第361話 12歳(春)…アーク(箱舟の方)
石扉の向こうにあったのは下へ下へと続く長い螺旋階段だった。
おれとシア、シャフリーン、イール、そしておまけのカークスはその階段を黙々と下りていく。
螺旋階段は直径約二十メートル。一段の高さ――蹴上は約二十センチ。そして段数はおよそ五百。段数が適当なのは降り始めて少ししてから高さを測ろうと思いたったからだ。これを全体の高さに直すと百メートルほど。ビルなら二十五階建て相当か。
降りきったところにまた石扉があったが、こちらは押し開けることが出来た。
まず飛び込んできたのは目映い光。
それから土っぽくかび臭かった空気を吹き飛ばすような新鮮な風と、生い茂った草の香り――。
『おぉー!』
扉の向こうに広がっていた自然の風景。
感嘆の声をあげたのはおれとシア、そしてシャフリーン。
イールは「はあ?」と呆気にとられたような声をあげ、カークスはこれを知っていたのか、とくに反応を示さない。
暗い空間でずっとすごしていたからか、自然の景色につい警戒心も薄れてふらふらと外へと出る。
草原はずっと向こうまで広がり、遠方には木々が育ち森まである。
そしてさらに驚いたのは――
「……青空? なんで?」
ここには空があった。
もちろん本物の空なわけがない。
高さとしては百メートルほどしかないはずなのだ。
驚いていると、イールが言う。
「あれは……、色の付いた細かな光石が規則正しく並んでいますね。赤、青、緑……、その三色の発光の具合によってあの空は作りだされているようです」
うん?
ああ、光の三原色か。
じゃああれは天井を覆い尽くすとんでもなくでかいディスプレイに空が映されているってわけか。
しかし偽物とわかっても、この開放感は凄い。
「なんて無駄。とんでもない手間ですよ。わけがわかりません。この自然もそうですが、あんな空まで用意してノアのアホはどうしたいんでしょう。こんなことをしていなければ、私の迷宮侵食ももっと押さえ込めたでしょうに」
イールがぽよんぽよんしながら不審がる。
「なるほどー……、ご主人さま、なんか空気がちょっと濁っているような感じがするのはあの天井の影響ですかね?」
「濁って……? 言われてみれば確かにそんな感じだな」
本当にうっすらとだが、煙っているように空気に色がついている。
「ああ、それは魔素溜まりの影響ですよ。魔素が濃すぎて視認できるんです」
魔素が充満している結果らしい。
おれとシアがそういうものかと納得するなか、シャフリーンは静かに立って景色を眺めていた。
「……ここです」
何が、と聞く必要はなかった。
ここがシャフリーンの記憶にある故郷か。
と、そこでこれまで大人しくしていたカークスが急に走りだす。
目的地についた途端に元気になりやがって……。
「ご主人さまー、どーしますー?」
研究機関の所長のわりに良いガタイをしたカークスの足はけっこう速かったが、シアならあの程度あっさり追いついて捕らえられる。
しかし側に留めておきたいわけではないので――
「案内してくれるんだ。追おう。向かう先に何かがあるはずだ」
「わっかりました」
それからおれは景色を眺めているシャフリーンに言う。
「シャフリーン、あいつを追っていけば君が知りたいことを知ることができるかもしれない。でも、もしそれが恐ろしいならおれが代わりに調べてこようか? ここは見た感じ魔物も居ないようだし、待っているっていう選択もあるよ」
「……、いえ、私もご一緒します。させてください」
「そうか、わかった」
シャフリーンに確認を取ったあと、おれたちはカークスを追う。
すると、やがて古びた建物が見えてきた。
建物は所々崩壊し、苔やツタに覆われてひどい有様だが、廃墟マニアが喜びそうな荒廃の哀愁と美しさがある。
「誰か居ますね」
「ああ……、敵意はなさそうだが……」
建物の正面にあたる場所にいたのは、腰巻きや胸隠しだけでいる半裸の人たちだった。
全部で七人。
それぞれ思い思いの行動をとっているのだが――
「……すげえヤバイ雰囲気かもしだしてるよな、あれ」
大の大人が地面に座り込んでひたすら左右に首を振っていたり、蝶でも見えるのかちょいちょい手で空を掻いていたり、大宇宙と交信でもしているように謎の言葉を楽しげに喋り続けていたり、寝転んで赤ちゃんみたいに手足をジタバタさせてキャッキャしているのは、どう好意的に見てもまともとは思えない。
「この施設で何が起きた! 説明できる者はいないのか!?」
カークスはそんな人々に向かって強い口調で言うが、七人は話しかけられていることすらわからないように、ひたすら思い思いの行動を続けるばかりだ。
そしてそんな人々の胸にある物――
「ま、魔石が……」
シャフリーンが愕然として言う。
確かに彼、彼女らの胸元には魔石がある。
しかし〈炯眼〉で確認してみたところあの七人はレプリカントだ。
おそらく、迷宮で行方不明になった探索者たちの、だろう。
