第32話 6歳(春)…シャーロットの功績
「おかしい……おれはなにも悪くないのに……」
ミーネがヘソを曲げたのは我が家にきてから初めてのことだ。
わめき散らすようなことはなかったが、むすっと押し黙って引きこもってしまった。
おれの部屋に。
「なんでおれの部屋に引きこもりやがるんだ? このままじゃなんの作業もできないし……、ある意味、効果的な嫌がらせではあるのか?」
両親はそろっておれが悪いと言いだした。
ミーネはまだ六歳の女の子なんだから、そこはちゃんと気遣うべきだったと言いやがるのだ。
おれも六歳児だってこと忘れてるんじゃないか?
まあとにかく両親は謝って仲直りしなさいと言う。
うーむ、謝る……?
おれは元の世界にいたころのことを思い出す。
ジジイは言った。
こちらに非があったら謝るな。
謝るのは向こうに非がある、もしくは優位に立っている場合、と。
ふむ、非はおれのほうにあるから、謝るならまず優位に立たねばならないか。
というわけでおれはおやつを作ることにした。
おやつの時間に間に合いそうな物を考えた結果、オールドファッションドーナッツを作ることにする。ドーナッツはこちらでもめずらしいものではないようだ。
さて、用意するのは砂糖とバターに玉子と小麦粉。順番に混ぜてこねこね。生地を休ませているあいだに昨日からとろ火で一晩中煮詰めていたお菓子の木の樹液を確認する。
お菓子の木の樹液を煮詰めると香りと甘みがはっきりする。その濃縮した樹液はリカラの雫と呼ばれ、香木と同じように富裕層が買い求める高級品になる。五リットルくらいとってきたのに完成品になるとカップ一杯ほど。確かに雫だ。せつない。
リカラの雫を丁寧に瓶に詰め終わると、いよいよドーナッツを揚げにかかる。
両親や弟も食べるだろうから……十個くらいあればいいかな?
ドーナッツを揚げ終わり、皿にのせてダイニングルームへ運ぶ。
ほんのりとした甘さを楽しむもよし、リカラの雫をかけて甘さたっぷりを楽しむもよし。
あとはミーネを部屋から誘いだすだけだ。
となると、やはりここはあれだろう。
天の岩戸作戦。
まずドアの前になにか興味を誘う――
「……むー……」
声が聞こえて、ふと振り向く。
部屋の入り口、囓りつくようにしてこちらをうかがっているミーネがいた。
なんか宴を開く前に勝手にアマテラスでてきちゃったよ。
「……むー……じゅるり……」
まだ拗ねてる。
拗ねてるがドーナッツが気になっている。
これでドーナッツをあげなかったらどうなるんだろうと好奇心がわいたが、たぶんそのあと本格的にこじれると確信があったので自重する。
食べ物の怨みは恐ろしいのだ。
「ほら、こっちきて食べろよ。試合のことはおれが悪かったから」
「……おやつでつるつもりね……」
読まれているだと!?
ちょっと衝撃だった。
でも実際つられてここに来てるよね?
