第353話 閑話…研究内容
およそ三百年前。
『死ぬことのない迷宮』として広く知られるようになったエミルスの迷宮、その特異性を解明するため、メルナルディア王国に拠点を置く研究機関バロットが調査に乗り出した。
当時の代表は魔導師ロラン・ドゴール。
そしてそのロランに接触したのがスライム覇種――イル・イレケットから分離した、後にノアと名乗るようになるスライムだった。
「私に協力してもらえませんか?」
スライムに話しかけられ、とても驚いたと後にロランは語る。
ロランは興味本位でノアからの話を聞き、それによって迷宮の真実を知ることになった。
当時は三人目の魔王が誕生する少し前。
いずれ誕生する脅威に備え、エミルス迷宮の『死に戻り』を迷宮外においても実現することを最終目標としての調査だった。
しかし『死に戻り』がスライム覇種による戯れ、この魔素溜まりのある迷宮でしか実現されないと判明した結果、当初の目標は破棄せざるを得なくなった。
とは言え、死者蘇生に近い能力を持ったスライムが存在すること、それを知ることが出来たのは不幸中の幸いだ。
さらにそのスライムの片割れが、迷宮支配権の奪取に成功した暁にはこちらの研究に協力してくれるという。
ロランはノアに協力することに決め、その後しばらくして迷宮支配権の奪取を成功させた。
これはロランが優れた魔導師であったことよりも、当のスライム覇種――イル・イレケットが迷宮最深部に不在であり、ノアがあっさり魔素溜まりを占拠出来たという運の良さが一番の要因だった。
魔素溜まりを得たノアはロラン率いるバロットの協力者になる約束を守り、六層の下に七層を構築。当初は広間程度であった場所は長い時間をかけて地上の自然を再現した地下世界とは思えない空間となっていく。
こうして誕生することになったバロットの迷宮内研究施設が最初に行ったのは、スライムの治癒能力を生かしての戦闘訓練だった。
魔王討滅の即戦力となる人材の育成計画――。
残念ながら、その計画は実を結ばなかった。
派遣した戦士は魔王に敵わず、そうこうしているうちにシャーロット率いる者たちによって魔王は討滅されてしまう。
やはり勇者となれる者は特別なのか?
そう落ち込む研究者たちに言ったロランの言葉――
「あの勇者たちを三百年後まで残すことが出来ればな……」
その言葉が、その後の研究を決定づけた。
『魔王はおおよそ三百年ごとに誕生するが、その空白期間に生まれた者はどれだけ強くとも、寿命という問題によって魔王に挑むことは出来ない』
これは偉大な戦士、魔導師が現れたらば、自身を含め誰かが言うことになる言葉だ。
それまでは惜しむだけだった。
しかしロランはそれをどうにか出来ないかと問うた。
不可能なのか?
本当に不可能なのか?
例えば、ノアが魔物の模造体を生みだすように、優秀な者の模造体を生みだすことは出来ないのか?
この発想はすぐに実験へと発展し、結果、ノアは模造元となった者とまったく同じ模造体を生みだすことが可能と判明したが、これは成功であり失敗でもあった。
模造体は模造元と同じ――身体能力や記憶を持っていたが、自ら生きることが出来なかった。
ノアの管理を離れると、模造体はあっさりと死んでしまうのだ。
模造体は生き物としての『生きる意思』とでも言うべきものが欠落しているらしく、ふとした瞬間に心肺停止、目を離した隙に死亡してしまうという状況が続いた。
気づかれない場所で死んでおり、迷宮に取り込まれて地上へ排出されるという事故も起きたため、最下層は自動蘇生機能を停止させることにもなった。
模造体が生きられない謎は長く研究者を苦しめることになり、その途中にロランが引退するなど人員の入れ替わりもあったが、もしこれが実現すれば魔王への切り札になると、研究者たちの熱意は冷めることがなかった。
そして――。
模造体の突然死の原因について、研究者たちは『魂がない』と比喩するようになったあるとき、一人の研究者は唐突に叫んだ。
「そうだ! 魂がなかったんだ!」
何をわかりきったことを、と同僚があきれる中、さらにその研究者は叫んだ。
「だったら本人から移せばいい!」
『――ッ!?』
ようやく誰もが真意を理解する。
オリジナルは年老いる。
しかし、ノアが生みだす模造体はその当時の若さのままだ。
もしオリジナルにはあって模造体には無い、これまで『魂』と比喩していたものを移し替えることが出来れば?
