第337話 12歳(春)…嘆きの門
フットワークが軽そうなシオンの提案にミーネが大賛成してしまったのでさっそく迷宮に向かうことになった。
とは言え、ただミーネの希望を叶えてやろうと思ったわけではなく、エミルスでトップの探索者であるシオンが同行してくれる機会を逃すのはもったいないのでは、と考えたすえの判断だ。
それにフリード伯爵の計らいで宿を探す必要もなくなっているわけで、となると後やることはそれこそ探索者の登録くらいのもの。
「そういや町の案内もしてやってくれって言われたんだけどさ、アタシ普段は迷宮と料理屋とクランの建物を行き来するくらいで、都市の地理にぜんぜん詳しくないんだよな」
先導するシオンの隣にはミーネがおり、二人の後ろをおれたちは付いていく。
都市の入口から冒険者ギルドへと向かっている途中、おれたちだけの時は薄ら笑いを浮かべてこちらの様子を窺っていたガラの悪い連中だったが、今は見かける奴ら揃って顔を逸らすどころか背を向け、間違ってもこちらに絡まれないよう空気になろうと頑張っていた。
これはいったい……?
おれの話が広まったにしては噂の広まりが早すぎる。
となるとシオンが原因か。
どんだけ恐れられてんだこの人。
「もう十年くらい居るんだけどさ、下手すると迷子になるんだよ」
「えぇ……、そんなに住んでるのに迷子になっちゃうの?」
「なるんだよこれが。荒野とか山とかなら、なんとなく方角がわかるからいいんだが、この都市は建物や道が入り組んでるせいで、行きたい方向に行くには迂回しないといけなくて」
ああなるほど、積層型の巨大な駅で迷うようなものか。
普段使っている通勤通学ルートならわかるが、それ以外となるとどういうルートで行けばいいかわからないという。
「別に命の危険があるわけでもないし、普段行かない場所の地理なんて覚える必要を感じなくてさ、覚える気が起きないんだよな。アタシの興味は戦うことと食うことにしか湧かないし、今は迷宮と旨い料理屋に行ければそれでいいんだ」
「美味しい料理? ここから南へ行くと海があるけど、こっちまで新鮮なお魚は届くのかしら?」
「海の魚を食わせてくれるところか。あるにはある。魔法で凍らせて運ばれてくる。ただやっぱ味は落ちるし、そのうえ高い。だったら直接港町に行った方がいい。すげー旨いぞ。アタシときどき食べたくなって行くんだ」
「そうなんだ!」
ミーネは感心しながら、チラ、チラ、と後ろを歩くおれに視線を送ってくる。
「はいはい、この件が片付いてからな」
「やった」
海産物はおれも興味がある。
新鮮なのを買いこんで妖精鞄に放りこみ、屋敷の皆にも楽しんでもらいたい。確か母さんの妖精鞄(大)には海産物が少なくなっていたはずだ。
「だったらそのとき一緒に行って店に案内してやるよ。礼は奢ってくれればそれでいいからさ。まあアタシめっちゃ食うけどな!」
「そうなの? 私もいっぱい食べるわ!」
「そうか、じゃあどっちが多いか勝負だな!」
「受けて立ちましょう!」
なんでこの二人、会って早々に意気投合してるん?
それからどういうわけかミーネとシオンの大食い勝負になることになり、おれたちは迷宮に入る前に昼食をとることになった。
「もごご、もご、ももごごご……」
「あむあむ、あむ、はぐ、あむむ……」
大食い勝負をするだけあって二人はよく食べた。
一心不乱に食事をとっている二人を見ていると、そこはかとなく不安を覚えるのは何故だろう……?
△◆▽
都市の案内を期待できないシオンに連れられて迷宮の入口へと向かうなか、そこそこの頻度で見かける建物があった。
その建物にはおそらく男性、そして女性と判断できる絵文字――ピクトグラムが描かれた看板が掛けられている。
おれの感覚では公衆トイレのように感じられたが、それにしてはこの世界――、いや、元の世界からしても立派な建物で、それに町中で見かける頻度が多すぎる。
「シオンさんシオンさん、あの建物ってなんです?」
「ん? ああ、そうか、初めて来たんなら気になるよな。あれは誰でも使っていい共有トイレだよ」
やっぱりトイレだったのか……。
しかし何故この都市はこんなにトイレが?
