第366話 12歳(春)…母と娘、そして父
ベルラットと喋ってる場合じゃないと思っていたが、こいつがシャフリーンをここから連れだした人物であるなら話は別だ。
知る者が居なくなった十五年前の出来事、その当事者であるならば、カークスよりも重要な情報を持っている可能性がある。
「知っていることを話せ! それがシャフリーンを救うきっかけになるかもしれない! 全部話せ!」
問い詰めると、一瞬ベルラットは迷ったようだが、シャフリーンが危うい状況にあることは承知していたためすぐに口を開いた。
「何から話したらいいかわからねえから、ひとまずオレがバロットに関わったところから話そう。オレがバロットに雇われたのは二十年ほど前だった。仕事はこの都市で活動する探索者たちの調査だ」
「調査?」
「そうだ。そのときは何の必要があっての調査かわからなかったが、後々になって実験の被験体に相応しい候補を選ぶためのものだったとわかった」
「雇われ調査員だったわけか」
「ああ。他にも目星を付けた探索者の勧誘もやったな。だがバロットが見込んで誘いをかける探索者はそれなりの人物だ。高額の報酬が約束されるとは言え、こんな胡散臭い話、まともに取り合う奴はほとんどいなかった」
「でもネルカはそれにのった?」
「そうだ。あいつは喜んだよ。候補者の中で最も優れていた人物だったこともあって、バロット側も喜んだ。利害は一致した」
「ネルカは……、研究内容に惹かれての協力だったのか? 報酬ではなく?」
「ああ、そうだ」
「そうか……」
どちらにしてもひどい話だが、この場合、まだ報酬目当てであった方がよかったと思うべきだろうか? いや、まだこの段階では自分の子供を継承のための器にするとは聞かされていないだろう。
ならば……
「自分の子供を研究に使うと聞いて、ネルカはどう反応した?」
「乗り気だったよ。それで願いが叶うならってな」
さすがにちょっとイラッとしてきたが、そんなおれの気分を察したのかベルラットが言う。
「まだその時は、って話だ。その頃のネルカはずいぶん焦っていたからな。ネルカには自負があった。自分には魔王と戦うだけの力があって、討滅も不可能ではないっていうな。しかし、そろそろ現れると言われるものの、未だ気配すらない時代だった。いずれ老い、力が衰えることにネルカは歯がみし、そして怯えていた」
「そこまでして魔王と戦いたいものか?」
おれにはさっぱり理解できない感覚だ。
「ま、普通は戦いたくなんてねえだろうさ。だが、ネルカにとっては戦いが、そしてそれによって自らの強さを証明することがすべてだった。俗に『剣魔』と呼ばれる奴だったんだよ」
剣魔――。
要は戦闘狂だ。
戦うこと、強くなること、それ無しにはアイデンティティを保てないような異端者。
人の心はひたすら戦い続けられるようには出来ていない。
戦いに明け暮れていればいずれ精神は疲弊し、忌避、もしくは無気力状態となってしまう。
しかし、希に存在する、戦い続けることの出来る者。
それは乱世においては英雄の天稟であるが、平時においてはやっかい者になりかねない。
羊の群れに紛れ込んだ羊の皮を被った狼。
狼が狼であろうとしたとき、まずは羊の皮を脱ぎ捨て、羊を狩らねばならない。
「ネルカは本格的に実験に協力することを決め、まずは子供を作った。それで――」
「待て。ってことは親父がいるんだよな? そいつはどうなった?」
「……し、死んだ……」
視線を逸らしてちょっと気まずそうにベルラットが言う。
もうそれでわかった。
「あ・ん・た・か・よ!?」
なんだそれ!
なんだよそれは!
「おいちょっと待てや! あんたシャフリーンが自分の娘だって最初からわかってたんじゃないのか!?」
「……オ、オウ」
「オウじゃねえ! だったらどうして名乗りでなかった! とっとと事情を説明していたらこんなことにはならなかったんだぞ!?」
「言えるわけねえだろうが!」
かっとなって怒鳴ったところ、ベルラットに怒鳴り返された。
「なんで言えないんだよ!」
「あのな! そりゃシャフリーンにここの記憶があって、それを確かめに来たってわかってりゃあ何か話したかもしれねえよ!? だがそんなんわかるわけねえだろ!? それに再会が穴からひり出されるアレだったんだぞ!? あんなの見られて、オレが親父だ、なんて名乗れるわけねえだろ!」
「……お、おう」
そう言えばそうだったな。
アレか……。
……あれ?
「あんたもしかしてそれでおれを恨んでたのか!?」
「……ちっ」
おおい!
逆恨みもいいとこだぞ!
