第363話 12歳(春)…来る終末の聖母
「なるほど、シアさんは枯らすように生き物を死なせることが出来るわけですか。まいりましたね……、わかっていれば、こちらへお招きしませんでした」
自分の管理下にあればレプリカントがどのような損傷を負おうと復元させられるとノアは考えていたようだが、シアの能力はそれを覆し、レプリカントたちを殲滅した。
その力が自分をも殺しうるとノアにはわかったようだが、まだ取り乱すほど追い詰められてはおらず、若干の余裕がある。
そもそもレプリカントは行方不明になった探索者たちの分身だ。
あれがこの地の防衛力のすべて、というわけではないのだろう。
「シアさん、貴方は私にとっての脅威のようです。場合によってはイル・イレケットよりも。なので、申し訳ありませんが貴方にもここで死んでいただきます」
「お断りします。ってかそっちが死んでください」
ぬけぬけと宣言するノアにシアは襲いかかろうとしたが、ノアはその機先を制して手をかざす。
と、その手からにゅるんにゅるんと得体の知れないものが吐き出された。
「ぬあ!?」
シアが驚き、踏みだそうとした足が止まる。
それは見たことも、聞いたこともない魔物。
小柄な人型であるが、その体は甲虫のような外骨格に覆われ、腹部は蛇腹、手足は太い指先から鋭いかぎ爪が生えている。頭は髪がなく、代わりに脳の輪郭が浮き出しているような形をしており、目は瞳がなく昆虫のような複眼、鼻はそぎ取られたように鼻孔があるのみで、口は鮫のようにギザギザの牙が何重にもなっていた。
「……んー?」
その醜悪な姿。
どこかで見たことある、とおれは訝しんだが――
「なんと……、まさかの〝妖怪人間〟!」
シアの発言によって混乱して余計モヤモヤすることになった。
おれの想像したのは緑色で、とあるキャラクターを永遠の噛ませ犬へと昇華させるきっかけになった……、ああ、名前が思いだせない。
だが確かにシアの思いついた妖怪人間にもよく似ている。
いつ、どこで、どうやって生まれたか、誰も知らない異形の怪物。
もちろん人間ではなく、動物ですらない。
しかし残念ながら、こっちの妖怪人間の中には正義の血は隠されていないだろう。
ってかこいつら、ノアがデザインした魔物なのか?
ならばこいつらは複合獣か。
キメラの語源はギリシャ神話の怪物キマイラ。
獅子と山羊の頭、そして蛇の尻尾を持つ存在だが、ノアに作りだされたこの妖怪キメラは合理的な殺戮を行えるようにとデザインされたバケモノだ。
生みだされたキメラの数は十三。
「くっ……、ベムだから十三ということですか……!」
シアが何を言っているのかわからない。
一体何を考えているのか知らないが、間違いなくそれはシアの勘違いだと思う。
手出しせず傍観しているおれが言うのもなんだが、狙われてるんだから今は戦いに集中してほしい。
「さあ楽園の守り手よ! 行きなさい!」
ノアの命令に、キメラたちは即座に臨戦態勢へと移る。
どう自分を誤魔化そうと愛せそうにない姿をしたキメラたちの背中――肩胛骨辺りがめくれ上がり、透き通った昆虫のような翅を伸すと、すぐに可視できなくなるほど高速で動かし始めた。その音は耳元に蚊がやって来たときに聞こえるプーンという甲高い羽音がスピーカーから大音量で流されているようなもので、ここまで来るとモーターの駆動音と大差ない。
てっきり飛ぶのかと思いきや、キメラたちは地を蹴ってシアに襲いかかった。
速い。
その速さはシアに迫る。
それだけではなく、キメラたちの動きはなめらかだ。
シアの動きは直線的だが、キメラたちは走りながらも自在に方向を変えられる。どうやら翅は飛行のためと言うより、高速移動を補助するためにあるようだ。
「うわ! これ、きつい! きっと夢に出ます!」
群がられたシアは鎌で撃退しようとするも、キメラたちはシアの攻撃をことごとく躱しながら、狙われていない個体が攻撃を仕掛けるという戦い方をしている。
攻撃は一撃に期待するようなものではなく、ジャブのような当てること、牽制することを目的とした速度重視。
当たりさえすればいい、という場合、その攻撃はまず間違いなく追加効果を狙ってのものだ。
調べてみると、爪には神経伝達を阻害する神経毒があった。
「シア! そいつら毒持ちだ! 攻撃は喰らうな!」
「毒持って無くても喰らいません!」
この程度なら喰らわない、ではなく、喰らってたまるかという意地っぽかった。
しかしキメラたちの毒はそれだけではなく――
「キシャー!」
ブシャァーッと口からも液体を吐く。
「んぎゃああぁぁ!」
これはシアも本気で避けた。
液体がまき散らされた地面からシュウシュウと煙が立ち上る。
酸か。
ぎりぎりで爪を避けていたシアがなりふり構わず避けたことに有効と見たか、キメラたちの攻撃が酸の吹きかけに切り替わる。
「ちょ! ちょっとぉ!?」
必死になって避けるシア。
思いのほか苦戦している。
今のシアは強化状態で対象を絞って素早くエナジードレインできるようになったらしいが、それって鎌で斬りつけないとダメなのかな?
