第332話 12歳(春)…シャフリーンの秘密
「ごしゅぢんさま、またセレスおいてどこかにいっちゃうです……」
「くぅ~ん……」
迷宮都市エミルスへ出発する日が近づいてくると、ぷくーっと膨れたセレスが日替わりでぬいぐるみ(今日は犬だが)を抱え、ドアの隙間や曲がり角からおれの様子をうかがうようになった。
やっと一緒に暮らし始めたのに、またどこかへ行ってしまうことにひどくご立腹らしい。
一年前はガン泣きで抵抗したのに、今は寂しさを怒りに変えて拗ねてみせるという成長ぶり。
それを嬉しく思い、そして申し訳なく思う。
兄は行かねばならんのだ……。
すまぬ……、すまぬ……。
そしてそんなセレスを面白がり、一緒になってぷくーっとして並ぶ金銀にはイラッとする。
「そうか、おまえらは来ないのか」
言ってやると、金銀は「ウソウソ、行く行くー」とセレスの真似をやめてすり寄ってきたのだが、それを一緒に行けないセレスの前でやったものだから、ますますセレスが膨れてぷっぷくぷーになる。
これはいかん、とおれたちは一丸となってセレスをあやした。
まあセレスは可愛いものだ。
可愛くないのは後日やって来た。
△◆▽
取材旅行の準備を進めていたその日、ミリー姉さんがやって来た。
いつものようにセレスと遊びに来たのかと思いきや、今日はちょっと様子が違う。
「レイヴァース卿、お願いです。シャフを説得してください」
いきなりすぎて何の話かさっぱりわからない。
「ミリメリア様、いいかげん諦めてください」
ぐい、とミリー姉さんを押しのけてシャフリーンがおれの前に。
「今日は私のお願いがあっての訪問だったのですが、そのお願いがお気に召さないミリメリア様はこうして邪魔をしに来ているのです」
「お願い……?」
「はい。すみませんが二人きりで――、と、ミリメリア様……」
ミリー姉さんがひしっとシャフリーンにしがみついて抵抗する。
シャフリーンはミリー姉さんの顔面を押して引きはがそうとするがなかなか頑固にこびり付いていて離れない。
「仕方ありませんね。このまま話します」
シャフリーンはミリー姉さんを無いものとして扱うことに。
「お願いと言うのは、今度レイヴァース卿が取材に向かおうとしている迷宮都市エミルスに私を同行させてもらいたいのです」
「シャフリーンを? 理由を聞いても――」
「そんなの駄目ですよ! 駄目です! シャフが行ってしまったら誰が私の面倒を見てくれるんですか! お願いですから思いなおしてください!」
「「…………」」
おれとシャフリーンはしばし顔を見合わせる。
「と、言うわけなのです」
「なるほど……」
シャフリーンにどんな無礼(物理)をされても、それでも側付きのメイドを辞めさせることができないミリー姉さんとしては、シャフリーンが遠出して側に居なくなるような状況は望ましくないのか。
「ミリメリア様、侍女でしたら王宮に大勢――」
「駄目です! シャフでないと駄目なんですぅ! シャフにはずっと私の側にいてもらってクェルアーク領にも付いて来てもらうんですぅ!」
「うーん……」
これまで――特にセレスがこっちに来てからは取り乱す姿をよく目にすることになったが、今回はこれまでとは違った取り乱し方である。取り繕う余裕すらなくなった状態とでも言うべきか、なりふり構わずシャフリーンを思いとどまらせようとしている。
「まずは理由を聞こうか」
「はい。ですがその前に少し私について知っていただく必要があります。ミリメリア様、そろそろ離れてください」
「いーやー!」
「では勝手に出ていきます」
「……うぐぐ」
シャフリーンは本気らしく、ミリー姉さんがしぶしぶ離れる。
「それではレイヴァース卿、両手のうちどちらかで私を突いてもらえますか?」
「へ?」
急に何を言いだすのかと困惑したが、シャフリーンは真面目な顔だ。
「全力でかまいませんので」
「う、うん」
よくわからないが、まあ試しにと右手を――と意識した瞬間、シャフリーンがおれの右肩に手を添えていた。
「もう一度、お願いします」
言われ、おれは同じく右手を先ほどよりも素早く……出すことは出来なかった。
やはりシャフリーンに右肩を押さえられる。
「もう一度試されますか?」
「じゃあ最後に」
と、おれは〈針仕事の向こう側〉と〈魔女の滅多打ち〉を同時使用すると、最後は両手で……と企んだら距離を取られた。
「すいません、止められる気がしなかったので」
「おおう……」
驚いた。
シャフリーンはおれがどう攻撃しようとしたのか、ある程度わかって行動している。
なんだろう、達人が体得できるらしい先の先というやつか?