「まあそうでもあるが……、ほら、熊がきたとき、今度なにか作ってやるっていっただろ」
「……そういえば……」
「とりあえずこっちきて食え。できたてが一番おいしいから」
「……くぬぬ……」
もうちょっと抵抗したそうだが、出来たてほかほかドーナッツのこうばしい香りとリカラの甘い香りにあらがえず、ふらふらと引き寄せられてちょこんとイスに座った。ミーネはすぐにドーナッツをひとつ手にとり、はむっと囓りつく。やや不機嫌そうな顔が、その瞬間ほわっとほころんだ。ミーネはもうひと口、さらにひと口と食べすすめる。
「こっちのリカラの雫は好みでかけるといい」
「これ、昨日の?」
「とってきたぶんを煮詰めてこんだけになった」
「これだけになっちゃうのね……」
ミーネはとろりとしたシロップをスプーンですくい、ドーナッツにかける。
そしてがぶりと。
「――ッ!?」
びっくりしたような顔になり、ミーネは目をぱちぱち瞬かせる。
「――んくっ。ねえ、これおいしいわ!」
「そ、そうか」
「そうよ! ドーナッツはちょっともそもそするけど、蜜をかけるとそのもそもそにじゅわっとしておいしいの! じゅわっと甘いのよ!」
ドーナッツとリカラの雫の組みあわせがよほど口にあったのか、ミーネは妙な迫力で感激している。そこからは必ずシロップをかけてドーナッツを食べるようになった。
「ねえねえ」
ひたすらドーナッツに食らいついていたミーネだったが、さすがに満足したのか、いれてやったお茶をちびちび飲み始めた。
「あなたって、おおきくなったら冒険者になるのよね?」
「まあな」
いきなりなんだとは思ったが、素直に答える。
「じゃあ、冒険者になったら……どんなかんじでやっていくの?」
「また唐突に漠然としたことを。どんな感じでやっていくってきかれても……、おれべつに冒険者として活躍とかするつもりないからな」
「……え? じゃあなんで冒険者になるの?」
「冒険者証がほしいんだ。身分証になるから」
答えると、ミーネが難しい顔で首をかしげた。
「んー? 貴族で、長男なのに?」
「いるんだよ。自己紹介したくないからな、冒険者証を見せてすませるんだ」
「……そんなに名前がいやなの? じゃあもうかえたらいいのに」
あきれと驚きがないまぜになった表情でミーネは言った。
「変えられるならもう変えてる……」
と、おれは忌まわしき名前のことを簡単に教えてやる。
この名前を変えるためには導名でどうにかするしかないのだと。
「たくさんのひとに影響をあたえるのって、冒険者でゆうめいになるんじゃだめなの?」
ミーネの疑問は、たぶんこちらの人間なら普通に考えることだろう。
シャロ様が魔王討滅して導名を得たからよけいに。
「魔王以外のなにかをたおして導名をえた冒険者っているのか?」
「え……? いるのかしら……」
「たぶんいない。魔王は特別なんだ。魔王以外じゃまったくダメ。いくら冒険者としてがんばっても、魔王をたおすくらいしないと導名はもらえないんだよ」
「じゃあ魔王をたおせばいいんじゃない?」
「おれにどうたおせと……」
「あの雷でどうにかできないの?」
「熊すら仕留められないのに、魔王なんてどうしろってんだ」
威力をあげられない現状では〈雷花〉は非殺傷の護身用として運用するしかない。
「もし冒険者としてやっていくにしても、問題はそこだろうな。牽制ならできるんだが仕留めるとなると、とたんに力不足になるんだ」
「……うーん、そっか……」
ミーネが感じ入ったように呟く。
「でも冒険者にはなるのよね? なら王都のくんれんこうにきたらいいと思うわ。だってこの国でいちばんりっぱなところだもの」
「王都か。興味はあるけど、おれ訓練校はいかずに試験うけるつもりだから」
「あうっ」
すすめてきたミーネががくっと肩を落とす。
「どうしてそうなるのよ」
「急いでなるつもりはないし、それに訓練校自体がいやなんだ」
「なんで?」
「だって訓練校いったら名前呼ばれるだろ?」
「あー……」
すごく納得した、という顔でミーネはうなずいた。
「ほんとに名前がきらいなのね」
「わかってもらえてなによりだ」
「なんとなくわかったわ。あなたがいろいろ作ったりしてるのって、導名をもらおうとしてるからだったのね。ほかにもいろいろ、ぜんぶ導名のため」
ミーネがおれを少し理解してきたことにちょっと驚く。
「わたしもごせんぞさまみたいに導名ほしいと思ってるけど、あなたほどじゃないわね」
「その先祖の導名ってどんな名前なんだ?」
「ん? あれ、しらない? クェルアークよ」
「ああ、導名が家名になったのか」
「そうよ。クェルアークっていうのは、もともとはごせんぞさまの愛剣の名前なの。その剣はうちの宝としてしまってあるわ。魔王をたおした剣なの。すごいのよ」
「確かに凄いな」
魔王殺しの剣が家宝として家にあるとかホントに凄いな。
……?