「シャフリーン、ここにいるものたちと君とは違う。君は『人』だ」
と、その発言に応える声――。
「その通りです。この七人は私が試験的に生みだした者。貴方とは違いますよ。ふふ、シャフリーンという名前なのですね」
朽ちた建物の奥から現れたのは美しい女性であった。
身につけているのは大きな白い生地に穴をあけて被っただけという服ともいえない衣装であったが、それはそれで変わったローブのように見えて雰囲気がある。
「ようこそ。ここはアーク、私が作りだした楽園です」
アークと聞き、ふと脳裏に浮かんだのは現在はぐれてどっかに行った踊るクマのぬいぐるみだったが、すぐに『箱舟』の方だバカ、と自分に突っ込みをいれた。
くっ、重要な局面だというのに、ふざけた存在のせいでちょっと気が抜けてしまった……!
「そして私が皆さんが会いに来たもの――ノアです」
こいつがノアか、とおれは気を取り直す。
イールから分裂した、人との融和を目指した果てのスライム。
見た感じは凄くまともそうだ。
まず服を着用していることからして、イールより常識がありそうに見える。
「おおノア! 一体何があったのだ! ああいや、それよりも頼みがある! 再び我々に協力してくれないか!」
「お断りします」
さっそく申し出たカークスであったが、その申し出はすげなく断られた。
「な……、何故だ!?」
「私と貴方がたが目指すものは別であるとわかったからです。故にもう協力することは出来ません。貴方をここに招いたのは、それをこうしてはっきりさせるため、それだけです」
「我々とは目指すものが違う? そんな……、私たちは共に、人が魔王に屈することない世界を目指していたではないか」
「それは今も変わりません。ただ、貴方がたに協力するなかで私は学んだのです。例えばそれは、少数の犠牲により多数を助けるという考え方や、救われるに値しない者がいることです」
なんかすげえ学んで欲しくないこと学んじゃってる。
「十五年ほど前、ここで起きた出来事は私に大きな変化をもたらしました。生命を再構成できる存在として生まれたものの大いなる使命をようやく理解したのです」
「使命だと……?」
「そうです。私の使命とは、例え魔王によって世界が滅びようとも、救うに値する人々が生き延びられる『場所』を用意すること。そう、ここ、ここなのです。故に私は、ここで後世の礎となるに相応しい健康な肉体を持つ者を集めています」
あー、それが行方不明者の共通点か。
そんな共通点はさすがに推測できないな。
「そしてレイヴァース卿、貴方をこちらにお招きしたのは、貴方がここに加わるに相応しい人物かどうか調べさせてもらうためです。そちらにいらっしゃるシアさんも。ミーネさんもこちらにお招きしたかったのですが……、後で合流してもらいましょう」
お招き――、じゃああの分断は狙いがあってのものだったのか。
ノアはおれ、シア、と視線を動かし、最後にシャフリーンを見る。
「そしてシャフリーンさん、お帰りなさい。貴方はこの楽園の巫女に相応しい人物です」
「……な、なぜ……?」
絞り出すような声でシャフリーンは尋ねる。
「それについては後ほどゆっくりと。皆さんにもこれからのことを説明しなければまりませんしね。なので今は、片付けるべきことを先に片付けさせてもらいましょう」
と、ノアはイールを見る。
「イル・イレケット。この地に守護者は二人も要りません。貴方にはここで消滅してもらいまいましょう」
「はっ、何を言いますか。消滅するのはそっちですよ。ささ、皆さん出番ですよ! ちゃちゃっとその気取ったスライムをやっつけちゃってください!」
どうもこっちのスライムの方から小物臭がするのだが、だからといってノアに味方するわけにもいかない。
ノアが宣言したあと、周囲で幸せそうにしていたレプリカントたちが夢から醒めたようにはっとする。
まずは何が起きたのかわからないように辺りを見回し、それから唸り声を上げて動揺しだした。
「また『幸せ』になりたければ、そこのスライムを退治しなさい」
ノアが言うと、七名のレプリカントたちが一斉にイールを見た。
まるで憎き仇を見つけたように目を見開き、獣の様に歯を剥きだしにして今にもイールに襲いかかろうとせんばかりの勢いだ。
それを見計らったように、地面からずるんと剣が飛び出し、レプリカントたちはそれを手にしてイールに襲いかかる。
「シア、適当にイールを援護してやれ!」
「あいあいさー!」
イールの援護をシアに任せ、おれはシャフリーンの様子を窺う。
魔石持ちのレプリカントに、ノアの『巫女』という発言。
だいぶ揺さぶられたようで少し惚けてしまっている。
とてもではないが戦闘を行える精神状態ではないだろう。
そこそこ強い探索者のレプリカントだからか、七人は魔技も繰り出しながらイールに襲いかかっている。
ってか魔技まで使えるのか。
記憶とかはどうなっているのだろう?
