第388話 閑話…兄と妹とぬいぐるみ
神殿の床に描かれていた魔法陣は美しく歪であり、リセリーをもってしてもそれが何の為に作られたか判断できない代物であった。
女王の話をほったらかしで考察を進めていたところ、転移が起こり森へ放りだされることになったのだが、リセリーにとってはそれもまた考察の対象となる。
「あの魔法陣は古い学問に基づくものだったみたいね……」
女王は呪文を詠唱することなく魔法陣を起動させた。
おそらく女王の杖が魔法陣と結びつけられていたのだと思うが、所持者の意志を汲み取って起動するとなるとそれは魔化した呪物、もしくは古の魔道具――魔導器の特性であり、あの杖だけとっても並の代物ではないと推測できる。
とは言え、杖だけであれば師匠――リーセリークォートなら作り出せそうな気もした。
問題はやはり転移を起こした魔法陣の方だ。
精霊門はその製作に携わった師匠でも再現は出来ない。
それは肝心な転移の効果をもたらす核が、魔術者――シャーロットにしか作り出せないものだからだ。
魔導学以前、シャーロットが魔法を生みだすよりも前。
選ばれた魔術者たち――一握りの天才たる魔導師たちが構築する魔法陣は己の感覚を投影したものであり、それは模倣のきかぬ芸術品のようなもの、ただ同じ形を正確に写し取るだけでは何の効果も得られない。
その術を、妙を、自身の中に宿す魔術者が自らの手で刻むことによってのみ魔術儀式となりうる。
あの魔法陣はまさにそれ。
しかし、とリセリーは考える。
あれには自分にも読み取れる部分があった。
肝心な効果については解読は及ばなかったが、その核となる魔術部を動かすために魔導学が用いられていたのだ。
それはつまり、あの魔法陣が『魔術』と『魔法』、その双方に精通した深識者の手に寄るものということに他ならず、さらにその人物は精度こそいまいちではあるものの、『転移』というシャーロット以降、誰も為し得なかった奇跡を再現していることになる。
「まったく凄い人もいたものね……。たぶんリィはこっちに居るだろうし、あとで聞いてみましょう」
自分一人では考察しきれないと、リセリーはそこでひとまず魔法陣について考えるのをやめる。
それから周囲に誰か居ないだろうかと大声で呼びかけてみた。
が、声は帰ってこず、次に魔力感知で周辺を探る。
「……居ないわね……」
周辺に見知った魔力を持つ者はおらず、どうやら皆ばらばらに距離を開けられて転移させられたのだと判断する。
となると――
「セレスがちょっと心配ね」
生存能力と戦闘能力。
まだ五歳なのだから当然だが、セレスはどちらも欠けている。
とは言え、リセリーはそこまで深刻になってはいなかった。
心配と言えば心配だが、物心ついた頃には孤児で、雑草を囓って飢えをしのいでいたリセリーからすれば、森の中というのはまだ恵まれた状況という判断になる。
自身の生い立ちが過酷であり、夫となった男はさらにひどい生い立ちであったことからの、世間との認識のズレ。
さらにこのズレを修正する機会でもあった最初の子供がよりにもよってアレであったため、残念なことにリセリーは認識を改める機会を逸してしまっていたのである。
もちろん、だからといって子らを放置するつもりはなく、リセリーはまず皆を捜す準備をすることに。
土の魔法で手早く頑丈な祠を拵え、内部で座して瞑目。
魔力感知の範囲をゆっくりと広げていく。
厳密な違いは無いが、それは魔道士界隈では『魔力探知』と呼ばれる広範囲の探索を行う技能であった。
これではぐれた皆を見つけ、飛翔魔法で飛んでいこうとリセリーは考えていた。
飛翔魔法はあまり使われる機会のない魔法である。
理由は使用の難しさ。
この魔法は発動すれば終わりというものではなく、継続的な制御を必要とする。さらに制御に意識を割きつつ空を飛び回るというのは、全力で走りながら難しい暗算を間違えることなく続けていくようなものであり、間違おうものなら地面に墜落とくる。
使用に少しでも不安を持つなら、飛翔魔法は使ってはならない。
魔法制御は精神の状態に影響を受ける。
恐怖や不安は制御を乱し、制御の乱れはさらに精神を乱す。
負の連鎖が招く墜落死。
これが飛翔魔法を使える者はいても、実際に使う者があまりいない理由であった。
そんな魔法を普通に使用しようとするのは、平常心を保つ自信がある卓越した魔導師、もしくは落ちることなど気にしない命知らずのどちらかである。
このうちリセリーは前者であったが、そこでその自信が少し揺らぐほど状況が難しいことを知る。
森の屋根、林冠の上。
その上空では魔素の流れが入り乱れ、大蛇のように絡まり合いのたうっていた。いや、まだそれだけならいいのだが、どうも空間が歪んでいる場所すらあるようだ。
接触すれば制御が乱れ流される、それどころかさらに違う場所へと飛ばされる可能性すら。
飛ぶならば魔力感知も同時に行う必要があり、これには流石にリセリーも気が重くなった。
目的地までひとっ飛び、というわけにはいかず、慎重な飛行、場合によっては森を歩いた方が良い場面もあるだろう。
ともかく、まずは誰かを見つけるのが先決と、リセリーは再び意識を集中させていく。
探索範囲を広げれば広げるだけ、その感知に引っかかる生命は極端に増大していく。
それはまるで満天の星空。
広範囲の探知は、そんな夜空のなかを泳ぎまわり見知った光を放つ星を見つけだそうとするようなもの。
長い時間、リセリーは魔素の夜空に浸り続けた。
すでにその範囲は王都エイリシェを包みこむほどに拡大していたが、それでも誰も見つからない。
