第352話 12歳(春)…シャフリーンの心配
落穴に呑み込まれたおれは、自由落下するなかで〈針仕事の向こう側〉と〈魔女の滅多打ち〉を使用し、身を捻って落下に巻き込んだシャフリーンを抱え込んだ。
落穴は深いどころか下の階層まで通じていたらしい。
数秒の滞空時間ののち、シャフリーンを抱えて着地できたのはよかったが、代償としておれは腰にクリティカルなダメージを受けた。
「ア――ッ!?」
落下の衝撃はなんとかなった。
が、腰をやられたおれはシャフリーンの重さを支えきれずそのまま潰される。
「レ、レイヴァース卿!? ど、どうしたら……!?」
「と、とりあえずポーション出すのでそれをおれの腰に……」
おれは慌ててどいたシャフリーンに妖精鞄から出したポーションを手渡すと、うつ伏せになって腰にポーションをすり込んでもらった。
「おふぅ……」
痛みが引いて楽になる。
これもある意味、快楽なのではなかろうか?
まあ好んで試そうとは思わないが。
「レイヴァース卿、ありがとうございました」
「どういたしまして。ってかシャフリーンはおれを助けようとして落ちてきたわけだしさ」
体を起こし、感謝してくるシャフリーンに言う。
「ティアウルさんにもわからない罠だったのでしょうか?」
「たぶん、罠だとはわからなかったんじゃないかな。下の階まで落とされたっぽいし、かなり大がかりな罠だったみたいだ。それに状況も状況だったしな」
いくら適性が有るとはいえ、体験探索も含めて潜るのが三回目のティアウルに完璧を求めるのは酷だろう。
それからおれは腰の回復もかねて他に誰かこっちに降りてこないかと待ってみたが、誰もやってくることはなかった。
「誰も来ませんね……」
「おれたちの重さで橋桁が降りるようにして穴が出来た。軽くなって橋桁が上がって穴は塞がり、そのまま開かなくなった、ってとこか。完全にパーティを分断するための罠だな」
合流のために床に風穴を開ける、といった方法はシオンに却下されただろう。
下層はノアの支配域なため、迷宮破壊をすればどんな事態を引き起こすかわからないからだ。
「それで……、この状況、どうしますか?」
「まずは上への登り口を目指そう」
五層と六層、二枚の地図を取り出して床に広げる。
六層の地図は大部分が白紙だが、写させてもらった五層の地図と照らし合わせることで登り口のある位置、そのだいたいの見当を付けることは出来るのだ。
「なるほど……、では五層で向かおうとしていた六層への降り口、こちらからすれば登り口に向かうわけですね」
「そういうこと。きっとみんなもそう考えて、そっちに向かうと思うからそこで合流できる。まあ辿り着ければなんだけど……」
下層まで来ると昇降口がかなり減っており、目指す場所はまだけっこう遠い……。
最悪、死んだとしても蘇生されて排出される迷宮だが……、死へ至るまでに魔物にポコポコ叩かれたり、モグモグ噛まれたりする必要があることを思うと、死ぬ方が楽と諦められる状態までは粘りたい。
「魔物に遭遇したら、まずおれが雷撃で痺れさせるから、その隙にシャフリーンは攻撃してほしい。二体いたら、おれはこのナイフで一体の動きを封じつつ、もう一体と戦うシャフリーンの援護をする。三体来たら、おれがナイフと雷撃で二体動きを止めるから、三体目はシャフリーンがなんとか頑張って倒してほしい」
こんな状況にあっても、かろうじてほっとできる要素は、この迷宮はスライム覇種の作りだしたものであり、天然のダンジョンではないということだろう。それはつまり物理無効――例えばゴーストのような魔物はおらず、どれだけ頑丈であろうと物理で殴って殺せる魔物しかいないということだ。
ならば手強い相手であっても、おれがビリビリさせて、シャフリーンがチクチクする戦法でなんとか対処できる。
「四体きたらどうしますか?」
「潔く諦めよう」
もうそうなるとおれたち二人ではさすがに無理だろう、と言うと、シャフリーンは小さく笑う。
「そのときは、どうぞ私に任せてください」
△◆▽
それからおれたちはなるべく戦闘を避けながら、登り口がある辺りまでゆっくりと進んでいく。
おれの前をシャフリーンが歩き、攻撃意思を察知することで索敵の代わりにしていた。
こうやって慎重に進んでいることが幸いし、途中、明かりを消してじっと獲物が来るのを待っているカトブレパスを早めに発見して接触を回避することにも成功した。
しかしいくら慎重になっていても、移動してくる魔物に遭遇するのは避けられない。
最初の戦闘はグリフォン。
大きな獅子の体に、鷲の頭と翼を持つ魔物だ。
これは一体のみだったので、最初に決めておいた連携で倒すことができた。
グリフォンの脅威は機動力。なので、おれが雷撃で封じ込めてしまえば大した相手ではなかった。
それからも戦闘を避けつつ慎重に進んでいくと、ふと、微かに人の声が聞こえてきた。
「うんうん。へー……、そう」
話に相槌を打っているようだ。
ここまで潜ってきている人なのかな?
