第389話 閑話…素晴らしき理論
コルフィーは自分が森で一人――、皆とはぐれた状態にあることを自覚しても、特に不安を抱くことはなかった。
魔法で夜を過ごす場所が作れ、飲み水を確保でき、鑑定眼で食べられる物の判断、料理もそこそこ出来るコルフィーは遭難者のなかでかなり有利な立場にあったのだ。
しかし逆に、かなり不利な者も居る。
「……セレス姉さんが心配です」
あの無邪気で可愛らしい姉は、今、森のどこかで一人きりなのか?
セレスはただの五歳の女の子でしかない。
母譲りの魔法の才能を持っているが、さすがにようやく五歳になったばかり、これから魔法を覚えていくという段階だった。
まだ感情の赴くままの幼い子供に魔法を習得させるのは危険をはらむため、慎重なのは当然の話だが……、この状況に陥ってみるともっと早くから、せめて基本的な魔法を習得させておいてもよかったのではないかとコルフィーは思ってしまう。
「うぅ……、きっとセレス姉さんは泣いています、なんとかしないと」
しかし、気がはやれど自分にはセレスのために出来ることがない。
もはや神に祈るしか……?
「――ッ!」
そうだ、神に祈るのだ。
コルフィーは跪き、手のひらを組み合わせて祈る。
「偉大なる装衣の神、ヴァンツ様。どうかお導きください……!」
コルフィーは祈った。
「ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様!」
必死になって祈った。
「ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様! ヴァンツ様!」
ひたすらひたすら何時間も祈った。
やがて、うんざりしたような声が。
『ぬいぐるみ』
ただの一言。
だがその一言でコルフィーはセレスがアークを抱えていたことを思い出した。
それをわざわざ告げたということは……、アークが一緒だから心配するなということだろうか?
きっとそうだろう。
わざわざヴァンツ様が告げてくださったのだ。
「ヴァンツ様! ありがとうございます!」
アークはああ見えてなかなかの芸達者。
念力が使え、明かりにもなれ、あと愛嬌を振りまいて見る者をなごませることが出来る。
安堵したコルフィーは、それから自分のことについて考え始めた。
少量の食料は持っているが、これで数日過ごすとなるとさすがに厳しい。
そこで食べられる物を探すため移動することにした。
そこらに生えている草も食べられるには食べられるが、味はまったく保証されず、そして量も足りない。
できれば何か、木の実、塊茎といった物はないか。
まともな食料を求めて森を彷徨うコルフィーは、やがて不思議な場所に辿り着く。
銀色のふわふわした固まりを枝につけた植物の群生地。
「え……? これは……、まさか……!」
いわゆる綿花のようだが、ただの繊維ではなかった。
魔装の、特に衣装に陣を施す際に使われる、魔力を通す特別な糸。
その元となる繊維は幾つかあるが、ここに群生しているものは特に高級とされる空綿と呼ばれる種類のもの。繊維自体は無色透明で周囲の色を映すため、空のように色が変わることから空綿。魔素の多い場所で育つため、主な産地は魔境であり、その入手の難しさもまた値段を跳ねあげる要因になっている。ちょっと高級すぎるので、空綿のみで糸が作られることはあまりなく、一般的には他の綿を混ぜて糸が作られる。もちろんそれでも充分な高級品であり、コルフィーが使ったことのある糸はせいぜいそのレベルであった。
「あばばば……、す、すごい……、一財産……!」
コルフィーはふらふらと群生地に近寄ると、跪いて天を仰いだ。
「ヴァンツ様のお導きですね! ありがとうございます! ありがとうございます! ヴァンツ様ありがとうございます!」
ひとしきり祈りを捧げたあと、コルフィーは自分が遭難していることなど忘れ、一心不乱に綿毛を集め始めた。
『導いてないんだが……』
△◆▽
ミーネはそっとレディオークの仮面を装着してみた。
「…………」
何も起きなかった。
不思議な力によって皆の居場所がわかるとか、そんなことはなかった。
「残念……」
森の中にいることに気づいたミーネはすぐに皆を捜しにいかなければならないという使命感を覚えたが、そもそも捜しようがないことに遅れて気づく。
ひとまず土の魔術で塔を作り、林冠の上に出てみた。
見渡す限りの緑の海。
どこに誰がいるかなどわからない。
逆にこれを目印に誰かが来てくれるかもしれないと思ったが、下からではこの塔を見ることなどできないだろう。
「うーん……」
塔の上でミーネは考える。
これは取りあえず動いてみるしかないのか?
