第357話 12歳(春)…D&D作戦開始
D&D作戦――。
その目的はイールを迷宮の支配者に復帰させること。
このためにはまず迷宮最下層に到達し、現在五層以下の迷宮を管理下に置いているノアを討伐する必要がある。
これが迷宮の奥底に宝玉のようなダンジョンコアがあり、それを奪ったら支配権を得られるとかいう話であれば討伐までする必要はない。しかし実際は魔素溜まりという空間を占拠しておくことが重要であるため、イールをそこに据えておくためにはノアをどうにかする必要が生まれるのだ。討伐せずとも、ノアをその場から放逐することでも目標は達成されるが、きっと交渉による解決は難しいだろう。
いざ戦闘となったとき、戦うのはミーネ、シア、パイシェ、シャフリーン、シオンという五名になるだろう。
おれとアレサは援護に回り、ティアウルとベルラットは見学。
そしてイールはと言うと、こいつも見学となる。
イールは都市及び四層までの管理、そして下層への侵食と、下層からの侵食に対抗するために力のほとんどを割いているようで戦闘に関しては期待できないらしい。それに、下手に戦闘に参加させてやられたら作戦自体がご破算となってしまうので、正確には見学と言うよりも護衛対象となるだろうか?
ノアさえ居なくなれば、イールは速やかに下層を管理下に置くことが出来るようだ。
もしノアが真っ当なスライムであれば、イールを生贄にすることもやぶさかではないが……、果たして。
他に注意すべきこととして、イールが下層に入ると中層までの管理が行えなくなる。
そのため、下層に突入――作戦本番となってからの時間的猶予は一日ほどと決められた。
本当に短期決戦だ。
予定ではまず四層の迷宮街へと向かい、そこで一泊。ベルラットに充分な休息を取らせたのち、下層へアタック――最下層を目指すことになっている。
△◆▽
いよいよ『D&D作戦』の決行日となった。
早朝、一度クランの建物に集合し、そこからDルーラーを引くベルラットを先頭にして迷宮の入口へと向かう。
そんなおれたちの後ろをクランメンバーが列を作り、何人かは旗を掲げての行進となった。
やがて迷宮入口に到着すると、広場は人で溢れていた。
迷宮制覇に挑戦するベルラットを見送ろうと、他のクランの者だけでなく、周辺の商店の者、都市に暮らす人々までもが集まっている。
わあわあと声がかけられるなか、ベルラットは迷宮入口へと下り始めるところで足を止めた。
すると次第に声が小さくなっていき、やがて辺りは静まりかえる。
「デリバラーが突っこんでいけばそのまま迷宮の最下層まで行けるんじゃねえか、なんて話を誰もがどこかで聞いたことあるんじゃねえかな。たぶん、だいたいは酒の席だろう。まったく、笑い話だ。そんなこと出来るわけがねえ」
それは、おそらくは迷宮都市特有の冗談のようなものなのだろう。
ゲームなら敵に絡まれようが無視して突っこむなんて手段もあるにはあるが、それを実際にやるとなると無茶な話なのだ。
しかし――
「だが、本当にそうか? 不可能なのか? ――いや、オレはそうは思わない。ただ、誰も試してねえだけだ!」
ベルラットは声を大きくして言う。
「挑まなきゃあ、いつかなんて日は来ねえ! どれだけ待とうと、そんな日は来やしねえ! 何故、オレが馬鹿みたいに死にまくってもそれでも迷宮に挑めるのかと疑問に思う奴もいるだろう! そうだ! これが答えだ! すべては今日、こうして挑むための準備をしていたってわけだ!」
誰もがベルラットの話を黙って聞く。
「やっと、やっとだ! やっと挑む時が来た! ぎりぎりで間に合った! 共に迷宮に挑むバカ野郎が揃った! 特に、オレの後ろに居る黒髪の坊主! オマエらももう知ってるだろう! そう、『スナーク狩り』のレイヴァース卿だ! 冒険の書の取材に来て早々にオレの我が侭で振り回しちまってることは申し訳なく思うが、この機会を逃すわけにはいかなかった! なにしろオレも若くねえからな!」
あれ……、なんかベルラットが殊勝なことを言ってる……?