上手く行けば一緒に行動、上への登り口まで同行させてもらえるかもしれない。
おれは声のする方向へ向かおうとした。
が、シャフリーンはおれの前に手を出して止める。
「これは人ではありません」
「え?」
おれたちが動きを止めると、それまで相槌を打っていたはずの声がぴたりと止まる。
静寂。
何の音もしなくなる。
そもそも、誰も話などしていなかった。
あの声はただ一人で、ああやって呻いていただけなのだ。
「えっと……、怖いんですけど……」
ホラー映画とかは昼に見る派なんですよね。
「レイヴァース卿にも怖いものがあったのですね……」
「そ、そりゃあるよ……」
おれとシャフリーンは声の方に顔を向けたまま、じわじわと侵食してくる不安を誤魔化すように会話をした。
これまでとはまた別の脅威に二人して固まっていると、声がした方向の曲がり角からひょこっと顔が覗く。
汚い顔のオッサンが微笑んでいた。
頭はぼさぼさで、髭はぼーぼー。
あと……、あのオッサンは踏み台にでも乗ってるのかな?
頭の位置がずいぶん高いんですが……。
「おぉおぉ! おお! おーおー、おっほっほ……」
オッサンは笑いながら、ふわっと手を出してこいこい手招きする。
絶対行かねえ!
ちょっとホラー的な恐怖に耐えながら、あれが何なのか記憶を検索しているとオッサンの様子が変わる。
オッサンの顔は表情が抜け落ちたように真顔に。
そしてカッカッカッカッカ――と激しく歯をうち鳴らし始めた。
その行動に、今更ながらあれが何なのか気づく。
のっそりと姿を現したそれ。
大きなネコ科の猛獣の体に、人の上半身がくっついている。
統一名称――スフィンクス。
元の世界であれば、人の頭に獅子の体を持つ存在――地域によって神の使いであったり、怪物であったりする。姿も頭だけ人だったり、女性の胸から上がくっついていたりと違いがある。
そしてこの世界のスフィンクスはネコ科の猛獣の体に、人の上半身がくっついた魔物だ。たぶん下が馬だったらケンタウルスとシャロ様は名付けたんだろうな、とおれはちょっと現実逃避的に思う。
元の世界のスフィンクスは試練としてナゾナゾをしてくるものだが、こっちのスフィンクスはまた別の知恵比べをしてくる。
テリトリーに迷い込んだ遭難者を、人の喋り声を真似て引き寄せるのだ。
そして歯を鳴らすのは仲間に獲物を見つけたという知らせ。
奴らは群れで行動する。
つまりここは――奴らのテリトリーだ。
カッカッカ、カッカ、カカカカカ、カカカカカカカ……!
遠くからも、これまで来た道の奥からも、歯をうち鳴らす音が響き始める。
「シャフリーン、進むぞ!」
おれたちでは群れに対処するのは難しい。
下手に逃げまわるよりも、登り口まで強行突破する方がいいと判断してシャフリーンと走る。
それが間違いだったのか?
