第38話 7歳(春)…はじめての町
母さんの妊娠経過は順調で、なにごともなく秋と冬をすごした。
冬の間、おれは導名のための計画の合間、二人目の弟妹のために産着やおしめをせっせと縫いあげた。春になる頃、もういいだろう、と両親に止められるまで作った。産着とおしめの山ができていた。
出産予定日は初夏ということで、おれが八歳の誕生日を迎えるよりも前に二人目の弟妹が産まれることになる。
おれにとって七つ、弟のクロアにとっては三つ違いの弟妹だ。
そんなある日――
「なあ、今度おまえも一緒に町へいってみるか?」
ふと、父さんはそんなことを言いだした。
母さんが三人目の子供を妊娠したということで、去年の夏の終わりから父さんは再び町へと出掛けていく日が増えていた。診断してもらうための医者の送り迎えや、産婆――ハンサ婆ちゃんへの依頼のためだ。
「そろそろ外になれさせたほうがいいかなーって思ってな、どうだ?」
おれはもちろん賛成した。
△◆▽
早朝、おれと父さんは家を出発した。
馬が引く小さな荷車に乗り、のろのろと森を進んでいく。雨が降れば悲惨なことになるが、幸いなことにしばらくは晴れの日が続くと父さんは言う。父さんは異様なほど正確に天気を言い当てるので、きっと平気だろう。
森を抜けたのは昼をすぎた頃だった。
唐突に目の前がひらける。
見わたすかぎりの草原と、遙か遠くにある山々の稜線と、そしてなにものにも切り取られていないただただ広大な青空。ゆっくりと動く雲は日差しを遮り、草原に巨大な影をいくつも落としている。
人工の建造物がほとんど見あたらないその光景は、おれに妙な感情を沸きたたせた。興奮しているのか、怯えているのか、自分でもよくわからない不思議な感覚だ。
そんな圧倒的な景色のなか、道だけがただひとつの人工物としてある。
獣道のように往来によって道になっている程度のものだが、ずっと地平線の向こうまでのびている地面剥きだしのそれは不思議な頼もしさを感じさせた。この道をたどっていけば人の営みのある場所へとたどり着くという確信がもてるからか、それとも、ここを人が行き来していると想像できるからか。
揺られながら景色を眺め、なにごともなく旅は続く。
やがて夕暮れになった頃、おれたちは町に到着した。
町の名前はタトナトというらしい。
おれが勝手に想像していたのは立派な壁に囲まれ、石造りの建築物が密集しているような都市だったのだが……、ふむ、なんというか……西洋の田舎町?
木と漆喰による、わりと普通の建物。
そういった家々がまとまりなくだらだらーっと広がって町になっている。
たぶんこのあたりは平和なのだろう。
石壁どころか、木の柵ももうけられていない。
そして活気もない。
ただの町だからだ。
「父さん、ぼく期待しすぎてたみたい……」
「ははっ、なんだ、凄い大都市かと思ったか?」
父さんは軽快に笑い、そのまま町に入ってく。
もちろん門番などいない。そもそも門がない。それどころか町の境界すら曖昧だ。ぐだぐだである。
「のどかな町だからな。ときどき魔物もでるが、せいぜいはぐれのゴブリンやオークくらいだ。冒険者ギルドの支店なんて暇すぎて宿屋と酒場を一緒にやってるぞ」
「そういうのってめずらしいの?」
「普通はないな。荒くれ者が集まる場所と酒場が一緒だったら騒動のもとだろ?」
「あー、そっか」
言われてみればその通りだ。
おれのなかでは冒険者ギルドと酒場は相性のいいものとしてセットになっていたのだが、たぶんこれ、西部劇にでてくる酒場のイメージが影響したんだろう。酒場と宿が一緒になっていて、壁に賞金首の張り紙がしてあるあのイメージ。ジジイが西部劇好きだったせいで映画をよく見せられたから、きっとそのせいだ。
「ちなみに、そこに泊まるからな。ちょっと依頼をうけて、冒険者はどんなふうに仕事をするとか見せてやりたいが……、今はできるだけ滞在を手短にしたい」
「ううん、早く家にもどるほうがいいよ。クロアだけじゃなにかあったときに困るし」