記憶は模倣された当時のものになるだろう。
しかし、そこは大した問題ではない。
必要なのは戦闘力。
優秀な者の全盛期の能力を残しておけることが重要なのだ。
こうして、一人の発想によって転機を迎えたように思われた研究であったが……、すぐに問題に直面する。
これまでは物質的な研究であったのが、より難解――そもそも有るのか無いのかわからないような『魂』を移植しようというのである。
研究は早々に行き詰まったが、ここで思わぬ協力者を得る。
シャーロット・レイヴァース。
魔王討滅を果たした勇者であり、魔導学の第一人者だ。
シャーロットはこれまでの研究内容を、そして最後に『魂の欠落』問題を聞いたとき、絶句していたと伝えられている。
それはあきれ果てていたのか、それとも……。
研究の協力者となったシャーロットだったが、実際は過去の研究についてひたすら調べ、ノアと会話を続けるばかりで、研究者として行動はほぼ何もしていなかったらしい。
それから一年、シャーロットは特に何の成果も出さないまま、一方的に協力関係を解消しようとした。
こちらの研究内容ばかりを吸い上げて去るのか、という非難に対してシャーロットは一言――千金に値する言葉を残す。
「魔石に期待してみてはどうだ?」
最初は誰もがその言葉の意味を理解できなかった。
が、やがてそれこそが『魂の欠落』問題を解消する決め手になり得ると考えられるようになる。
シャーロットが言った魔石とはただの魔石ではなく、希に魔物から得られる、その魔物の能力が宿った魔石のことだ。
能力が魔石に宿るという現象をさらにつきつめ、オリジナルには有る『何か』をそこに宿すことが出来れば、そしてその魔石を模造体に埋め込めたなら、完全な模造体が生まれるのではないか?
以降、研究施設では魔石の研究が集中的に行われることになる。
幸運だったのは、この場所が魔素溜まりであり、魔石を内包させた模造体を生み出せるノアが協力者であることだった。
魔石研究には理想的、まるで導かれたように必要な条件が揃っていたのだ。
新しくスタートを切った研究は『魂の欠落』問題を解決することが目的とされ、名称は『魂の供給』計画と命名された。
『魂の供給』計画は二つの研究を軸として進行する。
一つは『能力を宿した魔石』の生成実験。
これは魔素溜まり――迷宮という特殊な『場』が、自己防衛のために人の心の『魔』を魔物として具現化する現象を利用できないか、という発想からの実験だった。
もし人の精神――ひいては魂にまで干渉する能力を宿した魔石を生成できたならば、模造体にその魔石を埋めこみ、オリジナルと接触させることで供給は完了するかもしれない。
魔石の生成については理論は完成していたので、それを実際に行ってみるだけですんだ。それは魔石を魔素に変換する錬成炉の錬成陣、その効果が逆となるよう設定するだけという簡単なものだ。
では何故、普及していないのか?
