第252話 閑話…精霊王の服
貴族街の外れにあるレイヴァース家の屋敷。
その正面玄関前に馬車が止まり、一人の男性が降り立った。
男は貴族の使い。
主の依頼――レイヴァース卿に服を仕立てて欲しいとのお願いを伝えにきたのだった。
これに対応したのはリビラとシャンセル。
歯に衣着せぬ物言いでもってすみやかに男を怒らせた。
「まったく無礼な! 所詮は子供か、侍女の教育がなっておらんようだな! 私はハースブント子爵の使いであるぞ!」
「ニャーはベルガミアのレーデント伯アズアーフの娘ニャー」
「あたしはベルガミアの第一王女だぜ」
「……は?」
男は少女二人が言ったことをすぐには理解できず、険しい表情から一転、間の抜けた顔をさらした。
「レーデント……? それに……、王女?」
「疑うなら大使館で確認してみるといいニャー」
「この国の王宮でもいいと思うぜ」
他国の伯爵と言えど、ベルガミアの英雄であるアズアーフの名はザナーサリーでもよく知られている。
さらにはその星芒六カ国たるベルガミアの、第一王女?
男はしばらく間抜け面をさらしていたが、やがてそそくさと逃げるように去っていった。
「お疲れさまです」
男が去るのを見計らい、現れたのはサリス。
怒らせると恐いことから、メイドたちの間で『首狩りウサギ』の二つ名を与えられていたサリスはこれまで少し敬遠されているところがあった。
が、最近は意外な一面を披露しっぱなしのため、メイドたちは温かい目でサリスを見守り、そしてサリスの調子が狂っていると自分たちがうまく機能しないことをようやく理解したため、早く平常運転に戻ってくれないだろうかと願っていた。
調子が狂う原因――、ポーチにいれていつも一緒に居るウサギのフィーリーをどこかに置いておけ、とは恐くて言えない。
「すいませんね、二人にばかりこんな役を押しつけてしまって……」
「べつにいいニャー、ああいう勘違いしてる奴にはニャーとシャンが地位をちらつかせるのが一番手っとり早いニャ」
「しっかし増えてきたよな、ダンナへの依頼」
相手が男爵――、そして子供だからと、なにを勘違いしたのか高圧的な態度で主に仕事をさせようとしてくる者の増加。
これは数十年待たねばならなかったはずのヴィルクが急遽供給され始めたための悪影響であった。
もう二度と手に入らないかもしれない貴重な生地を誰に任せるかとなったところで目をつけたのが一人の少年――、現レイヴァース家当主であるセクロス・W・レイヴァース。
スナークを討滅し『スナーク狩り』の二つ名を得た希代の英雄とはいかなる人物か?
それを特集した新聞記事には聖女の法衣を仕立てた実績についても触れられており、ヴィルクを手にいれた者はさらに『英雄の仕立てた服』という箔をつけることを目論んで訪問してくるのである。
「今んとこ伯爵くらいまでだからいいけど、これ以上のが出てくると面倒だよな」
「そうなるとニャーじゃもう対処できねーニャー」
「んー、たぶんなのですが、侯爵や公爵が来ることはないと思いますよ? 少なくとも、こんなふうに接触はしてこないはずです」
「そなのか?」
「ニャ?」
「ええ、御主人様がヴィルクの供給にも関わっているという情報を得ているでしょうから。下手なことをして機嫌をそこねるのは損です」
「なるほどなー」
「いま来る奴らはバカばっかってことニャ」
「ヴィルクが手に入って浮かれているというのもあると思いますよ? でもあとで事実を知ったら、ご機嫌取りの品を送ってくるかもしれませんね……、はあ」
その対応をするサリスとしては面倒なだけであり、思わずため息が出る。
「でもこれ、ニャーさまがヴィルキリーに関わらなければこんなことにはならなかったわけで、自業自得とも言えるニャ」
「なんかダンナってやることが自分に祟ってね? 苦労するために努力してるみたいだぜ?」
