第28話 6歳(春)…ミーネのいる生活
その日はまずミーネにレイヴァース家の暮らしがどういう感じなのかを説明することに時間をさいた。
おれが。
「あはははー」
「おいこらニワトリ追いまわすな! 怯えてんだろうが!」
見知らぬ人間に追いまわされ、ニワトリたちが右往左往と逃げまわる。
それを笑いながら追っかけまわすミーネ。
そしてミーネを追ってってとっ捕まえるおれ。
「ああ、いっちゃった……、どうするの? 迷子になっちゃわないの?」
「そっとしておけば帰ってくる。というか、庭を案内しただけでどうして追いかけっこが始まるんだまったく」
我が家にいる動物は馬とニワトリたちくらいだ。
馬は見慣れているのか興味を示さなかったが、足もとをちょこまか走り回るニワトリたちには狩猟本能でも刺激されるのか気になって仕方ないらしい。
「ほれ、次いくぞ」
とおれはミーネの手を掴み、ニワトリたちが逃げ去った方向を名残惜しそうに見ているミーネを引っぱってその場を離れる。
うっかり目を離すと興味のわいたものへすっとんでいくので、そこからはそのまま手をひっぱりながら案内することにした。
起床や就寝の時間、うちの家族が普段どんな感じで暮らしているかなどを話しながら歩く。母さんは魔導学の本を読んだり家庭菜園をいじったり、父さんは森へいって動物を狩ってきたり、野草や果実を採取してきたりする。
「お昼までがべんきょうのじかんなのね」
両親による一日交替の訓練と授業でどんなことをやっているかを聞かせる。
父さんはおれを森へ置き去りにし、母さんは魔導学の知識をどっさりとつめこんでくる、そんな感じのことを。
「ひとやすみ? あ、じゃあわたしあの甘いのがのみたいわ」
ひと休みしようかと提案すると、ミーネは昨日のジュースを所望してきた。
ダイニングルームに移動して、ジャムの残量を憂いながらも用意してやると、ミーネはちびちびと舐めるように飲みながらほっこりした顔になる。春になったとはいえ、森のなかはずっと日陰で空気がひんやりしている。そのため我が家の朝晩はまだ肌寒いくらいなのだ。
「森のなかのうちってきいてたけど、ふつうのおやしきなのね」
「ふぅん、ここは普通か……」
伯爵家にも貧富の差はあるだろうが、屈託なく物を欲しがれる、というミーネの自由奔放な育ち方からしてクェルアーク家が貧しいとは思えない。そのミーネが普通と言うなら、この屋敷はそれなりのものと考えていいのではないだろうか。
「クェルアークの屋敷はどんな感じなんだ?」
「んー、どんなかんじって?」
「大きいとか、小さいとか、立派とか」
「うんとね、王都のおやしきはここよりもうちょっと大きくて、それでりっぱよ。りょうちにあるのはもっと大きくてりっぱよ」
領地と王都にそれぞれ屋敷……、元の世界でいうところの領主館と町屋敷か。貴族として領地をおさめるために住む領主館、議会やら舞踏会やらで王都で生活するときに滞在する町屋敷。このあたりはシャロ様の影響ではなく、もともとそういう形態だったのだろう。
「それでね、いつもはおにいさまとおじいさまは王都にすんでいるの。お父さまはふたつをいったりきたりして、わたしもお父さまについていったりもどったりするわ」
せわしない話だ。
おれはせっかくなのでミーネから王都がどんなところか情報をえようとしたが――
「ごちゃごちゃしてるわ。うちがたくさんなの。まんなかに王さまのお城があって、貴族のすむところがあって、そこからいろいろよ」
詳細な情報は無理っぽかった。
「うちから出ちゃいけません、っていつもいわれるの。でかけるときは、おじいさまかおにいさまといっしょじゃないとダメだって。わたしはもうそんなに子供じゃないのに」
ぷくーと膨れる六歳児。
うん、保護者必須の子供です。
まあ幼いのは別としても、ミーネは貴族のお嬢さんだし、見た目はとても可愛らしいからな、気をつけるにこしたことはないだろう。
「だけどここなら自由にでかけてもいいわよね!」
「よくねえよ!」
思わず素でつっこんでしまった。
いかんな、ミーネと話しているとただでさえあやしい六歳児の演技がさらにあやしくなる。
「なんでー?」
「なんでって。家のまわりくらいならいいけど、森は危ないんだよ」
「魔物がでるの?」
なんでわくわくした顔になってんだ。
「魔物はいるみたいだけど、まだ見たことはないな。でも危ないってのは魔物じゃなくて、森そのものがってことだよ。森にはいるとすぐどこにいるかわからなくなって迷子になっちゃうんだ。ここは管理された森じゃなくて、誰もなにもしてないそのままの森だからよけいに」
地面かと思った?
残念! 落ち葉のたまった泥沼でしたーッ!