いや、間違うもなにも、もうあの辺りに落ち、一番近い登り口を目指したところでほぼ詰んでいたのだ。
先を急いだおれたちが辿り着いたのは、スフィンクスがたむろする広場だった。
追い立てられるまでもなく、おれたちはここに辿り着くことになっていたのである。
ひいふうみい……、二十体近くのスフィンクス。
オッサン、オバサンの胴体が乗った怪物がたくさんいるのを見るのは非常に気が滅入る。
さらにおれたちを追い立ててきたスフィンクス五、六体も歯をうち鳴らしながらこっちに迫ってきていた。
おれが雷撃をぶっ放しながら牽制して……、この広場を突破して登り口まで行ければいいが……、可能か不可能か判断がつかない。
「レイヴァース卿、ここは私にお任せください」
諦めずに突破する算段をつけていると、シャフリーンが言う。
「任せるって……?」
「はい。もう覚悟は決まっていますので。あ、これを少し持っていていただけますか?」
シャフリーンはおれに短槍を渡し、無手となる。
そして真っ直ぐに右手を挙げ、その手刀を振りおろした。
「――魔刃」
放たれたのは斬撃。
一閃はそのまま近寄ってきたスフィンクスたちに襲いかかり、回避の間もなく二体を切り裂く。さらにシャフリーンは続け様、下ろした腕を払うように右斜め上へ。それでさらに一体。最後に水平に左へと腕を振ったことで横一線の斬撃が飛び、残りのスフィンクスも片付けた。
「え、えー……?」
めちゃくちゃ強いじゃん……!
どうして秘密にしてたのよ、と尋ねる間もなく、後方のスフィンクスを片付けたシャフリーンは広場へと躍り出る。
そしてそこからは虐殺だった。
シャフリーンは右手だけでなく、左手であろうが、蹴りであろうが斬撃――魔刃を飛ばすことができた。全身凶器どころの話ではない。近寄れないどころか離れていても攻撃から逃れられないのだ。
「はは……、は、あはははは……!」
途中でシャフリーンは笑いだし、嬉々としてスフィンクスたちを葬っていく。
ものの数分でシャフリーンはスフィンクスの群れを殲滅した。
△◆▽
倒されたスフィンクスが迷宮に呑み込まれ、あとはただスフィンクスの魔石や体の一部が転がるばかりの広場となった。
シャフリーンはしばし肩で息をしていたが、それも収まったころ、うなだれ、そしてそのままへたり込んだ。
「シャフリーン? 無理をしていたのか?」
尋ねたところ、シャフリーンは首を振って言う。
「無理をしたわけではありません。むしろ、今とても気分がいいんです。これまで隠していた力を存分に振るい、魔物を倒すのはとても楽しかったのです」
「でもぜんぜん嬉しそうじゃないぞ?」
「この技は気づいたら使えるようになっていました。特に訓練をするわけでもなく、ふと気づいたその時から……。私はこれを、人の意識を少し読み取れる能力と同じようなものだと思っていました」
ああ、そういうことか。
普通はあるはずのない力。魔石と同じで、自分が人とは違うことを思い知らされてしまうから、ずっと封じていたのか。
「意識を読み取る力に関しては、コルフィーさんのおかげで魔石が在るためだとわかりました。しかし、この力はなんなのでしょう。これまでは『魔物』としての能力ではないかと怯えていましたが……」
「そこはコルフィーに『人』だって言われただろ?」
「はい。教えていただきました。ですが……、では、この力はなんなのでしょう? 私は『人』です。しかし、やはり『普通』ではないのですね」
シャフリーンは悲しそうに言う。
もし、目の前にシャフリーンよりも遙かにヘンテコな存在――別世界からの転生者がいることを教えてやれたら、少しは励ましになるだろうか?
シャフリーンはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言う。
「レイヴァース卿、力を使うのは楽しいのですね」
「そ、そう?」
「はい。敵を叩きのめすのは心地よいのです。レイヴァース家の屋敷で傭兵をあしらったときは、少し得意げな気分になっただけでしたが、これは……、本当に人が覚えて良い感覚なのでしょうか? 私はこの感覚を求め、いつかは衝動的に人を襲うのではないでしょうか? それが……、もしもミリメリア様であったら、私は……、そんな危険があるならお側に居てはいけない……」
「待て待てシャフリーン、落ち着こう。力を使ってウキャウキャしてるのならうちにも居るから。そこまで深刻になるな」
シャフリーンは得体の知れぬ自分に恐れを抱いている。
その悩みはおれが想像したよりも深刻らしい。
シャフリーンがこの迷宮の最下層――隠れ里を目指すのは、自分という存在がなんなのかはっきりさせたいからだ。
危険のない存在だと知って安心したいから、不安を取り除きたいから――。
「本当は、魔物であってもよかったのです。この迷宮の最下層を故郷とする、人のような魔物であっても。ただただ、危険な存在でないことがわかれば、それでよかったのです。ふと我を失い、ミリメリア様に危害を加えるような存在でなければ」
「別にシャフリーンはミリー姉さんに危害を加えたいとは思わないんだろ?」
「危害を加えたいとは思いません。しかし、適度に攻撃することに喜びを覚えている自分がいるのです……!」
それはただの趣味ですね。
たぶん魔物いたぶって楽しかったのもそういうことなんじゃねえ?