「あれ!? なんで導名を家名にできてるんだ?」
「え? なんかだめなの?」
いまさらおれは気づいた。
そういえば自分の家の家名――レイヴァースもシャロ様の導名の一部だ。当たり前すぎてすっかり見落としていたが、導名の効力を考えるとこれはおかしい。どういうことだ?
「ごせんぞさまがそうしたんだから、いいんじゃないの?」
訳がわからないなりにミーネは言う。
おれも導名についてはシャロ様の仮説をちょっと教えてもらっただけという程度のもの。
もしかしたら導名をえた者の裁量でそれくらいはどうにかなるものなのかもしれないな。
これについては、それこそおれが導名を得たとき試してみるとかしないと誰にもわからないことだろう。いや、神ならわかるか? 今度会う機会があったら導名について尋ねるのを忘れないようにしよう。
ひとまず導名の不思議は置いといて、今はミーネからご先祖のことを聞きたい。
「そのご先祖さまは魔王ぶっ殺すまえはなにしてたんだ?」
「……ん? なにしてたのかしら……」
「おいおい」
ちょっと混乱する。
ミーネの先祖は魔王をたおしただけで導名をえたのだろうか。もしそうなるとシャロ様が導名をえるのに時間がかかった理由がわからない。シャロ様の功績ははっきりいって魔王よりもはるかに人々に影響をあたえているはずなのだ。
なのにどうして、魔王をたおすまで導名をえられなかった?
「おじいさまなら知っていると思うわ。日記がのこっているっていってたから」
なにそれ、すごく読んでみたい。
「たぶん冒険者みたいなことをしてたんじゃないかしら。そのころはまだなかったけど」
「――――ッ!?」
瞬間、おれは理解した。
疑問がいっきに氷解し、やっと理解できた。
そう、当時の状況は現在とは違う。
違いすぎるのだ。
当時はなにもなかった。
だからシャロ様は作った。
けれど……、それは広まらなかった。
なにしろ社会システムの上書きのようなことだ。
そんなものをすぐ採用して取り込める国などどこにも、いつの時代だろうとない。
だからシャロ様が改革を推し進められたのは魔王討伐後――世界を救った勇者となってからの話だろう。確かにさまざまな制度を作ったかもしれないが、それが本格的に広まったのはそれこそ晩年からなのだ。
シャロ様がやったことは、やがて大樹となる木の苗を植えたようなもの。
さぞ歯がゆかったに違いない。
大勢に影響を与えるだけでいいのなら、それこそ世界中の国々に元の世界の兵器の概念をばらまけばよかったのだ。あとは勝手に、そして確実に膨大な名声値が生まれる。
しかしシャロ様はそれをやらなかった。
あくまでこの世界を良い方向へ導くための方法で導名を目指した。
凄い人だ。本当に尊敬すべき人だ。
「あの……これ……」
「あん?」
感動して涙がちょちょぎれそうになっていると、ミーネがドーナッツをそっとさしだした。
気づけば皿のドーナッツがすっかりなくなっていた。
「おおぅ!? ぜんぶ食ったの!?」
「お、おいしかったから……」
食いしん坊が顔をそらしながら謝ってくる。
「いやおまえ最後の一個ならこれ弟のぶんだよ! ってか親のどころかおれのすらないよ!?」
「ごめん……、でもそんな泣きそうになるなんて……」
「おやつで泣きそうになったんじゃねぇし!」
人がシャロ様の偉大さに感動していたというのにこいつは!
というか、泣きそうになってなかったら最後の一個も食べるつもりだったのか?
色々と末恐ろしいなこいつ……。
※誤字の修正をしました。
2017年1月26日
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/10