たぶんまだ範囲指定とかは出来ないのだろう。
やれるならやっているだろうし、一か八かで失敗したらおれたちが萎れちゃうからな。
「ご主人さまー! これちょっときついでーす!」
十三体の妖怪人間に囲まれてゲロを吹きかけられるという状況にシアが根を上げる。
迫力のあるでかい図体をした魔物であれば良かったのだろうが、小柄で高速にて動き回り、攻撃回避に専念しつつ毒攻撃してくる集団相手というのはシアでもやりづらいらしい。
こういう相手は咄嗟に逃げ切ることができない範囲までの範囲攻撃が出来るミーネの方が得意か?
でも復活するだろうから、やっぱりシアに頑張ってもらうしかない。
「シアさん苦戦してますよ!?」
「だな」
キメラの標的は危険と判断されたシアに集中し、シアを無力化できれば後はどうとでもなると判断されたおれやイールは放置だ。
「だなって、そんなのん気な!」
「おまえもなんかああいうの出して対抗とかできねえの?」
「余力がないですね! 一体、二体ならいけますが、それをやると自衛のための力もなくなって私は愛くるしいだけのスライムになってしまいます!」
「なるほど、おまえでなければ愛くるしいかもしれないな」
「どういうことです!? 愛くるしいでしょう!?」
「だからおまえでなければ愛くるしいと言っているだろうが」
「ですからどういうことかと!」
「ちょっとそこぉぉぉ――――ッ!!」
イールとどうでもいい話をしていたら、シアに怒鳴られた。
「いかん、シアがご立腹だ」
「いや、ですからどうしてそんなのん気なんですか……」
「だって……」
あれはシアだけで戦っているから苦戦しているだけだ。
要はわずかな時間でもキメラたちの動きを封じることが出来ればいいわけで、実はおれはそういうのだけは得意なのである。
もちろんシアもそれは承知で、おれにきついと訴えている。
シアは応戦しつつ、タイミングを見てこっちに向かってくる。
追ってくるキメラたち。
そんな集団に向けて、咄嗟に逃げ切れない範囲に、おれは全力で雷撃をぶっ放した。
奴らは雷撃への耐性も持っていたが、それでも浴びている間は硬直くらいする。
雷撃の網にかかったキメラたちが痺れて体勢を崩すと、すでに反転していたシアが猛然と襲いかかった。
「こんにゃろぉぉ! よくもぉぉぉ!」
そして再びシアの独壇場。
シアによってキメラたちが瞬く間に殲滅される様子をノアは愕然と眺めるしかなかった。
手出しも、増援も生みださないことからして、ノアにとってはあのキメラが切り札であったのだろう。
確かに並の――、いや、凄腕であってもノアの管理下にある偽りの楽園でキメラたちを殺すことができる者はそうそう居ない。
強力な攻撃や魔法でもって消滅させることは可能だとしても、あの数と交戦しながらというのがやっかいだからだ。
キメラを殲滅したシアはすぐさまノアの首を刈りに駆ける。
「くっ!」
ノアはやるしかないと覚悟を決めて応戦の体勢になり、さらに傍観していたカークスがノアを殺されてなるものかと横やりを入れようとするのだが――、おれは迷宮を彷徨っている皆が心配なのでとっとと終わらせるべく、空気を読まず雷撃をぶっ放した。
「くあぁぁ!」
「あばばば!」
ノアとカークスが仲良く感電。
そこに――
「手段はともあれ、人を救おうとした気持ちに偽り無し! その慈愛に敬意を表し、あなたを葬るこの技にはアーク由来の名を付けることにいたしましょう!」
容赦なくシアが迫る。
「舞い戻る大鴉!」
そしてシアの双鎌がノアの両肩に突き立てられる。
箱舟由来の鴉となれば、それは地上の命を洗い流した神の大洪水が治まったかどうかを確認するため最初に放たれた鴉だろう。
鴉は箱舟へと舞い戻った。