でも、今のシャフリーンに「加虐癖があるだけだよ」なんてさすがに言えない!
これまでわからなかったが、たぶんシャフリーンはすごく純朴で真面目なのだ。
自分の秘密を隠すためにあまり人と関わらず、そのままメイド学校でメイドとしてあるべき姿を学び、そしてミリー姉さんに会ってしまった。
見た目は落ち着いているし、働きも素晴らしいが、子供の時分に経験すべき自分と他者との比較、そこからの自己の成長が不完全。
要は内面がまだ幼いのである。
なので普通と違うことを恐れ続け、そこを罪に感じてしまっている。
まあ生まれからして異常なおれが適当すぎるだけかもしれんが。
果たしてこの迷宮の最下層に隠れ里はあるのか?
おれはあって欲しいと思うようになった。
そこでシャフリーンと同じ魔石を持つ人たちがいて、何も怯えることはないとシャフリーンを諭してくれたらと思った。
△◆▽
自分の力を恐れているが、いざ使うとなると思いっきり使うようになったシャフリーンは頼もしく、途中までの緊張はなんだったのかというくらいのんびり登り口までやって来ることができた。
遠距離でぶっ放せるため、カトブレパスももう問題ではない。
たぶんシアやミーネとガチンコできるレベルで強いぞこれ……。
「あ! 来た来た!」
登り口の前には皆が待っていた。
どうやらおれがこの登り口を目指すと推測して、こちらに来てくれたのかと思ったが、実際はちょっと違った。
「ティアウルさんが上からご主人さまたちを捕捉していたんです。それで登り口に向かっているんだな、って推測しました」
ティアウルのお手柄だ。
しかしティアウルはしょんぼり気味である。
「あんちゃんごめんなー。あたい、あれが落穴になってるってぜんぜんわかんなかったから」
「あー、まあ仕方ないよ」
落ち込むティアウルを慰めつつ、続いておれは背後からがっちり抱きついているアレサをなだめる。
従聖女なのにあっさり分断されたのを悔やんでいるらしい。
「もう二度とこのような無様は晒さないと誓います」
「そんなに気にしなくても……、あー、うん、頼むな」
無事な再会に皆でほっとしつつ、今日はここまでと四層迷宮街へ戻ることになった。
「賭けは聖女とドワーフ嬢ちゃんとボク嬢ちゃんの勝ちだな」
帰還の道すがら、シオンが言う。
どうやら、おれとシャフリーンがどうなるかの賭けが行われていたらしい。
まず『無事に合流できる』がアレサとティアウルとパイシェ。
案じてくれてありがとう。
次に『もう排出されてる』がシアとシオン。
ちょっと侮りすぎですね!
まあおれ一人だったら……、ホラー映画の最初に殺されちゃう人のごとくご臨終だっただろうが。
最後は『何故かノアを討伐してくる』がミーネ。
こっちは買いかぶりすぎですね!
クリーチャーが出て来るアクション映画の主人公みたいなバイタリティはないんで。
無事合流できたおれたちは、それから四層迷宮街に戻り、今日は早めの就寝となった。
実際にはもう時間の感覚がめちゃくちゃで、昼なのか夜なのかも時計を見てみないとわからなくなっているのだが。
就寝時、シャフリーンのことを考えてなかなか眠れないでいると、誰かがおれの頬をむにーっとつねった。
シアだった。
「なにやっとんじゃい」
「……な、なんでもないです……」
そう言ってシアはこそこそ引っ込んだ。
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2018/12/18
※さらに脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/02
※誤字脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/03
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/22
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/03/01