これにはアレサもびっくりして眼をぱちくりさせていた。
「オレは老いさらばえ、リヤカーを引けなくなって惨めに迷宮を去るつもりはねえ! オレは最後に伝説を作る! 誰もが聞いて笑った冗談を実現させてみせる! それは少数の精鋭をリヤカーに乗せて最下層まで突撃し、迷宮制覇をなしとげるデリバラーの伝説だ!」
そしてベルラットが拳を振り上げると、それを合図にクランメンバーが雄叫びを上げ、それは集まった人々にも伝播、最後には大歓声となった。
興奮したミーネとティアウルが人々にばたばた手を振り始めてしまったので、おれたちも軽く手を振って見せる。
あ、こらクマ。
おまえは手を振るな。
「よし! 行くぞテメーら!」
歓声のなか、ベルラットが言う。
おれたちは賑やかな見送りを受けながら、迷宮へと足を踏み入れた。
△◆▽
まずは予定通りに四層迷宮街を目指すことに。
イールによって進行ルートの魔物は排除されているので、おれたちにとってはリヤカーに乗ってひたすら揺られるだけの時間だった。
途中、走り続けるベルラットのために何回か休憩をとり、四層迷宮街に到着したのはおよそ九時間後。
時刻としたらまだ夕方といったところだが、今日はこのまま休んで明日の朝に出発することに。
「何をしてたらいいのかしら……」
「あたいまだ眠くないなー」
手持ち無沙汰のミーネとティアウルが言う。
ベルラットは超重労働で疲れているが、リヤカーで運ばれてきただけのおれたちは大した疲労はない。軽めの走行であったため、衝撃はほぼIアブソーバーによって吸収された。そのためまったく疲れが無く、ミーネとティアウルに至っては途中から寝ていたのでむしろ元気になっていた。ただそのせいで二人はすぐに眠ることなど出来ず、自業自得ながらも困っている。
「ちょっと迷宮街から離れて運動してきていいかしら?」
「あ、あたいも」
「いいね。アタシもつきあうぜ」
ミーネとティアウル、それからシオンはイールに魔物を出してもらい、軽く戦闘訓練を行うつもりのようだ。
これには他のメンバーも参加したがった。
明日の本番を前に、じっと眠くなるまで時間を過ごすというのは難しい話だ。軽く戦っておいてもらうのも悪くはないのかもしれない。
「じゃあさっそくイールに話してくるわ」
ミーネたちはDルーラーで座席ユニットの下敷きになったまま待機しているイールの所へ行こうとするが、おれがそれに待ったをかける。
「待ちなさい。お待ちなさい。勝手に行かない。ちょっとベルラットさんにお伺いを立てにいくから」
おれたちは大きなテントでグループにわかれての滞在だが、ベルラットは小さなテントに一人。いまさら相談することはないというのもあるが、明日の予定を簡潔に告げて引っ込んでしまった。
ベルラットのテントに向かうと、ベルラットは何かをぐいっと一気に飲み干そうとしているところだった。
小ぶりのコップになみなみと注がれていた液体を飲み干したベルラットであったが、いきなりコップを取り落としてジタバタのたうち回り始めた。
その傍らにあるのは、深く暗い緑色をした液体がちょびっと残る小瓶と、蒸留酒入りのデンとした酒瓶。
「キ……、キクぜー……、こいつはよぉー……」
痙攣しながら言う。
どう考えても酒を飲んでの反応ではない。
あんなリヤカー引いて何時間も走り続けるなんて普通じゃないし、もしかしてそれを支えるヤバイお薬だったのか?
テントの入口で唖然としていると、仰向けになっているベルラットがこちらに気づいた。
「なんだオメーら、なにしに来た」
「ち、ちょっと話をしにきたんですけど……、これはいったいどういうことなんです?」
「ああ? これか……、オレもよぉ、流石に四十近い。歳だ。色々と体にガタが来てるのさ。そんな体を無理矢理持たせてるのが、この薬草汁よ」
「薬草汁……?」
なんだ、危ないお薬ではなくて薬草の汁だったのか。
「旅の吟遊詩人が知り合いの錬金術士に作り方を教えてもらったっていう薬草汁だ。ポーションみたいにすぐに傷を癒してくれるようなもんじゃねえが、活力を極限まで高めてくれるっていう一品よ。作るのになかなか金がかかるが、効果はすげえ」
「へー。すごくいい香りがするのね。このちょこっと残ったの、飲んでみていい?」
「待て待て。それは薄めて飲むもんだ。いや、薄めなくても飲めるが下手するとあまりの不味さにびっくりして死ぬぞ。飲み慣れたオレですら酒で薄めて、誤魔化して飲んでるんだ」
「え。どれくらい薄めるの?」
「その残りに対して……、こっちの酒の残り全部、くらいだな」
「そんなに薄めないといけないの? こんなにいい香りなのに」
あのコップの割合からすると、本当に数滴くらいになるのにあの悶えようだったのか。
「ポーションじゃダメなんですか?」
「……ああ? ああ。あれは傷は癒えるが、活力は戻ってこねえからなぁ……」
ちょっとベルラットがぼんやりしている。
疲れてるところに、食事も取らず酒の一気飲みしたからアルコールが大暴れしているのではないか。
「それにポーションは好みじゃねえんだ。旅の吟遊詩人にもそんなことを言ったら、その薬草汁の作り方を教えてくれた」
