第354話 12歳(春)…FDRグランプリ最終戦(前編)
FDRグランプリ最終戦がいよいよ開始されることになり、拡声具によって実況の声がエミルス郊外にあるレース場に響き渡る。
『迷宮探索の主役は誰だ?
ああはあ、なるほど!
そりゃあ迷宮深く潜っていく探索者だろうさ!
だが、英雄は、と尋ねられたらなんと答える?
そう配送人――デリバラーだ!
どれだけ屈強な戦士だろうと、迷宮の奥底で腹を空かせていたらもう探索どころじゃないだろう?
そう、いつまでも地の底に潜っていられる不屈の精神を宿していようと、生きるために必要な物を欠いていたらあっさり死んじまう!
そんな飢える野郎どもの元へ物資を届けるデリバラーは紛れもなく探索者たちの英雄だ!
お前らに出来るか!?
リヤカー引いて魔物が徘徊する迷宮の奥底まで挑むことが!
お前らに背負えるか!?
仲間の命に等しい物資を届けねばならないという使命が!
俺にゃあ出来ねえ!
だが、だからこそ敬意を抱くのさ!
探索者の英雄たちに!
この迷宮都市の英雄たちに!
そして今日、そんな英雄たちの王者が決定する!
FDRグランプリ第五戦――ファイナルレースの始まりだ!』
スタンドはすでに満員。
他にもサーキットの周りに観客がいるのだが……、あれって不法入場なんじゃないだろうか? 並木には子供たちがもう実っているみたいにわんさとよじ登っているし。
ともかくレース場は都市の住人がごっそりやってきたんじゃないかという盛況ぶりだ。
本当にこの都市の人々にとってデリバラーは英雄であり、FDRレースは人気なんだとあらためて知る。
このレースの起源はクラン同士の意地の張り合いからだ。
ある程度の大きさのクランにはだいたい専属のデリバラーが所属しており、それが自慢にもなっている。
ウチのデリバラーは凄い。
いやウチの方が凄い。
そんな自慢合戦がクラン所属のデリバラーたちによるレースへと発展していった。
それまでおれは前世からの記憶と、こちらで聞いた話で、迷宮都市に対して『たぶんこんな程度』というイメージを持っていた。
しかし、実際はこれだ。
迷宮都市ではデリバラーが英雄扱いで、さらにはその英雄たちによるレースが開催されるなど、こうして訪れるまで想像もしなかった。
やはり人が生活し、歴史を築いてきた場所となると、おれの頭程度で想像しきれるものではないのだな、と思い知った。
人が集まり、その生活のなかから発生する祭り。
その原初は豊穣への感謝であり、それはつまり生きる事に関わるもの――生と死、そして再生を根底に持つものである。そう考えるとこの祭り――レースも、元は探索者が自分たちの生命を繋ぐ存在を誇ることから発生したわけで、実は真っ当な祭りなのではないだろうか?
おれはそう感じ入っていたのだが、各クランの代表選手たちが引くリヤカーのバンパーにぶっといトゲが生えていたり、装甲にブレードが付いていたり、側面に『必殺配送』とか『配達一撃』とか『運搬上等』とか書かれているのを見て、こいつらただのバカなんだな、と考えを改めた。
そんなバカ……ではなく、選手たちが準備を始めている様子をおれたちはフリード伯爵に用意してもらったホームストレート横にあるスタンドの最上段――VIPエリアから観戦していた。
一般席との違いはゆったりと座れるテーブル付きの椅子と、直射日光や雨風がしのげるよう屋根が設けられているくらしかない。
「ベルラットは優勝するかしら?」
屋台で買ってきた軽食とおかし、それから飲み物を自分のテーブルに置いて観戦準備が万端のミーネが言う。
「む、ミーネさんはベルラットさん押しですか」
「あれ? シアは違うの?」
「私はエルセナさんを応援させてもらいます」
「ああ、勝たないと結婚してもらえない人」
「はい。なんかもう応援しないといけないような気分でして、なんとか勝ってほしいと思ってます」
「そっかー、じゃあ私もエルセナの応援しようかしら」
「ぜひそうしてあげてください。みなさんもエルセナさんの応援をしましょう」
シアはアレサやティアウル、シャフリーンにもエルセナの応援をするようにと要請していた。
そんなミーネとシアの会話だが、実はミーネの言っていることが微妙におかしい――、いや、曖昧だったりする。
ミーネの言う『優勝』はこのレースのことなのか、それともグランプリの総合優勝かで話はずいぶん違うのだ。