「実は私、ある程度の範囲内にいる人の行動を事前に察知することが出来るのです」
「確実に?」
「はい。確実にです。これまで外れたことはありません。そして親しくなった人物となると、どんなことを望んでいるのかある程度わかるようになります。これはこうしたい、ああしたい、といった欲求くらいです。ミリメリア様が私を珍重する最たる理由でもあります」
「あー、なるほど……」
何も言わなくてもしてもらいたいことを理解してくれて、すぐにやってくれるメイドか。理想的だな。
「そしてさらには相手の考えていることなどもぼんやりと知ることが出来るようになります。相手が思い描いていることが自分の脳裏にも浮かんだりします。密着するとより鮮明になりますね」
「それって自分の考えを相手に送ることとかできるの?」
言うと、シャフリーンは驚いたのか軽く目を見開く。
「そういうことは……これまで試したことがありません。知る方については物心が付いた頃にはもう出来ていました。ですので、知らせる方が未だに出来た試しがないことからして、おそらく出来ないと思います」
そうか。超能力の精神感応・テレパシーっぽいが、受信はできても送信が出来ないとなると、例えるなら妖怪のサトリか。
「凄い方とは存じていましたが……、まさかこの話を疑うどころか、私が考えもしなかったことを提案してくるとは思いませんでした」
「え? いやまあ、そういう魔術もあるのかなって」
「魔術ですか……。確かに広義では魔術なのですが……」
シャフリーンが口ごもる。
「シャフ」
心配するようにミリー姉さんが声を掛ける。
「いえ、レイヴァース卿でしたら」
と、シャフリーンはエプロンドレスを脱ぎ、さらに下、黒のワンピースまで脱いで下着姿に。
「ちょ、ちょっと……!?」
どういうことだとおれは困惑したが、下着姿で姿勢を正したシャフリーンの胸元、喉の下にある骨――左右の鎖骨が繋がる胸骨柄の位置に宝石のような石が浮き出していた。
ラムネ瓶に入っているビー玉くらいの大きさである。
「……カラータイマー?」
「「え?」」
その石がある位置が、ちょうどカップラーメンの出来上がりを知らせるタイマーが胸にあるウルトラの母と同じだったため、うっかり余計なことを言ってきょとんとされた。
「ごめん、今のは無しで」
「は、はあ。これは私の魔石です」
「……え? 魔石?」
「はい。私は……魔物かもしれないのです」
ああ、それで躊躇してたのか。
「確かに一般的には魔石があれば魔物ってことになってるけど、シャーロットもそれについての論文は未完成のまま放棄してたし、シャフリーンが魔物ってわけじゃないと思うよ?」
シャフリーンの不安がやわらぐようにとシャロ様の話を引き合いにだしつつ、ダメもとで〈炯眼〉を使って調べてみる。
うん、名前とミリー姉さんのメイドという称号しかわからなかった。
これはコルフィー先生の出番かな……。
「ありがとうございます。レイヴァース卿はまったく動じませんね。少しは驚かれると思っていましたが、動じなさすぎて私の方が驚いています」
驚く前にウルトラな方々を連想しちまったからな、そのせいだ。
シャフリーンは一旦メイド服を着直し、それから言う。
「私はこの能力、魔物としての力ではないかと思っていました。魔物ではないとしても、この魔石が無関係ということはないと思います。私は私という存在は何なのか、ずっと考えていました」
「えっと……、それについて答えてくれる人はいなかったの? 例えば親とか」
「現在の両親は育ての親でして……、どうして私の胸に魔石があるのか、それについては知らないようです」
「あー、そうなのか」
「赤子の私を預かったのは冒険者をしていた父でした」
