第318話 12歳(冬)…兄より優れた弟なぞ
屋敷で暮らすようになったクロアとセレスが落ち着くには少し時間を要したが、それは無理もない話だった。
生まれてからずっと森の中、静かな一軒家でのんびり暮らしていたのが人の多い王都に、さらには新しい妹とメイドたちと精霊と犬とぬいぐるみ軍団に囲まれて生活することになったのだからそれは並大抵な環境の変化ではない。
しばらくはのんびりしていたらいいんじゃないかな、とおれは思っているが、セレスの方は幼い故の順応力の高さなのか、最近は『見習いメイド見習い』としてちょこちょこと仕事を手伝うようになった。
それまで犬とぬいぐるみに気を取られているうちに一日が終わってしまっていたことを考えると大変な進歩である。常時シアとティアナ校長がついて回ってサポートしているが、そんなのは些末な問題。注目すべきはお手伝いしようというその心意気なのだ。
クロアの方は訓練場で軽く運動するのを見かけるようになったが、これといって特別取り組むものをまだ見つけていない。
日課になりつつあるのはバスカーを散歩させるついでの王都散策。
たぶん、まずは土地勘を養おうとしているのだろう。
おれも王都へ来たときは歩きまわったしな。
散歩にはメイドの誰かが付いていくのでよっぽど大丈夫だとは思うが、念のためエイリシェにお願いして見守ってもらうようにしている。
ちょっと過保護だろうか?
△◆▽
その日、朝食をすませたおれが仕事部屋でコルフィーとメイドたちに贈る服のデザイン決めに取り組んでいると、クロアとぬいぐるみを引き連れたセレスがやってきた。
「よしよし」
セレスはコルフィーの頭を撫でると、これでよし、と言わんばかりに頷き、ぬいぐるみたちと共に去っていった。
どうやらお姉ちゃんぶりたかっただけのようだった。
そのあと残ったクロアが言う。
「兄さん兄さん、ちょっとお願いがあるんだけど」
ほうほう、お願いとな。
「はっはっは、いいぞー、何でも言ってみろ」
「うんとね、ぼくね、ちょっと兄さんと試合をしてみたいんだ」
「…………、お、おう、試合か、うん、よし、じゃあ昼食をとってひと休みしてからやろうか」
「うん!」
そう頷いて去ったクロアを見送ったあと、おれは頭を抱えた。
「あああぁ……!」
「に、兄さん? どうしたんですか?」
「兄の威厳の危機だ」
「威厳の危機?」
「ああ、クロアっておれより才能豊かだろ?」
「そうですね、クロア兄さんは素質が高いですね」
「そうなんだ。なんとか年の功でお兄ちゃんぶっていたが、いつか追い抜かれると思っていたんだ。その日がとうとう来てしまった……!」
兄の威厳が崩壊する日が……!
「だが、それを甘んじて受けいれるわけにはいかん。というわけでコルフィー、今日の仕事はここまでだ。おれはこれからクロアに負けないよう対策を練る必要がある」
「……え、それでお昼の後にしたんですか?」
「そうだ」
「えぇ……」
コルフィーが残念なものを見るような目になるが、自分でも誇れる話じゃないことはわかってるし、そこは甘んじて受けいれた。
「べつに負けても慕われなくなるわけじゃないと思いますけど……」
「そこは兄としての意地があるのだ」
「意地ですか」
「意地なのだ」
急遽仕事を中断したおれは、まずクロアがどれくらい成長しているかの調査のため、父さんと母さんに話を聞きに向かう。
「ははは、そうか、こっちに来てからはしゃぎ回って忘れていたようだったが、思い出したか。となると……、悪いが内緒だな」
「そうねぇ、ここは内緒にしないとね」
父さんと母さんはクロアの成長ぶりを語ろうとはしなかった。
ど、どういうことだ……!
そんな凄いことになってるのか……!?
