第362話 閑話…ミーネとシオン
「みんなとはぐれちゃったわね」
「んー、そーだなー……」
泥の龍が荒れ狂うような状況のなか、唐突に口を開けた床の穴に呑み込まれたミーネとシオンだったが、二人ともそれほど深刻な様子ではなく、仲間とはぐれて困った、くらいの調子でいた。
落ちてきた穴はふさがっており、登って戻ることも出来ない。
辺りは狭い通路で一方は行き止まり、もう一方は奥へと続いている。
二人はいざというときの保存食――軟らかめの干し肉をがじがじ囓りながらこれからどうするか話し合う。
「天井をぶっとばしちゃ駄目なのよね?」
「それは止めた方がいいなぁ……、やらかしたアタシが言うのもなんなんだけどさ」
この事態はマンティコアを葬るために繰り出した一撃が強すぎ、迷宮を破壊したために起きたことだろうとシオンは言う。
それを繰り返したら、今度はどうなるかわからない。
「ひとまず進んでみようぜ。ここでじっとして肉囓ってるだけだと余計に腹が減る」
「そうね。お腹空いたわ」
二人は通路の奥を目指して歩く。
「今アタシ剣がぶっ壊れて手ぶらだからさ、なんか出てきたらミーネに頼むな」
「出るの?」
「そりゃあ――……」
言いかけて、シオンはがりがりと頭を掻く。
「なあミーネ」
「なに?」
「おまえがアタシの方に来たのってさ、アタシが剣なくなってて、危ないからってわけじゃないよな?」
「うん、たぶん」
「たぶん……?」
曖昧な答えを返され、シオンは首を傾げる。
「アタシを怪しんでこっち来たんじゃねえの?」
「たぶん」
「なんでたぶんなんだよ……」
からかっている、というわけではなさそうで、結局シオンは本当にミーネは曖昧な感覚で自分の方へ来たのだと納得するしかなかった。
「なあなあ、アタシなんか怪しい素振りとか見せたっけ?」
「ううん、特に何もなかったわよ」
「でもミーネはアタシが怪しいと思ったから強引にこっちに来たんだろ?」
「うん」
「それはなんでだ?」
「わかんない」
「わかんないって……」
「なんか咄嗟に来ちゃったのよ。理由をつけるなら……」
うーん、とミーネが腕組みして考え込む。
「そうね、シアがマンティコラを倒すって言ったとき、あなたが『次が本番だから』みたいなことを言ったからじゃないかしら」
「何かおかしいか? あとマンティコアな?」
「あ、マンティコアね。うん。――えっと、でね、何が引っかかったのかっていうと『本番』ってとこなの」
「本番だろ?」
「本番だけど、あなた、ぜんぜん本気じゃないじゃない」
「……すまんミーネ、言ってることがよくわからん」
シオンが言うと、ミーネはあれっという顔をしてまた少し考える。
ミーネは直感したことを思考、さらには言葉へと落とし込みきれておらず、難儀しつつシオンにわかる言葉にしようとする。
「えっと、もしね、あなたが絶対に負けられない勝負をすることになったとき、あなたは自分の技で壊れる剣を持って行く?」
「あ」
そこで、シオンはミーネが言わんとすることを理解した。
「あなたは迷宮制覇にあまり興味がないみたいだけど、それでも強敵に挑むとなれば全力を尽くせる武器を用意するでしょう? あなたの場合は、迷宮に隠してある愛剣ね。なのに、あなたったらちっともその剣のことを言わなかった。ここが、おかしいと思うの」
ミーネの説明にシオンは少し楽しげな苦笑いを浮かべる。
「なるほどなぁ、そうきたか。ってか、そこをおかしいと思われるとは思わなかったぜ……」
「そうね、あなたと会ったばかりならおかしいとは思わなかったかもしれないわ。でも、この十日くらいで私とあなたはよく似ているところがあるってわかったから、私ならそんなことしない、っていう行動が余計におかしく感じたのよ」
「ははは! やべえ、すげえ納得できる!」
戦いに臨む姿勢の弛み。
まさかそんなところから不信感を持たれるとは想像していなかったが、しかし聞いてみれば当然のように理解でき、シオンは笑う。
「たぶん、あのとき感じた『あ、駄目』って感覚は、こんな理由からだと思うわ」
「勘かー」
シオンは苦笑する。
「今、アタシを斬れば面倒なことにはならないぜ?」
「手ぶらの相手にそんなことしないわよ。あなたと私が逆の立場だったら、あなたは私を斬る?」
「……斬らねえな。なんも面白くねえ」
「でしょう?」