「ってことは預けた人がいるわけだ。その人はどういう人?」
「エミルスの迷宮内で遭遇した見ず知らずの男性だったようです」
「迷宮内で会った見ず知らず……!?」
「はい。その人物は父に私を託すとそこで亡くなったようです」
「死んでるのか……」
「あ、いえ、おそらくは生きていると思います」
「へ? ――ああ! エミルスの迷宮だから死なないのか。ってことはシャフリーンはその人を捜しに行きたいの?」
「いえ、その人物と父はそこではぐれ、それきりになったので、現在も生きているかどうかはわかりません。諦めています」
「いきなり赤ん坊を預けられてさよならとか……、シャフリーンの親父さんはよく預かったね」
「それについてはまったくその通りです。見ず知らずの者から預けられた赤子――それも詳しい事情も聞かずに魔石のある赤子を我が子として育てるなど……、お人好しにもほどがあります」
あきれたようにシャフリーンは言うが、それは自分が特殊だとわかるようになったからこその感謝、その裏返しだろう。
「私はいつか、父が私を預けられたエミルスの迷宮に向かおうと決めていました。私がいったい何なのか、それを調べるために」
「調べる手がかりとかはあるの?」
「はい。私には記憶があるんです。エミルスの迷宮内にある隠れ里の記憶が」
「迷宮内の隠れ里!?」
なんじゃそら。
エミルスの迷宮は数あるダンジョンのなかでも特に不思議なダンジョンだが、隠れ里ときたか……。
突飛な話だが、それでも「有り得ない」と否定したくなるほど不可思議な話でもない。
そもそも『死なない迷宮』というのがまず異常なのだ。
迷宮内、魔素溜まりで発生した妖精――、いや、精霊がなんらかの理由でそうしているとも言われるが、実際のところは謎に包まれたまま。本当に誰も知らないのか、秘匿されているのか、ともかくそれに比べたら隠れ里の一つや二つ、あってもおかしくない……かな?
「にわかには信じがたいことだと思います。しかし、私にはそこに居たという確かな記憶があるのです。迷宮の底には自然が広がり、そこで私は母に抱かれているという記憶が。とても穏やかな記憶が……」
「え、えーっと、つまりシャフリーンはおれに付いて来て、その隠れ里に行きたいってこと?」
「ああいえ、隠れ里についてはいずれ自分で探して向かいます。今回はエミルスがどのような場所かを知るために同行させてもらいたいのです。私の場合は気軽に行ける場所ではないので……」
「ああ、そういうことか」
おれはアレサのおかげで精霊門を活用できるが、シャフリーン個人ではそういうわけにはいかないからな。
同行できるチャンスは逃したくないわけか。
そういうことなら連れていかないわけにはいかないな。
それにシャフリーンが来てくれるならちょっと不安の残るティアウルは迷宮探索に専念、ということにできる。
「わかった。じゃあ一緒に行こうか」
「ありがとうございます」
「あーん! レイヴァース卿もシャフもひどいですー!」
望みは尽きた、とミリー姉さんは床に崩れ落ちたが、すぐに顔をあげてキッとこちらを睨む。
「じゃあいいです! 私ここに住んじゃいます! シャフがちゃんと帰ってくるまでここでセレスちゃんに面倒を見てもらっちゃいます!」
一国の姫君が四歳児(六月には五歳!)に面倒を見てもらおうとするのはどうなのか?
まあ実際はセレスとキャッキャするばかりで世話をするのは他のメイドたちなんだろうけども。
※文章の一部を変更しました。
2017/09/20
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/22




