第284話 閑話…北風と太陽
レイヴァース卿が風呂へと向かったあと、ヴュゼアも応接間に戻っていったのでアレサは玄関に一人となった。
「はぁ……」
誰もいないことを確認し、アレサは深々とため息をつく。
気にするなと言われたものの、危うくレイヴァース卿が危害をくわえられそうになった下水路での出来事をアレサは猛省する。
シアがいなければどうなっていただろう?
もちろん、レイヴァース卿が負わされた傷を癒すことが自分には出来る。
例え死に瀕していようと、命を引き替えにしてでも癒してみせる。
しかし話はそういうことではなく、従聖女として側に控えていたというのに咄嗟に動いて身代わりになることが出来ず、おまけに三人にも逃げられるというていたらくが問題なのだ。
大失態だ、とアレサは己を責めていた。
ひとまず尋問をして情報を引き出すことで少しばかりの手助けは出来たものの、あの失態を帳消しに出来たとは思っていない。
けれどレイヴァース卿はつらい仕事をさせたと気遣ってくれる。
確かにあれをやるのはアレサにとってとてつもなく苦しく、つらく、きつい。それを覚悟して聖女になったのだが、それでもやはりつらいものはつらい。
表情には出していなかったはずだが……、レイヴァース卿はそれを理解しているように気遣ってくれる。
善神の祝福を戴くスナーク狩りの英雄――、もう生ける伝説と言っても過言ではない少年は、想像していたよりもずっと気さくで、謙虚で、庶民的で――、そして優しかった。
彼の従聖女となれたことは光栄と思う。
しかし、同時に自分では荷が重いとの気持ちが強くなる。
縁があったとは言え、聖女になりたての、若輩の自分よりも経験豊かな先輩たちの方が彼の従聖女に相応しいと思うのだ。きっとティゼリアであれば、あのような失態を演じることもなかったろうに、と。
「(……、うぅ、先輩が戻ったら相談した方がいいですね……)」
彼の従聖女を辞めたいわけではない。
もし許されるなら続けたいと思う。
しかし自分のような若輩が従聖女であるのを自らが許せない。
しばらく一人で悩んでいると、レイヴァース卿が風呂から上がったことを伝えに来たのでアレサは浴場へと向かう。
「あ、すいません。ちょっと、ちょっとだけお待ちください。いまアーちゃんが中を整えてますので、ちょっとだけ」
浴場前にいたリオにそう言われ、大人しくアレサは待っていたのだが、ふと見やった先に体に巻きつけられた紐を引きずりながらちょこちょこ歩く小グマのアークを見つけた。
確か「洗濯したので外に干す」とレイヴァース卿が言っていた。
どうやら干されているのが気にくわなくて、逃げだしたらしい。
「リオさん、少し外しますね」
リオにそう言い、アレサはアークを追う。
追われることに気づいたアークは、また干されてはたまらないというように足早に逃げていく。
追いかけっこは一階から二階へ。
そしてアークはミーネの部屋のドアを少し開き、滑り込んでいった。
勝手に入るのはまずいとアレサが足を止めたとき――
「……ちょっと、アレサが恐くなっちゃって……」
「あー……」
ミーネとレイヴァース卿の声が聞こえた。
「…………」
小さく、小さく息を吐く。
慣れている。
大丈夫。
あんな光景を見せればミーネくらいの少女なら怯えて当然だ。
レイヴァース卿はミーネをあの場に立ち会わせないようにしようとしていたが、アレサは敢えてそれを勧めるようなことはしなかった。
聖女とはどういうものか。
レイヴァース卿の従聖女となった以上、こういう場に遭遇することはこれからもあるとアレサは考えたからであった。
ミーネに嫌われることを恐れ、聖女の務めを恥じるべきこと、隠すべきことのように振る舞うのは先人への侮辱になる。
だからこそ見せた。
その判断は間違いではないとアレサは思っている。
例えこれからミーネに避けられることになろうと。
だが、ミーネは完全に拒絶するようなことはなかった。
怯えはしているが、それでもまだ冷静に整理しようとしてくれている。
アレサにとってはそれで充分であった。
しばらくは避けられるかもしれないが、いずれ無闇にあのような仕置きをすることはないとわかってくれるはず。
そう思って立ち去ろうとしたとき――
「ミーネは人から恐がられたいと思う?」
レイヴァース卿がミーネに問いかけた言葉に足が止まる。
そしてアレサはそのまま彼とミーネの会話を聞くことになった。
盗み聞きしようと思っての行動ではなく、立ち去ることが出来なくなっていた。
アレサは茫然としたまま話を聞き、気づけば涙をこぼしていた。
ぼろぼろと止めどなく溢れてくる涙に驚く。
