第30話 6歳(春)…お菓子の木
ミーネは三日ほどで訓練にあきて田舎暮らしを満喫し始めた。
魔術の習得は訓練すればむくわれる、といった種類のものではないのでしかたないと言えばしかたないのだが。
魔術の訓練に嫌気がさしたミーネだったが、おれが午前中にやっている訓練や授業には嬉々として参加するようになった。まあ魔術習得の訓練って坐禅みたいなものだったからな、ミーネにはちょっと退屈すぎたのだろう。
ミーネが参加するので、母さんは難しい授業はおこなわず魔術に興味をもつようにと魔導学の逸話などを聞かせる。父さんは丁度いい相手だろうと、もっぱらおれとの練習試合をやらせた。
ミーネは大喜びだったが、おれはげんなりだった。
ミーネと比べて、体力はおれのほうがある。
しかし素早さ、目の良さ、戦いの感覚といったものはすべてミーネがまさる。まともにやれば全敗必至。そこでおれは〈針仕事の向こう側〉を使うことで対処する。おれにとって練習試合はこの能力の訓練をかねたものだった。
しかし試合の回数を重ねていくと、ミーネはおれが〈針仕事の向こう側〉を使ったときの動きに慣れ始めた。おかげで拮抗していた勝敗数が崩れ、おれの負けばかりが目立つようになる。
そもそも〈針仕事の向こう側〉を使ってやっと対等なのだ。おれの瞬間的な動きの変化に慣れられてしまってはもう不意打ちのような効果はみこめない。そしておれのほうは無理矢理に極限の集中状態を作りだす能力が長時間運用できるわけもなく、はじめの何試合かはいい勝負をしてそのあとぐだぐだ、負けまくり、という有様だ。
「んー、ちょっと雷撃使ってみるか?」
負けがこみすぎてきたある日、父さんがふとそんなことを言った。
しかしおれは、ミーネ相手では圧倒しすぎてしまうという理由で使うのをひかえた。
今ミーネは適度に手応えがあり、そして勝ちこせるおれとの試合をとても楽しんでいる様子だった。なのに雷撃を使って手も足もでない――というより、身じろぎする間もあたえず制圧してしまっては……、さらに言うとミーネは魔術を習得できずやきもきしている状態なわけで……、うん、ちょっとどんなことになるか想像もできない。
そんなわけでおれはミーネとの試合では雷撃を使わず、火種くらいにしか使えない能力ということでごまかしていた。
そう、無闇にことを荒立てる必要はないのだ。
ただでさえおれは午後からの自由時間、ミーネのわがままにふりまわされるのだから。
ミーネの要望はその日の気分によってかわる。
森を散策したがったり、オモチャで遊びたがったり、絵本を読んでとせがんだり、絵を描いて見せてと言われたりする。
そして気づいてみれば、ミーネは常にそばにいるようになっていた。
午前中も午後も、そして寝るときまでそばにいやがるのだ。
離れているときといったらそれこそトイレと風呂くらい。
風呂は突撃してこようとするのをなんとか思いとどまらせるのに苦労した。
まあ何回か突破されたが……。
そんなこんなで、おれの安寧がミーネによってひっかきまわされるようになって十日ほどたったころ――
△◆▽
「いや、まだ果実が実るような時期じゃないよ?」
その日、のんびりと昼食をとっているときミーネがジュース用のジャムを作ってお土産に持って帰りたいと考えていることがわかった。
しかしいくらなんでも時期が早い。もうちょい暖かくなった初夏ごろならまあ苺っぽいものとか見かけるようになるが、ジャムに使う果実は基本的には夏から秋のものである。
それを教えてやるとミーネはぽかんとマヌケな顔になった。
なんでもジャムをたくさん作って仲のいいお姉さまに贈りたかったらしい。
そのお姉さまとやらはこの国の第一王子のご息女とのこと。
ようするにお姫さまだ。
うん、こいつとんでもない人物にうちの自家製ジャムを贈るつもりでいやがったな。
「むー、森ですごいおみやげ見つけてくるって約束したのにー」
「じゃあミーネちゃん、お菓子の木とかどうかな?」
「あら、いいんじゃないかしら」
予定が狂ってしょんぼりするミーネを気の毒に思ったのか、父さんが代替案をだす。母さんもそれに同意する。
お菓子の木というのは父さんが森の奥で見つけたリカラという木のことだ。
その木の樹液はほんのりと甘い。煮詰めると蜂蜜のような粘度と甘さ、そしてバニラに近い香りを放つようになる。あちらでいうならメイプルの木のようなものか。メイプルと違うのは葉っぱも花も実もあますことなく料理に使えること、あと木材は燃やすと甘くよい香りがすることだろう。自然のものがとくによい香りをだすため、香木として富裕層に需要がある。父さんがカチコチになっていた落ち枝をもってきてためしに焚いてみたが、確かによい香りがした。豊かで優しい上品な香りだった。栽培もされているらしいが天然物に遠くおよばないらしい。天然物はそれこそ売れば一財産になるような代物らしいから、王族への献上品としてもふさわしい物だろう。
おれと父さんが採ってくるのでミーネはお留守番、となったのだが……
「いやーッ! わたしもいーくーッ!」
もちろんそんなことを聞きわける少女ではなかった。
「じゃあ明日の訓練ということにして、ふたりで行ってくればいい。お弁当を用意して、朝早くからでかければ夕方には帰れるだろ」
父さんがよけいなことを言う。
ミーネをつれて半日森歩きとかきついんだが……。
結局、それからその日は明日の準備をする日ということになった。
いつもは森の奥へとは進まず、家の周囲をぐるっと回るように散策している。だが明日は目的のお菓子の木まで一直線に向かい、回収して帰還するのが目的だ。なにかあったら家にもどればいいというわけにはいかないので、普段と違ってちゃんと準備をしなければならない。
まず大事なお弁当と水筒を準備。それから念のため護身用の装備。おれはナイフ、ミーネは持ってきていた自分用の小振りの剣。小振りとはいえ、派手な装飾はされていない質素で実用的な剣だ。なんでも産まれたときに祖父に贈られ、それからずっと側においている宝物らしい。ほかにロープやら清潔な布やら。ロープは色々と役に立つ。こいつがあればミーネが隠れ泥沼にはまったとき助けてやれるからな!