おれは恐れおののき、震え上がって部屋へ舞い戻ると、めそめそしながら相談のためにシアを呼んだ。
「というわけなんだ……、どうしよう……?」
「いや、どうしようって、やるって約束しちゃったんならやるしかないじゃないですか。そんな漠然とした相談されても困りますって」
確かにシアの言うとおり、相談されてもどう返事したらいいかわからない話だ。
「私がやるのは違うものね。あなたがやらないと」
呼んでないのにミーネが来ていたが、特別なにか提案をしてくれるわけではなかった。
「ねえシア、クロアってどれくらい強いの?」
「ご主人さまが悲嘆に暮れるほど強いわけじゃないですよ? お父さまとお母さまの指導があるので、あのくらいの男の子にしてはずいぶん逞しいとは思いますが」
「んー? ならあなたが勝つんじゃないの? 向こうに居るときは試合もしたりしたんでしょ? どうだったの?」
「その頃はまだおれの方が強かった。だがな、やはり動きとか発想とか、そういうのがおれよりも優れてるんだなーと感じることはよくあった。おれがクロアくらいのころに、雷撃無しだったら普通に負けるくらいだな」
「へー、そうなんだ。でも負けたことはないんでしょ? ならまだ半年くらいなんだから、大丈夫なんじゃない?」
「おれこっちに来て訓練とかサボりまくりだからな……。それにあれだぞ、男の子ってのは三日もあればにょきっと強くなるんだ。それが八ヶ月ってことはだな、つまりクロアはあの頃から二百四十倍はにょきっと強くなっているということなんだ。もしかしたらもうおれなど指先一つで倒せるほどに成長しているかもしれん……!」
「うーん?」
ミーネは眉間にシワを寄せながらシアを見る。
「ねえシア、どうして二百四十倍になっちゃうのかよくわからないんだけど……」
「あー、ミーネさん、今のご主人さまは突然のことに錯乱してますから、言ってることをまともに受けとめるだけ無駄ですよ」
「そうなの? んー、まあ二百四十倍かはわからないけど、そうね、提案してきたならきっとこれまでとは違うっていう自信があったのね」
「ひぃ……!?」
「ミーネさん、今ご主人さまかなり弱ってますから、あまり追い詰めないであげてください」
「そ、そんなこと言われても……。べつに負けてもいいじゃない。強くなったなーって褒めてあげればクロアも喜ぶと思うわよ?」
「そうだろうか……、八歳に負けるような奴に当主は任せておけないと追い落とされることになって、おれがベルガミアのウォシュレット伯爵になってしまわないだろうか」
「え、えーっと……」
「そう言えばミーネさんって、こういうご主人さまを見るのは初めてでしたね。真面目に取り合うと疲れますよ」
ああぁ、嫌だ、いつかは来ると思っていた日だが、まだ、まだもうしばらくは立派なお兄ちゃんで居させてほしい……!
△◆▽
昼食は味なんかしなかった。
それから食後の休憩を挟み、屋敷のみんなが勢揃いして見守るなか、いよいよおれとクロアの試合が始まってしまう。
実戦的という条件がついたため、おれは縫牙を持ち、クロアは小振りの剣を持っている。
「んじゃ、試合を始めるぞー」
審判は父さん。
負けられないおれは密かにクロアを〈炯眼〉で調べる。
クロアの持つ剣も、身につける服も普通のものだ。
てっきり雷撃無効のあるおれの服を着てくると思いきや、そんなこともない。
うん? これだと〈雷花〉で封殺できちゃうんだけど……。
でも父さんは「普段おまえがやるように戦え」って言ったから、雷撃が禁止というわけではない。
ともかく、ここは〈雷花〉でクロアの出方を見る感じかな。
「んじゃ始めー」
ゆるい開始の合図があり、おれは即座に〈針仕事の向こう側〉と〈魔女の滅多打ち〉を使用する。
とんでもない攻撃が来たとしても、これで初撃くらいはどうにかなるはずだ。
そして――
「やー!」
クロアがおれ目掛けて突っこんでくる。
普通だ。
見た感じでは想像を超えるような必殺技や搦め手を準備しているようには思えない。
しかし油断は禁物。
まずは様子見、そして牽制のため、おれは突っこんでくるクロアに適度な威力の〈雷花〉を放つべく指を鳴らそうとする。
と――
「エンチャント・サンダー!」