二人は話しながら通路を進み、やがて広間に到着した。
広間の中央には鞘に収まった剣が転がっている。
「もしかして、あれがノアに協力していた理由?」
「そそ。預かってもらってる間は、ノアに協力するって契約だ。実際は今日までなんもやることなかったんだけどな。それこそ、ミーネたちが来るのがあと一年遅ければ、アタシは剣を回収してこの都市から居なくなってたかもしんない」
そう言い、シオンは転がる剣へと歩いて行く。
「久しぶりだな、バハローグ」
シオンは剣――バハローグを拾い、ゆっくりと鞘から抜き放つ。
淡い紫の燐光を放つ剣身。シオンが美しいダークエルフであることも相まって、その光景は見る者を惹きつける怪しい魅力があった。
「魔剣にはあと一歩ってところか。これは……、もうちょっとノアに預かっていてもらわないとな」
シオンはふり返るとミーネを見て微笑む。
「ってわけで、こっからはお仕事だ。とっととノアのところへ向かいたいところだが……、バハローグがうずいてる。――なあミーネ、ちょっと試合しようぜ」
地上で試合に誘っていたような、変わらぬ口調でシオンは言う。
ミーネは剣を抜き放ちながら答える。
「ええ、いいわ。やりましょう」
△◆▽
何回かシオンとは試合をしたミーネであったが、そのたびにシオンが自分よりも上であることを再確認していた。しかしわかっていつつもそれを言葉にするのは難しく、それでも誰かに説明しようとするなら『剣が太い』とミーネは言っただろう。
ただひたすら剣を振ってきたと言うシオン。
その剣技は我流であるが、百年以上も振り続けてくれば自ずと型らしきものが形成される。理論からではなく、実践からの、たたき上げの型はシオンの戦ってきた軌跡そのものであり、当然ながらシオンの身体はその型に最適化されている。故にただの一撃ですら強い。それこそ数えるのが馬鹿らしくなるほど振り続けてきたその回数、それがそのまま振るう剣に宿っていることをミーネは感じ取り、それを形容して『太い』と言う。
シオンは自分には剣の才能がないと言った。
剣の才能がない者が、それでも強くなろうとするならば、そこは努力で埋めるしかないのだろう。
どれだけ剣を振ったのか?
どれだけの敵と戦ったのか?
剣しか能がなかったと言う祖父は、それを鍛え上げて剣技に神撃を宿すに至ったが、であれば、才能がないと自覚するシオンがそこへ至るまでにはどれほどの修練があったのか?
恐ろしい、とミーネは畏怖する。
しかし同時に、深い敬意も抱く。
愛剣バハローグを手にしたシオンはより攻撃の圧を増し、そんなシオンと戦うのは、気まぐれで倒されるのではないかという恐怖を感じると同時に、これまでにない緊張感があり、体の芯が痺れるような愉悦をミーネにもたらした。
しかし、ミーネはこれを求めてシオンに挑んだわけではない。
「たぶん、あなたが敵だと一番やっかいだから私は来たのね!」
例えシアでも、このシオンを倒す姿をミーネは想像できない。
祖父であればいい感じに戦う姿を想像できるのだが……。
「へえ! そいつは光栄なことだな! だがアタシよりも面倒なのが下にいるってわかってるのか!」
「そうかもしれないけど! っと!」
楽しげなシオンが振りおろす剣を、ミーネは避ける。
シオンの剣は軽く振られているようでも、受けると剣が弾かれそうになるほど力がこもっているからだ。どういった体捌きからそんな力が込められるのか謎で仕方ないが、それがシオンの型――その妙、剣の術なのだ。
「でも! ここで私があなたを引き留めておけば、あとはみんなが何とかしてくれるわ!」
「ミーネ抜きでノアを倒すって? まあシアはかなりやりそうだからな!」
「シアだけじゃないわよ?」
「レイヴァースもか?」
「そう! ほら、はぐれたとき賭けをしたでしょ!」
「あれ本気だったのかよ!? そんなにアイツ強いのか?」
「強い弱いじゃないの! そういうことじゃないの――よ!」
気合いを込めて叩き込んだ剣。
が、シオンはそれを剣の腹で受け、そのまま滑らせてあっさりと逸らしてくる。
剣を逸らされ、体勢が流れたミーネ。
一撃が来る、と焦ったが、シオンはミーネが必死になって背後へ跳ぶのをただ見送った。
「じゃあどういうことだってんだ?」
どうやら話が気になったので攻撃しなかったらしいとわかり、助かったと思いつつも、見逃されたことにイラッとする。
