第266話 閑話…悩める少女と深夜の変人
魔導学園の学生寮、その前には小さな公園がある。
あまり利用されることのない公園であり、夜ともなれば人気など完全になくなってしまう。
しかしその夜は四方に配置されたベンチの一つに腰掛け、ぼんやりと夜空を見あげる少女が一人いた。
コルフィー・ダスクローニ。
魔装の天才と将来を有望視される少女である。
そんなコルフィーは夜空を仰ぎはしていたものの、星を探すでもなく、心ここにあらず――、ただただ放心しているばかりだった。
つい昨日までの幸せな時間を想い、ため息をつく。
まるで夢の国に居るような時間を過ごせる場所があった。
けれど、夢は醒め、魔法はとけた。
レイヴァース卿が学園に来ることは事前に知っていたので、その期間中はなるべく部屋に籠もっていようとしたが、授業をサボっていることが兄にばれて部屋から引っぱりだされた。
それだけならまだよかったのだが、ちょうど兄といるところをレイヴァース卿に目撃されてしまった。
これが決定的だった。
その瞬間、色々なものが台無しになってしまい、取り繕うことも出来なくなってしまったとコルフィーは思った。
どうしてこんなことになってしまったのかとコルフィーは考える。
だが思いつく原因はいつもと同じ――自分の弱さだ。
顔も知らない父の家などには行くべきではなかった。
一人でも、母から教わった技術で食べていくことくらい出来たのに。
しかし母を失い、茫然とするだけだった自分は、唐突に知らされた親族――ダスクローニ家にすがってしまった。
今では魔装の天才などと持て囃されはしているが、実際はそこまですぐれた才能や技術を持っているわけではない。
長年の経験と勘によってようやく達成できることを、この『目』があるおかげで出来てるだけ。
言ってしまえばズルのようなもの。
しかし魔装を欲しがる者にとっては関係なく、ダスクローニ家としては出来るならばやれという方針で、学生であろうと依頼を持ちこまれる。
兄はそれが気にくわない。
元々こころよく思っていなかった兄は、立場が危うくなったのでますます攻撃してくるようになった。
だが兄はそもそも技術が足りていないので、その恨みもお門違いな話なのだ。
技術が足りないだけならまだしも熱意もない。
同じように技術が足りないものの、作ると決めたものにあまりに熱意を注ぎ込みすぎて装衣の神までやってくる事態になるようなレイヴァース卿とは違う。
「あんな人が兄さんだったらよかったのに……」
コルフィーがぽつりと呟いた、そんな時だった。
視線をふと夜空から地上へと戻すと、申し訳程度に灯る街灯の向こう、薄暗い闇に誰かがいることに気づく。
その人物はフード付きのローブを纏い、見るからに怪しい佇まい。
そんな人物がこちらへやって来る。
ここは警戒すべきなのだが……、コルフィーは困惑のあまりただ唖然とするしかなかった。
なにしろその人物は後ろ向きでやってくる。
いや、それだけならまだいい。
問題はローブの裾からちらちらと覗く足は前へと進むように動いていること。その人物は前に向かって歩いているのに、まるで滑るように背を向けたまま、こちらへするすると近づいてくるのである。
「(な、なに……? なにあれ……?)」
新手の魔法か?
いやしかし、魔法が使われている気配はまったく感じない。
コルフィーが困惑している間にもその人物は近づき、とうとう目の前にまでやってきた。
するとだ、その人物、今度はくるるんと軽やかに回転を始め、そしてコルフィーと向かい合うようにピタリとその動きを止めた。
回った勢いで被っていたフードがとれる。
しかし露わになったその顔は仮面によって覆われていた。
荒々しい獣の――、いや、これはオークか?
