第31話 6歳(春)…小さな冒険
出発には手間取ったがそこからは順調だった。
お菓子の木に向けて一直線。
一応、おれにもしものことがあったときのことを考え、一定間隔で木に目印のヒモを結びながらの進行だ。
途中、ちょいちょい休憩をはさみ、昼ごろになって目的のお菓子の木へとたどりつく。
お菓子の木――リカラの木はおれのような子供でも抱きかかえられるくらいの幹の太さをした高木だ。二十本ほどが群生しており、それぞれに小さな穴があけられてそこに樹液を採取するための管、そしてビンがくくりつけられている。
おれはビンから樹液を集めると、ミーネにちょっと飲ませてやる。
「すこしとろっとしてるのね。すこしだけ甘くて、それにいい香りがする……」
さすがに歩き疲れたミーネは倒木に腰掛け、珍しい甘味をちびちび楽しむ。
ミーネは休ませておいて、おれはせっせと紅葉みたいなリカラの葉を採取。
これは料理や菓子作りに使えるのだ。
それからミーネが腰掛けている倒木のよさげなところをノコギリでぎこぎこ切りわける。
「たき火をするの?」
「してもいいが贅沢な焚き火になるぞ。これが例の香木だからな」
「へ?」
きょとんとして、それからミーネは慌てて立ちあがる。
「これがそうなの?」
「ああ、なんかこの木、こうやって倒れると腐ったり枯れ木にならず、樹液で固まって香木になるんだ。父さんが言うには、こいつなら同じ大きさの金くらい価値があるらしいぞ」
「うっかりすわっちゃった」
「いいんだよべつに」
いい香りがするからと人が勝手に値段をつけただけの倒木だ。お百姓さんの作った米俵に腰掛けるのとは違う。
おれは倒木に腰掛けると、カバンからお弁当をとりだした。
「そろそろいい時間だし、ここで昼食をとって、ひと休みして帰るぞ」
「うん!」
昼食はベーコンとチーズと香草をナンもどきの生地で包みこみ焼きあげたなんちゃってカルツォーネだ。ああ、行きつけのパン屋のカルツォーネはおいしかったなぁ……。
「これおいしいわね」
ミーネはモチュモチュとカルツォーネもどきを食べている。
まあこれだって悪くはない。
それに遠足での食事はおいしいものだ。
ささやかな昼食をすませ、ひと休みしてからもどる準備をする。
ミーネは一キロほどの香木を、おれは五リットルほどの樹液をカバンにいれる。
「これでいらいたっせいね!」
「おまえが依頼主みたいなもんだがな。あとお家に帰ってはじめて依頼達成です」
休憩中、おれにもたれかかってちょっと居眠りしていたミーネだったが、それで少し疲れがとれたのか元気いっぱいだ。
そして、さて出発しようとしたところで――
「ホキャァァ――――――ッ!」
少し離れたあたり。
けたたましく甲高い、悲鳴のような鳴き声がした。
「あ?」
これまで聞いたことのない鳴き声だ。
なんだろうと眺めていると、やがて草のこすれる音が聞こえてきた。
なにかがこちらに向かってきている。
重なった移動音。
数は複数。
そして――
「ギャーギャッ!」
「ギギッ、キャーキィーッ!」
「ギャー、キャッ、クワッワッ!」
なんかきた。
なにと尋ねられたら――なんだあれ。
毛のない猿?
可愛くない。
凄く可愛くない。
まったく愛せやしない。
それが三匹とくればげんなりだ。
「あ、ゴブリンね! まかせて!」
ミーネは鋭く叫び、そして動いた。
すでにカバンは降ろしており、剣を抜きはなって向かい来るゴブリンに突撃する。
ついさっきまでお昼を食べて居眠りしていた日常の感覚から、瞬時に戦闘のテンションにもっていけるその切り替えの見事さ。おれは素直に感心した。
ゴブリンはおれたちくらいの背丈だが妙に筋肉質、そしてすっぽんぽんだった。
腰布一枚身につけず、木の棒すらもっていない。
もしそういう動物と教えられたらそのまま信じてしまうような姿だ。
突っこんでくるミーネに驚き、ゴブリンたちは急停止して散開しようとする。
が、遅い。
ミーネは突っこんだ勢いそのままに真ん中の一匹を袈裟斬りに。
手首をかえすと間髪いれず右にいたゴブリンを切り返しで仕留める。
そして最後、左にいた一匹へ一歩踏みだし、右へ流れていた体勢がそのままバットを振り抜く直前のような体勢へと切り替わる。
そして次の瞬間にはゴブリンの首が飛んでいた。
一連の動作はまるで流れるように。
「えー……」
あまりに見事すぎて、おれはちょっとあきれた。
「これでよし!」
倒れた瀕死の二匹に剣を突き刺してとどめをさしたミーネが言う。
うん、これ絶対に初めての実戦ってわけじゃないね。
「これまでどれくらいゴブリンと戦ったことあるんだ?」
「え? んー……、わかんない。たくさんよ」
覚えてないくらいとか恐いわ。
「つぎはあなたがやってみてね!」
「えー……」
おれじゃあ一匹でも泥仕合だぞ。
「もういないんじゃないか」
「どうかしら。なんかようすがおかしかったし、まだ気をつけたほうがいいわ」
「おかしかった?」
「なんとなくだけど、あのゴブリンたちってわたしたちを襲いにきたんじゃないような気がしたの。こっちに走ってきたらたまたまわたしたちがいたってだけで」
「……え? なあ、それってさ――」
追われてきてたんじゃね?
