした。
子猫はミーネの足にすがりつくようにして鳴く。
ミーミーと懸命に鳴いている。
もっと舐めさせろと訴えているのだろうか。
「ジェミナなら何を言っているかわかるかしら……」
ミーネは呟くが、ジェミナは精霊と意思疎通ができるだけで猫と会話ができるわけではない。
「それともリビラ……」
リビラはかなり猫寄りだが、だからといって猫と会話できるわけではない。
「とにかく、あなたはお腹が空いているのね?」
仕方がない。
本当に仕方がない。
ミーネは煮えてきた器からふやけた干し肉を取りだし、それを裂いて子猫の前に置く。
子猫は肉にかぶりつくが――
「みゃ! みゃ、みゃ、みゃー!」
熱くてすぐに口を離し、それでも食べようと口を近づけ、やっぱり熱くて食べられず、抗議するように鳴き始めた。
「熱いと駄目なのね。じゃあ……」
ミーネは小さな土の器を作り、少し水を溜めてそこに裂いた肉を並べて子猫の前に置く。
今度は子猫も大丈夫だったようで、一心不乱に肉を噛み噛みし始めた。
ミーネはそれを眺めてから、自分は塩味の野草スープをいただく。
「……ひもじい……」
ミーネがスープをちびちび啜るなか、子猫は肉を平らげた。
満足したのか舌を伸ばして口回りをぺろんぺろんと舐め、さらに前足を舐めてはその足で顔を拭う。
ミーネは満足した子猫はどこかへ立ち去ると思っていた。
ところが子猫は食後の毛繕いに勤しんだ後、やけに甘えた声を出しながらミーネの足にすり寄って来た。
「あれ……、懐いた?」
手を伸ばしてみると子猫はぐぐっと額を押しつけてくる。
「ねえ猫ちゃん、私と一緒に来るの?」
話しかけてみるが、子猫はすり寄るばかり。
「うーん……、私といれば何か食べられると思ってるのかしら……、干し肉はあと二つしかないのに……」
じゃあ自分はずっと塩スープか、とミーネは肩を落とす。
「まあいいわ。ひとまずあなたの名前を決めましょう。そうね、クェルアークはクーエルとアークにわけちゃったから……、私の名前から取りましょうか。ミネヴィアだから……、ミ、ミー……ネ、ってそれは私ね。ややこしくなるわ。ならネーヴィ、ヴィア? ネヴィア……、ネビア。そうね、ネビアでどうかしら?」
「みゃん」
子猫としては呼びかけられて反応しただけかもしれなかったが、これで子猫の名前はネビアということになった。
ミーネはオトモを獲得した。
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/16
 