「すまんな。なにか買ってやりたいところだが、たぶんおまえが欲しがるようなものはここにはない。むしろおまえが作る物が売れる」
「……そ、そっか」
娯楽の少ないひっそりとした町らしい。
△◆▽
冒険者ギルド支店に到着しておれは驚いた。
「……まんま酒場だ」
酒場をかねているというより、酒場で冒険者ギルドの依頼も発行しているような感じだ。構造は西部劇の酒場にかなり近い。正面入り口はいってすぐに大広間。いくつかのテーブルがあり、野郎どもが酒を飲んでいる。そしてその奥にカウンター。
「おっ、ローク、来たか!」
奥のカウンターにいた逞しく厳ついおっさんが声をあげると、酒場にいた野郎どもがなれた感じでそれぞれ木製のジョッキをかるく掲げて挨拶してくる。父さんも適当に挨拶をかえし、それからカウンターまでいくと、ちょいちょいと酒場のオヤジを指さした。
「このオヤジがこの町の冒険者ギルドの支店長だ」
「……え、ギルドの人?」
「そうだぜー、俺がここのギルド支店長バルトだ!」
どう見ても酒場のオヤジ……、下手したら賊の親玉みたいなおっさんなのにマジか。腕とかおれの胴くらいありそうなんだが。
「支店長とはいっても、このオヤジしか職員いないんだけどな。ギルドと酒場はこのオヤジが兼任して、宿屋は奥さんがやってるんだ。一応聞くが、部屋はあいてるよな?」
「おうよ。満杯なんてこれまで一度もねえ」
ギルドどころか宿屋も暇なのか……、酒場は盛況のようだからいいのかな。
「とりあえず二泊。部屋は二人部屋いくから。あと……」
父さんはごそごそとポケットをあさり、とりだした硬貨をキンッと弾く。
硬貨は放物線を描き、バルトのごつい手にキャッチされた。
「おう? なんだ、ここを貸し切りにでもすんのか?」
「静かに寝たいから、後ろの飲んだくれどもがさっさとぶっ倒れるよう、強いやつをありったけ飲ませてやってくれ」
「はっ、よしきた! 俺の秘造酒りゅうごろしの出番だな!」
なんか紙パックの安酒っぽく感じるな。
「おい野郎ども! 今日はこちらの貴族さまのおごりだ! 貴族さまはお前らがたらふく酒を呑んでとっととぶっ倒れて静かになるのがお望みだぞ!」
バルトの叫びに、一瞬だけ酒場に静寂がおり、そして――
『うおおおぉぉぉぉ――――――ッ!!』
野郎どもが全員雄叫びをあげ、両腕を振りあげてガッツポーズ。
恐い。そんなに酒好きなの?
「よし野郎ども! 俺の秘蔵の酒をふるまってやるからこっちきて順番にならべ!」
『うっす!』
野郎どもがばたばたと列を作り始めたところで、おれは父さんに連れられてカウンター裏の階段から建物の二階へあがる。どうやら酒場の上が宿屋になっているようだ。
防音を考慮した設計がされているわけもなく、下の酒場の喧噪がもろに聞こえてくる。
雄叫びやら奇声やら笑い声やらとすごいんですが……。
「そのうち静かになる、まあそれまで我慢だ」
「う、うん……」
部屋にはいり、ふたつあるベッドのひとつに腰をかけて父さんは苦笑しながら言う。
それから父さんは冒険者ならよく利用するであろう、宿屋についてちょっと話をした。
父さんが言うには、ここくらいの宿屋に泊まれるようになれば冒険者としていっぱしということらしい。人数用のちゃんとした部屋になっており、ある程度の広さがあり、そしてベッドやテーブルとイスがある。頼めば食事が用意される。
おれの感じとしては、ここはビジネスホテルレベルといった感じだ。
大きな都市にはさらに立派で豪勢な宿屋があるらしい。
こちらはシティホテルといったところだろう。
逆に、小さな村だとカプセルホテルかそれ以下になる。一畳程度の小部屋の床に布が敷いてある程度だったり、からっぽの大部屋にみんな一緒になって泊まるようなものだったり。
そもそも宿すらない小さな村となれば、交渉して民家に泊まらせてもらうか、馬小屋を借りるか、それとも野宿かだ。
それでも里であれば水場などがあるわけで、荒野で野宿するよりはずっとマシという話である。