おれがそう言う前に、次の異変があった。
再び聞こえてきた移動音。
が、今度は音が大きい。
どどっ、どどっ、と軽快に走ってくる音。
「まずいわ……、熊よ」
ミーネの声がこわばる。
ゴブリンがやってきた方角から、四足で猛然と走ってくる熊の姿があった。
かなりでかい。そのくせに速い。
四足の状態で頭の位置がおれやミーネよりも上にある。
うん、これは普通に死ねるやつだ。
「……、わたしが、ひきつけるから、あなたは親をよびにいって……」
小声で、というより小声になってしまうのだろう、ミーネはそう呟いて剣をかまえる。
「いやいや、逃げるのはおまえだろう」
「わたしだと迷っちゃうじゃない」
「こういうときのためにヒモつけてきただろうが」
「あ。……で、でもだめ。わたしはにげないの。にげていたら、つよくなんてなれないもの。でもいまのわたしじゃあ、あいつをやっつけることできないから、親をよびにいって」
そう言いながらミーネはおれの前にでる。
その姿におれはちょっとした感動を覚えた。
今、ミーネはぱっと見てわかるくらい震えてる。戦う感覚の鋭いこいつのことだから、あの熊が敵わない相手なんてことは百も承知だろう。頭でも心でも体でもわかっている。敵わないどころか逃げ切ることも難しいと理解している。
にもかかわらず前にでた。
熊をひきつけておれを逃がそうと。
たとえ大の大人でもできることじゃない。
それを貴族のお嬢さまが、六歳児がやろうとしているのだ。
正直、おれはミーネを残念お嬢さまと思っていた。
だが、今この瞬間に見直した。
こいつはただのじゃじゃ馬やおてんばなんかじゃない。
そうだ、こいつは誇り高く勇敢なバーバリアンだ。
「よしよし、今度はなんかおいしい物を作ってやろう」
おれが頭をなでてやると、ミーネはきょとんとした。
「なんで頭なでてるの!? それよりはやくここからにげてよ!」
「いや、あれなら大丈夫だから」
言いながら、おれはそっと腕をのばす。
そして軽く拳をにぎるように。
人差し指はまっすぐのばし、そして中指と親指の先をくっつけ、ぐっと力をこめる。
これがおれのルーティン。
イメージを投影し、制御した雷を使うための儀式。
「〝厳霊――雷花〟」
日本語で囁き、パチンッ、と指を鳴らす。
と同時――、
バチチチチッと突撃してくる熊の周囲に赤い稲妻の花が咲く。
「ウヴォォォォウ!」
熊は走っている最中に感電によって体が麻痺。
勢いそのままにごろんごろんとすっ転がった。
「……は?」
重い音を響かせて転倒した熊を眺めながらミーネは唖然としている。
「おー、あれくらいの奴なら充分な効果があるな」
練習はしていたが実戦投入はこれが初。
一瞬とはいえきっちり大熊を無力化できたわけだし、満足のいく結果だ。
「え、ちょ、……いまの、なに!?」
「なにって、前に見せただろ、おれ雷がだせるって」
「あんなすごいの出せるなんてきいてないわ!」
なんかミーネが食ってかかってくる。
「もう! もう! ずるい!」
「なにが!?」
なぜか罵られる事態に。
ってか、ずるいってなんだ。
「ヴォォォッ、ヴォッ! ヴォヴォーッ!」
一方、すっ転ばされた熊はかなりご機嫌斜めになったようで、起きあがると立ちあがってこちらを威嚇しはじめた。
こうして間近でみると本当にでかい。
足一本だけでもうおれと同じくらいあるし、頭なんか抱えられないほどだ。おれなんか頭から胸までひと囓りだろう。
「おまえに会ったのがこっちでよかったよ」
元の世界だったら悲惨な死にざま間違いなしだった。
「ど、どうするの? おこってるわよ。さっきの、ゲンなんとかってまだつかえるの? あいつやっつけることできる?」
さすがにミーネでも立ちあがった熊の大迫力には怯えるようだ。
おれの背中にひっこんで覗きこむようにしている。
「やっつけるとなると……きついな」
これ以上の出力アップは体に負担がかかる。
またどこかで神に恩恵をもらえたらできるようになるかもしれないが、今は無理だ。
「でもまあ大丈夫」
パチンッ、と指を鳴らして〈雷花〉を使う。
「ヴォッ!」
ビクビクーッと熊が痙攣し、どてーんと倒れる。
そこへさらにパチンッと指を鳴らして〈雷花〉を喰らわす。
「ヴォッ! ヴォッ!」
倒れたままビクンビクン痙攣する熊。
さらにパチンッと指を鳴らす。
「ヴォッ、ヴォヴォッ!」
さらにさらにさらにと繰り返す。
延々と〈雷花〉をあびせかける。
「ヴォ、ヴォォォッ! ヴォオォォォォ――――ッ!」