これにはマジで青ざめた。
ずぽん、と胸まではまって、そこからあわてて体の向きをかえてもどろうとしても、その動きでよけい沈む。両手のとどく範囲に力をかけられる場所がなく、泥が柔らかすぎて抜けだそうとする動作すべてを無効にしやがる。
父さんは大笑いしてたけど、ひとりだったらマジで人生リスタートだった。
「とにかく森にいきたいなら父さんについてってもらうように」
「あなたじゃダメなの?」
「おれじゃ頼りにはならないよ」
「でも森におきざりにされてもかえってこられるんでしょう?」
「……おおぅ」
そういえば父さんの訓練内容を話したばかりだった。
「ま、まあ、家のまわりくらいは……」
「じゃあまずはそこからね! お昼のあとにいきましょう!」
ミーネはすっかりその気になっている。
ああ、父さんはとめてくれるだろうか。
とめないだろうなぁ……、こっそり追跡して生暖かい目で見守ってはくれるだろうが。
「少しだけな」
「うん!」
にこにこしながら、床にとどかない足をぷらんぷらん揺らす。
ご機嫌ですね。
おれもこれからのことを想像して精神がゴキゲンにけずれていってますよ。
しかしこのお嬢さま物怖じしないな。
これくらいの歳でそれまで会ったこともなかった他人の家に居候なんてことになったら、普通は不安や緊張でカチコチになりそうなものなのに。好奇心が強いからか?
「ねえねえ」
「あん?」
「そういえば、あなたって名前はなんていうの?」
「……くっ」
なんだか不意打ちを喰らわされた。
こいつおれの名前を呼ばないんじゃなくて、知らなかったのか。そういえば自己紹介のとき名前を尋ねたのは弟のクロアだけだったな。
「知らなくていい」
「……え? なんでー?」
「おれの名前なんて気にしなくていいんだ」
「えー、じゃあなんて呼べばいいの?」
「おい、とか、おまえ、とか、ねえねえ、とか呼びかければいい」
「えー、それじゃあ……」
なぜかミーネがしょんぼりだ。
が、あきらめてはいない。
「……おしえてくれないの?」
デフォルトが天真爛漫なせいか、ちょっとしょげただけなのにこっちがすごく意地悪いことをしたような気分になる。
だが言いたくない。
だっておれの名前はセクロスだ。
誰にわかるものか。
幼女にセクロスと名乗らなければならない苦悩がいったい誰に。
そして言ったが最後、こいつはセクロスを連呼する。
性格はちょっとあれなのだが、見目麗しい少女にセクロスと連呼されるような事態におれはどう対処したらいい? ともすればおれのなかの禁断の扉が開き、新世界がお目見えしてしまうかもしれない。そんなことになったら一大事。自分さがしの旅が終わる。
ここは心を鬼にしてでも――
「あらどうしたの?」
と、そこにひょっこり母さんがあらわれる。
「まだ名前をきいてなかったから、おしえてもらおうとしたの。でもおしえてくれないの」
「あらあら」
ミーネから事情をきいた母さんはすぐに状況を理解する。
そっとミーネの耳元でごにょごにょとなにかを囁く。
「じぶんの名前がきらいなの? いい名前だとおもうけど……」
他人からすればいい名前だろうと、自分が気に入らなければなんの意味もない。逆に他人からしたら妙な名前であろうと、自分が気に入っていればそれでいいのだ。
「なんでかしらねぇ。まあ、仲良くするなら名前は呼ばずにおいたほうがいいわね」
「んー……? うん、わかったわ」
釈然としない顔ではあったが、ミーネはひとまず納得したようにうなずいた。
「授業は明日からだけど、ちょっと魔術や魔法について簡単にはなしておきましょうか」
それから母さんはお昼までの時間でミーネに短い講義をした。
ミーネは魔法を使いたいようで、わりとしっかり話を聞いていた。
まあ、ミーネがレイヴァース家にあずけられたのは魔法が使えるよう訓練してもらうためだし、これで興味なさそうだったら「本当になにしにきたおまえ」状態である。
講義の内容は三歳のころに聞かされた話だ。
この世界には魔素があるから魔術があり、そしてその魔術から魔法ができた。
おれの理解では魔素がPC、広義の魔術がOS、魔法がアプリとなっている。
話のあと昼食をとり、ひと休みしたあとおれはミーネを森へとつれていった。
野生にかえったミーネは大いに喜んだ。
おもいっきりはしゃいで疲れたか、その日はおとなしく就寝した。
おれのベッドで。
今日はどうだった、明日はこうしたい、と人のベッドに転がって好き勝手喋りまくっていたが、ふと黙ったと思ったら寝ていたのだ。
しかたないので、おれはミーネのために用意された部屋へいって寝ることにする。
そういえば昨日は試合しようとか言っていたが……、こいつ本当にその時の気分だけなんだな。
※誤字の修正をしました。
2017年1月26日
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/04/09