そんなふうに持っていく物をチェックしていると、ミーネが楽しげに言った。
「なんだか冒険者みたいね!」
「――ん? あー、そういう……」
確かにそのとおりだ。
これが父さんの狙いか。
おれにとってはさらに案内役、随行者としての訓練になる。
しかし訓練はいいんだが、まずは説明くらいしてほしい。初めて森にはいったとき、帰りこそが訓練の本番だったように、父さんはサプライズがすぎる。
おおはしゃぎするミーネと準備を整え終えるころには夕方になっていた。
明日は早朝に出発するので今日は早めに寝ることにしてベッドにもぐりこむ。
ミーネもおれのベッドにもぐりこむ。
「うー、楽しみでなかなか寝つけそうにないわ」
「なんであたりまえのようにおれのベッドで寝ようとしてんの?」
こいつは夜に遊びにきて、眠くなるとそのまま人のベッドを占拠する。最初はおれがこいつの客室にいって寝るようにしていたが、さすがにめんどくさくなってきてそのまま一緒に寝るようになった。べつに六歳児だし、お互い微塵も意識してないんだから問題ないのだが……。
「今夜は自分の部屋で寝ろよ。まだ眠くないんだろ?」
「だってひとりで行っちゃうかもしれないじゃない」
「信用ねぇな、おい」
失敬な奴だ。
確かにそうしたいが、渋々ながらも約束したのだからとりあえず守るわ。
「それにおねぼうするかもしれないわ」
「おまえがな。ほら、明日は早起きなんだから目をつむって眠るようがんばれ」
「うー……」
しぶしぶミーネが黙る。
おれも目をつむり――
「そういえばお菓子の木はどれくらいもってい――」
「寝ろっての!」
結局、おれはプチ遠征が楽しみすぎて寝つけないミーネの話し相手として、いらぬ夜更かしするはめになった。
△◆▽
明けて翌朝――
「だから早く寝るようにしろっつったのに……」
ミーネは叩き起こしたもののまだ眠そうだ。
おれはもう着替えてでかけていく準備ができているのに、ミーネは未だ枕を抱きしめてベッドに鎮座している。目をつむったまま閉ざした口をもにゅもにゅしている。
「なんだ。ダメならそう言え。おれひとりで行くから」
「んー、だめー」
「よし、じゃあ寝てろ。いってくる」
「ちーがーうー、そーじゃなくて、わたしもいくー」
ミーネが枕をのけて、のそのそとベッドからおりる。それからふらふら手探りで部屋をでていこうとする。よく見たらまだ目が閉じたままだ。そんなに眠いのか。
「無理してもよくないし、またべつの日にいってもいいんだぞ?」
「やー、今日いくー」
妙なところで頑固だった。
ほっといたら昼になりそうだったので、おれは手を引いて移動し、顔を洗わせたり髪をといてやったりと世話をやく。そのあと朝食を食べさせてやり、それから部屋で寝間着を着替えさせる。ミーネは世話をされなれているとでも言えばいいか、寝ぼけたような状態でもおれが世話をしやすいよう姿勢をかえる。もしかして自分の屋敷ではいつもこんな感じで世話されてるんじゃなかろうか。
「あー、目がさめてきたわ」
「もう出発するってところでなに言ってんの!?」
準備しておいた荷物をかつぎ、あとは「いってきます」と言うだけになってからミーネがそんなことを言った。
おれはもうすでにちょっと疲れていた。
※誤字の修正をしました。
2017年1月26日
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/18
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/03/05
※さらにさらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/09