確かにこれ以上出力はあげられない。
が、この威力でいいならいつまでもいつまでも、物語の最後の語り口のように、熊が幸せになるまで雷撃をあびせかけ続けることができる。
熊は抵抗するかぎり痙攣し続けるのだ。
「うわぁ……」
赤い雷撃の花が飛び交い、咆吼しながらビクンビクンと痙攣し続ける熊。
その光景を眺めていたミーネはちょっと引いていた。
「あれは……、ちょっとあんまりじゃない?」
「んなこと言われてもな。あいつおれたち食べる気なんだぞ?」
パッチンパッチンしながらミーネに答える。
「ヴォオォォォォ――――――――ッ!!」
うん、まだ元気だ。
雄叫びをあげられるうちはまだ警戒したほうがいいだろう。
はいパッチンパッチン。
「えっと……、たぶんあの熊、もうわたしたちをたべようとか考えてないとおもうわ……」
「ふむ」
ためしに雷撃を浴びせるのをやめてみる。
熊はしばらくぐったりそのまま倒れ伏していたが、のそのそと体をおこすとこちらの様子をうかがいはじめた。立ちあがって威嚇してはこなかったが、あのでかいのに見つめられているのは落ち着かない。
もうしばらく痺れさせるかと、すっと手をあげる。
と――
「ヴォヴォッ!? ヴォ! ヴォオォォ――ッ!!」
熊はビクッとひるみ、大慌てで後ずさりする。
「おー、熊って後ずさりできるんだ」
パチンッと音だけ鳴らしてみる。
「ヴォッ!?」
熊は驚いて立ちあがるが勢いあまってひっくり返った。そしてじたばたしながら起きあがると、熊はもうこちらを見ることもせず一目散に逃げだした。
退散してくれるならそれにこしたことはない。
おれは熊が逃げ去るのを見送り、ひと息つく。
「うん、なんとかなったな」
「なぜかしら、ほっとするところなのに、ちょっとやりすぎに思えるわ……」
ミーネはげんなりといった顔で言う。
熊は逃げていったが、たぶん見守っている父さんが追っていってどうにかするだろう。
もうこっちへ来ないならそれでいいのだが。
「さて、それじゃあ帰るとするか」
「……ん、そうね」
おれとミーネは気をとりなおして家へと歩きだす。
その日の夕食は熊肉のシチューだった。
△◆▽
初めて魔物に遭遇し、続いて熊に遭遇して〈雷花〉を実戦で試すことができた。自分としてはそれなりの手応えを覚えたが、熊ほどの相手になると無力化できても自分ではとどめを刺す手段がないこと、これが今後の課題となった。まあ腕っ節に自信のある奴と組めば問題ない話なのだが。
「しょうぶしましょう!」
翌日、おれとミーネは疲れのためか昼近くまで寝ていた。
やがて起きだして食事をとったあと、ミーネは意気込んだ様子で言った。
「あの雷もつかってのしょうぶよ! いままでみたいに手をぬいちゃだめだからね!」
「そう言うならまあそうするけど……」
確かに〈雷花〉は使わなかったが、かといって手を抜いていたわけではない。
まあ全力でなかったのは確かだが。
そして勝負は開始され――
「パチンとな」
「にゃあぁぁぁぁ――――ッ!」
そして終了した。
電撃により筋肉が収縮して体の自由がきかなくなる――これはもう本人の意思でどうにかなる話ではない。やられたらもう痺れて倒れるだけなのだ。
「ず、ずず、ずるいわ! こんなのずるいわ!」
こんちきしょうめーっといった感じでミーネは木剣を地面に叩きつけて地団駄を踏む。
憤る様子がなんとも可愛らしく微笑ましい。
見目麗しいというのはとくなことだな。
もしこれがおっさんで、おれが元いた世界なら通報待ったなしだろうに。
「なにもできないじゃない! こんなのずるいわ!」
「おまえが使えって言いだしたんだよ!?」
完封されたのがよほど悔しかったのか、めちゃくちゃ言いだした。
「なら雷なしでやりましょう!」
「それじゃいつもの試合じゃねえか」
「じゃあどうしたらいいのよ!?」
「こっちが聞きてえよ!」
「にゃあぁぁ――ッ!」
「おおぅ!?」
ミーネが癇癪をおこして襲いかかってきたので、おれは反射的に〈雷花〉で迎撃した。
そしてミーネは拗ねた。
※誤字を修正しました。
ありがとうございます。
2018/12/08
※さらに誤字を修正しました。
ありがとうございます。
2019/01/18
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/03/25
※さらに脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/06/04