気になることは色々あるが、あれくらいならシアの敵ではない。
イールも守られるばかりではなく、丸い体からにょきっと触手を伸ばし、先端を刃に変えてレプリカントに応戦していた。
シアはレプリカントをどう扱ったらいいかわからず、素手にて対処していたが、イールの方はかまわず刃で斬りつけている。
イールにやられたレプリカントは地面に倒れるが……、少しすると傷が修復され、また再び戦列に加わる。
これはノアを倒さないといつまでも続くパターンか?
倒せるにしても、倒してしまったらそのままノアとの戦闘になるだろう。
話を聞きだすなら今だな。
「あいつらはどうしてあんな必死になってるんだ?」
「夢から醒めたからですよ。御存じでしょうか、人はその脳の内部で作りだされる微量の物質によって喜怒哀楽が、そして快、不快という状態が作られるのです。私はこのアークで過ごす人々には常に幸せでいてもらいたいと思っていまして、まだ実験段階ですが、多幸感を得られる物質を作りだし続けられるよう手助けをしているのです」
「で、それを止めて、またいい気分になりたいならイールを倒せってわけか」
それってレプリカントどころか、普通に人を傀儡に出来るぞ……。
人との融和を望んだスライム。
罪はない。
けれど倫理観を持たぬとあればそれは害悪。
影響された相手が悪かった。
伝承のノアというより、蛇に唆されたイヴのようだ。
「あの連中はなんなんだ? おまえが捕まえた人を模倣して作られた魔物か? 魔石は何の為についている?」
「魔物ではありませんよ。人に限りなく近い人のようなもの。私の管理を離れると死んでしまうことを除けばもう人と言っても過言ではないでしょう。魔石は記憶を媒介するための装置として使えないかと実験的につけています。私を介すことなく、常時記憶の転送が可能となれば人は自分を模倣したそれを介し、いつまでも生きていられるようになるのです」
「本人はどこかで夢を見ていて、その夢は今ああやって動いている奴らの意識ってわけか」
「おお! そうです、ほぼその通りですよ。素晴らしい。これだけの会話でそれを理解しますか。やはり貴方はこの地に残るに相応しい人物かもしれません」
「生憎と優れた体を持っているってわけじゃないんでね、きっとお眼鏡にはかなわないだろうな。――で、あいつらがどこかに居る本人の分身みたいなものなら、シャフリーンはどうなんだ? あいつらとは違うんだろ?」
「ええ、シャフリーンは違います。ここで生まれた子供ですよ。人の両親から生まれた、普通の子供です」
「じゃあ魔石は? ここでは魔石が宿って生まれるのか?」
「いえ、シャフリーンの魔石は実験で宿されたものです」
「そうか」
これだけ聞けたら、もういいんじゃないか?
少なくとも人の両親から生まれ、そして魔石は実験によって宿されたものであると判明したなら、これ以上の情報――シャフリーンを傷つける可能性ばかりが高い情報は、知る必要はないんじゃないか?