総合優勝に関しては実は現段階でほぼベルラットに決まっている。と言うのも、夏の開幕戦からこの最終戦までのポイントによって総合王者が決定するため、開幕戦からずっと優勝を決めて取得ポイントで他を圧倒しているベルラットは、場合によってはこのレースを走らなくても王者になる可能性すらありえるのである。
ベルラットが王者を逃す状況は、レース途中でのリタイヤ、もしくは六位以下となるときだ。このとき、現在総合ポイントで二位につけているエルセナが、ベルラットがリタイヤであれば二位以上、六位であれば優勝することで総合王者になれる。
たぶんミーネはこのあたりのことがさっぱり頭に入っていないため、エルセナがこのレースで優勝したのに総合王者になれない、という状況になったときに混乱するだろうが……、今説明するのは面倒だし、その可能性も低いのでおれは黙っておくことにした。
それにおれの位置からではミーネが遠い。
おれたちは右からシア、ミーネ、ティアウル、シャフリーン、アレサ、パイシェ、おれ、という並びになっていた。
この並びは、おれたちのために用意された七席の左隣になんかものすげえ野郎が居たため、男だからと追いやられた結果である。
「……待ってたぜ……、この瞬間をよぉ……」
おれの左隣のすげえのは、よほどこのレースを待ち焦がれていたのか熱い吐息を吐くように呟く。
そいつは膨れあがった筋肉に皮を張り付けただけのような、体脂肪が全くなくてネズミみたいに常に何か食べてなきゃすぐに死ぬんじゃないかと思えるほどのガチムチ男。おまけに身につけているのは皮のブリーフ一丁に、サンダル、そして特攻服みたいなド派手な赤いコートを羽織るのみ。もし道行く先にこんなのが来たら、おれは迷いなく進路を変更して迂回することを選ぶだろう。
頭は長い金髪を巨大なハンバーグをダイナミックに乗っけたようなポンパドールとリーゼントに仕上げている。こっちの世界にもこんな髪型があったんだな、と衝撃を受けた。
出来れば隣にはなりたくなかったが、代わってくれそうなアレサをこんなのの隣にするわけにはいかず、代わろうとしてくれるパイシェはなんだか熱い視線をガチムチに向けていたので、席を交代するのはまずいと感じ、仕方なくおれはガチムチの隣になった。
「今年も始まる……、闘士たちの闘いが……」
腕組みして黙って観戦してればいいのに、ガチムチは何かと囁くのでちょっと鬱陶しい。
「……死に戻りを繰り返し……、自分が生きているか……、死んでいるか……、わからなくなった闘士たちに……、熱いのはこのFDRレースだけ……」
たぶんこのレースが本当に好きなんだろう。
嬉しくて嬉しくて、うっかり心のポエムが口から漏れてしまっているのだと思う。
「……どう思う、お前は……?」
「え?」
無視しようとしていたら話しかけられた。
心を空っぽにして気配を消そうと努力していたのは無駄だったらしい。
「魔導袋がいっぱいあって世に普及してたらこんなレースもなかったんじゃないかと思います」
正直に答えてみたところ、ガチムチはやれやれと首を振る。
「……お前は、わかってない……、何も……。命をかけて運ぶことで生まれる力……、それは荷物に宿り、ひいては皆の力に変わる。同じ荷物でも……、運び手によっては闘志百倍よ……」
なに言ってるかよくわからくて恐いのですが。
遠出するときのバスとか電車とか、隣に座った人がやたら喋りたがる人だと困るよね。
それも感性が人とはちょっと違う人だった場合は特に。
ともかく相手が望まない返答をすることによって話は終わりになったかと思ったが……、残念、パイシェが話しかけてしまう。
「ボクはパイシェと言います。貴方は?」
「俺の名は……、ドルフ。闘う者たちの詩を作り……、歌い……、大陸を巡る、吟遊詩人よぉ……」
どう好意的に見ても吟遊詩人の格好じゃないですよね。
むしろ謳う方じゃなくて謳われる方ですよね。
「吟遊詩人の方でしたか。てっきり戦いを生業にする方かと。ボクは貧相な体なので、貴方のような逞しい姿に憧れるんですよね」
「憧れる必要などないさ……。俺には……わかる。お前の心はすでに立派な闘士だと……!」
「闘士……!」
ちょ、パイシェさん、ダメですよ感化されちゃ。
吟遊詩人とか自称しているけど、なんか相手が喜びそうなことをふわふわっと言って、すっかり信用させたところで高い壺とか売りつけてくるスピリチュアルな職業の方かもしれないでしょ。
でも壺は売りそうにないか。
ならなんだ?