予想以上に広い範囲で散り散りになっていることを、リセリーは単純な事実として冷静に受けとめる。
ここで焦ると集中が途切れ、せっかく広げた探知範囲が台無しに、またやり直しになってしまうからだ。
さらに時間をかけて探索を続けたところ――
「(……あら?)」
リセリーは特に捜してはいなかった、別の人々を見つけた。
△◆▽
気づいたとき、クロアはセレスと森の中にいた。
クロアは知らない。
女王がいきり立って何かしようとしたとき、咄嗟にセレスの手を取ったことが幸いし、妹を一人きりにさせる状況を免れたことを。
いや、正確には一人きりにはならなかっただろう。
セレスは小さなクマのぬいぐるみ――アークを抱えていたからだ。
「にいさまー、ここはどこですか?」
「どこだろう……?」
二人してきょろきょろと辺りを見回してみるが、他に誰も居ない。
大声で呼びかけてみるも返事はない。
クロアはすぐにまずい状況になったことを察したが、不思議そうにしているセレスの存在に、それを表に出すことを堪えた。
まだセレスは状況を理解しておらず、困惑している程度。
ここで不安にさせても良いことはないので、なるべく恐がらせないようにしようと考える。
そのためには自分が怯えた素振りを見せてはいけない。
どれだけ不安で心細くとも、セレスには頼りになるお兄ちゃんとしての姿を見せておかなければ。
『ご主人さまはクロアちゃんにお兄ちゃんらしいところを見せようとしていつも必死なんですよ?』
いつかシアから聞いた話。
そんなことをしなくても兄さんは兄さんなのに、とクロアは思っていたが、今ならば少しわかる。
クロアはすぐにこれからどうするかを考えた。
誰かを捜しに行く。
誰かが捜しに来てくれるのを待つ。
とれる行動は大まかにこの二つに分かれるが……、セレスを連れての森歩きは難しいだろうし、途中、凶暴な獣、もしくは魔物と遭遇する可能性もある。
ならば大人しくこの場で待っていた方がよいのか?
捜してくれるとは思うが、自分もどこにいるかわからない状況で、どこにいるかわからない相手を捜すとなると、さすがに父や兄でも無理だろう。バスカーだって匂いを辿りようもない。
クロアは考える。
冒険の書でもまずは準備と状況確認が大事。
さしせまった危険は今のところ無い。
危うい状況に陥るであろうセレスは、自分と一緒。
すぐにでも保護しないといけないセレスと一緒にいる状況にクロアはあらためてほっとする。
クロアはひとまず、まずやらなければならないことを始めることにした。
それは夜を過ごすための準備だ。
今日のところは夜を越すための場所を作り、明日からのことは夜の間にじっくり考えればいい。
もっと魔法が使えるようになっていれば、土の魔法で小屋を造れただろうが、クロアはそこまでのことはまだ出来ない。兄に憧れて雷の魔法に特化したため、それ以外の魔法は本当に基礎の基礎、ちょっと使えるだけにすぎなかった。
となれば役に立つのは父から教わった森でのすごし方。
幸い、食料に関しては自分とセレス、それぞれ兄が用意してくれたポーチに非常食――実際にはおやつだったものが入っている。
これをセレスに全部あげれば三日、四日はもつが、それ以降となるとどこかで食料を調達する必要がある。
水については、喉を潤すくらいには魔法で水を集められるのでここは安心できた。これが出来なかったら、最優先で水場を探しに行く必要があった。水場は獣も集まるため、危険もあったので助かった。
「セレス、ちょっと休む場所をつくるからアークとまっててね」
「はい」
セレスの相手をアークに任せ、クロアは木や枝、傘になりそうな大きな葉を集めると、巨大な木の根元の隙間にちょっとした避難所を作った。
さすがに父のように手早くとはいかず、それだけでも周囲が陰り始めていた。
森の夜は早い。
避難所に引っ込み、小さな焚き火を前にセレスを抱えるようにして座り込む。
クロアがセレスを抱え、セレスがアークを抱える。
セレスは話しているうちにうとうとし始め、静かに眠りについた。
夜が明け、周囲が見通せるようになるまでは、この小さな焚き火は必要だ。例えば獣に襲われたりしたら、明かりがなくてはどうにもならない。そのためクロアは夜明けまで眠らずにいるつもりだったのだが、そこでアークがもそもそセレスの腕から這いだし、ぴょんと地面に降り立つとぽすぽすと自分の胸を叩く。
「……?」
意図がわからずにいると、アークは光量控えめにぼんやりと明かりを灯した。
そしてさらに胸をぽすぽす叩く。
「……明かりになってくれるの?」
うんうん、と頷くアーク。
ならば焚き火を続けなくてもいいか。
さらにアークは頭に手をやってきょろきょろ回りを見回し、そしてまたぽすぽす胸を叩く。
「……あ、見張りもまかせろって?」
うんむ、とアークはお辞儀するように大きく頷く。
「ありがとう」
どういたしまして、と言うようにアークはシュバッと手を挙げ、避難所から出ると、周囲を見渡しやすい場所まで行って陽気に踊り出した。
その様子が妙に楽しげで、眺めていると少し元気が出てくる。
クロアは踊るアークを眺めつつ、明日からのことを考えた。
やがてうとうとしてきて、眠りこもうとするクロアはぼんやりとした意識でふと思う。
もしかしてアークは夜通し踊り続けるつもりなのだろうか……?
※誤字と文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/04




