第365話 12歳(春)…悪しき神の見えざる手
悪神はどうやって魔王に足る者を見つけだしていたのか?
それは魔素が可視化するほど濃密な魔素溜まりにあって判明した。
シャロ様は悪神が魔素の流れに潜んでいるようなことを想像していたが、実際はその腕が魔素の流れによって世界中に遍在しているような状態だったのだ。
そして魔王化――いかにして人が魔王になるのか。
絶望が鍵になっているという予測はあったが、ここにきて『手』を〈炯眼〉で調べることが出来たことにより確定する。
魔素の流れより現れた『手』は適合者に触れ、擬似的な魔素溜まり――魔王核とでも呼ぶべきものを生みだしておく。
あとは魔王候補者となった者がさらなる絶望に陥ったとき、魔素を溜め込んでいく器となる。
魔王というものは、『魔王』と定義されたものに覚醒するのではなかった。
絶望の果てに魔王へと変質していってしまうものなのだ。
魔王――。
それがいったいどういう存在なのか、情報をシャットアウトしていたおれにはまだよくわからない。
ただ、思うのは、こんなにあっさりと魔王候補にされてしまうのであれば、世界中にはすでにめちゃくちゃたくさんの魔王候補がいるのではないか、ということ、そして、にもかかわらず、ここでシャフリーンが候補を飛びこえて魔王化し始めているというこの違いはいったい何なのかということだ。
さらにもう一つ疑問に思うのが、こんなにあっさりと候補を決められるくせに、三百年という期間を空ける必要性。
解けた謎、増える謎。
進展したのか、それとも逆に後退したのか、いまいち判断がつかない。
ともかく今やるべきことは悪神と魔王の関係性を考察することではなく、シャフリーンの魔王化を食い止めることだ。
「ご主人さま、シャフリーンさんはどうしてしまったんですか? それにさっきの、ふわっと出て来たあれは……?」
「〝悪神の手だ。まずい。かなりまずい。シャフリーンが魔王候補者どころか魔王化しそうになってる〟」
「――ちょ!?」
シアが愕然とする。
「ど、どうします?」
「〝もちろん助ける。見殺しなんかにしたら、ミリー姉さんに殺されるかもしれんしな〟」
「ですよね。でもどうすれば?」
「ひとまず悲嘆しっぱなしってのがまずい。だから落ち着いてもらいたいところだが……、落ち着けないだろうな」
ちょっと意識を失ってもらったら、魔王化の進行は抑えられるのではないだろうか?
「乱暴だが仕方ない。眠っていてもらえ」
「あいさ!」
シアがシャフリーンに突撃しようとする。
が――
「――ッ!?」
シアが少し姿勢を前傾にしたところで、ビクッと動きを止める。
そこから進むのかと思いきや、またもビクッと動きが身震いし、前に進むどころかよろめいて体勢を崩した。
一体何をしているのかとおれは困惑したが、シアはなにやら愕然とした表情でいる。
一方、シアを見るシャフリーンも驚いた顔をしていた。
まるで何か思いも寄らぬ発見したような顔だ。
「ご主人さま、シャフリーンさんに雷撃を!」
「な――? わ、わかった」
いきなり何を、とは思ったが、シアは真剣。
ひとまずシャフリーンに雷撃を放つべく、おれは指を鳴らそうと右手を軽く握る。
そしてパチンと――、出来ない!?
「――なん!?」
親指に重ねた中指に力を込めるが、いざぐっと弾かせる段階までくると力が抜ける。
やろうと思うことが出来ないという不思議な感覚。
思いついたのはスポーツにおけるイップス。精神的な原因により唐突に動作が困難になる運動障害。これが重度になるともう動作の途中で行動が停止させられてしまう。
だが、この状況でそれはない。
イップスは自らの内面――無意識下の問題によって行動が阻害されるものだが、これは外部――シャフリーンからの干渉だ。
相手の意識を察知しての先の先をシャフリーンは得意としていたが、自分にとって望ましくない行動を起こそうとした場合、その行動を起こそうとする意識に干渉して妨害する。
対処不能の強制行動解除。
魔素の流れに接続されたことにより、シャフリーンの才能が変質を起こし、拡張・拡大されているのか。
シャフリーンにとってはおれたちの行動を起こすタイミングなど丸わかりで、どんな攻撃をしかけようとしても強制キャンセルされてしまう。
まだシャフリーンに敵意がないのが救いか。
動けなくなっているところに、『魔刃』で攻撃されたらひとたまりもない。
これはどれだけの人を対象とするのだろう?
