第275話 12歳(秋)…不穏な午前
『まったく、大変なことをしでかしてくれたな』
到着したミトス・ネーネロの第一声はそれであった。
『あの服は先祖伝来、我がネーネロ家の宝。多少の破損であればそれもいたしかないと納得するところだが、消失だと?』
ミトスはドスをきかせるような声で言う。
コルフィーとガーファスはひたすら謝罪を続ける。
『消失してしまったものはもうどうにもならん。だがこの損害を償ってもらうぞ』
そして提示された金額は莫大なもの。
おれはヴュゼアに尋ねる。
「払えるものなのか?」
「ダスクローニ家では無理だろう。まだ前当主――コルフィーの父が生きていれば各方面から借り入れることも不可能ではなかったかもしれないが……、まあどちらにしても借金になることは変わらんか」
この返済のためにコルフィーは今以上に働かされることになるのだろうか?
おれは話し合いに耳を傾ける。
『そしてこの溜飲を下げるためにも、今回の事態を引き起こしたその娘には奴隷にでもなってもらおうか。まあ、ヴィルクを消失させるような者が高く売れるとは思えないが、それでも天才と呼ばれた魔装職人、欲しい者は多いだろう。そうだな、明後日に迫った生誕祭の初日にオークションが開催される。そこで競りを――』
一瞬、意識が飛んだような錯覚を覚えた。
次の瞬間、ガッ、とヴュゼアに肩を掴まれていた。
「何をするつもりだ?」
「要はおれが立て替えればすむんだろ? 金でも生地でもくれてやればいいんだろ?」
おれがそう言うと、ヴュゼアは深々とため息をつく。
「いいか。落ち着いて聞け。レイヴァース家の当主が、英雄が、ダスクローニ家を助けてしまう意味を考えろ。あの子を助けるために、つまらん家を調子づかせるようなことはよすんだ」
「窮地に陥った女の子一人助けられない奴が英雄か? だったら英雄なんて願い下げだ。そもそもガラじゃねえんだよ」
「英雄は周りから認められてなるもの、本人の意志は関係ない。たとえ英雄を放棄しようにもまわりが認めないなら英雄のままだ」
「じゃあどうしろっていうんだ」
ついカッとなってヴュゼアの胸ぐらを掴む。
すると、不思議なことにヴュゼアはきょとんとしたあと、不意に微笑んだ。
それは少し嬉しそうな笑みで、突然のことにおれは我に返る。
「あ、いや、お前を笑ったんじゃないんだ。ちょっと思い出してな」
「思い出して?」
「少し前のことだよ。最初はとにかく気にくわない奴だったが、そのうち凄い奴だと認めざるをえなくなった。そして遠征訓練で、そんなお前でも手に余り必死になることが起きうることを知った。あのとき、俺は何も出来なかった。だが――、今は違う」
そしてヴュゼアはまた笑う。
今度はずいぶんと悪そうな笑みだ。
「助言くらいは出来るようになった。いいか、お前がダスクローニ家を助けてしまうのは問題だが、奴隷になったコルフィーを買い取る分にはなんの問題もないんだ。むしろ、あの家とコルフィーの縁を絶ちきれるんだから、お前にとっては好都合じゃないか?」
「……そういう考え方も……、あるか」
言われてやっとそれに気づく。
奴隷という言葉に悪いイメージしか持っていなかったので、つい過剰反応してしまったようだ。
コルフィーはダスクローニ家に居てもつらい境遇なだけ。
一旦奴隷にはなってしまうが、おれが引き取るなら後で解放してやれる。
「そうですね、奴隷であってもお母さまに相談すればいいですからね」
「……ん? あー、ああ」
シアの言葉におれは生返事を返す。
たぶん隷紋の解除についての話なのだろうが、そもそも買い取ったら奴隷商ですぐに解除してもらうのであまり意味のない話だ。
しかし奴隷法の守護者たる聖女がいる前で、母さんが隷紋を強制解除できてしまう話を説明するのはちょっと問題があり言葉を濁した。
「おれが引き取るならコルフィーもほっとするだろうが、それでも仕事をしくじったのはつらいだろうな。あの失敗が誰かの仕組んだことならそれを暴いて無実を証明してやりたいが……」
「それもまたダスクローニを助けることになるが、まあ買い取ったコルフィーのためならばまた印象も違う。探ると言うなら俺も協力しよう。レイヴァースを助けてのウィストークだしな」
こいつ……、まったく頼もしいことを言いやがる。
「じゃあコルフィーはおれが買い取るとして、それからのことをちょっと考えておきたい。まず今回の事が仕組まれた事故だった場合、誰がそれをやったかってことだ。たぶん、細工についてはおれたちがあれこれと考えるより、ベリア学園長に任せた方がいい」
なにしろ考察のために自分の手のひらにナイフぶっ刺させたような、ちょい狂人だ。
きっと――……、ん?