「あはは……」
否定しきれないところもあり、サリスは苦笑い。
「んでも、スナーク狩りの英雄、精霊王の服か……、ま、そこは別としてもさ、あたしもダンナの服欲しいな。お願いしたら作ってくんねーかな」
「今は冒険の書で手一杯のようですから、また手が空いたらお願いしてみてはどうでしょう?」
「…………」
「んー、そうしてみる。ミーネやシアはいいなぁ、ミリーねえに依頼してもらってさ。そもそも今着てるのもダンナのお手製だろ?」
「そうですね。でもあの二人は特別ですからね」
「…………」
「つかおまえ、なんで黙ってんの?」
「ニャニャン?」
シャンセルとサリスが話すのを、リビラはただ黙って聞いた。
下手なことを言って、ベルガミア出立時、黒のワンピースを仕立ててもらったことがバレると困るからである。
とは言え主がせっせと仕立てたので、一部のメイドを除きみんなそのことは知っている。
その一部とは、最近加わったシャンセルとパイシェである。
「黙ったままなんかやり過ごそうとしてね?」
「そんなことはないニャン。このあとのお仕事のことを考えてただけニャン」
「んなわけねえだろ。――おい、おまえもしかして……」
ぷい、とリビラは顔を背ける。
シャンセルがサリスを見ると、サリスは苦笑。
「おまえ、ダンナに服作ってもらったのかよ!」
「やむにやまれぬ事情があったニャー!」
そして二人は日課になりつつある啀み合いを始めた。
△◆▽
屋敷へ戻ったサリスはいつの間にかぼんやりとしていた。
そんなサリスをポーチから上半身を出したフィーリーが心配したようにちょいちょいとつつく。
気遣ってくれたことが嬉しく、サリスはフィーリーをポーチから抱えあげて頬ずりしながら言う。
「ちょっとね、昔のことを思い出してたの。たぶん、シャンセルさんが御主人様の服が欲しいなって言うのを聞いたからね」
それは二年ほど前の話――、主と知り合い、それがきっかけでミーネやティアウルと仲良くなり始めた頃のこと。
主がレイヴァース領へと帰るお別れの日、ミーネは主に仕立ててもらったという服を着ていた。
それはサリスがこれまで見たことのない仕立てで、暗い色調ではあるが明るいミーネにはとても似合っており、深く印象に残った。
それからミーネやティアウルとはちょくちょく会うようになったのだが、ミーネはいつもその服を着ていた。
いや、話を聞いてみたところ、ほぼ毎日着ているということで、そんなに着続けたらくたびれるのが早くなってしまうのではと密かにサリスは心配した。
が、半年もしたころ、ミーネの服はくたびれるどころか、ますますミーネをぴったりと包み込み、より可憐さを際立たせた。
「あ、えと、この服ね、生き布だから」
服について尋ねたところミーネにそう言われ、そこでサリスはなるほどと思った。
そうか、隠さなければならないほどのものか、と。
そもそも生き布はきつくなってきた場合、つっぱる部分が着る者に合わせて大きくなる程度の話であり、調整不足で余っていた部分が自然と引き締まり、着ている者の体型にぴったり調整されるほど万能なものではない。
ただ、例外が一つある。
ヴィルク、と呼ばれる最高級の生地だ。
チャップマン家にもその生地で作られた衣装が一着あるが、それは家宝であり、サリス個人が着られるようなものではない。
サリスはそれとなく、ミーネにヴィルクの話を振ってみた。
しかしミーネは誤魔化すかと思いきや――
「あー……、うん、実はそうなの。内緒ね」
あっさりと認め、だからこそサリスは驚いた。
ここ半年でミーネの性格はなんとなく把握していたので、ここで話をまとめて終わらせてしまおうとするとなると、実際はヴィルク以上の代物ということになる。
しかしそんなものが存在するのか?