クロアが魔法を使用――斜め下に構えた剣に雷光が宿る。
そこにおれがパチンと指を鳴らしての雷撃を放った。
本来であればクロアに雷撃が当たるはず。
しかしその瞬間、クロアはタイミングを計って雷を宿した剣を斜め下から斬り上げた。
そのとき何が起きたのか――。
加速した意識で捕らえたのは、クロアに襲いかかるはずだった雷撃が、クロアの振り上げた剣の雷に絡め取られ、振り抜かれると同時にあらぬ方向に逸らされたということだった。
同属性による絡め取り――。
これまで耐性のある防具、発生の感知による回避、といった雷撃の対処法があったが、ここで新手――予想外の攻略をされた。
そしてそれを成し遂げたのが弟のクロアであるという事実におれは強い驚きと感動を覚え、うっかり集中力を切らせて身体強化が解除されてしまう。
あぁ、さようなら兄の威厳……。
雷撃を攻略したクロアはそのままおれに向かって――
「あうっ」
来られなかった。
どうやら完全に雷撃を無効化できたわけでなかったらしく、痺れが残り足がもつれて転んでしまったようだ。
「はーい、試合終了だ」
そこで父さんが試合を止める。
「うあー、だめだった」
「はは、クロア、おしかったな」
「なんとか詠唱句だけで使えるようになったけど、もう少し練習をする時間がほしかったわね」
父さんと母さんはクロアがやることを知っていたようで、作戦が中途半端になったことを惜しんだ。
「あれってみんなで考えたの?」
「ん? 違うぞ。おまえが王都に行ったあと、ふとクロアが思いついてな、あとは俺と母さんで実現できるように特訓したんだ」
「そうよ、もしかしたらこれで兄さんがやられちゃうかもしれないって心配してたから、じゃあ実際にやってみせてあげましょうって」
「……え? おれのために?」
びっくりしてクロアを見やる。
クロアは起きあがって体をパタパタ叩いていた。
「うん、失敗しちゃったけど」
にこっとクロアが笑う。
「…………」
何と言うことだ。
おれが兄の威厳を保とうという浅ましい魂胆で戦おうとしていたのに、まさかこれがこの兄を思っての試合だったとは……。
「なんと良い弟か……」
おれはクロアを抱きしめて撫で回す。
「よーしよしよしよし……」
「に、兄さん、ちょっと恥ずかしいよ」
屋敷のみんなに注目されているのが気になるらしい。
と、そこでクロアの後ろにセレスが立つ。
何か期待するような目で……、あ、撫でて欲しいのか?
クロアの抱擁をひとまず終え、せっかくなのでセレスも撫でる。
そしたらセレスの後ろにコルフィーが並んだ。
う、うむ、兄妹姉妹でのけ者はいかんからな。
コルフィーを撫でていたらシアが並んだ。
「なんですかー、わたしも妹じゃないですかー」
「いや、べつにいいけど……、むしろおれがいいのかと聞きたいわ」
それからシアの後ろにはバスカーが並び、その後ろにはミーネが並び、その後ろにはアレサが、サリスが、ティアウル、ジェミナ……、とメイドたちが並んだ。
中断するならバスカーのところだったのだが、尻尾を振りまくって期待している子犬を無視するのが忍びなかった。バスカーを撫でてしまうと、犬を撫でてどうして私は撫でないの、となってしまうのでミーネも撫でた。犬は撫でられて聖女は撫でられないのかということになるのでアレサも撫でた。そしてサリス以降のメイドたちはほとんど惰性、いまさら中断するわけにもいかず、せっせと撫でた。
「ヴィルジオまで……」
「まあせっかくなのでな」
なんか緊張した。
「パイシェさん……?」
「ここは並ばないといけないのかと……」
ちょっとくすぐったそうな感じがやたら可愛かった。
よくわからないが精神的に疲弊した。
「兄さん、なんかごめん……」
おれの様子から何か察したのかクロアが謝ってくる。
「なにを謝る。おまえはなにも悪くないんだぞ」
と、おれはクロアを撫で――その後ろにセレスが並ぶ。
そして二巡目は始まった。
※260話の後半にミリメリアがアレサに会うシーンを追加しました。
話の流れに変更はありません。
2017/08/17
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2020/04/26
 