つまりそれは、いつでも倒せる、という自信からの行動だからだ。
剣はシオンが上、これはどうしようもない。
しかし、だからと魔術に頼ると、シオンは神撃を込めた攻撃をしてくることになるだろう。
そうなっては結局は自分の首を絞めるだけだ。
ミーネがやるべきことは、皆がノアを倒すまでの時間稼ぎ。
契約しているノアが居なくなってしまえば、シオンとしてはこちらを攻撃する理由が無くなる。場合によってはイールと契約するかもしれないので、完全に敵対関係の解消となるだろう。
会話で時間が稼げるなら、そうすべき。
ミーネとしては好ましくない方法となったが、手段を選んでいられる状況ではないのでミーネは大人しくシオンに考えを話して聞かせる。
「あの子はあんまり強くないから、自分じゃ倒せない相手ってのはいっぱいいると思うの。そして、その相手を倒せるって人も、けっこういるんじゃないかしら? でもね、中にはいるの。あの子にしか倒せない相手ってのが。そしてそれは、他の誰にも倒せない」
「スナークだろ?」
「うん、そう。でも、たぶんそれだけじゃない。本当にたぶんなんだけど、魔王もそこに含まれると思う」
「おいおい、アイツが勇者だってのか?」
「その言い方はちょっと違うわね。魔王を倒して勇者になるの。私も昔は勘違いしてたから、偉そうには言えないんだけど」
「じゃ言い直すよ。アイツは魔王を倒して勇者になれる特別な奴だってミーネは思ってるのか? でもバロットの奴と話してるとき、魔王とは戦わないみたいなことを言ってたよな?」
「そうね、戦う気はないわね。本気で無いと思うわ」
「んん?」
「初めて会った時からそうだったわ。まだちっちゃな頃から、魔王となんて戦いたくないって言ってたのよ」
「ダメじゃねえか!?」
愕然としたようなシオンに、ミーネは思わず笑う。
「そう思うでしょ? でも――おかしいと思わない?」
「おかしい? 何が?」
「だって七歳くらいの子供が、魔王となんて戦いたくないだなんて言うのよ? ねえ、それって、いつかそこに辿り着いてしまいそうな予感があるから言うんじゃないかしら?」
「……」
「それにね、あの子って戦いとか面倒って感じのわりには、コボルト王とか、スナークとかバンダースナッチとか、いざとなると先陣切って突撃していくの」
「よくわかんねえな……、戦いたくないんだろ?」
「そう、戦いたくはないの。でも、戦いたくないと思っていたって戦わなきゃいけなくなるのよ。私やっとわかってきたの」
それは点と点を結んだ線、浮かび上がった絵――。
「あの子は逃げることが出来ない。コボルト王に遭遇しても、スナークの群れが襲ってきても、バンダースナッチを前にしても、逃げるということが出来ないの」
「なんでだ?」
「そこに犠牲になる誰かがいるから。逃げたら得るべき導名が台無しになってしまう。だから逃げられない。だから魔王に辿り着く」
「人々のためにってか? そりゃご立派なこった」
「ああもう、そうじゃなくて! 確かに誰かを守ることにはなるんだけど、そうじゃないの!」
もしシオンの思った通りであれば彼は立派な英雄だろう。
しかし、事実は違うことをミーネは知っている。
「人々を守るために戦おうとするんじゃなくて、誰かが犠牲になるのを見過ごして逃げる自分になることが出来ないってこと! 要は自分のため! だから持て囃されると困っちゃうのよ!」
そう、自分のためにやったことが予想以上に讃えられることに、彼はいつも困惑する。
「難儀な奴だな!」
「そうね! まったくそうよ! あの子は勇者になるつもりなんてぜんぜん無い。本当に無いの。でも――、私にはわかる。きっとあの子は言うわ。いつか必ず言うの」
「なんて?」
「おれが魔王を倒すって!」
ほとんど確信をもってミーネは言う。
もしこんなことを考えていると言えば、彼は「絶対に言わねえ!」と意地になってしまうから直接言ったりはしないが。
「だから、わたしはその時のために強くなっておかなきゃいけないの。一緒に戦えるように。あなたみたいな人に邪魔をさせないように」
「は、はは、あははははは!」
愉快でたまらないといった感じでシオンが笑う。
「な、なんで笑うのよー!」
「戦いながら惚気られたのは初めてなもんでな!」
「惚気? 真面目な話なのにどこが惚気になるのよ!」
「ええ!?」
惚気でなくてなんなのかとシオンは驚く。