あると言えばある。
それは古代ヴィルクと呼ばれる、ほとんど話だけのような代物。
現存はすれど、聖都の大神官だけが着用を許されている法衣。
世界でただ一着のみである。
さすがにそれ以上追及することは恐くなってやめたのだが、結局のところ使われている生地は大した問題ではなかったのだ。
ただミーネの服が素敵だったので、うらやましいと思った、というそれだけの話。
出会い頭に八つ当たりで頬をつねっておいて、いまさら服を仕立てて欲しいなんてお願いはできない。
サリスは鬱屈しつつあったのだが、ある日、彼から贈り物が届く。
「それが貴方だったのよ。とても嬉しかったわ」
そう言いつつサリスはフィーリーに頬ずりするのだが、さすがに古代ヴィルクが少量使われているとまでは想像しなかった。
「でも、今も欲しいの。だって素敵だもの」
英雄の作った服だからとかそういう話ではない。
自分のためにとデザインを考え、仕立ててくれた服が欲しいのだ。
「ふふ、フィーリーはよかったわね、服を作ってもらえて」
こくこくとうなずくフィーリーに、サリスは頬をほころばせる。
これまでは一方的に話しかけるだけだったが、今はこうして反応を返してくれる。それが嬉しく、ついついサリスの精神は幸せ時空に旅立ってしまうのだ。
そして、そんなサリスのところにミーネはやってきた。
「あらミーネさん、どうしました?」
「んとね、実はね、いつもお世話になっているお礼にってメイドのみんなに何か贈り物をしようと考えてるの。でも、何を贈ったらいいかぜんぜん決まらなくて……、サリスは何がほしい?」
「そうですねぇ……」
それは、ミーネは間が悪かったというべきか。
普段のサリスならば絶対に言わないこと――、忙しいにも関わらず、知ったらきっと何とかしようとしてくれることがわかっているので言えないことだったのだが、このときサリスの精神は幸せ時空――、つまり惚けていたので、その欲求にストップをかける理性が仕事をせずに本音がぺろっと出た。
「御主人様に服を仕立てていただけたらなー、と」
△◆▽
ミーネは困っていた。
まだサリスにしか話を聞いていないミーネだったが、そのサリスの要望を自分に当てはめて考えてみたところ、すっごく欲しかったのできっと他のメイドたちも欲しいに違いないと考えたのである。
しかし、これを彼に伝えるのが躊躇われた。
冒険の書を作るのに大忙しの彼――、ときどき「あひゃーッ!」とか「うぴょーんッ!」など奇声を上げて取り組むような状態にある彼に、メイドたちの服を作ってくれと言うのはミーネといえどさすがに躊躇われたのである。
しかし、それでも提案があったことは伝えなければならない。
「うむむむ……」
ミーネの部屋から廊下を挟んだ斜め向こうが彼の仕事部屋である。
彼は今も冒険の書の製作に励んでいるのだろうか、ミーネは自室のドアをちょっと開き、なかなか彼のところへと向かう意気込みが湧いてこずに困っていた。
メイドたちの服を作ってくれと伝えたとき、彼はどんな反応をするだろうか。
「(怒ったりはしないと思うけど……、なぜかしら、笑顔のまま固まって動かなくなるような気がするわ)」
どうしたものか、とミーネが困り果てていたとき、その危機を救うべく現れた者がいた。
ミーネの腰の辺りをぽすぽすと叩く者。
大クマ――クーエルであった。
クーエルは「我に任せるがよい」とでも言いたげに、自信満々で自分の胸をぽすぽすと叩く。
「なんとかできるの?」
もちろん、とうなずくクーエル。
そもそもミーネが何に困っているか聞いてもいないというのに。
クーエルはのっしのっしと彼の仕事部屋へと向かっていく。
そして不思議な力でもってドアを開くと、そのままのっしのっしと彼の仕事部屋へと入っていた。
バタン、とドアが閉じられる。
そしてしばらく。
不意にドアが半分ほど開かれたかと思うと、ぺいっ、とクーエルが放り捨てられ、ぼすんと床に尻もちをつく。
だがクーエルは諦めない。
急いで立ちあがり、再び彼の部屋に突入。
そしてすみやかに放りだされ、今度はころころ転がってミーネの部屋の前までやってきた。
クーエルは仰向けのまま、まるで己の無力を噛みしめているように動かなかった。
「駄目じゃない……」
ぽつり、とミーネが言うと、クーエルはビクッと震えたあとのっそり起きあがり「面目ない」とでも言いたげにうつむいた。
「仕方ないわね……、こうなったら――」
△◆▽
「ええぇー、ちょっと待ってくださいよー……」
ミーネはシアを頼った。
そもそもメイドたちへの贈り物はシアと一緒に考えることになっていたので、ここは助け合うべきだと思ったのだ。
ミーネに話を聞いたシアは頭を抱える。
だがしかし、自分たちだけ服を作ってもらっていて、さらに作ってもらえる予定もあるとくる。
これはサリス――、さらに他のメイドたちが羨ましいと思うのも無理はないだろう。
なにしろ衣装のデザインが洗練された世界――、さらには極端に少女の姿を可愛らしく彩るデザインに溢れた国からやってきた主の作る服となれば、この世界のどこを探そうとそれ以上のものなどありはしない。
「確かに立場が逆だったらわたしもそう思うでしょうし、そこはちょっと無頓着でしたか」
そこは素直に反省する。
「んー……、たぶんご主人さまは引き受けるでしょうけど……、聞いたらまず笑顔のまま動かなくなるような気がするんですよね……」
「あ、シアもそう思う?」
「ひとまず、明日……、明日言うことにしましょう!」
「今日じゃないの?」
「わたしだって心構えがいるんですよ!」
※誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/28
※脱字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/01/31
※さらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2019/07/04
※さらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2021/06/16
※さらにさらにさらに誤字の修正をしました。
ありがとうございます。
2022/02/27