「ポウ!」
オークの仮面を被った少年が声をあげた。
「(変態だ!)」
コルフィーは恐れた。
そして直ちにその『目』でもって正体を明らかにしようとする。
おそらくはこの学園の生徒であろう。
仮面を被ろうと、ローブを纏おうと、その背丈からして自分とそう違わない年齢の少年であることはわかる。
きっと実力を求められ続ける学園の生活に、その精神が限界を迎えてしまった生徒なのだろう。
これまでにもそういう生徒は少なからずいた。
ちょっとおかしくなってしまうだけならば気の毒に思うだけなのだが、他人を巻きこんでの騒動を起こす者もたまにいる。
おそらく彼はそのタイプだ。
すぐに誰かを見破り、教員か警備員に伝え――
〈オーク仮面〉
【解説】オークの仮面を被りし者。
はたしてそれが誰なのか、それは誰にもわからない。
「(な・に・こ・れ!?)」
自分の『目』が壊れたのかとコルフィーは思った。
だがすぐにそうではないと気づく。
一応は鑑定されているのだ。
なのにそれがまったく役に立たないとくる。
おそらく……、あの仮面が魔道具なのだろう。
この変人はよほど正体を知られたくない者らしい。
何と言うことか。
彼はおかしくなった生徒ではなく、正真正銘、学園に紛れ込んできた変質者だったのだ。
コルフィーが恐れおののき始めたとき、彼――オーク仮面が口を開いた。
「こんな夜更けに、どうしたんだいお嬢さん?」
いやお前がどうした――、コルフィーはそう言いかけたが、すんでのところで堪えた。
「おっと、警戒しているのかな? 大丈夫、怪しい者ではないよ」
「(嘘つけ!)」
ああ、そう言えたら!
言えたらすごくすっきりするだろうに!
「我はオーク仮面。ここで出会ったのも何かの縁、さあ、君にはこのオークの串焼きをあげよう」
そうオーク仮面は自分の腰に手を回すと、ひょいっとオーク串をコルフィーに差しだした。
「おいしいおいしいオーク串だよ」
「(オーク仮面なのにオークのお肉をだしてきた!)」
いや、それはまあいいとして、そのオーク串は一体どこから出してきた?
ズボンにでも差していたのか?
いやいや、そんなものは食べられない!
コルフィーが警戒――、いや、もう出会い頭から警戒しっぱなしだったのだが、口に入れる物となればなおさら警戒しないといけない。
「おや? オーク串は嫌いかな? 仕方ない。では我が頂こう」
「(オーク仮面なのにオークの肉を食べちゃうんだ!)」
困惑の連鎖に固まるコルフィーをよそに、オーク仮面はオーク串をあむあむと食べ始めた。
「うん、おいしい!」
「……」
そうか、美味しかったのか、とコルフィーは思う。
今日は昼食を食べ損ねた。さらにはレイヴァース卿に素性がバレたことがショックで部屋に閉じこもっていたので夕食もとっていない。
お腹は――、すいていた。
本当に食べてよいものだったら、食べたかった……!
そう思ったとき、きゅるぅ、とコルフィーのお腹が鳴った。
「……ッ!」
慌ててお腹を押さえたが、ばっちり聞こえてしまっただろう。
「お腹をすかせているのかい? ふふ、遠慮なんてしなくてもいいんだよ? なにしろ我はオーク仮面。オーク串なら――」
と、オーク仮面はまだ腰に手をやる。
まだオーク串を出してくれるのだろうか?
確かに食べたい気持ちはあるのだが、そのどこから出しているかよくわからないものは食べる気にはならない。
が――
「ほら、こんなに」
と差しだされたのは皿。
オーク串が並べられた皿だった。
「……は?」
どこから出した?
手品?
でも手品にしては無理がある。
魔法? 魔術?
いや、それよりも――、こんなことを可能とする道具があることをコルフィーは知っている。
シャーロットが残した魔導袋。
ただそれもすごく貴重な品で、と考えたとき――
「……ッ!?」
コルフィーの脳裏に思い浮かんだのはシャーロットに縁深い少年。
まさかと思ったが、一旦そう気づいてしまえば、もう変装など意味をなさない。
「…………」
コルフィーは唖然とオーク仮面――レイヴァース卿を見つめる。
仮面でその表情はわからないが、きっと優しく微笑んでいるような気がした。
なんて奇特な人なのだろう、本当に、本当に。
この人はベルガミアでスナークの群れを討滅した英雄、正真正銘の生ける伝説である。そんな人がまだ出会って間もない自分のために、こんな変な仮面をつけてまでわざわざ来てくれたのだ。
……いや、本当になんでこんな仮面をつけて来たんだろう?
急に冷静になってきて、コルフィーは静かに考えた。
昼間の態度から自分だと話を聞いてくれないと考え、それで変装してやってきたというところなのだろうか?