理由はごく単純、魔石の生成は割に合わないのだ。
自然に存在する魔素を集めての魔石生成は時間がかかる。
ならば別の手段で魔石を手にいれた方が圧倒的に効率が良い。
魔石生成はよほど暇な物好きが行う趣味のようなものでしかなかった。
しかしこの研究においては魔石生成自体に意味があり、そして魔素溜まりという魔素が豊富な特別な場所が提供されている。
魔素溜まりは言わば天然の錬成炉。
研究員たちはこの天然の錬成炉の内部に、さらに魔素を収束させる錬成炉を構築、魔石の生成に成功する。
場所が特別ということもあり、指の先のような小さな魔石であれば数日という期間で生成できた。しかし、より大きな魔石となると、この場所であっても十年、二十年という期間を必要とした。
さらに能力が宿るかどうかは運次第。
それでも延々と実験を続けるなか、成功例も幾つかあった。
研究員たちの推測通り、精神に関わる能力が多くを占める。
しかしそれらの能力では『魂の供給』を達成するには至らず、最終的には『能力を宿した魔石』の生成実験は失敗と判断され、中断されることとなった。
このうち奇跡的に生成できた完全な『精神感応』――他者の思考を読み取れる能力が宿った魔石はあまりの価値故に研究で消費することがはばかられ、本国の研究所へと送られた。
『魂の供給』計画、もう一つの柱となる研究は高額の報酬で集めた被験体の体内に魔石を埋めこみ、能力が宿るかどうかの実験であった。
魔石の生成も時間のかかる実験であったが、こちらも負けじと時間を要する実験となる。
それは被験体にはそれまで通り生活してもらい、生涯を終えた後、契約に従って遺体を引き取り、解剖して取りだした魔石を調べるという過程を踏むからである。
この気の長い実験だが、まったく成果がでなかった。
ほとんどの場合、魔石は吸収されて消え失せており、かろうじて形を残していた魔石にも能力が宿っていることはない。
この実験は百年あまり続けられたが、一向に成果がないことに実験方法自体が検討しなおされた。
結果『やはり魔物のように自身の体内にて生成される魔石でなければならないのでは?』という結論に達することになり、研究はいよいよ狂気を帯びていく。
ここからの被験体は買い取った犯罪奴隷が使用された。
被験体は魔素収束錬成炉の内側で一定期間過ごすことを強いられ、高濃度の魔素に曝されるために体調を崩し死亡する者も出た。
繰り返される人体実験。
体内に魔石を宿した者は外見の変化、さらに体調を崩しやすく早死にする傾向があったり、生成された魔石が精神に関係する能力を宿したことでこちらの意図を読み抵抗してくるといった問題もあったが、結果は上々と言えるものだった。
そして死亡した被験体から採取された魔石だが、これを被験体の模造体に移植してみると、ただの模造体よりも長く生きることが判明した。
これはどうやら体内で魔石が消滅するまでの期間であるようだ。
まだ問題は山積みではあったが、ようやく一つの成果がでた。
実験には勢いがつき、魔石を宿した模造体の魔石とオリジナルの魔石を入れ替える、オリジナルと模造体の魔石を入れ替えておいた後、オリジナルが死んでから魔石を入れ替えなおす、といった総当たりの組み合わせも行われる。
が、どうしても成功とまでは至らない。
すでにシャーロットの一言から始まった魔石による『魂の欠落』を越えるための実験は、三百年ほど経過しつつあった。
そんななか新所長――カークス・リムシュタードはふと思いつく。
「では、模造元の子供ならば?」
△◆▽
十六年前、いったい迷宮深部研究施設で何が起きたのか?
カークスが本国メルナルディアから帰還してみると、ノアとの協力体制が解消されているという事実が告げられた。
バロット研究員、及び関係者は都市郊外の関連施設にある秘密の入口から七層への道が用意されていたが、それが唐突に封鎖され、その際、ノアから一方的に関係解消が告げられたとのことだった。
何かノアと衝突があったのか?
話を聞こうにも、研究施設に残っていた者たちは未帰還。
研究施設がどうなっているのかは誰にもわからず、結局、ノアと再交渉するにも、施設の様子を確かめるにも、自力で最下層に到達する必要があった。
それまでは初代所長ロランの功績によって、自由に七層へ到達できていたこともあり、バロットは迷宮探索能力がまったくと言っていいほどなかった。
それから十六年、カークスは高額の報酬によって有能な探索者を集め、自身も参加して迷宮の最下層を目指していた。
そんななか、スナークの討滅を果たしたレイヴァース卿がこの都市を訪れるという情報をカークスは入手し、是非とも最下層到達に協力してもらおうと考えた。
だが、接触した件のレイヴァースは誘いをあっさり断った。
まさか魔王に興味がないとは予想外。
それに侍女の一人が本国――リマルキス王の回し者とあっては、下手に干渉することが出来なかった。
十六年前の事故から、成果どころか研究すら行っていないこのエミルス支部の立場は危うくなっている。
ロット公爵と裏の繋がりがあるとは言え、それは前当主とのものであり、現当主は公明正大な人物であるため、レイヴァースに余計なちょっかいをかけていると報告などされては取り潰しも有り得る。
期待が失望にかわり、カークスは落胆した。
しかし、それとは別に妙に気になることがあり、カークスは暗い気分ではあるものの、その気がかりの正体を探った。
気になったのはレイヴァースが連れていた白い髪の――灰者の侍女だ。
どこかで会ったような……、いや、面影か?