皮のブリーフとか、派手な特攻服とかか?
おっとそれはダメですよ、ダメです。
もしパイシェさんがこんな格好して、悩ましげに鬱陶しく喋るようになっちゃったら、おれはどんな顔してメルナルディア王にごめんなさいしに行けばいいんですか。
「あ、ドルフさん、パイシェさん、そろそろレースが始まりますね。見ましょう。せっかくの最終戦です、集中して見ましょう」
わりとレースはどうでもいいのだが、これ以上このガチムチとパイシェを会話させるのは危険な予感がするので無理矢理にレースへと気を向けさせる。
するとちょうどいいことに、コントロールラインから順番に引かれたスターティンググリッドに選手たちが並び始めた。
各選手のリヤカーは若干大きさが異なったり、武装されたりしているが、それでも規定に違反しないよう調整がされている。荷台には金属製の頑丈な覆いがされているが、その内側には指定された重量以上となるよう重りになる荷物が積み込まれている。
おれなら引くのも一苦労なそれを、デリバラーたちは魔道具の補助無しで引いて走る。身体強化もセルフ――魔技としてのものは認められるが、薬物の摂取や魔法を付与してもらっての強化は禁止だ。
そして最前のグリッド――ポールポジションについたのは、我らが魔迅帝ベルラット。その斜め後ろ――セカンドローにシアが応援するエルセナと続き、以降は特に知らないデリバラーたちが位置についていく。
『さあいよいよ始まるデリバラーたちの名誉と魂をかけたレース!
まずは選ばれし二十名の選手たちを紹介しましょう!』
実況がスターティンググリッドの最後尾――予選最下位から順番に紹介していくのは、トップから紹介していくあっちの世界のセオリーとは逆でちょっと変な感じがしたが、ここではこうなのだと大人しく納得する。
紹介内容は所属クラン名と名前、あとポイントを取得していた場合はその発表だ。
順位がいまいちだとしても、グランプリに出場するほどのデリバラーが居るというだけでクランにとっては名誉なこと。
デリバラーの紹介がされる度、サーキットの周囲に集まっている所属クランのメンバーが歓声をあげ、クランの旗を振り回す。
『――そして、いよいよこの都市を代表する四名です!
塵は塵に……! 手紙も塵に……!
黒猫所属――抑圧のバンファード!
ポイントは現在14!』
クラン『黒猫』のシンボルカラーは黄色。
旗には荷物を咥えた獰猛そうな黒猫が描かれている。
うん、あんまり手紙がいっぱいだからって破棄しちゃダメでしょう。
『テメーの荷物は俺が蹴る……!
戦記所属――憤激のザガッシュ!
ポイントは現在12!』
クラン『戦記』の旗は白と青の縞模様に、赤いパンツ一丁の男性が荷物を抱えているというもの。
うん、届けてみたら不在だからって荷物に蹴りはダメでしょう。
『そしてお待ちかねの三人目!
誰もが応援してやまない婚活英雄……!
研究機関バロット所属――走る花嫁エルセナ!
ポイントは現在20!』
この紹介に歓声をあげたのはシアばかりではなく、どういうわけかスタンドからも、他の場所からも上がった。
何気にエルセナのファンは多いようだ。
『そしてそして!
最後はやっぱりこの男!
常勝無敗!
無敵の王者!
デリバラーの中のデリバラー!
リヤカーを愛し、リヤカーに愛された男!
我らが英雄!
迷宮皇帝所属!
魔迅帝ッ!
ベルラァァ――――ット!!』
そして上がった歓声は、最も激しく、最も熱い。
観客、所属クラン関係なく、誰もが声を張りあげた。
ベルラット。
どういうわけかおれに敵意を燃やす恐い顔のオッサンだが、この都市の人々にとっては紛れもなく英雄らしい。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/03/15