それで素性を偽装する魔道具を?
さすがはレイヴァース家、そんな魔道具まで持っているとは。
「(でも結局バレちゃってるし……)」
まあそんなところも、なんだかレイヴァース卿っぽい話だった。
彼はバレてないと思っているなら、せっかくだ、こちらは見破っていないという態度でいた方がいいだろう。
それになんだか、今はその方が話しやすい。
「じゃあ……、もらいます」
そっと皿のオーク串に手を伸ばし、一本もらって口に運ぶ。
オーク串はまだ温かく、そして美味しい。
思わずぺろりと食べてしまい、オーク仮面に笑われる。
「かまわないよ。好きなだけ食べなさい」
勧められるので、ついつい五本も食べてしまった。
人心地ついたのを見て取ったのか、オーク仮面は言う。
「落ち着いたようだね。では改めて尋ねよう。お嬢さん、こんな夜更けにどうしたんだい?」
どうしよう、とコルフィーは迷う。
この人に素性がバレたことを落ち込んでいるのに、それを本人に相談するなんておかしな話だ。
でも、彼は気づかれていないと思っている。
自分は気づいていないことにしている。
そして今ここで言うなら、それは彼にそのまま伝わる……。
コルフィーは意を決し、これまでのことを話すことにした。
母親との二人暮らし。
母親が病に倒れ帰らぬ人となった後、自分が貴族の庶子であることがわかり、その家に引き取られたこと。
しかし義理の母となった人、そして腹違いの兄にとても疎まれていること。
裁縫は好きだが、依頼されての魔装は楽しくない。
とても高い素材を使う仕事は精神的な負担でしかないのだ。
それにこの素材の一つ、この一部のお金でもあれば、母を医者に診せることができたのに――。
鬱屈するなか、ストレス解消に普通の服を作る。
そんななか、見かけたミーネの服がとても素敵だったので自分なりに作ってみたくなった。
そしたらそれがきっかけで、レイヴァース卿に拾われた。
とても幸せな時間を過ごせるように。
ただの針子として、作りたいものを作れる時間。
自分のことをまったく知らない人たちのところで、自分のことを認めてくれる人たちのところで、ただのコルフィーとして仕事をするのはとても楽しかった。
だが、正体を知られたことでこの幸せな時間が終わってしまったと思った。
幸せというものは終わるもの。
初めはぽつりぽつりと話していたが、いつの間にか言葉は溢れ、コルフィーは八つ当たりのように勢いよく喋った。
オーク仮面はそれを静かに聞き終え、やがて口を開く。
「自分のことを認めてくれた人に対し、優秀な自分を見せておきたい、そうありたい、という心の働きがある」
オーク仮面は優しい声で言う。
「しかし、それは同時に弱い自分、劣った自分を見せたくないという心の働きにもなりうる。君は引き取られた家で過ごす自分――、抗えずにいる自分を見せたくなかったのではないかな? 知られたくなかったし、自分でも再確認するようなことにはなりたくなかった」
それはまさにその通りで、コルフィーは静かに頷く。
「彼のところで君の自尊心は回復しつつあった。けれど素性がバレてしまったことで、君はとどめを刺されたように感じてしまったんではないかな? そして、彼にいらぬ心配をかけたくないとも思ったんじゃないかな?」
そうなのかもしれない。
こうもあっさりとこんがらがっていた心の内を解きほぐしてくれるとは……、この人は本当に凄い人なのだとコルフィーは思う。
「私はその彼のことは知らないが、君の話す感じからしてそう悪い者ではないと思う。彼は君のことを知るだろうが、それで君と距離を置くような器の小さい少年ではないのではないかな。もしかしたら逆に何か力になれることはないかと考えているかもしれないぞ?」
まさにその通り。
いや、考えるどころかもうこうして来てしまっている。
それでもって自分で自分のことを言っているのは滑稽ではあるが、今はその優しさしか感じない。
「彼と話してみるといい。きっと受けいれてくれるだろう。だがもし彼が君を拒絶するようなことがあれば、我が出向いてこの拳を喰らわせてやろう。良い子にはオーク串を、そして悪い子には拳を。それがこの我、オーク仮面の使命なのだから」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/29
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/09/21