「好みじゃないって、使わないといけない場面もあるでしょう?」
「絶対に使わないわけじゃねえさ。仕事のときは使う。それ以外は死ねば勝手に治るからな」
もたもたとベルラットが上半身を起こし、今度はコップに酒だけをなみなみと注ぎ、またそれをぐいっとあおる。
「んで、何しに来た?」
「実は、用心棒の方々が暇してまして、軽く戦って体をほぐしておきたいと言うので、それを許可してもらおうかと」
「あー、いいぞ別に。ただあんまり張りきりすぎんなよ」
はーい、と良い返事を返し、ミーネとシオンがさっさと外に停めてあるDルーラーのところへ。
イールがそこにいるわけだが、端から見ればリヤカーにお願いしているようでかなりシュールな状態になるだろう。
「オメエも訓練すんのか?」
「いえ、ぼくは特に。戦いませんし」
「オメエなぁ、いくら嬢ちゃんたちが強いからってよぉ、最初っから戦う気がねえってのはどうなんだ? まあメイドがどんなもんかは銀髪の嬢ちゃんから聞いたが、それにしてもだなぁ」
おれを相手にするとぞんざいで不必要な会話をしようとしないベルラットだが、今は酔っぱらったのか珍しく喋りかけてくる。
内容があるのでくだを巻いているわけではないが、それでもやはり酔っぱらい。ここから徐々に話がわけわからなくなる可能性もある。
それを察したのだろうか、一緒に来ていた皆がミーネとシオンを追ってそそくさと撤退。
テント内はおれと、たぶん護衛のつもりのアレサ、そしてベルラットの三人になる。
「いいかオメエ、まだガキってのもあるにしてもだなぁ、それでもオメエ男だろう? だったら守られてばっかりじゃなくてだなぁ、いざとなったらオレが体を張って守ってやるっていう気概くらいはあってもいいんじゃねえかぁ?」
「そ、そうっすね」
「んだオメエ、その気合いのねえ返事は? オメエ、ちょっと座れや」
「え、ええぇ……」
渋々ながらベルラットの正面に座る。
アレサは俺の斜め後ろに陣取った。
「メイドってのは主を支えるもんだとは聞いた。だが、ただ支えられっぱなしってのはどうなんだ? ただの使用人とはそこが……、あー、なんだ、そんな感じなんだろ? なんだっけ」
「メイドは主を支える者であり、主はそんなメイドが誇れる存在でないといけないとか、そんな話ではなかったですかね?」
「オウ、たぶんそんなんだ。それでオメエはどうなんだ。あの嬢ちゃんたちが誇れる主なのかぁ? あぁ?」
「そうありたいと思っています、はい」
この人、絡み酒かよ、面倒くせえ……!
それに比べたらうちの父さんは楽だったんだな。
たまに酔っぱらったまま変な場所に移動するから翌朝捜索したりしないといけないけども。
「で、オメエさん、あの嬢ちゃんたちの誰とアレなんだ? んん? ちょっとオレにこっそり話してみろ。黙っとくから。な?」
ああ本当に面倒くせえ……!
「えぇ……、いや、そんな関係ではないですよ」
「嘘つけ! あんな可愛い嬢ちゃんたちに囲まれといて、テメエそれでも男か! ……あ、男が――」
「いやそれはないですから」
なんで異性に興味がないとなると、じゃあ同性か、なんて話になるんだ。
「オメエ、ここで白髪の嬢ちゃんと二人っきりになってたんだろ? ならなんかあったんじゃねえか? 危機的な状況で生まれる恋ってのもあるんだぜ?」
「エルセナさんがまさにそれですね」
「そ、そのことは言うな……」
ずーんとベルラットが暗くなる。
「でも助けねえわけにはいかなかったし……。と、とにかくオレのことなんざいいんだよ。それよりオメエだ。どうなんだ」
「何もないですよ。まあシャフリーンはちょっと悩んでいることもあってその相談には乗っていますが、それくらいの話です」
「相談されるってことは、それなりに頼られてるってわけか」
言われてみればそうか。
同行を願い出たとき自分の秘密を打ち明けたのも、ある程度は信頼できると思ってのものだったわけだ。
「そうか、信頼されていたんですね」
「なんだオメエ、一緒に生活していてそんなこともわかんねえのか」
「あ、シャフリーンはザナーサリーの王女付きのメイドをやっているので、会うのはその王女がうちに訪問してきたときだけなんですよ」
「え……? そうなのか? ってか王女の? 凄くね?」
「凄いですね。王女はシャフリーンをずいぶんとお気に入りで、今回シャフリーンがぼくに同行したいと言いだしたときも、シャフリーンと離れたくないと駄々をこねるくらいでした」
「そ、そんなに気にいられてるのか……」
「気にいられてますね。仲も良いですし。傍目にはそう見えないところはありますが」
「傍目には?」
「ええ、ときどき王女に手刀を突き刺したりするので」
「王女に何やらかしてんの!?」
さすがに酔っぱらったベルラットもこれには驚いたようだ。
それから――、ベルラットが眠りこけるまで何故かシャフリーンの話ばかりをすることになった。
ちょっとは打ち解けられたのかな……?
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/01/19
※文章を一部変更をしました。
ありがとうございます。
2021/04/22
 