もしミーネが男であったなら、その話は見込んだ友へ――、いや、主に仕える騎士の言葉として受けとめたのだろうが。
「しかしまあ、わかったよ。危機的な状況になってないと、ミーネがそこまで入れ込むアイツの真の姿が見られないわけか。じゃあ、ここは是非とも邪魔をしにいってやらないとな!」
「あれぇ!?」
時間稼ぎの話がシオンの興味に火をつけた。
どうしてこんなことに、と困惑するミーネに、シオンは剣をかざして見せる。
「ミーネ、アタシはこれからこいつで本気の一撃を放つ。もしかしたら殺しちまうかもしれねえが……、そのときはごめんな」
ずいぶんと軽い口調だったが、ミーネにはシオンの中で何かが切り替わったような気配を感じ取った。
例えるならそれは、剣を鞘から抜きはなったような――。
「……ッ!」
シオンの全力が来る。
愛剣を手にした今、それは少なくともマンティコアを一撃で葬り去ったあの攻撃以上のものになるだろう。
「(ならこっちも……、全力で!)」
ミーネは意識を切り替える。
思考を止め、今自分が放てる最高の一撃を見舞うために集中する。
そして――
「――『剣魔』シオン=バハローグ! 参る!」
「――『魔導剣』ミネヴィア・クェルアーク! 行くわ!」
二人は互いに叫び、一歩――回避など考えない全力での踏み込み。
振りが一瞬速かったのはミーネ。
渾身の一撃。
「〝魔導剣ッ!〟」
対しシオン。
戻った愛剣にその気迫を余すところ無く乗せ、放つは魔技の基本となる技を究極へと昇華させた一撃。
これこそ魔技の王。
故にその名は――
「魔王剣ッ!」
宿るはシオンという剣士のすべて。
振った剣の回数、奪ってきた命、勝ちと、負けと。
その厚みは神撃へと至り、対象を打ち砕くという特性を得た。
ぶつかり合う剣と剣。
けたたましい破砕音がして――
「あ――」
ミーネの剣が砕けた。
シオンの魔技、その破壊の力、ミーネの魔技を越えて伝わった威力のほとんどを受け止めはしたが、耐えきれる限界を超えた。
さらに剣が受けとめきれなかった余波はミーネにも伝わった。
体の内部――芯を巨大な鎚で殴られたような錯覚を覚えたとき、ミーネは床に倒れ伏していた。
そんな馬鹿な、と思う一方、ミーネはこの事実に冷静な恐れを覚える。
ミーネが纏う服は特別製、雷撃を、そして神撃を無効とする。
にもかかわらず伝わった余波だけでこのダメージ。
それはつまり、シオンの魔技は肝心の神撃を除いた威力だけでミーネを完全に制してしまったということであり、もしこの服を着ていなければ……。
「くっ……」
ミーネは急いで立ち上がろうとするも、手を地面について体を起こすこともままらない。
体から痺れがぬけず、力が入らない。
シオンは足元で倒れているミーネを見下ろしてはいるが、その表情には勝利したことへの満足や、倒した相手への侮蔑といったものはいっさい無く、むしろ驚き、感心しているようだった。
「五体満足で耐えきりやがったよ……。やっぱすげえな」
そしてシオンは剣を鞘に収めると、起きあがろうと藻掻くミーネをひょいっと担ぎ上げる。
「な、なに?」
「ん? いやこのままここに捨てていくのも可哀想だし、とりあえず運んで行こうかと思ってさ」
「むむむ……」
「お? アタシなんかに運んでもらいたくないってか? べつに置いていってもいいけど?」
「それは困るから運んで」
意地を張れる状況ではないと認め、ミーネは甘んじて荷物になるのを受けいれる。
「じゃあついでにお願い。私の剣の破片を集めて」
「ええ!? いやそれはちょっと……」
「あーつーめーてー!」
「わ、わかったよ。耳元でそう怒鳴んなよ……」
それからシオンは砕いてしまったミーネの剣、その破片の回収に時間を取られることになった。
※描写を少し追加しました。
2018年3月6日
※文章を修正しました。
ありがとうございます。
2019/01/31
※誤字脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/04
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/22
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2023/04/06