悩みながら街を徘徊するなか、ふと目に止まった通りを示す看板。
ネルカ通り。
かつてこの都市で探索者として名を馳せた女性の名だ。
「あ……!? あぁ……ッ! ネルカ!」
そしてカークスが提唱した『魂の供給』計画を越える『魂の継承』計画、その最初の協力者の名でもある。
そうだ。
あの灰者の侍女はネルカの面影があった。
いや、彼女は灰者ではない。
あの赤子は体内魔石生成の影響で髪が白くなっていた!
「……はは、何と言うことだ! 何と言う!」
何故、ネルカの娘が地上に居り、そしてレイヴァースの侍女などをやっているのかはわからない。
ともかくあの侍女を密かに調査することにして、カークスは情報収集が得意な者たちを雇った。
結果、侍女はシャフリーンという名前であること、ザナーサリーに住んでいること、この都市が生まれ故郷であること、といった情報が集まって来たが、彼女はお喋りではないようで、あまりクラン『迷宮皇帝』のメンバーと会話をしないため、なかなか情報が仕入れられないようだった。
そんななか、レイヴァースたちが参加して最下層を目指す計画が持ち上がっていることが知らされ、カークスは焦った。
もしノアからイル・イレケットに支配権が戻ってしまったら、研究を再開することが困難になるだろう。
最下層への挑戦は妨害する必要がある。
そこでカークスはレイヴァースが探索の訓練をする日、一度死んでもらってその恐怖を体験させ、迷宮探索を恐れるようにと仕向けることにした。
とは言え、シオンというやっかいな探索者が同行するので、死なせるのも難しい。
下手に襲わせては返り討ちになるだけだろう。
そこでシオンと分断させる計画を練ることになり、五層で魔物の群れをぶつける計画になった。
魔物を誘導する者はまず間違いなく死ぬことになるため、かなりの報酬を約束し、さらに『遠見』――遠く離れた場所を見知ることのできる能力を持つ者と連携が出来るように通信用の魔道具も持たせた。
その作戦は失敗に終わったが、本来の目的とは別に大きな収穫もあった。
まずは六層へと落ちたレイヴァースを『遠見』していた者によって、シャフリーンがネルカと同じ――彼女が『魔刃』と呼んでいた魔技を使用したのを確認。そして唇を読んでの内容により、シャフリーンは間違いなくネルカの娘だと確定した。
シャフリーンはネルカの『魔刃』と、その戦いを好む気性を受け継いでいるようだが、記憶に関してはまったく継承されず、自分が魔物ではないかと疑っているようだ。
だが、それでもかまわない。
必要なのは戦闘力の継承だ。
実験は成功した。
シャフリーンは三百年にわたる研究の初めての成功例だ。
素晴らしい、とカークスは歓喜する。
危機的状況ではあるが、それを覆すことのできる成果。
シャフリーンをこちら側に引き込み、そしてノアとの交渉によって研究を再開できたならば、本国も本腰を入れてこちらの研究に協力することは間違いない。
いよいよ本格的に『魂の継承』計画を実行に移せる。
この研究結果により、自分はシャーロットを越える名声を得ることになるのではないだろうか、とカークスは期待に打ち震えた。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/18
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/19
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/02/09
※模造体にレプリカントとルビをふって以後レプリカントと表記していたのですが、その単語を研究者が思いつくのは辻褄が合わないため修正しました。
2021/05/03
 