まあ荒くれ野郎たちの都市なら、数はあった方がいいに決まってるが、それにしても多いと思う。
「たぶん世界中探してもこの都市ほど共有トイレがある場所なんてないだろうな。中は綺麗で広々してるし、かなり快適だ。あ、そうそう、この都市は暴力沙汰には寛容だけど、シモ関係にはうるさいから注意な。共有トイレを壊したりすると罰金だ。それにうっかり町中でまき散らしたりしたら、放尿罪とか奇便罪とかで捕まるからな」
なんじゃそら!?
冒険者でごった返し、建物でごちゃごちゃしているわりには通りが綺麗なのはそういうちょっと過剰な規則があるからなのだろうか。
ともかく、共有トイレ事情に関しては冒険の書には含めないでおこうとおれは考え、引き続きシオンについて迷宮入口を目指す。
やがてやたら広々とした大通りに合流し、そのまま進んでいくと緩やかに下り始めた通りをそのまま呑み込む巨大な――地下道路への侵入口のような迷宮への入口が見えてきた。
何故わかるかというと、『エミルス大迷宮』と侵入口の上にでかでかと刻まれていたからである。
「おー、賑やかね!」
入口周辺の様子を眺めてミーネが言う。
侵入口の周辺は広場になっており、待ち合わせなのか、突入の準備中なのか、探索者たちによる大小の集まりが出来ている。広場の周囲は探索に必要になる物資を扱う商店や腹ごしらえのための料理店で埋め尽くされている。この世界にしては珍しく、一つの建物の階層ごとに出店している店が違うのは、この場で商売をしたい人たちが知恵を絞った結果か、苦肉の策か。
そして侵入口の真上にあたる場所には様々な紋章が刺繍された大きな旗がずらっと並んでかなり派手なことになっていた。
「あのいっぱいある旗はなにかしら?」
「あれはクランの旗だよ」
「へー」
とミーネは感心しているのだが……、何故だろう、おれにはあの旗にどこか既視感を覚えていた。
何と言うか……、バイクや車をエキセントリックに改造して爆音響かせながら公道を走り回るのが趣味な方々の旗っぽいと言うか……。
「〝昭和のヤンキー臭……!〟」
シアがぼそりと言う。
うん、まあぶっちゃけるとそうだな。
ってかこの都市、全体的にそんな感じにガラの悪い連中ばかりだ。
「さて、じゃあさっそく行ってみるか」
と、シオンの先導でおれたちは迷宮の入口へと向かう。
道は入口付近から中央で分けられており、右が侵入用、左が帰還用とわかるよう、地面に矢印が描かれていた。
道が斜めに下っていくので、徐々に道の両側は壁が高くなっていくのだが、その壁に……なんだろう? カメラのシャッターと言うか、宇宙ものの映画でたまに見かける放射線状のゲートのような輪がずらっと並んでおり、その下には立ち入れないように柵がされていた。
「ねえシオン、あれってなんなの?」
「あれはやられた奴が放りだされる穴だよ。一応、嘆きの門って呼ぶようになってる」
……穴?