――いや、逆恨みってこともないだろうが……、うーん、誰かに当たりたくなる気持ちはわからんでもない。
「ああもうオレのことなんざどうだっていいんだよ! 所詮は適当に選ばれただけの相手だ。……いや、選んでもら――、いや、そんなことはどうだっていい! 今はそんなこと話してる場合じゃねえ!」
確かにそこを詳しく聞いても仕方ない。
「で、妊娠が判明したあたりから、ネルカは変わり始めた。それまで子供は自分のための器という口ぶりだったが、ときおり、自分の中で育っていく子供を想い、悩むようになった。娘――シャフリーンが生まれてからは特にそれが顕著になった」
「顕著って?」
「娘には普通に生きていってもらいたいと言うようになったんだよ。もう道具にするつもりなんかなくなっていたんだ」
「研究から抜けることは出来なかったのか?」
「出来なかったな。バロットの連中がそれを許さなかった。ネルカはシャフリーンを取り上げられ、満足に抱くことも出来ずにいた。ネルカは自分の愚かさを嘆いて泣いていた。しがない調査員でしかなかったオレは、何も出来なかった。まったくよぉ……」
何とかしろよ、と責めるのは簡単だが、その頃のネルカとシャフリーン、そしてベルラットがどんな状況にあったか知らないままに文句をつけるのはお門違いだろう。
それに、この男が過去をどれほど後悔しているかは、たぶん現在までの生き様が証明している。
「やがてシャフリーンの体内に魔石を宿させる実験が行われることになった。下手すれば死ぬような実験だ。ネルカはその実験が行われる前にシャフリーンを連れ、ここから逃げだそうとした」
「失敗したのか?」
「ああ、気づかれて拘束された。オレがそのことを知ったのは、都市での調査を終えて帰還してからだった。すでに実験は行われた後、シャフリーンは生き残った。だが衰弱し、髪は白くなっていた。それを見て、オレはやっと覚悟を決めた。本当にやっとだ。オレは連中と手を切ることに決め、ネルカを逃がした」
「それで?」
「失敗さ。まずオレがとっ捕まってボコボコにされた。死にはしなかったが意識を失った。その間に何が起きたのか……、それは状況から判断するしかねえ。気づいたときには施設は破壊され、シャフリーンを抱えて死んでいるネルカがいた」
「……抱えて……、死んでいた……?」
「ああ。これまで満足に抱きかかえることが出来なかったぶんを取りもどすようにな。ネルカは血塗れだったが、それでも幸せそうな顔をしてやがった」
「…………」
それを聞いて、不意に閃くものがあった。
もしかしたら……。
「オレはシャフリーンを抱え、施設に残っていたポーションありったけを担いで地上を目指した。必死だったぜ。死ねば排出。赤ん坊が出て来たとなれば話題になるのは避けられねえ。シャフリーンの存在を隠しておくためには、死なずに上へと向かう必要があった。腕っ節なんざさっぱりなオレでも、必死になればなんとかなるもんだ」
そうか、ベルラットが初めて運んだものは自分の娘――シャフリーンだったわけか……。
デリバラー――配達人。
解放者という意味もあり、その原義は『手放す』だ。
シャフリーンにとって、ベルラットはまさに配達人であり解放者、そして娘を手放す父だった。
「だが、何とか五層へ到達できたところでケチりながら持たせてきたポーションが尽きた。おまけにオレは死にそうときた」
やたら古傷だらけなのは、ポーションを節約するため、中途半端に傷を癒した結果か。
「だが、五層で探索者に遭遇した。そいつは結婚のために迷宮へ稼ぎにきていた冒険者で、信用に足る人物なことはわかっていた。なにしろオレが調査したわけだからな。だからシャフリーンを託した」
「それで地上に排出されて、シャフリーンとはそれっきりか」
「ああ、オレが近くにいたら意味がねえ。距離を置く必要があった。まあ始めのうちは無事にやっているか人を雇ってこっそり確認したりはしたが、ちゃんと大事に育ててもらってることがわかってからは、関わるのをいっさいやめた」
「それであんたはここで……?」
「もう研究が行われないよう、迷宮の管理をノアからイールに移させるよう協力することにしたのさ」
なるほど……。
そうか、これですべて繋がった。
「ひとまずこれがあらましだ。他にもっと聞きたいことがあるなら言ってくれ。シャフリーンを救うためには何を話せばいい?」
「――いや、もうこれで充分だ」
ベルラットに話を聞けたおかげで、なんとかシャフリーンに正気を取りもどさせるきっかけを掴めたと思う。
そして魔王化を止める方法も。
――いけるか?
そう自分に尋ねたところ、おれの左腕は静かにうずき出した。
そうか、なら、きっとうまくいく。
※誤字脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/19