魔弾で草木を薙ぎ払いながら進めば、その道に出た誰かが追ってくることもできるだろう。
「そうね、まずは道を作りながら動き回ってみましょう」
方針を決め、それからミーネは自分の持ち物を確認する。
冒険に出る前の基本である。
鞄の中に入っているもののなかで、今、特に重要なのは食料だ。
ブロック型の非常食は残り五つ、あと嫌がらせに渡されてそのまま入れっぱなしだったやたら塩辛い干し肉が三枚。
「むぅ……、この棒クッキー五十個くらいあればよかったのに……」
少ない。
あまりにも少ない。
おやつにもならない。
だがこれで凌がなければならない。
途中、果物や芋を見つけられたらいいが、何も見つけられなかった場合は……。
最悪の事態を想定し、ミーネは非常食を食べるのは一日一つと決めた。
「よし、じゃあまず一つね」
今日が一日目なのだから、まず一つ食べることは何もおかしなことではない。
「……これ意外と美味しいのよね……」
一口で頬張ってはもったいない。
ミーネはちびちび囓る。
上は晴天の空、下は緑の海。
景色は素晴らしい。
状況は困ったものだが景色に罪はない。
ミーネは普段なら一秒のところを、二十秒かけて食べた。
するとどうだ。
「お腹がすいたわ……!」
食べたことにより空腹をはっきりと感じてしまった。
ミーネは考えた。
まだ四つある。
と言うことは、四日分の食料だ。
しかし……、この豊かな森の中で四日も食料が見つからないなんて状況はありえるだろうか?
きっと見つかるに違いない。
ならばもう一つくらい食べても問題はない。
なにしろ他に食料が見つかるのだから、もう一つ食べることは何もおかしなことではない。
ミーネは二つめの携帯食を食べた。
何故だろう、不思議なことにとても美味しく感じる。
こんなに美味しいものがあと三つもある。
「…………」
いや、いけない。
もう一つ食べてもいいんじゃないかという誘惑をミーネは振り払う。
するとそのとき、どこかから遠く雷鳴が響いた。
空は快晴。
ならばこれは――、彼だ。
「あっちの方ね」
雷鳴が聞こえる範囲内ならば、そこまで離れているわけではないとミーネは考えた。
魔弾で道を作りながら森を進むのは取りやめ、雷鳴の方向へ空を飛んでいけばすぐに彼と合流できるだろう。
そうだ、非常食は残り三つだが、三日もかかるわけがない。
ならばもう一つ食べてもいい。
なにしろ余ってしまうのだから、もう一つ食べることは何もおかしなことではない。
残り二つ。
これで二日分。
「明日には合流してるし……」
ならばもう一つ食べてもいい。
なにしろ余ってしまうのだから。
これで非常食は残り一つに。
これはいざというときのために残しておこうと考える。
しかし、思う。
とても食べていられないような状況が訪れたら……?
ここで食べてしまっておいて、体に栄養をいれておけばそのぶん動き続けることができるのではないか?
一本ずつ食べて五日もたせるという考え方があるなら、きっと五本食べておいて五日頑張るという考え方もある。
いやそもそも、それは彼と合流できなかった場合の話で、居る場所がおおよそ判明し、あとは飛んでいくだけ、もう食料の心配をする必要はない。
それにこれから一気に飛んでいくのなら、ここで元気をつけておくことはまったく正しいことなのである。
ちゃんと食べておくべきなのだ。
「そうよ、いざとなったら干し肉もあるんだし」
そしてミーネは最後の一本を口に放りこみ、もぐもぐ咀嚼してごくんと呑み込む。それから魔術で水を集めて喉を潤し、手の甲で口を拭って向かうべき方向を見据えた。
「よし! じゃあ行ってみましょうか!」
身がすくむような土の塔、その天辺から迷いなく跳躍し、自由落下を始める前に指を鳴らして風の魔弾で自分をぶっ飛ばす。
これを繰り返してミーネは空を進んでいくつもりだったが――、そこで異変を感じた。
魔弾で弾き飛ばそうとする方向と、実際に飛ばされた方向にけっこうなズレが生じている。まるで何か――、川の流れのようなものに影響を受けているような錯覚をミーネは覚えた。
何かがおかしい。
ここは少し様子を見る――、そんな慎重さ。
ミーネには無かった。
「あーもう! じゃあ力ずくよ!」
ミーネは剣を抜き放ち――
「〝空牙疾走〟!」
ミーネは強力な推進力でもって荒れ狂う魔素の流れを突きぬけていく。
確かにそれは効果的な手段であった。
しかし、ミーネは知らなかった。
この森の空にはのたうつ魔素の流れだけでなく、空間のねじれがそこかしこに存在していることを。