いや、おかしい。
なんか妙だ。
仕事となるとやや神経質になるコルフィーが――、あの『目』を持つコルフィーが、そんな細工を見逃すものか?
説明できる状況は簡単に二つ。
その1、コルフィーがうっかり見逃した。
その2、コルフィーにも見つけられない細工だった。
その1については考えようもなく、考えても仕方ないので無視。
ではその2の場合は?
そんなことが出来るのか?
たまたまコルフィーにも見つけられないような細工だった、なんてことがありえるのか?
おれは閃いた疑問について考え始めていたが、それを知る訳もないヴュゼアは『誰が仕組んだか』という問題について意見を述べる。
「誰がやったかとなると……、そうだな。普通ならそこはダスクローニ家を陥れたい者となるだろう。多額の借金を負わせ、将来を期待された職人を手放すことになる」
「となると……、ほかの魔装関係の人ですかね?」
シアが尋ねると、ヴュゼアは首を捻った。
「魔装の世界はそう競争があるわけでもない。同業者の陰謀というのは唐突すぎる。ダスクローニ家と衝突しているところがあるという話もない。そもそもダスクローニ家に恨みを持つ者というのがいまいち絞れない」
するとそこでお菓子をむさぼっていたミーネが言う。
「コルフィーのお兄さんは恨んでるんじゃない? 自分を差し置いてコルフィーを当主にしようとしてたんでしょ?」
「自分が当主に選ばれないなら、家ごと潰れてしまえと? いくらなんでもそこまで自暴自棄ではないだろう」
「む……、そっか。コルフィーのお兄さんなら学園にいるし、細工もできるんじゃないかと思ったんだけど……」
「でもミーネさん、着眼点はいいと思いますよ。細工するならここに侵入しなければならないわけですし、そこから絞り込みもできます」
金銀とヴュゼアは話し合うが、何故だろう、それを聞いているとどんどん不穏なものを感じるようになるのは。
事態はもっと深刻なのではないかと、胸騒ぎを覚えるのは。
「レイヴァース卿、どうしました?」
おれの様子がおかしいと気づいたのか、アレサが尋ねてくる。
「ちょっと気になるんですよ。なにか……、おかしい」
違和感がある。
なのにそれが何なのか、頭の中でなかなか像を結ばない。
気づけば話をしていた金銀とヴュゼアもおれを見ている。
「あ、いや、何がとは言えないんだが――」
と、それでも頭の中で整理しながらおれは言う。
「まず細工があったんじゃないかって話は、ベリア学園長が事故現場を不審がっていたところからだ。それでつい今しがた思い出したんだが、コルフィーはちょっと特別で、そういった異変に敏感なんだよ」
あ、と金銀が声をあげる。
アレサとヴュゼアはなんのことかわからない顔。
二人になら話してもいいかな……?
「それでな、そんな細工ができるもんなのかと思ったんだ。そこがちょっとひっかかって……、まあ単純に失敗だった、事故だった、って可能性もあるから、考えても仕方ないんだが、なんだろう、どうもこれがひっかかるんだよ」
「ねえねえ、じゃああのネロネロって人に話してみたら? もしなんか陰謀があったら、利用されたってことになるでしょ? そうなれば犯人捜しに協力してくれるんじゃない?」
「あー、そうか、ついムカッとしたが、辺境伯にしてみたらそのせいで家宝が吹っ飛んだわけだからな」
細工をするなら辺境伯がダスクローニに依頼をするという情報を事前に得ていなければならないわけで、それを知ることの出来る関係者を洗い出して――
「ん?」
あれ、なんかこれもおかしい。
「ご主人さま、どうしました?」
「なあ、コルフィーが依頼を受けたのを聞いたのはつい数日前で、その期間でダスクローニ家を陥れる計画を練り、コルフィーに見破れないような細工を考案し、ここに忍び込んで設置――、って、これどう思う?」
「すごく有能ですね」
「有能だよな。んなこと出来るかよ、ってくらいに」
「ふぇ? どういうこと?」
おれが何を言いたいのかわからずミーネは首をかしげたが、ヴュゼアはすぐに理解したようで困惑しながら言う。
「おいちょっと待て……、お前まさか、ネーネロ辺境伯もその企みとやらに関わっているって言いたいのか? ヴィルクを失ってまでダスクローニ家を潰したいって?」
「ちょっと違うな。ダスクローニ家も関わってる可能性もある」
「はあ?」
ますますヴュゼアが困惑する。
まあそれも仕方ない。
おれだってこの思いつきがただ陰謀論に毒されただけであってほしいと思うくらいだ。
だが、もしこの妄想が正鵠を射ていた場合、事態は急を要する。
「狙いはコルフィーかもしれない」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/02/03
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/01/31