おれは戦っているシアにレプリカントが倒せるかどうか尋ねる。
「シア! 戦ってみて、どうだ!」
「どうとでも!」
いざとなれば殲滅できる、か。
では、最終確認だ。
「ノア、あんたが人に悪意を持っていないことはわかる。ただ、最初に関わった連中が悪かっただけだ。だから尋ねる。ここで迷宮の支配権を放棄、実験も中止し、こちらとの話し合いに応じるというのであれば命まではとらない。いや、もっと真っ当な方法で人々の助けになる方法はあるんだから、それについて話し合うことも出来る」
「私は、私がしてあげたいと願うことを人々に行います。見返りは必要ありません。感謝すらも。それが無償の愛というもの。私はこの地で人々の母となるのです」
聞く耳持たず。
来る終末から人々を救う聖母、か。
「良かれと思い、施すばかりじゃあ子供はろくな大人にゃなんねえんだよ。それにそもそも――、あんたはやり方が狂ってる! シア! あとは好きにやれ!」
「らじゃー!」
シアはのほほんと返事をしたあと、腰の鎌を手にする。
倒しても倒しても復活するレプリカントにどう対処するのかはわからないが、シアには自信があるらしい。
「では、ここからは本気でまいりましょう」
シアはにっこり微笑んでから言う。
「世界を喰らうもの!」
シアの体を白い炎のような光が纏う。
ひさしぶりに見る強化状態シアが鎌を突き立てると、レプリカントはそのまま事切れたように倒れ伏して起きあがってこなくなる。
なるほど、エナジードレインによる生命力の枯渇か――。
復活させることの出来ない状態。
要は完全な死だ。
きっとマンティコア型スライムでやろうとしていたのもこれだろう。
「な……!?」
これにはノアも驚いたようだ。
「苦節五年、地道に頑張ってやっとある程度の制御が可能に! 実戦投入と相成りました! ご主人さま、褒めてくれていいんですよ?」
シアという存在は、ある意味こいつらの天敵だった。
こうなるとレプリカントの優位性など完全に消滅する。
シアが次々とレプリカントを葬っていく様子を見て、ノアはようやく動揺を始めた。
シアという天敵の爪は、自分にすらも届きうるものだと理解したからだろう。
ノアが絞り出すように呻く。
「くっ……、シ、シオンは何をしているのですか……!」
……え?
シオンって……、ノア側?
あ、これミーネがまずい。
シアには早いとこノアを倒してもらって、迷宮をイールの管理下におかせないと――。
※閑話にするほどでもないので他のメンバーはおまけ的に。
気づいてみると知らない通路に移動させれていたベルラットは、とりあえずDルーラーを引いて迷宮を走っていた。
知っている道に出ることを期待しての行動である。
そしてベルラットが引くリヤカーの荷台には聖女アレグレッサがしがみついており、飽きもせずにわめいていた。
「ああ、何と言うことでしょう! もう失態は犯さないと誓ったばかりだというのにこの有様! ベルラットさん! 早く! 早くあの広間に戻ってください! レイヴァース卿にどのような危機が訪れているかわかりません!」
「いや聖女の嬢ちゃんよぉ、そう言っても、道がわっかんねーんだから仕方ねえじゃねえかよ……」
△◆▽
皆とはぐれてしまったことを確認したのち、これからどうするかをエルセナ、パイシェ、ティアウルの三名は話し合っていた。
「ささ、そろそろいいですよ。どうぞ」
ティアウルによって周囲に敵がいないことがわかったため、まずは落ち着こうとパイシェがお茶を用意した。
水に茶葉を入れるだけの水出しで、量も指でつまむような小さなカップに一杯と少量だったが、それだけでも三人の気分はずいぶんと安らぐ。
「貴方たち……、動じないのね」
「きっとあんちゃんが何とかしてくれるからな!」
「確かに御主人様はベルガミアの危機を救った方ですし、そう期待したいところですが……、だからといってここでじっとしているわけにはいきません。ひとまずエルセナさんにはゆっくりリヤカーを引いてもらい、ティアウルさんは周囲の確認、索敵をお願いします。戦闘はボクが頑張りますので」
「わかったわ。ひとまずそれで行きましょう」
エルセナは了解すると、それからそっと自分たちを照らす明かりへと視線を向ける。
そこには万歳して腰を左右にくいっくいっと動かし、踊りながら発光するクマのぬいぐるみがあった。
ティアウルもパイシェも、このクマについてまったく触れないため、そろそろエルセナはもかしたらこれは自分にだけ見える幻覚なのでは……、と心配し始めていた。
このままでは気になって仕方ないため、エルセナは覚悟を決めてクマについて二人に尋ねてみる。
「と、ところでね、この子は一体……、なんなのかしら?」
「魔道具だぞ」
「魔道具です」
ティアウルとパイシェは迷うことなくそう答えた。
クマも「そうそう」と頷いている。
「そ、そうなの……」
疑問が解消されたわけではなかったが、少なくとも自分の幻覚ではないことは判明したことでエルセナは満足することにした。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/23