精神感応の及ぶ範囲内?
現在のシャフリーンの範囲はどこまでだ?
もし、これが広大な範囲であり、さらに拡大するようなものなら大軍を率いようともシャフリーン一人に全滅させられることだろう。
さらに最悪、魔素の流れによってすべてに影響を及ぼすようになれば?
ネガティブな効果が世界中に及ぼされたとき、どうなるか?
ようやく魔王というものが恐れられる理由を理解できた。
魔王は世界に対しての悪性腫瘍――癌だ。
やがて魔素の流れによって世界中に転移し、世界を蝕んでいく。
存在自体がどうしようもなく害悪。
なってしまったら最後、もう語り合う余地もなく殺し合わねばならない存在。
小邪神。
これが魔王か。
「は、はは……、はははは! あはははははははは!」
シャフリーンがけたたましく笑い始める。
「何と言うことでしょう。私が魔王だなんて!」
「――ッ!?」
思考まで読むようになった!?
その自覚が契機であったように、魔素が渦巻きながらシャフリーンへと流れ込んでいく。
絶望の穴が口を開け、猛然と魔素を喰らい始めた。
「ご主人さまー!?」
シアがどうすると訴えてくるが、そんなのおれだってどうしたらいいかわからない。
今のシャフリーンの力はいったいどれくらいの範囲に及ぶ?
対処法としては、範囲外からの長距離――、いや、なに倒す方法を考えてんだ。
そうじゃない。
完全に魔王になってしまう前に止めないと!
おれが焦っていると――
「んだらぁ!」
背後で叫び声があり、一瞬遅れて放たれた斬撃がシャフリーンを襲う。
「魔刃!」
それをシャフリーンは迎撃。
それまでの魔刃は衝撃波のようであったが、今の魔刃は圧縮された光となり、地面に線を引きながら斬撃を打ち砕くと――
「うおおお!?」
それを放った者――シオンに、そしてさらにずっと後方にまで飛んでいく。
あの位置なら、まだ強制行動キャンセルの影響は届かないのか。
するとそんなシオンに向かって、様子を窺っていたカークスは駆けよって行くと叫ぶ。
「シオン! 彼女が貴方が望んでいた相手ですよ! ネルカの継承者です! そして今は――魔王です!」
「なん――!? 本当か!」
あんのドアホ!
余計なことをシオンに告げたカークスは、そのまま塔があった方へと一目散に逃げていく。
野郎、無駄に逃げ足だけは早い。
比喩だけでなく速度的にも普通に速いため、下手すると逃げ切られかねない。
「シア、おれはあのアホとっ捕まえて話を聞く! その間ここを頼むぞ! シオンがシャフリーンに無茶しようとしたらそっちも頼む!」
「それはちょっとさすがに荷が重い! でもわかりました! お早いお帰りをお待ちしておりますので、とっとと戻って来てくださいね!」
シャフリーンは自分には近寄らせないようにするが、離れる分には止めるつもりはないようで、おれはすんなりその場を脱した。
向こうからは嬉々としてやって来るシオン。
「おいこらてめえ! ミーネはどうした! 無事だろうな!」
「おう! 動けないから塔の出入り口横に置いてきたぜ!」
「シャフリーンはちょっと魔王の気分になってるだけだから、間違っても殺したりしないように! 殺したらぶっ殺す!」
「はは! アンタがか!」
「……シアが!」
「そこを日和るなよ……。やっぱミーネの買いかぶりじゃねえ……?」
短い会話を交わし、おれはシオンとすれ違った。
△◆▽
逃げるカークスを追い、そのまま塔の出入り口まで来てしまった。
カークスはもう扉前へと到達しそうだが、おれはまだ遠い。
せめて雷撃が届く範囲まで距離を縮めて……!