泣いている自分に気づいたとき、思わず嗚咽がもれそうになりアレサは手で口を押さえた。
だがすぐにこれでは間に合わないことに気づき、すぐにその場から離れる。
まだ、まだ、と必死に意識を冷静に保とうとする。
ふと気を抜いた瞬間に足の力がぬけてしゃがみ込み、そのまま泣き崩れてしまう予感があった。いや、もうすでに力が入らなくなり、足取りも怪しくなっている。
どこか、誰もいない場所に、とアレサは一人玄関をくぐり、そのすぐ脇にしゃがみ込む。
ここが限界だった。
涙は未だ止まらず、懸命に両手で口を抑える。
手をのければ叫ぶように嗚咽がこぼれるとわかりきっていた。
と、そのとき――
「あらアレサ、こんなところでどうしたの?」
帰還したティゼリアに見つかった。
歩み寄ってきたティゼリアは、間近に来てようやくアレサが一人うずくまって泣いていることに気づき、愕然とする。
「ちょ!? ど、どしたの!? え? なに? もしかして出てけとか言われちゃった!?」
ティゼリアにいらぬ誤解をさせてしまったため、アレサは口を押さえたまま首を振って否定する。
「え、じゃあどうしたのよ。ああもう、ほら、立てる? ちょっと移動するわよ?」
困り果てたティゼリアに肩を抱かれながらアレサは敷地の外へと連れていかれた。
△◆▽
『エイリシェに向かえ――』
そう頭の中に届いた声が何であるか、ティゼリアはすぐに理解することが出来なかったが、やがてそれが善神の神託であると思い至ったとき大いに驚き、そして困惑した。
聖都の大神官には希に下ると聞いていたが、まさか自分にもそのようなことが起きるとはこれまで想像もしていなかったからである。
それからティゼリアは聖女のなかで自分が選ばれた意味を考えた。
やはり、彼に関わっているからだろうと考えたが、であれば何故アレサが側に控えているにもかかわらず自分なのか――。
アレサでは対処しきれない事態が起きているのでは、と思い至ったティゼリアはそれから大急ぎでザナーサリー王都エイリシェ、レイヴァース家へと向かったのだが、そこで屋敷の外にうずくまっているアレサを見つけた。
アレサは声を殺して泣いており、ちょっと受け答えの難しい状態であったため、ひとまず人目につかない場所へと連れていく。
するとアレサはそこで限界を迎えたようでわんわん泣いた。
しがみつかれたティゼリアはそれはそれはびっくりしてもうなすがまま、ともかく落ち着くのを待った。
それからティゼリアはひとしきり泣いて落ち着いたアレサから何があったのかを聞き――、そして夜空を仰ぐことになった。
「(えぇー……)」
ひとまず安堵はした。
この子が泣くほどの仕打ちを受けたわけではなく――、いや、別の意味ではまったくその通りなのだが、ともかく安堵した。
しかし――、困った。
いずれはそうなると期待された人選であったが、まさかひと月足らずで落とされるとまでは想定していなかったのだ。
別に聖女は婚姻を禁止されているわけではない。
恋愛も自由である。
ただちょっと展開が早すぎる。
「(私もあと五歳くらい若かったらなー……、欲を言えば十歳くらい若かったら!)」
ティゼリアは思ったが、あまりに詮無く虚しすぎる。
ともかく今はアレサだ。
先輩としては応援したい。
しかし……、どうなのか?
すでにシアとミーネという強敵が、さらにメイドたちのなかにもいる。サリスあたりがそれっぽい。きっとまだ他にもいるのだろう。
それに今のアレサはちょっと一方的すぎる状態だ。
彼からすれば急に側に置くことになった聖女で、そこに特別な感情はない。にもかかわらず、アレサは彼が抱いている敬意からの言葉を聞いてころっといってしまった。ミーネを諭すための話が、アレサをすっかり射止めてしまうなど彼とて想定外、知ったところで戸惑うばかりだろう。
まあアレサ自身もまだよくわかっていない。
頑張ってお仕えする、くらいに落ち着いている。
あとは時間を掛けて仲良くなってくれ、という話か。
日頃の行いが良い自分にも、誰かいい人が現れないだろうか、とティゼリアは思った。
※文章の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/30
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/31
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/02
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/18