水で覆われた世界から。
かつて生きていたものたちが水面に浮かぶ――死の世界から。
シアは自分の鎌をそんな鴉の爪に見立てたのだろうが、敬意を表しているはずなのにひどい皮肉になっているのはどういうことか。
あいつのセンスはよくわからん。
「……く、あ……、か……」
シアの鎌を受けたノアはうめき、人の姿を保てなくなって溶けるようにイールと同じスライム型へと形を変えた。
しかしその姿も氷が溶けていくように小さく縮んでいく。
そして――
「……わ、私は、人の未来を守るために――……」
それがノアの最後の言葉となった。
そこで力尽きたのか、一気に崩壊を起こし、水たまりみたいに地面に広がる。
ノアの死。
協力を求めた相手がバロットでなければもっと違う未来もあったのではと思われ、ちょっと気の毒に感じてしまうが……、仕方ない。
「ああ、なんということだ……、ノアが……」
カークスがうなだれる。
そんな悲しむ者がいる一方で――
「ふははは! やりました! やりましたよ! これで再び私はこの迷宮の支配者です!」
浮かれるイール。
どうもこいつは小物な感じがしてしまう。
ノアは確かにアレな奴だったが、それでも一応は自分から生まれた存在なんだからちょっとは悼んだりしないのか?
まあ所詮はスライム、存在が根本からして違う存在だ。
こうして会話で意思疎通はできるものの、その根源的なところには人では理解できない感性が存在するのかもしれないし、わざわざそんなものを自分の常識の危機――精神の均衡を乱す危険を冒してまで理解しようとは思わない。
宇宙的恐怖を理解しようとしても、結局は気が狂うだけだ。
「じゃあ迷宮の支配者さんよ、さっそくだがとっとと下層を掌握してみんながどうなってるか調べろボケ」
「ちょ、ちょっとくらい余韻に浸らせてくれても……」
渋々ながらもイールは下層の掌握を始める。
「どうだ?」
「掌握には一時間ほどかかりますが、状況を調べたり、はぐれた皆さんをこっちに誘導するくらいなら出来ますね」
「みんなはどうなってる? ミーネとシオンは?」
「えーっと、ベルラットさんとアレサさんは一緒にいますね。迷宮を迷走しています。エルセナさんとティアウルさん、パイシェさんの三人は慎重に行動しているようです。ミーネさんとシオンさんは……、ふむ、シオンさんがミーネさんを背負ってうろうろしてますね」
「ミーネを背負って……?」
シオンはノア側らしいとはわかったが……、どういうことだろう?
状況はよくわからないが、ともかくミーネは無事のようだ。
「ひとまず皆さんをこっちへ誘導しておきます」
「そうしてくれ」
それからちょっと呼吸が上がっているシアは休んでもらい、おれは茫然としているシャフリーンと話す。
「シャフリーン、大丈夫か?」
「……出来れば、もっと詳しい話を聞きたかったのですが……」
「シャフリーンはちゃんと人の両親から生まれて、ここで行われた実験で魔石が宿った。これだけわかればよかったんじゃないか」
シャフリーンはノアを倒してしまったことが不服らしいが――、いや、困惑が収まらないだけか。
だが何もかもを知り、失望するよりはいいのではないだろうか。
シャフリーンには落ち着くための時間が必要だろう。
「あ、ご主人さま! あれ!」
そのときシアが叫び、何事かと見てみれば、うなだれていたカークスが朽ちた施設の内部へと走って行くところだった。
ノアが討伐され、もう研究再開の望みは絶たれたというのに、まだ何かしようというのか?
ひとまずおれたちはカークスを追うことにした。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/08/04