「今どうなってるの! みんなは!」
扉の脇にはミーネが壁を背もたれにして座っていた。
「ゆっくり話していられる状況じゃねえ! そいつ捕まえろ!」
「ごめん! シオンにやられて動けない!」
そうか、ならおれが頑張るしかないか。
カークスは勢いそのまま塔へと進入しようとする。
が、そこで出入り口から飛びだして来る者がいた。
Dルーラーを引いたベルラットだ。
座席ユニットが破棄された荷台にはアレサがしがみついている。
「ぎゃー!」
カークスがダイナミックに撥ねられた。
出入り口に飛び込んだところで、螺旋階段を加速しながら下りてきた装甲リヤカーに撥ねられたとなればすさまじい衝撃だったのだろう、カークスは宙を舞った。
ざまあ!
あ、いや、今はダメだ!
うっかり死んでもらっては困る!
今はシャフリーンを説得するため、どんな情報でも欲しい。
地面に激突したカークスは鼻血を流しながらビクンビクンと痙攣している。
けっこうまずそう!?
「アレサ! お願い! あの人を死なせないでぇ!」
「かしこまりました!」
ぴょーんとアレサが荷台から飛びだし、カークスの治療に向かう。
これでなんとかなるはずだ。
するとベルラットが言う。
「あんなヤロウ、ほっとけばいいじゃねえか」
「正直どうでもいいけどそうなるとシャフリーンがまずいんだよ!」
「そりゃどういうことだテメエッ!!」
そう言ったとき、ベルラットが過敏に反応し、リヤカーほっぽりだしておれに突っこんで来た。
「おい! シャフリーンがどうしたって!」
「あんたに説明してる余裕はねえ!」
「うるせえ! とっとと話せこのヤロウ!」
「だから今はあんたに説明してる場合じゃねえんだよ!」
とベルラットと押し問答が始まりそうになったとき――
「レイヴァース卿! 治療が終わりました!」
アレサが駆けてくる。
カークスは上体を起こし、額に手をやって軽く首を振っている。
「よし、じゃあ――」
カークスから話を聞こう、と言おうとしたとき、塔の出入り口からさらに飛びだしてくる者が。
プチクマを頭にしがみつかせたエルセナと、彼女が引くGシックスの荷台にしがみつくティアウルとパイシェだ。
「あ、ちょっと! そんなとこで止まってられたら!」
飛びだした先に、ベルラットが放置したDルーラーがあり、エルセナが激突を避けようとGシックスの進路を強引に曲げる。
その先にはまだ地面に座り込んでいるカークスがいた。
『あ』
めしゃ、とカークスは轢かれる。
ざまあ――、じゃなくて!
「ア、アレサー! お願いぃ! あの人を死なせないでぇぇぇ!」
「かしこまりました!」
アレサが再びカークスの治療に引き返す。
「おい! シャフリーンがどうなったって聞いてんだろうが!」
ああもうこのオッサンは!
仕方ないので超簡潔に状況を説明する。
「シャフリーンは自分が誕生した経緯があんまりにもアレだったんで心を病んでちょっと魔王化を始めちゃってるんだよ!」
「どういうことだテメエ!」
「どういうこともなにも、おれも混乱してんだよ! ともかく、今はシャフリーンを落ち着かせることが重要だ! だからあの轢死体のなり損ないから少しでも情報を引き出したいんだよ!」
そう言い、踵を返そうとしたら、ベルラットに肩を掴まれてそれを止められ、ついでに胸ぐらを掴み上げられた。
「どうしてあの子を連れてきた! オメエが連れてこなけりゃ、こんなことにはならなかっただろうが!」
「本人の強い希望があったからだよ! こんなところだなんてわかってたら絶対連れてこなかったがな!」
「なんだよ本人の希望ってのは!」
「シャフリーンはこの場所に来たかったんだよ! 記憶に残っていたこの場所に!」
「はあ!? 赤ん坊なのにそこまで覚えてたのか!?」
――ん?
「ちょっと待て。どうしてそんな――」
と言いかけ、おれは気づく。
「あんたがシャフリーンを預けた男か!」
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/20
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/31
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/04
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/06/23