あのアスタリスク形で出て来る穴って……、おっと、これ以上はいけない。
そんな、思いつきそうになったことを思考を中断することによって封じ込めたときだった。
「お、ちょうどやられた奴が放りだされるみたいだな」
シオンが眺めている先にある排出口に淡い光が灯り、するとそれまで石のようだった排出口の質感がまるで生き物の内臓のようなものに変化する。
「ま、まさか……」
「いやいやいや……」
おれとシアが恐ろしい予感にうめくなか、門は蠢きだした。
カメラのシャッターのように羽根が外周に収納されて穴が大きくなるのではなく、内部にあったものが押しだされた結果、中央が盛りあがり突き破るようにしてムリムリムリッと捻り出されてくる。
まず現れたのは人の頭。
やけに人相の悪いオッサンだ。いや、人相が悪いと言うより、傷のせいで顔が崩れているのだ。傷は顔だけでなくスキンヘッドの頭にも及んでいる。どんな状況になればあれだけの傷を負うのか。あれに比べたら人相の悪いうちの父さんでもハンサムさんである。
そんな弟弟子にツボマッサージされた兄弟子のような顔したオッサンが巨大なケツのあ――、じゃねえ、迷宮の排出口からひり出されてくる。
「ぬわばばばば! にゅぴぴぴぴ! にょるおふぁーっぷ!」
オッサンはぬらぬらてらてらした怪しげな粘液まみれで、びくんびくん悶えながらおぞましい唸り声を上げる。それは断末魔と言うよりは生まれ落ちたこの世を嘆き恨んで呪うような、救いがたく邪悪でありながらも憐憫を誘うという身の毛もよだつ囀りであった。
おれはなんかペット探偵が活躍するコメディ映画を思い出した。
「んだよ、総長じゃねえか。さてはまた無理して死んだな」
「え!?」
あれがシオンんとこのクランのボス!?
ってかこのエミルスの誇るデリバラー、魔迅帝のベルラット!?
「あべらぱぱぱぁ! はびばばばば!」
これはひどい。
恐い顔のベルラットがさらに苦悶の表情でひり出されてくる様子は、どう控えめ、そして好意的に表現しようとしてもひどいとしか言いようがないものだ。
「な、なんであんな呻いてるんです?」
「なんでだろうな? アタシは死んだことねーからわかんねえんだけど、なんかすげー苦しいらしい。体験した奴らが言うには、出す物がでかいわ固いわで、一向に出る気配がなくて、それでも出そうと全身全霊で踏ん張ってるような状態だってさ」
「いや出て来る側でしょう?」
「うんそうなんだけどさ、体験した連中が口を揃えてそう言うんだから仕方ねえじゃん」
「うーん……」
納得できないと言うか、したくないと言うか……。
おれが困惑する間にも、この世の物とは思えない――地獄の悪魔たちが喜ぶようなショーが繰り広げられている。
これに驚いているのはおれたちだけだ。
シオンを始めとしたこの都市の者たちはまるで興味を抱かず、まったく関心を払わない。
「アタシも初めてこれを目にしたときはビビったよ。あと元々死ぬつもりはなかったけどさ、その瞬間から絶対に死ねないと思ったね」
うん、これは死ねない。
死ぬつもりはなかったけど絶対に死ねない。
「まあ何回か経験すれば慣れるらしいけどな」
「とても慣れているようには見えませんけどね」
しかし来て早々にコレか。
インパクト極大、どうしようもなく印象に残ってしまう。
きっとこれから先の人生、エミルスのことを思い出すたびに連想することになるだろう。それを思うと、どうしておれはこんな都市を取材に来てしまったのかと後悔せずにはいられない。悲しい。ただ悲しい。三作目のために頑張るぞ、という気分にいきなりケチを付けられたと言うか、やる気を根こそぎ奪われたと言うか……。
ってかここの情報をある程度集めたのに、誰もこの話をしてくれなかったのは何故だ? まさか誰も知らなかった? こんなインパクトのあることは誰だって……、いや、おれはちょっと言えないな。ってか説明したくない。もしかして誰もが口を噤んだのか?
やがてベルラットは完全にひり出され、ぬたぁんと地面に落ちた。
それを見計らって揃いの制服を着た二人組の男性が下りてきて、火かき棒みたいなのをベルラットの服にひっかけ、引きずりながら戻っていく。
「あれは放りだされた奴を収容所に運ぶ係の奴らな。まあ収容所って言うか、洗濯所? ぬるぬるのまま町をうろつかせないようにって」
「は、はあ……、そうなんですか」
とにかくショックが強くて、おれは放心状態だった。
「嘆きの門って呼ばれてる理由はわかったか? まあそれは対外的に格好をつけるための名称で、ここでは普通にケツの穴って呼ばれてるんだけどな」
ぶっちゃけちゃったよこの人……。
「こ、ここが……故郷……」
シャフリーンがこの世の終わりみたいな顔をしてたので、それからおれは頑張ってシャフリーンを慰めた。
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/02
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/22
 




